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【全年齢版】悪役商人の掘り出しもの

作者: 赤井茄子


 青い空、白い雲、爽やかな風がふき、小鳥が軽やかに歌う。まさに“好日”というに相応しいその日、大聖堂でとある夫婦の結婚式が行われていた。

 国一番の楽団による荘厳な演奏に合わせて花嫁と花婿が一歩踏み出す度、たくさんの白い花びらが振りまかれる。聖堂へ続く道を埋め尽くす見物客らにも酒や食事が振る舞われ、盛大すぎるほど豪奢な――悪い言い方をすれば、いささか派手すぎる結婚式だった。


「なぁ。あの花嫁さんって……」

「しっ黙ってお祝いしときなよ。折角のタダ酒がまずくなっちまうだろ」


 しかし、そんなめでたい席だというのに、参列者や見物客の雰囲気はどこかおかしい。戸惑いや憐れみが漂い、心から祝福している人など一人もいない。なぜなら――


「由緒あるオリオール家のお嬢様が、商人に買われるなんて、ね」

「オリオールも堕ちたものだわ」


 参列者の貴婦人達が、羽つき扇子の下でヒソヒソと囁く。

 この婚姻は、この土地一帯の領主であるオリオール家が困窮したことで結ばれたものだった。相手は、ここ十年で一気に成長した新進気鋭の商会バルリエの若頭……老舗とはいえ、未だ爵位を持たぬ庶民だと社交界で揶揄されることもしばしば。


 そんな商会がついに、貴族の血を手に入れるのだ。この豪華すぎる結婚式は、バルリエ商会の勢力を知らしめる意味もあるのだろう。


「ぐひひひっ! 御覧なさい、皆貴女を見ていますよ」


 白い花びらが降る中、花婿がニタニタと下品な笑みを浮かべ、花嫁の耳元へ口を寄せる。

 身にまとった純白のタキシードと胸に挿した青い造花の清楚な美しさとは対照的な、タレ目気味の三白眼にギザギザとした歯が禍々しい。長い黒髪を後ろに結んで小奇麗にまとめているが、猫背ぎみの姿勢のせいで台無しだ。『あれが悪い商人だ』と言われたら十人が十人頷くような雰囲気を醸し出している。

 彼こそが、貴族の娘を金で買った商人――ダミアン。バルリエ商会の若頭だ。

 

「…………」


 そんな男に、花嫁衣装を着た哀れな女はちらりとも視線をよこさない。ひたすらに前を見つめる碧い瞳はどこまでも空虚で、ガラス玉のようにただ白い花と空を映すばかりだ。

 しかし、ダミアンはそんな花嫁のつれない態度を気にした様子もなく、鼻歌まじりに彼女の左手をとる。結婚式とは不釣り合いなほどシンプルな銀の指輪がはめられた薬指を撫で、また「ひっひっひ」といやらしい感じの声を漏らす。


「大丈夫ですよぉ。この私が直々に、高ぁいお金を出して買い付けたのですから。決して悪いようにはしません」


 そう言って、長い指先で美しいレースやフリルを幾重にも重ねた豪華な花嫁衣装に埋もれた腰をねっとりと撫で回す。コルセットなど不要な――むしろ不健康なほど細い体を見下ろして、ダミアンは実に愉しそうにニタニタと笑った。


「結婚式の後は、天国へ連れて行ってさしあげますからね。ぐひひひ!」

「……てんごく?」


 ヴェールを上げた花嫁が、やっとダミアンの方を見上げる。化粧では隠しきれないほど不健康な白い肌に、纏めてもごまかせないほどに艶のない金髪が一筋ぱらりと溢れる。

 落ち窪んだ碧い瞳に生気はなく、痩せこけた頬と申し訳程度に紅を引いた唇は荒れていて、お世辞にも『美しく幸福な花嫁』とは言い難い。


「私……天国へ、いけるの?」

「ええ、ええ! もちろんですよぉ」


 しかし、花嫁の虚ろな瞳を覗き込み、商人はいっそう愉しげにニタニタと嗤う。そして、徐に彼女を抱き寄せ……あろうことか唇をべろんと舐めた。


「掘り出し物は大切にする主義ですからね……期待していてくださいよぉ、イーッヒッヒッヒ!!」


 新婚夫婦の初々しい口づけ、というにはあまりにもグロテスクな光景に見物客から悲鳴が上がり、場が騒然となる。碧い目を見開いた幽鬼のごとき花嫁と、彼女を抱き寄せるニタニタ笑いの商人花婿の絵姿は、次の日の朝刊を大きく飾り、社交界だけでなく庶民の口をも賑わせることになる。

 こうして、『悪役商人ダミアン・バルリエ』と『金で買われた悲劇の令嬢メロディ・オリオール』の婚姻は無事相成った。


 その血筋を金で買われた、薄幸の花嫁メロディ。

 生家では後妻に虐げられ、無関心な父によって売り飛ばされた哀れな彼女は、それから一年後――――







「いい加減往生なさい旦那さまッ!! 今夜こそ私と子作りなさいませ!!!」

「きぃやぁあぁあぁーーーー!! よ、嫁に襲われるぅぅううーーーー!!!!」


 ……鬼気迫る形相で、悪面夫に文字通り襲いかかっていたのであった。




◆◇◆



 メロディ・オリオールの人生は、生まれた時から暗澹としたものだった。

 まず政略結婚で嫁いできた母は出産と同時に儚くなり、早々に後ろ盾を失った。彼女付だった優しい侍女が乳母となってくれなかったら、年頃まで生きていなかったかもしれない。

 そして元より、政略結婚の相手に愛情などなかった父は、喪が明けて早々に愛人を後妻として迎え入れる。それから幾月もしない内に、彼女が跡取り息子を産んでからは一層、メロディという娘に対し無関心になっていった。

 ただ、教養や教育に関しては野放しにせず、家庭教師をつけてくれた。

 ……しかしそれすらも、いずれは金持ちに嫁がせる為の布石。年頃になったら、金持ちの愛人か年寄貴族の後妻として金を受け取って追い出すつもりなのだろう。


 当然、戸籍上『義母』となった女は、出会った時から先妻の忘れ形見であるメロディを疎んでいた。跡継ぎを産んでさらに態度は横柄になり、味方のいないメロディは事あるごとに虐げられた。

 明るく過ごしやすかった子供部屋は義弟に奪われ、日当たりの悪く狭い屋根裏部屋で粗末な食事が一日二回。ただでさえ少ないのに、何か粗相をすると罰として食事を抜かれることもしばしば。


 そしてある程度大きくなってからは、もっと酷かった。貴族令嬢でありながら使用人の服を着せられて、傅かされるのだ。

 ……しかしその扱いは、使用人というより奴隷のそれだった。


「あの花が気に入らないわ。他のものに替えてきなさい、早く!」

「……はい……あっ」


 花瓶を抱え、歩き始めた瞬間。メロディはバランスを崩し、思い切り花瓶の花と水を床へぶちまけてしまった。せめて花瓶を落とさないようとっさに抱え込んだせいで、胸元から下が花瓶の水でぐっしょりと濡れてしまっている。

 へたりこんだまま振り向けば、義母の息のかかった侍女が意地悪く嗤っていた。恐らく、メロディの足を引っ掛けたのは彼女だろう。


「この愚図! 私のドレスが濡れてしまったではないの、汚らわしいっ!!」

「申し訳ございません、奥様……っう!」


 バシン!と扇子で頬を思い切り打たれる。義母は、先妻によく似たメロディがお気に召さないらしい。理由を見つけては仕置きや躾と称し、扇子や鞭で打ち据えてきた。

 痛みに蹲ったメロディをさんざん打ち据えて、息が上がったのだろう。義母はふんと鼻をならして骨の折れた扇子を傍らの侍女に放り、忌々しそうに蹲ったままの彼女を睨みつけた。


「何を呆けているの! さっさと片付けなさい!」

「……っ、はい……奥様……」


 打たれた場所が、疼くように痛む。浅い息を繰り返して堪えながら、メロディは懸命に濡れた床を拭き、散らばった花をかき集めて花瓶に戻しその場を後にした。

 痛みを堪えながら、花瓶を抱えて庭園の方へ急ぐ。


 ――早くしないと、早く。早く……


 戻るのが遅かったら、また打たれてしまうのは想像に難くない。濡れた服を着替えるのが先か、花を替えて戻るのが先か、悩ましいところだ。

 しかし、庭園についたところでメロディの足は止まってしまった。


「……あ……あ、あ……っ」


 まるで、足に重りがついたように動かない。早く行かなければと思うのに、体は言うことを聞かない。心と体が悲鳴を上げて、もう限界だったのだ。


 ――例えば白い百合を選んでも、真っ赤な薔薇を選んでも、濡れた服を着替えても、着替えずに戻っても。

 あの義母はどうしたって、小さな粗を見つけ出してメロディを責めるだろう。最悪「目つきが気に入らない」と叫び、再び扇子で打たれるかもしれない。


 あの義母は、ただ暴力のはけ口が欲しいだけなのだ。メロディは都合のいい、壊れても困らない古びたクッションや人形のようなもの。


 ふとそれに気付いた瞬間、彼女の中で、頑張ろうという気力の糸が――プツン、と切れてしまったのだった。


「……ああ……疲れた……」


 この屋敷に、自分の居場所など生まれた時から存在しない。優しかった乳母も解雇され、義母の癇癪を恐れて使用人にも味方はいない。

 メロディは花瓶を抱えたままその場にへたりこみ、虚ろな目で空を見上げた。青い青い空の中を、白く細い雲がたなびいて消えていく。


 ――あの雲みたいに跡形もなく消えていけたらいいのに。


 しかし、人間はそう簡単には消えられない。

 仮にメロディが自分で消えようとしたとして、きっとあの父と義母のことだ。「厄介なことを」と、忌々しそうに舌打ちして棺桶の前で罵ってくるに違いない……。


 そう思いながらボンヤリと、どれくらい空を見上げていただろうか。背後から砂利を踏みしめるような足音が聞こえてきた。

 そして、メロディの真後ろで足音が止まり――青空を遮るように、黒い影が彼女を覆う。顔を上げれば、そこには見慣れない男が、ニタニタと何ともいやらしい感じの笑みを浮かべていて立っていた。


「いっひっひ! みすぼらしい格好ですねぇ貴女……こちらの屋敷の使用人ですかぁ?」

「……あ……」


 青空を背にこちらを見下ろす彼はニタニタ笑いも相まって、黒い影の中で三日月が三つ浮かんでいるような不気味さがある。そんな男を前に何と答えていいか分からないまま、メロディはただぼんやりと男を見つめた。


 それからどれくらい時間がたったのだろう。


 気が付くと、メロディは見知らぬ馬車の中に乗せられていた。服は濡れたままだけれど、肩の上にフカフカしたタオルをかけられ、手のなかにはほんのりと湯気の立つ携帯型のコップをもたされている。


 ――いつの間に、私はここへ?


 ぼんやりと霞のかかった頭の中で、コップを見下ろす。中に入っているのは、見慣れない緑色の液体だった。ただ匂いは苦いけれどどことなく清涼で、嫌な感じはしない。


「おやおやおやぁ、やっとお目覚めですか」

「ひっ!?」


 向かいの席で、あの怪しい男が変わらずニタニタと笑っている。


「目の前で突然倒れるから、どうしようかと思いましたよ、ひっひ!」

「……あ、私……倒れて……?」

「ええ、バッタリとね。全く肝が冷えました」


 そう言いつつ、男は鞄からもう一つコップを取り出すと、水筒から緑色の液体を注ぐ。それもまたほんのりと湯気を立てていて、なんとも言えない清涼な香りが馬車の中を満たしていく。

 それをぐびぐびとメロディの目の前で一気に飲み干すと、男はまたニマァッと笑った。よほど美味しい飲み物らしい。


「貴女も飲むといいですよぉ」

「……は、……はい」


 促されるまま、コップに口をつける。目を閉じて飲めば、色などは分からない。ただあのほのかに清涼な苦い香りが鼻腔を擽るだけだ。

 恐る恐る舌先で触れたそれは、熱くもなく冷たくもない――丁度いい温さで口内を満たしていく。珈琲とは違う、舌の奥に残るような深い苦味があるのに、香りと同じように清涼な後味。それが喉を通って、腹の中にゆっくりと落ちていくと、知らずにほうっと口から溜息が溢れた。


「グフフ、良い味でしょう。極東島国の茶なのですよ」

「……はい」

「顧客の中には、この苦味が嫌だという人も居ますけどねぇ?……私は砂糖は入れない主義でして」

「……はい」


 もう一度、コップの中身を見る。最初は奇妙で得体のしれなかった緑色の液体も、陽光に透ける新緑のように思えて、メロディは少し不思議に思った。

 義母に打たれた体は痛いままだし、服はびしょ濡れで心はポッキリ折れたまま。

 それなのに、コップの中のお茶はほんのりと温かく――先程まであった『消えてなくなりたい』という気持ちがほんの少しだけ、薄れたような気がする。


 ――いやらしい笑い方の、変な人。


 これが、後の夫――商人ダミアンへの、初めてあった時の印象だった。





◆◇◆



 それから、ダミアンはオリオール家に頻繁に顔を出すようになっていった。自分と義弟のために、贅沢好きな義母が呼びつけるのだ。

 ……しかしオリオール家は、お世辞にも裕福とは言えない。由緒正しい公爵家ではあるものの、過去の栄光にすがって凋落の一途を辿る貧乏貴族なのだ。

 それなのに、強欲で見栄っ張りな義母は、己や息子を飾る金を惜しまない。ドレスにスーツ、ネックレスにカフス、宝石のついた髪飾り――それらを手に入れる為に、どんどん『付け』という名の借金を膨らませていく。


「商人風情が、由緒あるオリオールの役に立てるのよ。むしろ咽び泣いて感謝すべきでしょう?」

「……いっひっひ、当然です奥様! ダミアンは幸せ者でございます。このようにお美しい貴婦人を飾る宝石を献上できるのですから!」

「ふふ。身の程を弁えた者は嫌いでないわ、ダミアン」

「ありがたき幸せですなぁ」


 うっとりと大粒のダイアモンドをあしらったネックレスを手に取る義母の近くに立たされ、メロディはずっと俯いて震えていた。意見できる立場ではまったくないが、『付け』という借金が膨らんでいくのを間近で見るのが恐ろしくて仕方がない。

 ……ただ、そう悪いことばかりでない。


 ――でも、この買い物のおかげで今日も打たれない。それは良かったのかも……。


 ダミアンが商売を始め数カ月。あの手この手で様々なものを売りつけられた日は特に、義母の機嫌が良い。

 時たま当たり散らされることもあったけれど、前に比べたら雲泥の差だ。動けなくなるほど扇子で打たれることも、粗相を理由に気まぐれに食事を抜かれることも格段に減ったのである。


 常にギリギリで生きているメロディにとっては、ありがたいことだ。


「メロディ。この部屋を掃除しておきなさい、塵一つ残したら承知しませんよ」

「はい……奥様」


 ひとしきり買い物をして満足したのか、義母はダイアのネックレスを気に入りの侍女に預けて部屋を出ていった。侍女も侍女で、頭を下げたメロディに歪んだ笑みを浮かべ、預かったネックレスを箱の方に放り込み去っていく。

 ……たぶん、これで傷でもついていたらメロディのせいにしてやるつもりなのだろう。重いため息をついて、放られたネックレスの無事を確認する。しかし、繊細とはいえ流石はダイアモンド、傷一つない。細工にも壊れた箇所はなさそうで、メロディはほっと胸を撫で下ろした。


「……良かった。大丈夫……」

「ぐっひひひ、何がですかァ?」

「ヒえッ!!……あ、ぁあ!!?」


 背後からねっとりした声で話しかけられ、手の中でネックレスが飛び跳ねる。あわれ、高価なネックレスは床に真っ逆さま――という所で、黒い手袋をはめた大きな手がそれをサッと受け止めた。


「危ない危ない、気をつけてくださいねぇ」

「あ、あ……は、すみませ……あの……」


 猫背の商人はネックレスを高価そうな箱の中に丁寧にしまい、やはりニタニタと笑みを浮かべてじとっとメロディを見下ろしてくる。猫背なのに上背があるからか、それともメロディの背が小さいからなのか、そうやって見下されると圧迫感で息が詰まりそうだ。


「ダミアン様。私そろそろ、仕事に戻りたいのですが」

「ああ、あぁ、すみませんねぇ。ついつい」


 商人からさりげなく距離を取り、メロディはゆっくりと頭を下げた。怪しすぎるとはいえ、彼は正式な客人でもある。粗相をすれば、この男を贔屓にしている義母に何をされるか分からない。

 しかし、頭を下げたメロディの前から彼は一向に退く気配がない。……一体何がしたいのだろうと内心首を傾げていると、ゴソゴソと衣擦れの音と共に、首元に細い何かが引っ掛けられた。


「……?」


 下げた視線の行く先で、小さく碧い光が揺れる。よくよく見てみるとそれは、ツルリとした涙型の――青い石だった。


「えっ、あの。え? これは……?」

「ひひひ、ネックレスですよぉ。見れば分かるでしょう?」

「はぁ。それは流石に分かりますが、何故……?」


 たまらず頭を上げると、石はちょうど胸元、使用人用の制服で隠れる位置に落ち着いた。あの日の青空のような色をしたそれは日の光を受けて透き通り、服の上で青い光を踊らせている。

 訝しげに見上げれば、やはりニタニタした三つの三日月がじとっとメロディを見下ろしていた。


「先行投資ですよ、貴女に」

「……私に? なぜ?」

「いひひ! だぁって貴女、使用人ではないじゃないですかぁ」


 ひゅっ、と喉の奥で息が詰まる。ぞわぞわとした嫌な予感に、背中を冷や汗が伝っていく。

 表情を強張らせたメロディを見てさらにいやらしい笑みを深め、悪役商人は指先でそっとネックレスの石を弾いた。


「メロディお嬢様。かわいそうで哀れな貴女、家族に疎まれ居場所もなく、どこもかしこもボロボロで見窄らしい……」


 ふいに腰を引き寄せられ、メロディはビクリと震える。耳元に寄せられた三日月が、まるで歌うように彼女の鼓膜を震わせる。


「それでも貴女の中に流れる血は、お貴族様だ」

「…………っひ」

「貴女がどんなに貶められようと、その事実は変わらない」

「は、はなしてっ……や、やぁ!」


 メロディがもがけば、チャリ、と胸元でネックレスが揺れる。程なくしてダミアンは音もなく離れていったが、彼の吐息とねっとりした言葉が耳にこびりつくようだ。

 得体のしれない何かに絡みつかれたような、見つかってはならない何かに見つかってしまったような、言いようのない不安がメロディの中で大きくなっていく。


「高貴でひ弱でお可哀想な、メロディお嬢様……ぐふ、ぐふふ」


 三つの三日月が、ニタニタと嗤う。

 しかしその笑みは、蔑むでもなく、その言葉通り憐れむでもない。ただただ愉しげに、彼はメロディの胸元で揺れる涙型の石と、戸惑う彼女を見下ろしていた。


「貴女のようなものを、私のような商人がどう呼ぶか知っていますかぁ?」

「……なん、でしょう」


 ダミアンが三日月型の口を開く。唇から覗く歯はどこかギザギザとしていて、人ではない何かのような禍々しさ。

 そこから放たれた言葉は、きっと一生忘れられない。


「――『掘り出しもの』、というのですよ」


 碧い目を見開いたメロディの頬を撫で、猫背の商人はニタニタと笑った。

 それから程なくして、メロディが膨らみすぎた『付け』の代償として嫁ぐことになったのである。


 ……商人が見つけた、『掘り出しもの』として。



◆◇◆



 盛大な結婚式が終わり、初夜のために磨き上げられた頃にはメロディはくたくたに疲れきっていた。ただでさえ少ない体力と気力は既に底をつき、気を抜くとフカフカしたお布団の魔力に屈してしまいそうである。

 眠い目を擦りながら胸元を見下ろして、メロディは重いため息を吐く。


 ――壊滅的に、似合ってない。


 桃色の薄布とレースで作られた初夜用の服は、単体で見ればとても美しくて可愛らしい。普通のご令嬢が身につけたら、旦那様もきっとひと目で陥落することだろう。

 しかし、日頃粗末な食事と仕置と称した暴力しか与えられなかったメロディの身体は……お世辞にも、美しいなんて言えない。服で隠れる場所にはそこかしこに痣があるし、腕も足も華奢というには細すぎる。胸など肋骨が浮いている。磨かれて肌艶は多少マシになったけれど、落ち窪んだ目も窶れた頬も変わりはしない。

 ネグリジェを着た骸骨のほうがメロディより色気があるかもしれない……。


「おやぁ? 何かお困りですかぁ?」

「ひぃっ…………!?」


 薄い天蓋をめくり、高い背を屈めてぬぅっとダミアンが入ってくる。音も気配もなかった気がするが、メロディが物思いに耽っていたからだと信じたい。

 天蓋の中に入って彼がスッと手を振れば、枕元のものだけを残して魔灯の光がゆっくりと落ちていく。

 すると、寝室の空気が一気に初夜らしいものに変わった気がする。……目の前の男のニタニタ笑いがいやらしいから余計にだ。


「……あ、あの……っ」

「はい、何でしょうか? 私の花嫁さん」

「えっと……」


 腰を抱かれ、いよいよな雰囲気にメロディは目を見開く。まさか、本当に夜が始まるというのだろうか? 骸骨よりも色気がないメロディ相手に? 正気だろうか。


「……あ、の、ダミアンさま」

「ひひひっ、『さま』はいりませんよぉ。メロディ、もう私達は夫婦なのだし」

「ひゃっ!?……え、ええええ……っ!?」


 未だ戸惑うメロディに、黒い影が覆いかぶさる。尖った三日月がニンマリと照らしていたのだった。






 その後、メロディは三日ほど高熱を出して寝込んだ。白い髭を蓄えた優しげな医師が言うには、「ひどい疲労と栄養失調」とのことだ。


「良いですか。しばらく安静にするのですよ」

「……は、い……」

「熱が下がったらでいい、消化の良くて栄養のあるものを食べなさい。家のものにも伝えておこう」


 心当たりは大いにある。

 あの家で虐げられてきたメロディは、栄養が足りていないし、働き詰めだったからだ。そして、義母は花嫁になるメロディを打つことは控え始めたが、その代わり事あるごとに言葉で虐げるようになっていた。式の前日など、『花嫁の心得を教えてやる』と称して数時間飲まず食わず、立ったままで延々と罵倒されていたのだ。

 ……思い返してみると、なかなかに酷い有様である。


「……無理をさせてしまいましたねぇ」

「…………ダミアン、さま?」


 医師が去った後、隣についていたダミアンがそっとメロディの頬を撫でる。相変わらずその顔は少しニタニタとしているが、心なしかニタニタ笑いに勢いがない。ただでさえ猫背なのにさらに背中は丸くなり、一周りか二周り小さく見えるほどだ。


 ――やっぱり、へんな人。


 熱でぼうっとした彼女の額に、冷たい布が乗せられる。その心地よさに目を閉じて、メロディはゆっくりと、大きく息を吐き出した。

 まだベッドの側から離れないダミアンの気配を感じながら、メロディはゆっくりと眠りの海へと沈んでいく。


 ――本当に、へんな人だわ。


 メロディを『掘り出し物』と称し、金で買った悪人面の商い人。それなのに、彼女が熱を出せば医者を呼んでくれて、頬を撫でてくれる。熱が下がるまで看病するつもりなのかもしれない。

 まるで、メロディのことが大事で、本当に心配しているみたいだ。


 ――へんな、旦那さま。


 ダミアンは間違いなく変な人だ。笑い方はいやらしいし、商人だからか打算で動きがち。

 けれど……メロディはそんな旦那さまのことを、嫌いではないなと思ったのだった。




◆◇◆



 多少ゴタゴタしたものの、その後は特に大きな事件や問題が起こることはなかった。むしろ、メロディにとってはまさに『天国』にいるような生活を送っている。

 仕立ての良いドレス、栄養満点で美味しい食事、手入れの行き届いた屋敷に、柔らかな布団と充分な睡眠。商家の奥方となるべく様々な勉強に励んでいるけれど、休憩もある。三時のおやつには薫り高い紅茶や香ばしい珈琲を飲みながら美味しいお菓子も食べられるのだ。

 そんな恵まれすぎた生活の上に、バルリエ家の使用人によって肌や髪を手入れされるのである。


 ――まるで夢の中にいるようだわ。


 花の香りがするオイルで髪や肌を磨かれながら、メロディは日々しみじみと思う。


 そうして、嫁いでから一年たった頃には、メロディは輝かんばかりの美しい奥方に変貌をとげた。

 かさかさで荒れていた肌は瑞々しく、こけた頬はふっくらと丸みを帯び柔らかい。かつて落ち窪んでいた目元は面影もなく、碧く澄んだ瞳を金のまつげが囲み、瞬きするたびに星が瞬くよう。

 パサパサで萎びた藁のようだった髪は、光が当たるたびに天使の輪を作るほどに艶を帯び輝いていた。


「いっひっひ……! 毛艶がよくなりましたねぇ」


 就寝前、ダミアンは指通りのよくなった妻の髪を櫛りつつニタニタと笑う。……言い方が少々アレだが、恐らく「髪がとても美しくなった」と言いたいのだろう。

 メロディもまた、この一年彼と過ごす中でなんとなく悪人面の奥にある本性を見抜き始めていた。


「……あの、旦那さま?」

「何ですかぁ、メロディ。何か欲しいものでも?」

「はい。あの」


 しばし、口を開けたり閉じたりして躊躇った後……メロディは意を決して、真っ直ぐにダミアンを見つめ望みを言い放った。


「ダミアン様との……子が欲しいです!」

「こがっ……んんん!?」

「ですから、こっ……子どもです! 二人の子を作りましょうと申しました!」


 真っ赤になってぷるぷると震える新妻を前に、ダミアンの三白眼が面白いほどに泳ぐ。流石の彼も、メロディがこんなに直球で言い放つとは思わなかったのだろう。


「それは……貴女は体が弱いですし……」

「もう元気になりました。恥ずかしながらお肉もついたし、お医者様にだって『健康優良』のお言葉を頂いておりますから何の問題もございません!」

「うっ……」


 そう、ダミアンは、初夜の後に寝込んだメロディを気遣ってか……その後一年、一度も手を出していない。同じ寝室で眠っているし、普段の二人はそれなりに睦まじいので使用人たちは何も言わないけれど、メロディとしては大いに不満だ。


 ――貴族の血だけが取り柄の『掘り出しもの』なのに、何の役目も果たせていない!


 ダミアンがメロディを娶ったのは、あけすけに言えば『貴族の血をもつ子を作るため』だ。その子をゆくゆくは商会頭に育て、今よりもっと、貴族向けの販路を有利にしたいのだろう。

 それなのに、与えられるばかりで何も返せていない。バルリエ家の人々は何も言わず、むしろとても優しいけれど……メロディにとっては、その優しさもまた心苦しいのだ。


「し、しかし……貴女の負担を思うとぉ」

「ですからっ……ああ、もう!!いい加減往生なさい旦那さまッ!! 今夜こそ私と子作りなさいませ!!!」

「きぃやぁあぁあぁーーーー!! よ、嫁に襲われるぅぅううーーーー!!!!」」


 以前より肉付きのよくなった体にぐっと力を入れ、目の前の男を思い切り押し倒す。背が高くとも細身なダミアンは思い切り後ろへ倒れてくれたので、その上に遠慮なく乗りかかった。


 ――とはいえ、何をすればいいのかしら……!?


 今までそのような事に縁遠かったことが悔やまれる。しかし……ここまできて止まるわけにはいかない!この機を逃せば、ダミアンとのめくるめく夜など夢のまた夢である。

 とりあえず、寝間着のボタンに手をかける。


「まっ……待って、メロディ! ほ、本気ですかぁ!?」

「ええ本気ですわ! えいっ!!」

「わぁあぁえあっ」


 全部のボタンを外し終え、思い切り寝間着の前を開く。薄く筋肉のついた胸は湯上がりだからかしっとりとしていて、ほんのりと石鹸の香りが漂っている。そこをひとまずペタペタと触っていると、ダミアンから蛙が潰れるようなうめき声が聞こえてきた。


「やめましょうよぉ、メロディ……お願いですから」

「……そんなに、お嫌ですか」


 メロディはもう、最初の時のようにやつれてはいない。むしろ、肉付きもよくなって顔つきも変わり、肌も髪も美しくなった。きっとあの結婚式にいた人々の誰もが、「今のメロディの方が美しい」と断言してくれることだろう。


 それなのに、ダミアンはメロディを抱こうとしない。

 それは、つまり――――


「……私は、そんなに魅力がありませんか?」


 泣きそうな声でそう呟いた瞬間。

 メロディの体は仰向けに倒れていた。そして、薄明かりに照らされた天蓋を遮るように黒い影が覆いかぶさってくる。


「だ、ダミアン……さま……?」


 三白眼が、じっとりとメロディを見下している。薄い唇が震え、その間から尖った犬歯がちらりと見えた。


「いいですかぁ、メロディ。……私は貴女を金で買った、悪ぅい商人です。身も心もボロボロだった貴女の境遇につけこんで……強引に自分のものにした、流行りの舞台で言えば、吹けば飛ぶような悪役ですよぉ」


 ギラついた三白眼がきゅうっと細くなり、三日月の形になる。しかし、その声音は全く楽しそうではない。むしろ……とても、苦しそうだ。


「悪役面とはよく言われてきましたが、本当に私は、貴女が欲しくて、悪ぅい商人になってしまった。そんな私が……っ、これ以上、貴女に触れる資格なんて」

「ありますよ」


 ひゅっ、と息を呑んだダミアンを、メロディは碧く澄んだ目で見上げた。そして、硬直した彼の頬に手を伸ばす。


「私は……ダミアンさまの『掘り出しもの』になれて、嬉しかった。自分に価値が生まれた気がして」


 父も、義母も、義弟も、使用人たちも、メロディをいらないものとした。あのまま生家にいたならば、やがてガラクタのように捨てられていたに違いない。

 そんなメロディに手を伸べて、大切に拾い上げてくれたのは――ダミアンだ。


「貴方は確かに怪しかったけれど、出会ってからずっと私に優しかったではありませんか。結婚してからも――初夜の、あの時だって」


 暗がりの中で零れ落ちてくる、彼の黒髪に指を絡める。自分のとは違う、うねっていても指通りの良い彼の髪を触れるのに戸惑わなくなったのはいつからだったろうか。

 ダミアンは優しい。確かに笑い声は怪しさ満点だし、猫背だし、見るからに怪しいけれど……。


「私は貴方が……ダミアンさまが愛おしい。義務でも何でもいい、貴方との『家族』がほしいの」

「……っ、め、メロディ……!」

 

 思い切って彼の首に腕を回し、メロディはぎゅっと抱きついた。この気持ちが伝わるように、強く、強く。

 そして、熱をもった耳元に唇を寄せて、精一杯甘やかな声で囁いた。


「それとも、やっぱり私に魅力がありませんか?」

「……まさか」


 メロディの体を、ダミアンが思い切り抱きすくめる。長い腕の中に囲われて、息苦しいのに胸が高鳴るのは何故なのか。


「初めて会った時から、貴女はずぅっと輝いていましたよ……私の、メロディ」


 見上げたそこには、三つの三日月がニタニタと……うれしそうに笑っていた。




◆◇◆




 ――そうして、次の日。


「若旦那様。いくら夫婦仲睦まじいといえど、限度をわきまえなされ」

「…………はい…………」


 今回は全身筋肉痛でベッドから起き上がれないメロディ。

 その側で、白い髭をたくわえた優しげな医者に叱られ萎れるダミアンの姿があった。


「……ダミアンさま、そんなに落ち込まないで下さいませ」

「うう、しかし、メロディ……またこんな事になって……」

「『また』ではありませんよ。熱も出ていませんし、前とは全く違いますわ」


 医者が帰った後、せっせと妻の世話を焼くダミアンに、メロディは朗らかに笑った。そして、細腕でむんっ!と力こぶを作ってみせる。


「これからもっと筋肉と体力をつけて、ダミアンさまを受け止めてみせましょう!」

「……うぅん、張り切る方向が明後日なような……可愛いからこれで良いような……」


 ベッドに横たわったまま張り切る妻を見つめつつ、ダミアンが何やらぶつぶつと言っている。そんな夫の首にに思い切り抱きついて、彼の耳元でメロディは囁いた。


「……ダミアンさま、大好き」

「げほっ、ごほ!? め、メロディ!!」

「うふふふっ」


 頬を染め冷や汗を流すダミアンは、それでも相変わらず怪しさ満点だ。『あれが悪い商人だ』と言われたら十人が十人頷くような雰囲気を醸し出している。

 そんな彼に抱きしめられながら、メロディは、世界で一番幸せそうに微笑むのだった。








 それから数年後。

 バルリエ商会は、商会長ダミアンの目利きと経営手腕もあって、王国だけでなく周辺諸国をも股にかける大商会へと成長を遂げることとなる。

 豊富で良質な品揃えと、幅広い客層と人脈を獲得したバルリエ商会は、やがて『王族御用達』の商会として登りつめていった。

 しかし貴族の血筋を取り込み勢いを増した商会の栄光の影に隠れて、オリオールという古い公爵家がひっそりと没落したらしい。当主や息子、その妻の行方は――杳として知れない。その没落の裏で、悪役商人ダミアンの暗躍があったとも言われているが……真実は闇の中である。


「メロディ、商談に向かいますよぉ。いっひっひ!」

「はい、ダミアンさま。良き商談に致しましょうね」

「ぐふふ、勿論です。何たって今日は、貴女がいますからねぇ!!」


 大商会の会長となったダミアンは相変わらずのニタニタ笑いの悪役面、喉の奥でなる様な笑い声と猫背もあいまって最高に怪しい『悪役商人』である。

 ただ、商談には頻繁に清楚で美しい妻メロディを伴ってくる。怪しい夫の隣で朗らかに微笑む彼女に、金で買われた悲劇の花嫁――そう呼ばれた面影は欠片も見当たらない。

 子をもうけた後も夫妻は仲睦まじく、バルリエ商会を堅実に盛り立てていったという。





 オリオールの碧い花嫁、不遇の令嬢メロディ。やがて大陸全土を掌握するバルリエ商会躍進の切っ掛けとなり、夫の右腕として活躍した彼女は後に、巷でこのように呼ばれることとなる。


 ――悪役商人の掘り出しもの、と。



挿絵(By みてみん)


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