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第3話 あなたの知らない花の名を④


──放課後。

入学式、オリエンテーション、そしてホームルームといった入学初日のカリキュラムを終えた俺たち一年四組の三人は、人の波が行き交う昇降口の隅で美珠姉妹の到着を待っていた。

 昇降口は父母と待ち合わせをする生徒や、すでにコミュニティを形成している連中でごった返しており、ときたま聞こえる「キャー!」「久しぶりー!」などの甲高い声が耳に障って不快だった。女子という生き物は何故久しぶりの友達に会ったらあんな悲鳴を上げながら手を繋いで飛び跳ねるんだ。儀式か。


「……衣彦くん、ごめんね。迷惑かけて」


 廊下の壁にもたれかかりながらうつむく小早川。謝罪の内容は、ホームルームで自己紹介がうまくできなかった小早川に俺が助け舟を出した件についてだった。過度の緊張のせいか、そのときの小早川は顔が真っ青になってかなり息苦しそうに見えたが、今は落ち着いたようだ。それより、入学初日でいきなり自己紹介を失敗してしまったことが後々尾を引かなければいいが。


「いいって、気にすんな。あんなの来月にはみんな忘れてる」


「そうだよ真由。衣彦だって昔は知らない人と全然目を見てしゃべれなかったんだから」


「そうなの?」


「あぁ、本当だ。だけどな小早川、俺はある日気付いたんだ。相手の目じゃなくてそのさらに奥……頭の後ろの背景を見るように視線を向ければ、必然的に相手と目を合わせて会話ができるってな」


「逆転の発想……だね」


「だろ? でもな、そんなこと続けてるうちに……みずほ姉ちゃん、俺そのとき職員室でなんて呼ばれてたんだっけ?」


「『霊感少年』」


「幽霊見てると思われたの……!?」


 分厚いメガネの奥でつぶらな瞳が大きく見開かれた。控えめな性格ながらリアクションが良い。 


「そう。俺は中学の教員どもに幽霊と視線を合わせてる生徒と思われたまま卒業することになったんだけどもまぁ、どうせ学校なんて卒業したらもう二度と会わない薄っぺらな付き合いが八割だろ? そう思ったらあとのことはもうどうでも良くなったんだ。これは決して負け惜しみじゃないぞ。俺は屈してない」


「極端過ぎ」


「でも真理だよ。俺の中学三年間がそれを証明してる」


 クソ情けないエピソードもドヤ顔で言えば説得力が出るというものだ。

 なお、後日談としては我らが伊藤ファミリーのイケメン代表・太田龍之介から『鼻見て喋れよ』という有益なアドバイスをいただいたおかげであっさりその悪癖を克服できた。欲を言えば三年生の二学期より前に知りたかったが。


「衣彦くん、話上手で楽しいのに……みんなもったいない」


「小早川……お前、良いやつだな。俺の彼女役にはもったいない」


「衣彦は自分から壁作ってるだけでしょ」


「そんなこと──それほどでもなくない?」


「ほら。今の、絶対心あたりある反応」


「ないない。俺は悪魔の呪いで人間と接触を禁じられた哀れな堕天使だから。な?」


「ふ、ふふっ……そうだね、堕天使……」


「真由も衣彦甘やかしちゃダメだよ。本当は優希や潤花とも仲良くなりたいのに、恥ずかしいからってしかめっ面ばっかりしてるんだから」


「はぁ~? 俺はハニカム計画があるから仕方なく付き合ってるだけで、それが終わったらあいつらとなんて絶対──」


 突然、言葉が遮られた。喋っている最中にみずほ姉ちゃんが手で口元を塞いできたのだ。 

 予想外の行動に、困惑する。


「それが終わったらお別れとか……そんな悲しいこと言わないで」


 そう言ってみずほ姉ちゃんは切実に訴えるようにじっと俺を見つめてきた。

 罪悪感が芽生えてくる。

 昇降口の騒がしい雑踏の会話が、やけに近く聞こえた。


「え……っと」 


 口元からそっとみずほ姉ちゃんの手を引き離すと、その手は抵抗もなくゆっくりと下がった。

 もとはといえば売り言葉に買い言葉で返したセリフだったが、俺としてはみずほ姉ちゃんの悲しむ顔は見たくない。

 弁明するにしても、どう伝えれば良いものかと言葉に迷っていると、


「いたいた! おーい!」


 遠くから潤花の声が聞こえた。

 視線を向けると、潤花が廊下の奥からこちらに向かってくるところだった。


「潤花ちゃん……!」


 気まずい空気にいたたまれなかったのか、小早川がほっとしたように潤花に手を振った。

 行き交う生徒たちは誰もがその姿を見て一瞬静まり返り、潤花の動線にいた人だかりが廊下の両端へと綺麗に分かれていく。群集の目が一様に釘付けになっている中、当の本人は周囲の視線を気にした様子もない。


「潤花、おつかれさま。クラスどうだった?」


「なんか話しかけてくれた子いて、友達っぽくなった!」


「良かったね~。学園総代の挨拶もカッコ良かったし、潤花なら絶対大丈夫だと思ってた」


「ありがと! でもあれ二十分くらいかけて『がんばります』って意気込みを薄く引き伸ばしただけなんだよね!」


 さっきまでの様子が嘘だったかのように、みずほ姉ちゃんはいつもの調子に戻り、小早川の表情もやわらげていた。俺だけ謎の焦燥感が残って消化不良な気分だ。


「潤花ちゃん、緊張しないで喋れる方法、教えて欲しい……!」


「簡単だよ! まず自分を壇上に立つ英国王だと思うでしょ?」


「自分を王族と思える人間にアドバイスなんかいらんだろ」


「で、これが小うるさい爺やね。偏屈なの」


「こいつはうるさいからウル。脳みそ筋肉」


 お互いに親指を向け合う俺と潤花の隣で小早川とみずほ姉ちゃんがくすっと笑った。

 ひとまずネガティブな感情は薄れたようで内心ほっとする。


「そういえば潤花、優希は?」


「お姉ちゃんならお母さんたち連れて化学部の部室見に行ったんだけど、もうすぐ帰ってくる頃じゃないかな」


「みんなー! お待たせー!」


 噂をすれば、優希先輩の声が廊下に響いた。パタパタと軽快な足取りでこちらに向かってくる先輩を見た周囲の反応は潤花とは対照的で、あちこちから子猫を見つけたかのように「かわいい~♡」という声が聞こえた。あの反応は多分、新入生だと思われている。


「優希ー! おつかれさまー!」


 こうして五人の下宿生が合流したことで周りの視線はいっそう俺たちに集まった。

 下宿にいると意識することはないが、この下宿生四人が揃うと外では目立つ。まぁ、ビジュアルに関しては全員文句つけようのないレベルなのでそれもわかる。だがその中で唯一の男子の身分としてはいたたまれない。小早川が衆目に晒されないようさりげなく四人の手前に移動して死角を作ったはいいものの、言葉で聞こえずとも『邪魔だどけろ』という怨嗟のこもった視線が背中にチクチク刺さった。

 そんな苦労もつゆ知らず、先輩はつぶらな瞳をキラキラさせながら俺たちに語りかける。

 

「あのねみんな、お父さんとお母さんが、このあと予定なかったらみんなでご飯行かないかってさ!」


 優希先輩が指さした先には、昇降口の壁際からこちらに会釈する美珠姉妹の両親らしき二人の姿があった。

 ジャケパンスタイルで温厚そうな父親に、ブラウスにパールを首から下げた上品そうな母親。着ている服はいかにも上質そうな質感で決して派手な格好でないにも関わらず周囲の保護者たちとは明らかに一線を画した気品が感じられた。

 美珠姉妹以外を除いた下宿生はほぼ同時に会釈を返し、俺は顔を上げてからすぐに答えた。


「パスで」


「迷いもせず!」


「帰ったらやることあるんで」


 もちろんただ行きたくなかっただけなのだが、俺にはハニカム計画の契約上、明日のみずほ姉ちゃんとのデートに備えて準備をしなければならないという大義名分がある。


「お父さんとお母さん、衣彦に会いたがってたのに」


「何でだよ……怖」


「ごめん優希。すっごく行きたいんだけど、もう夕ご飯の用意しちゃってあるの。また次の機会あれば行きたいな」


「そっかー。まぁ急だし仕方ないか。真由ちゃんは?」


「真由はもともと家族の人と会うって言ってたもんね?」


「そうなの……せっかく誘ってくれたのにごめんね」


「いいのいいの! また機会があればってことで!」


 そう言って優希先輩は踵を返し、またパタパタと群集をかきわけながら両親の元へと報告に戻った。さながらそのさまは森林を駆けるリスの如しだ。


「良いな……」


 そんな先輩の姿をじっと見ている小早川が、誰に言うでもなくぽつりとそう呟いた。羨望だけではない、どこか郷愁的な色が入り混じった視線だった。


「真由、これ見て」


「え?」


 みずほ姉ちゃんは小早川にすっと自分のスマホの画面を見せた。

 そこには、体育館に入場する小早川の姿を撮った写真があった。

 少し緊張した面持ちではあるものの、あごを引き背筋を伸ばした歩き方で、姿勢が良い。こうして見ると、集団の中から目を引くような不思議なオーラがあるように感じた。


「今日を逃したらもう見れないだろうなと思って、こっそり撮っておいたの。先生に見られて少ししか撮れなかったけど、あとで真由に送るから、家族の人と一緒に見て」


「みずほちゃん……! ありがとう……!」

 

「あと、衣彦のも撮ったから。後ろからだけど」


「え。あ……俺も?」


「もちろん。入学式なんて一生に一度だもん。普通はね」


 意趣返しと言わんばかりに意地悪く微笑むみずほ姉ちゃんに、俺は負けを認めて「さんきゅ」とお礼を言った。

 怒られるリスクだってあるだろうに、無茶をして。それでも俺たちのために行動してくれた みずほ姉ちゃんの優しさは素直に嬉しかった。


「二人とも良かったね」


 にんまりと微笑む潤花。

 見透かされたような気がして俺はそっぽを向いて鼻を鳴らした。


「それじゃあそろそろ行こっか潤花。みーちゃん、帰る頃に連絡するね」


「うん、優希も潤花も楽しんできてね」


「あ、そうだみーちゃん」


「なに?」


「帰ったら明日のデート、どこ行くか決まったら教えてね」


「えっ? あ……!」


 みずほ姉ちゃんは驚いて肩をすくませ、チラリと俺を見るが、すぐに目を逸らした。

 

「別にそんな……いつも通り、買い物くらいかな」


 えっ。反応……うっす。

 明日のこと結構意識してたの、俺だけ?

 その一言で、みずほ姉ちゃんとの温度差を感じた。

 もしかして、今になって俺との仮交際が面倒くさくなったのだろうか。

 あーでも、確かにそうだよな。考えてみれば、みずほ姉ちゃんは俺が不甲斐ないばかりに変な恋愛ままごとに巻き込まれてしまったんだ。

 秋子おばさんが遺したものを守るために留年までして伊藤下宿の看板を背負ったみずほ姉ちゃんから見れば、ちゃらんぽらんで無責任な俺なんかガキに見えてもおかしくはないだろう。


「そうだ! ご挨拶だけでもしなきゃ! 優希、ちょっとだけ親御さんに挨拶していい!?」


「いーよ!」


「ごめん二人とも! もうちょっとだけそこで待ってて」


 言うが早いが、みずほ姉ちゃんは美珠姉妹とともにそそくさとこの場を立ち去った。

 さっきまで周囲から羨望の眼差しを向けられていたこの空間も、俺と小早川が残された途端に一気に視線が途絶えた。

 悔しさも寂しさもない。この無関心さこそ俺自身への評価なのだ。

 ……とはいえ、みずほ姉ちゃんにまで愛想つかされるのは、想像しただけできついな。


「き、衣彦くん……飴舐める? 昨日買ったばっかりで、いろんな種類があってね……」


 動揺がよほど顔に出ていたのか、小早川がわかりやすく気を遣ってくれた。

 あたふたと学生鞄の中身から飴の袋を取り出す彼女の優しさが逆に胸をえぐる。

 こんな純粋な優しさに甘えようとしている自分が心底情けない。

 男らしくあれ衣彦。このままだと一生ウジウジした負け犬だぞ。


「……いっちご」


 自分でも驚くほど情けない声で、噛んだ。

 

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