隻眼の狼
王都の一等地に位置するフィリーベルグ公爵のタウンハウスはこじんまりした邸宅とそれにそぐわない大きな庭のある屋敷だ。
元々は王から赤狼団に下賜され首都に来た時の宿舎として使われていたのだが、ケインがフィリーベルグ公爵になった時にタウンハウスとして登記しなおされた。
そう、この邸宅の庭は愛でるための物ではなく、赤狼団員の為の広々とした訓練場なのである。
急遽造成しなおされ数多くの障害物を設置された庭で隻眼となったライモンドは、はるばるフィリーベルグから怪我を知ってやってきた赤狼団の古老、祖父のベネディクトと共に修練にいそしんでいた。
「ほら! 跳べ! 走れ! ライモンド! もう二度とこの様な失態がないよう、俺自らしごいてやる!」
「勘弁してくださいよ! 病み上がりなんですから! まだ片目に慣れてないですし!」
ライモンドはいまだ足腰衰えずに同じ動きで後ろから追ってくる祖父にたまらず弱音を吐いた。
障害物が置かれた庭を、五〇周以上もそれらを避け、躱し、飛び越えながら走らされている。
我が祖父ながら、医者の許可が降りた途端に苛烈にしごきすぎだと思う。
最初の数周は感覚が掴めずにぶつかったり転んだりしていたから、スムーズに動けるようになっただけ立派なものだと思うのだが、祖父はご不満らしい。
手に持った剣で尻をつつかれてライモンドは悲鳴をあげた。
「あれだけ休めば十分だ! ノーザンバラの弱卒に遅れをとりおって!」
「反省してます……っての!」
気にしていないように装いながらも、歯を食いしばり、周回のスピードを上げたところでわざとらしい咳払いの音が響いた。
「お久しぶりです。叔父様。それにライモンドも。怪我の状態は悪くないようね」
「ベア姐さん! っと、ベアトリクス妃殿下におかれましてはご健勝のお慶びを申し上げます」
公爵令息になる時に、アレックスとケインに徹底的に叩き込まれ身につけさせられた貴族式の挨拶を踏襲すると、不要とばかりにベアトリクスは手を振った。
「堅苦しいのはけっこうよ。ベア姐さんで十分」
「何の用だ? ベア。また碌でもないことにうちの孫を巻き込みにきたのではないだろうな?」
「そんなことはありませんわ。裁判の件で打ち合わせがあって来たのです。ライモンドをお借りしても?」
ほほ、と笑ったベアトリクスの声に、碌でもないことに巻き込んでくるやつだと直感した。
祖父も同じ理解だったらしく、普段から苦虫を噛み潰したような顔が、苦虫を三匹噛み潰したような顔になっている。
だが、今やこの国で王の次に尊くなってしまった本家の総領娘がわざわざお忍びでやってきているのだ。無碍に断れるはずもない。
「爺様。王妃殿下の時間を無駄にするわけにはいきませんから、今日はここでお開きという事で」
「……仕方がない。ライ! もし、無茶な話だったら断れよ! 王家のゴタゴタに巻き込まれるのは、兄貴達本家だけで十分だ」
祖父と別れて応接にベアトリクスを案内する。
ソファーに腰掛けた女の前の席に座ったライモンドは断りをいれ、左目に巻いた布を外してタオルで汗を拭くと革製の眼帯に付け替える。
長時間運動するには布のもののほうが良いのだ。
祖父のしごきから解放され、やっと一息つけると、冷たい飲み物を二つ持って来させて自分の分に口をつけて飲み込もうとしたところで、ベアトリクスに彼女らしい性急さでエリアスとヴィルヘルムの話をぶち込まれて、ライモンドは派手にむせた。
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