地獄への道は善意が敷き詰められている
船に乗せられる前日、エリアスが平民用の独房に入れられたテオドールの元にやってきた。
「殺しにきたのか?」
「まさか。リアムは心から貴様の助命を願っていたからな。俺はそれに反する事をするつもりはない」
エリアスの言葉使いやイントネーションが普段と違っていることにテオドールは気づいた。オクシデンス商会の会長としてテオドールを喝破した時の口調だ。
「レジーナに手を出した報復をしに来たとおもった」
娘に手を出す輩は父親に撃たれるものだ。
するとエリアスは鼻で笑う。
「地獄への道は善意が敷き詰められているんだ。リアムは辛い境遇でも生きていれば報われると学んだ人間だ。だからお前にも希望を与えたつもりだろう。けどな、俺は知っている。生き抜けて良かったは結果論。死んだ方がマシな苦界があるってな」
これから送られる場所もその一つだと匂わされて、テオドールは投げやりな自虐を込めて返した。
「自らの手を汚す必要もない、苦しんで死ねってことか。その顔をした奴は性格がひねこびている」
エリアスは口元を手背で押さえて吹き出した。
「レジーナがお前との思い出を話してくれたが、なるほど聞いた通りだ。これを渡しに来たんだよ」
鉄格子越しに渡されたのは、前にレジーナから渡された組紐細工の護りだ。
「これは、レジーナからか?」
もしかしたらほんの少しでも気持ちを残してくれているのかと、淡い期待と未練と共にそっとその護りを撫でる。
「いや。リアムからだ。寮の荷物を片付けた時に出てきたから、どうするか聞いてくれと」
「ああ、やっぱり僕はあいつが大嫌いだ。だが……黙って処分しないでくれたのは感謝すると伝えてくれ。渡しに来たと言うことは持っていっていいんだよな」
「握りつぶそうかと思ったんだが、レジーナがその時の気持ちを込めて作った物だ。いらないなら捨てるが?」
「いや、いる。大切な物だ……」
組紐細工を両手の中にそっと囲ったテオドールはこれをもらった時の事を思い出し、後悔に身が震えた。
あの時の自分の言動がただひたすらに恥ずかしい。
あの時レジーナに返すべきだった言葉はあんな妄言ではなかった。
ただその手間に、そしてそこに込められたひたむきな愛情に対して真摯な愛と礼を返すべきだった。
「レジーナがお前との出会いや、冬の庭でのできごとを話してくれた」
まるでこちらの気持ちでも読んだかのように、エリアスが話しはじめた。
「お前を慕う気持ちはもう何一つ残っていないけれど、それでも共に過ごした時間はレジーナにとって慰めで、かけがえのない恋だったと。リボンは思い出に取っておくそうだよ」
だから、と、エリアスは続けた。
「地獄を生き抜くための知恵を与えてやる。辛い時にレジーナを支えてくれたささやかな礼だ。その甘ったれた坊っちゃん口調を改めろ。顔は隠して汚しとけ。能力全て、生き延びる為だけに注ぎ込め。下品で下卑て碌でもないと思っても眉を顰めず笑って流せ。だが、つけこませるな」
この喋り方やイントネーションは浮かないギリギリを遠回しに教えてくれているというわけか。
そう理解してテオドールは肩をすくめた。
「看守に手を回して守ってくれて構わないんだが」
目の前の男はそれができる立場だ。だが、エリアスはにべもなかった。
「そんなことをしてやる義理がどこにあるってんだ? 本当なら手を回して死なない程度にいじめ倒すところだろう?」
その言葉はあまりにも事実で苦笑がもれる。
確かに自分はそうされてもおかしくない程度の事はしてきている。
「それもそうだ。なあ、従兄弟として、似た顔のよしみとして、頼んでいいか?」
「なんだ?」
「父上と母上が苦労しないように、目を配って欲しいんだ」
結局父は爵位の返還を撤回しなかったし、王もそれを無かったことにしなかった。
「お二方とも神殿に入り、今回の件で痛手を受けた人の為の奉仕活動に尽力されている。私にとっても叔父と叔母だ。確かに約束しよう」
エリアスの言葉に体から力が抜ける。
この独房に繋がれて、いかに自分が恵まれていたのか理解した。
自業自得でそれを失ったのは仕方がないが、両親は巻き添えで全てをなくした。そんな二人のことが気がかりだった。
「良かった。よろしく頼む。それと、レジーナにお前のことなど愛していなかった。地位と身体だけが目当てだった。だから、リボンは捨てて、こんなろくでなしの事はかけらも残さず忘れてくれと……」
なるべくひどく、心ない言葉でテオドールはレジーナへ伝言を残すとエリアスの眉間に皺がよった。
「思い上がりも甚だしい。レジーナにとってお前はもはやたいした価値のない過去だ」
「はは……なら取り消しだ。男を見る目を養えって伝えといてくれ」
「気が向いたらな」と答えたエリアスにテオドールは深く深く、うずくまるように礼を取った。
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