男娼王子の献身
「パパ! やめて!!」
「宰相! 記録を止めろ!」
はからずも不仲な父娘の声が同じ響きで、違う方向で重なり合う。
もちろんエリアスはやめなかった。
彼はレジーナに宣言したように行動で示した。
羊皮紙の上を滑るペンの音が止まって作られた咳一つない静寂の中、その美声が法廷に響き渡った。
「ノーザンバラの将軍、ニコライ・ナザロフに襲われたのは海上だ。落ち延びられるわけがない。船の中を逃げ惑い護衛を含めたすべての命を犠牲にした上で凌辱されながら命乞いをして生き残った。その後は性奴に堕とされ、海亀島の娼館に売られ、そこで言われるがまま春をひさいで生き延びた。だから、命だけは助かった」
そこにいる人間全ての視線がエリアスの元に注がれた。事情を知る者は痛ましげに、知らぬ者は信じられないといった面持ちをしている。
「その後、あらゆる手段を用いて身請け金を貯め娼館から逃れたが、心を病んだ。疑心暗鬼に囚われてメルシアに戻ることも出来なかった。時が過ぎ、王宮から逃されてきたレジーナ達に出会い、その献身のおかげでなんとか精神を安定させて、やっとリアムの訪問を機に故国に戻ることができた」
「そ、んな……」
「完璧な王太子? そんな物は幻想だ。ひきかえレジーナは悪虐の娘などではない。身の上に起きた悪夢や妻子の死をどうしても認められずにたびたび狂乱する私に寄り添い、支え、心を救った献身的な娘だ。そして帰国後も、私が恥辱にさらされるのを防ぐために口を閉ざした。だがその秘密をノーザンバラに嗅ぎつけられ脅された。それに傷つき、親しい誰かが脅されノーザンバラの謀略に巻き込まれるのを厭い、全ての罪を被って死を選ぼうとしている健気な娘だ」
「嘘だ! 信じられるものか!」
「ここにその証がある」
エリアスの手が迷いなく下履のボタンを緩めて腰に入れられた藤花の刺青を見せる。黒い服と白い肌の間に浮かぶ毒花は法務長官の視線を釘付けにした。
明かした秘密も見せた刺青も、ヴィルヘルムとエリアスが再会したあの時と同じ。
だが、今のエリアスから伝わってくるのは激情ではなく、レジーナを助けたいという献身の気持ちと静謐さだ。
「刺青は、奴隷か犯罪者にしか入れられない。納得したか?」
法務長官はそれに何も答えられず、沈黙が場を支配する。
「五分休廷とする!」
そこに雷鳴のようにヴィルヘルムの声が響き、瞬間、示し合わせたように陪審の席の柵をサミュエルが飛び越えた。
「エリアス!! この馬鹿!! そこまでする必要ないだろ!!」
サミュエルは身につけていたマントを外して、エリアスにかけ刺青を隠す。
「やりすぎだ。とっととしまえ。ニコライ・ナザロフは厄災だ。常人が出会って生還した事を誇るがいい」
リアムはサミュエルの態度に、アネットがその身を犠牲にしようとした時のソフィアのことを思い出した。
そしてちらりと横に視線を動かして、拳を握り締め瞬きひとつせず不動の姿勢を取っているケインの掌に爪が食い込んでいることに気づいた。
エリアスの元に駆けつけたいだろうに、彼の意思を尊重するが故にそう出来ないもどかしさがそこに滲んでいる。
「今のこの話! 一言でも漏らした奴がいたら俺が叩き斬る! いいな!」
怒号のようなサミュエルの宣言に、参加者全員、法務長官を含めて頷いた。
「止めてくれたけれど、知れ渡っても私は気にしないよ。秘密はみずから晒してしまえば弱点にならないからね」
吹っ切れたように笑ったエリアスは胸のチーフを取り出すと、涙で濡れるレジーナの目元を優しくぬぐって、それを握らせる。
「涙が止まるまでおさえておくといい。サミュエル、ありがとう。席に戻ってくれ。お前がここにいたら裁判を再開できない」
「おう。そうだ。その、戦場ではない事ではないから……」
珍しく歯切れの悪いサミュエルにエリアスは首を振った。
「二十年も前の話だ。立ち直っている。この子達のおかげでな」
「ならいい。いい子だな。そして、お前はいい親だ。親を泣かせる真似をするな」
突然サミュエルに話しかけられて、レジーナは当惑しながら顔を上げた。
「ソフィアから頼まれた。こーんな必死な顔で、嬢ちゃんにも見せてやりたかった」
サミュエルはソフィアに似た顔をぎっと引き締めて見せてから一転、からりと笑う。
「あの子の少ない女友達がさらに減るのを見るのは忍びない。この男に迷惑でもなんでもかけて汚名を濯ぎ、またソフィアと仲良くしてやってくれ」
エリアスとリアムとジョヴァンニだけではなく、ソフィアも自分のために動いてくれていたとレジーナはそこでやっと認識した。
そして、不意に差し入れられた組紐細工の材料のことを思い出した。あの中に銀糸と血のように赤い石が入っていた。
そこから手繰っていって気がついた。
あの材料の石と糸はただそれらしき色を無造作に詰め込んであったわけじゃない。明快に身近な人達の持つ色だ。
リアム達に加えて、デイジーとハーヴィをはじめとするオクシデンス商会の皆と生徒会の皆とエリアスとケイン。
皆、レジーナの事を気にかけ、『迷惑をかけてもいい。助けたい。 レジーナの味方なのだ』と、組紐の材料の色で親愛を示してくれたのだ。
かつてテオドールの色で組紐細工を作り、手渡して愛を告げた。
その時に満ちたと錯覚した胸を穿つ孤独の穴は結局埋まらなかった。
どころか、手酷い裏切りでさらにその穴を深くした。
誰かの唯一になりたいという歪んで捻れたその穴は、まだレジーナの胸に存在する。
だが、唯一に与えられる一番の愛情でなくても、父親としてエリアスは身を削ってくれた。
そして、これだけたくさんの人間に気にかけられ、存在してもいいと思われ、愛されていた。
「ありがとうございます。ベルニカ公爵。ソフィアにもお礼を」
「自分で伝えろ」
ぶっきらぼうに言って自席に戻ったサミュエルを見送って、レジーナはエリアスに顔をむけて小さく笑った。
「パパ。私、交流祭の時に組紐細工を習ったの。牢に材料を差し入れてもらえたから、遺品のつもりでいくつか作っていたんだけど」
「やめてくれ。その先を……ききたく、ない」
「やだ、パパ。そんな顔で泣かないで」
先ほど借りたハンカチで逆にエリアスの涙をぬぐい、レジーナは話を続ける。
「違うの。牢屋は刃物が没収されちゃうから、仕上げに紐が切れなくて」
聞きたくないと言いながらも、ちゃんと耳を傾けてくれていたエリアスは頷いた。
「だから、パパとケインの色の組紐細工は、お家で二人の目の前で完成させて、感謝の気持ちをこめて渡したいの」
聞いた瞬間に万感をこらえたエリアスに頷いて自分の意思を示した後、レジーナは大きくはっきりとした声で、法務長官に向かって宣言する。
「あの供述調書にサインをしたのは、私が死ぬべきだと思ったからで、事実ではありません。私はライモンド先生に毒を盛っていないし、ノーザンバラの陰謀に巻き込まれただけです!」
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