010: 震災初日の終わり
ハイになった父さんの話は、その後も延々と続いた。僕らが聞いているかどうかなんてお構いなしに、絶え間なく喋り続ける。たくさんビールを飲んだ時だったら、こうなる事もあるけど、ビールを飲んでない時の父さんとしては異常だ。
会社の事務棟フロアの天井は、石膏ボードがあらかた剥がれ落ちて、梁なんかがむき出しになった。エアコンの吹き出し口がドスン、ドスンとフロアに落ちて、地震の最中は生きた心地がしなかった。それなのに不思議と人的被害は無くてホッとした……。
一方、工場の被害は甚大で、復旧には相当な時間が掛かりそう。幸い、建屋の倒壊は防げたものの、設備や機械の損傷が酷くて、何から手を付ければ良いかさえ分からない状況……。
そんな話を僕らが聞き流していると、唐突に父さんが母さんに尋ねた。
「おい、電話、まだ駄目か?」
「しばらく試して無いけど、もう一度やってみるわ……。あ、掛かったみたい」
「何処に掛けてんだ?」
「あなたの実家よ」
父さんは母さんから受話器を奪い取ると、直ちに耳に当てて相手が出るのをじっと待った。そして相手が出るや否や、いきなり早口で話し出した。
「あっ、母さん、うちの家族は皆、無事だったぞ……。何だって? 母さんが元気かどうかなんて聞いてないんだが……。ああ、そっちも揺れたんか……。何を言ってんだよ。こっちは、震度六強だったんだぞ……。そうだよ、震度六強、テレビを見てみろよ、テレビ……」
父さんは、祖母さんに向かって大声でがなり立てていた。
祖母さんは、テレビを全く見ていなかったらしい。それで、息子が自分の身を案じて電話してきたのだと思ったようだ。地震の震源がこっちの方だった事は知らなかったみたいで、父さんは相当イラ付いていた。
ようやく電話を終えた父さんは、缶ビールを冷蔵庫から取り出すと、リビングのテレビの前に陣取って一人で飲み始めた。すぐに母さんが、冷蔵庫の在り物で適当につまみをこしらえて運んで行く。水が使えないから、チーズとかハムといった、切るだけで済む物だ。
「樹も何か食べる?」
「うん。母さんは?」
「お腹は、あまり空いてないのよね。それより、樹は何が良い?」
「うーん、何でも良いよ」
母さんは、僕の返事に小さく溜め息を吐くと、スパゲッティを茹でる為の鍋を火に掛けた。その鍋には予め水が溜めてあって、半分は別の小さな鍋に移してある。
取り敢えず僕は父さんの隣に腰掛けて、一緒にテレビを見ることにした。
『これは、夕方五時半頃の映像です。先程お伝えしましたとおり、ナハマ港にも、既に津波が到達しています……。いやあ、想像以上ですね。巨大な津波が岸壁を超えて行きます……。こちらは、別の映像です。二階の屋根の上まで海水が来ています。その脇を、何台もの車が流されて行きます。ご覧頂いているとおり、もの凄い勢いです……』
既に周囲が薄暗くなっているせいで画面が少し見辛かったものの、アナウンサーの言うように、海に近い辺りが凄い状態にあるのは充分に分かる。だけど、僕には不思議と緊迫感は無かった。
ナハマ港は、ここから十キロ少々南に行った所だ。僕ん家は高台にあるけど、海からは五キロも離れていない。それなのにテレビの映像は、まるで遠い国の出来事のようで、どうにも僕には実感が湧かないのだ。
「津波って、ここまでは来ないよね?」
「当ったり前だ。しかし、この映像からすると、沿岸部は全滅だな。かなりの数の死者が出ていそうだ」
「そうなの?」
「ああ。うちの従業員とか家族には、犠牲者がいなければ良いがな」
父さんは、そう言って顔をしかめた。いつの間にか、父さんのビールは二缶目になっている。
また余震があった。カタカタと食器棚が鳴り出したかと思うと、その後かなり強い横揺れがきた。僕は一瞬、軽く腰を浮かしかけて止めた。父さんが横でのんびりとビールを飲んでいるのだから、きっと大丈夫に決まってる。
さっきの余震の情報が流れた後、テレビ画面は新型発電所の映像に切り替わった。
僕ん家から車で北に一時間くらい走った所に、首都電力の新型発電所がある。イルジウムというレアメタルを核分裂させ、そこから得られる熱エネルギーで電力を生み出す発電所だ。
新型とは言っても、実用化されてから既に半世紀の歴史があるのだが、四半世紀前にロシアで起きた事故により、新たな建設に急ブレーキが掛かってしまった。
イルジウムが核分裂を起こす際、「イルージョン」という目に見えない微粒子が生まれる。その「イルージョン」というのは、どんな生き物の細胞も破壊してしまう猛毒なのだそうだ。
通常、「イルージョン」は圧力容器と呼ばれる格納庫から外に出ることは無いのだが、ロシアの事故では、それが周辺の東欧諸国にまで飛散してしまった。その為、欧州全体、更には北米東海岸の人々までもが恐怖に怯えて、世界的なパニック状態になったのだという。
ロシアでの事故の後、しばらくの間、新型発電所は世界中で毛嫌いされていたのだが、最近の地球温暖化で俄かに脚光を浴びるようになった。理由は、「ほとんど二酸化炭素を発生させない」という点にある。それに、原料のイルジウムはレアメタルではあるものの、海底等に未開発の鉱床が数多く発見されており、潜在的な埋蔵量が膨大である事も魅力のひとつとなっている。
今では、世界中の至る所で新たな発電所が建設中であり、国内でも十ヶ所の建設計画があるという……。と言っても、現在、稼働中なのは、僕らが住むハッピーアイランド州の四機だけなんだけど……。
とまあ、このくらいの事なら、新型発電所の近くに住む僕等にとっては、中学生と言えども常識の範疇だ。小さい頃から、何かにつけて学校の先生や親たちから様々な知識を叩き込まれているからだ。
『……たった今、入った情報ですが、ハッピーアイランドの新型発電所が今回の巨大津波で被害を受けた模様です。冷却用ポンプを回す非常用電源が故障しており、炉心の冷却に遅れが生じる恐れがあります。発電設備は、地震の揺れを感知した直後に緊急停止した為、問題はありません。午後七時に菅野首相の記者会見が行われ、新型発電所緊急事態宣言が発令されました』
テレビでは、深刻そうな顔のアナウンサーが、次々とニュースを読み上げて行く。
「父さん、発電所の冷却装置が働かなくなると、何が起きるの?」
僕は、ふと不安になって聞いてみた。
「さあ、父さんも良くは知らないんだが、あの発電所は絶対に安全な筈だから、たぶん大丈夫なんじゃないか?」
それだけ言うと、父さんはチャンネルを他に切り換えてしまった。
再び画面に、津波の映像が現れる。ハッピーアイランド州よりも、ずっと北の地方の映像だ。そこは、より震源地に近い為、ヒカリ市よりも更に甚大な被害を受けていた。巨大な津波がビルや車、そして人々をも次々と飲み込んで行く、そんな壮絶な様子が何度も何度も繰り返し映し出された。
僕は、映像の悲惨さに居たたまれなくなって、トイレに立った。
「樹、おトイレに入ったら、お風呂の水を使って、ちゃんと流しておくのよ」
用を足した直後に、母さんの鋭い指示が飛んだ。やれやれと思いながらも、僕は言われたとおりに、桶で風呂の水を掬ってトイレに流す。
それから、母さんが作ったスパゲッティを食べた後、風呂の水を少しだけコップで掬って、歯を磨いた。
自分の部屋に入って中を片付けていると、電話が鳴った。まだ携帯は買ってくれないけど、僕の部屋には家の電話の子機がある。この時間は、僕が電話を取るのが普通だ。
『樹? 瑞希だけど』
「うん」
『家の中、大丈夫だった?』
「結構、本とか置物とか落ちてて大変だよ」
『そっか。私ん家もおんなじ。大事にしてたミッキーのマグカップが割れて、がっかり。あと、お水、出なくなっちゃった』
「うん。トイレとか面倒だよね」
『そうそう。うち、お風呂に半分くらいしか水溜めてなくて、断水、長引くと困る。お父さんは、すぐに出るって言ってるけど、心配」
「そうだね。すぐ水が出ると良いよね」
『うん。あっ、また揺れてる……』
確かに、僕の部屋でもタンスがカタカタと音を立てている。
「大丈夫。そんなに大きくないよ。それよりさ、新型発電所がやばいことになってるんだってね。知ってる?」
『知らない』
「ニュース、見なかったの? 冷却装置が働かないんだって。津波でやられちゃったらしいよ」
『それ、働かないとどうなるの?』
瑞希が、かぼそい声で聞いてきた。
「さあ……、爆発とか?」
『まさか』
「そうだよね、そんな訳ないよね」
『そうだよ。お父さんが新型発電所は絶対安全だって言ってた。あ、そう言えば、一緒に見学行ったね。えっと、小学校五年生の時だったかな。ほら、帰りの集合時間に樹と翔太くんが来なくて大騒ぎだった』
「ああ、そんな事もあったね。あれは翔太がトイレに籠ったきり、ちっとも出て来なくなっちゃって……」
僕らは、母さんに「こんな時だから、もう切りなさい」と言われるまで、一時間以上も、たわいない会話を続けた。電話を切ると急に瞼が重くなって、僕は急いでパジャマに着替え、いつもより早くベッドに潜り込んだ。
明日から、いったいどうなっちゃうんだろう?
そんな事をぼんやりと思いながら、すぐに僕は眠りの中へと落ちて行った。
END010
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「震災二日目の朝」です。次話から第三章になります。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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