1.儀式の夜
「異界の者よ、感謝します。これで再び力が戻りました」
そう言うやいなやヒイロの目の前で女神さまの姿がどんどん膨張していって、辺りにきらきらとした光の粒のようなものが広がっていく。不思議なことに神の力というものは、それが満ち満ちている間は人間には感知できなくなるのだそうだ。それほど別次元の存在ということらしい。
「さあ、願いを一つ、叶えましょう」
光のヴェールに包まれたような状態の中で、それが本当に音として聞こえているのかあやふやになるほど脳にだけはっきりと届く声で女神さまが言う。
――願いは決まっていた。大学合格。
どうしても行きたい大学があって、でもこの受験の年になっても判定はちょっと無理そうなままで、どうしようとあがいていた時に偶然舞い込んだチャンス。知らない世界に喚び出されて、女神さまを救ってください、とかいうお決まりのやつ。そんな慈善事業に関わっていられるか、こちとら受験生だぞ、という反発の気持ちは、こんな説明を受けてわりと一瞬で収まった。
「女神さまが力を取り戻されれば、なんでも一つ、願いをかなえてくださるのです」
「やります」
なんでもということは、大学合格くらいお手の物なはずだ。微分とか積分とか、関係代名詞とか徳川家歴代将軍とか、そういうやる意味の分からないうえに苦痛なことを必死にやるくらいなら、少しでも苦痛の少なそうなことで山場を越えたい。
そういうわけでここ半年間くらい、訳の分からない踊りを覚えさせられて、訳の分からないダメ出しをくらいまくって、それでも死に物狂いで(注:個人の主観です)頑張って、足も腕も全身痛いのに頑張って、星の巡りとか地脈の関係とかで年に一度のチャンスだという今夜、言われた通りに儀式を成功させて女神さまの力を取り戻すことができたのだ。
――やりきったのだ、という、疲労が突き抜けて楽しくなってしまうあの感じ。そんな高揚感の中でヒイロが感じたことは、私、できるじゃん。という確かな自信だった。それに、こちらで過ごしているうちに薄々気づいていたんだと思う、私の悩みなんて、大学に合格できるかどうかなんて、なんかちっぽけだったなっていうことに。
そんなあれこれがない交ぜになって、女神さまの願いを促す言葉にヒイロは否と答えた。
「いいんです。私、やっぱり自分で頑張ってみようって思ったから」
そのとき、背後の空気がざわついた気配がした。そんなに大きな声を出したつもりはなかったが、儀式の中心であるヒイロたちを遠巻きに見守っていた城や神殿の人たちにも聞こえていたらしい。
あっ、やだなあ、なんて無欲な聖女様なんだとか感動されてたらちょっと恥ずかしいな。なんて、みんなの反応を想像してついはにかむと、目の前の女神さま、だったキラキラも少し笑ったように思えた。
「では、この世界でのあなたに私から祝福を」
ヒイロにだけ聞こえるようにそっと囁き声がしたかと思うと、ヴェールになった女神さまは次第に薄くなっていった。そしてそのキラキラが完全に見えなくなってしまってからも、女神さまがずっとそこにいるように思えて、ヒイロは達成感からくるすがすがしい気分のまましばらく目の前をじっと見つめていた。
――その時後ろで、みんなが大いに困惑していることも知らずに。