アレックス・オクシデンブルグ
「ノックもせずにすまない。それと、先程も失礼した。君がとうの昔に亡くなったはずの妻に少し似ていたから、動揺してしまった。エリアスと認識していると思うが、それはすでに死んだ人間だ。私はオクシデンス商会のアレックス・オクシデンブルグ。アレックスと呼んでほしい」
「オクシデンブルグ?」
「リベルタ開発の功績が認められて、三年ほど前に男爵位と共に苗字を許されたから、この島の名前から取ったんだ。オクシデンス商会もそうだ。この島を発見したウォーレスがオクシデンス島という名前をつけたのに、どこかの馬鹿が悪趣味な名前に変えてしまったからね」
ちらりと初老の男の方を睨んだアレックスは、ついでのようにその男がこの島の総督であるヴァンサン・ガイヤールだと紹介した。
ライモンドが立ち上がってエリアス改めアレックスに席を譲ると、優雅な動作でそこに腰掛ける。
その後にガイヤールがアレックスの隣に腰掛け、ケインがアレックスを逆端に寄せて、ガイヤールとアレックスの間に座った。
「おい!」
「客人の前ですよ。元総督」
二人のやり取りをうんざりしたように見たアレックスが申し訳なさそうな顔で首を振った。
「コレはいつもの事だから、気にしないでくれ。さて、君達は今すぐディフォリアに戻りたいんだったね。結論から言うとすぐには難しいんだ」
「どうしてですか!」
思わず立ち上がったリアムに、総督が困ったように眉を下げる。
「単純に船が足りないんですよ。新総督を迎えに行くのに何隻かこちらの戦艦を出していてね。リベルタに配備されている戦艦は二十年ほど前に造られたものが多い。船の寿命は高温多湿のこの辺りだとおおよそ二十年。それを修繕して近海警護に使っているが、遠洋航海に耐える船は多くない。ただでさえ手薄なところに、耐えられる物を出してしまうと、この辺りの警備が手薄になる。元々私掠船団が補っていたのもあって戦艦の数は多くないんですよ。新総督を乗せた艦が帰ってくるのと、あまり重要でない艦を遠洋航海に耐えられる状態にして送り出すのとどちらが早いか、というところでね。出港までに半年はかかりますね」
「そんなにかかんですか?」
ライモンドの問いに大仰に総督は頷いた。
「乾ドッグに上げて全部修繕して確認しますからね。王太子殿下と公爵令嬢を下手な船に乗せるわけにもいけませんから内装も最低限は手入れしますし。一番確実なのは帰りたくないですけど、私が新総督と変わって本国に行く時に一緒に帰っていただくのがスムーズです。私、本当は帰りたくないんですけど」
とはいえ、とケインが総督の帰りたくないという主張は無視して続けた。
「総督と一緒に帰ることにして、向こうから船がもう出ている前提でこちらに着くまで二ヶ月、さらに船の検査と修理と総督の仕事の引継で二ヶ月、予備でにさらに一ヶ月はみた方がいい」
「それって結局ほぼ半年かかるって事ですよね? そこから船で二ヶ月以上かかるから、売られてから一年……か」
リアムは思わず眉を顰めた。勉強については元々ある程度先をやっていた貯金が消えるだけなので、大きな問題はない。だが、攫われてから一年帰れないのはさすがに自分にも彼女にも問題が多い。
帰っても居場所がないと言うことも十分にあり得る。いや、もうすでになくなっているかもしれないが。
「君達もそこまで待てないだろう? そこで、提案がある。俺は遠洋航海に耐える船を所有している。メンテナンスは軍艦よりもまめにしているから、急げば一ヶ月程度の整備でなんとかなるはずだ。他の準備もあるから余裕を見て最大三ヶ月もらえればうちの船で君達を送る事ができる。安全性は軍艦に劣るが私掠船団の旗艦として働いて来た船で脚も速い。どちらを選ぶ?」
「悩むまでもありませんわ。早く帰れる方に決まっています」
リアムが口を開く前に、ソフィアが言うのを手で制して、リアムはアレックスに問うた。
「率直に言えば、僕もオクシデンス商会の船で送っていただける提案に飛びつきたいところです。ですが、貴方達になんのメリットがありますか? 交換条件はないんですか? 単なる親切で気軽に送る距離じゃない」
「……ソフィア嬢はとても勇敢で、君は聡い。そうだな、ディフォリアに販路を拡げるついでだよ。王太子と公爵令嬢に売る恩と考えれば高くはない投資だ」
取ってつけたような言葉に対する不信感が顔に出ていたのだろう。苦笑したアレックスはこめかみを掻いてさらに続けた。そういう仕草をすると途端に親しみやすいい雰囲気が出る。
「正直なところ、俺から見てもケインから見ても、君は甥だし、ジーナの異母兄だ。身内が困っているところを見捨てるほど薄情じゃないだけだよ」
「……貴方にとって僕は赤の他人でしょう? 多分父の血を引いていないし、貴方も僕は、父よりも宰相プレトリウス侯爵に似ていると思ったでしょう?」
「血が繋がっていないとしても、妻の兄の息子ならほぼ甥だ。レオンと私は幼馴染でね。私が死んだ事で彼にも相当迷惑をかけただろうから、少しは借りを返したいんだ」
悲しみを含んで淡く笑んだアレックスは、何かを思いついたように手を叩いた。
「そうだ、タダで恩を受けるのが気になるなら、三人に身体で返してもらう事にする。どうだ?」
「か! 身体!!! まさか、ラトゥーチェ・フロレンスで」
脳裏にラトゥーチェ・フロレンスで会った美女達と、攫われた時に聞かされた薄幸そうな顔で売れると言われた事が目まぐるしく回る。
慌てふためくリアムを見て、先程の悲しげな表情はなんだったのかというほど、楽しげに、そしてほんの少し性格悪げにアレックスは肩を震わせていた。
「さすがに王子と公爵令嬢をあそこで働かせたらこっちの首が飛んでしまう。労働でって意味だ。安心して。書類仕事はできるだろ?」
「絶対、こっちの慌てる顔が見たくて、誤解されるようにああいう最低な言い方したんですわ。やっぱりこの人綺麗なお……」
「ストップ!!」
ライモンドがその大きな手でソフィアの口を塞いだ。もごもごと暴れるソフィアを尻目にリアムはライモンドを褒め称えた。
「ライモンド、いい仕事!」
「淑女の口を覆うなんて最低ですわよ!」
その手を退けて食ってかかるソフィアをライモンドがいなす。
「ソフィア! お前のそれは勇敢じゃなくて蛮勇だし、淑女はそういう物言いはしない! 少しは控えろ」
「……綺麗なおじさま! ですわね!!」
悔しげに叫んで膨れっ面で横を向いたソフィアを宥めながら、場を誤魔化す為にリアムは笑って、ここにいる間仕事を手伝う約束をする。
先程目に入った、鯉口の切れたケインの剣については見なかったことにした。
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