嫉妬
時間は少し巻き戻る。
「 1、2、3、1、2、3。リアム、そこで自信なさげに足元に目をやらない」
「ソフィア、もっとリアム殿下に身を任せなさい」
「いや、それぐらいで充分だぞ! ソフィア!」
「サミュエル、口を挟まないで。一度止めて」
西宮のダンスホール。実務能力はあるが、王子や公爵令嬢としての立ち振る舞いが身についていないと言い放ったアレックスの一声によって、三ヶ月後の夜会まで、立ち振る舞いの特訓が組まれてしまった。
今はアレックスとソフィアの母グレイスを講師としたダンスの時間だ。
元々ダンスの苦手なリアムと、男性との接触に免疫のないソフィアがガチガチになって踊るのだ。
しかもギャラリーとしてベルニカ公爵までいる。
見た目だけはソフィア似の怜悧な美貌の主だが、口を開いた途端にそれが崩壊し、下町の飲み屋のおっさんにしか見えなくなるこの男、この上なく邪魔なギャラリーである。
彼のヤジや茶々もあいまって、先程から通しで踊れない。
ソフィアが彼等と再会を果たした時も、リアム達が父に帰国を報告した時と違った方面で大変だった。
ソフィアがソフィアたる理由を実感した。まさしく、この親にしてこの子ありである。
「リアム、見本を見せよう。変わって」
アレックスがソフィアに手を伸ばすとベルニカ公爵がその間に割って入った。
「エリアス! お前はダメだ! 娘がメスになってしまう!」
おおよそ娘の前で言わないような言葉を発したベルニカ公爵の尻をグレイスがつねって止めた。
「ダンスの下手くそな貴方は、ここにいる必要なくてよ。サミュエル! 邪魔をするなら出ておいきなさい!」
「娘の身を心配して何が悪い! この歩く猥褻物と妻子だけを一緒にしておくわけにいかないだろう! 覚えてないのか! この男がベルニカ王国に来た時の事を。きゃあきゃあきゃあきゃあ、国中の女が夢中になったじゃないか! 顔だけなら俺とたいして違いがないのに!」
「貴方は中身が残念でしたもの。それでも充分なお取り巻きがいたでしょう? 今思い出しても腹立たしい」
「だからそれを皆持ってかれたんだろう!」
「三十年近く前のことを擦るんじゃない。だいたいあれは物珍しくてついてきただけだろう。常に護衛もついていたし、ぬいぐるみや珍獣の扱いと同じだ。手を出したと誤解されるような事をいうな」
「出さなかったのか?!」
「出さないだろう??」
「いい年して子供の前でこういう話するの、みっともなさすぎて聞いてられませんわね。お父様、邪魔です。エリアス殿下、よろしくお願いします」
「光栄です。ご令嬢」
「お! おい! ソフィア!」
「公爵の心配するような事にはならないよ。彼女からすると私は綺麗な汚物だからね」
「ソフィア! 貴方殿下にそんなことを言ったの?!」
「エリアス殿下! それを母に言うなんて!」
「ほら、音楽が始まったよ。私だけに集中して」
「ヒッ……! 顔がいい……! この顔にそういう事思いたくないのに! ムカつきますわ!」
グレイスがいるおかげで言葉遣いこそ少しはましだが、今日はケインとレジーナは席を外していてストッパーがいないせいで、ソフィアの口から遠慮なく感想がだだ漏れている。
「ほら、集中。リアムも覚えて。これぐらいが適切な距離だ。ソフィア、そう、上手。身体をのびのび使って音楽と踊りを楽しんで。今踊っているのは私達だけだけど、ホールで踊る時は周りを意識するのを忘れないで」
「はぃ……」
アレックスはソフィアをくるりと回して再び腰を抱いて言った。ソフィアの顔が赤く染まり、瞳が輝く。
「ああ……。ソフィアちゃんが奴の毒牙に……」
頭を抱えるベルニカ公爵の横で、リアムは心の奥底に澱んだ物が溜まるのを実感した。
ライモンドが彼女の名を呼んだ時、海亀島でケインが彼女の手を取った時に感じたのと同じ類の物。
自分が敵いそうにない相手にソフィアが心を許し頬を染めさせるのが悔しくて妬ましいのだと、リアムはやっと自覚した。
だが、なぜそう思うのかまで、リアムは今だに自身の心に踏み込めきれなかった。
踏み込んで、自覚して、行動を起こしても心が通じ合うかも分からない。
よしんば通じ合ったとしても、その後に裏切られるくらいなら唯一無二の親友でいた方がいいのだ。
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