眠れぬ日々
テオドールの人生において最低の扱いをされたのは間違いなく赤狼団の雑用として過ごした日々だ。
あの時は日が昇り沈むまで武器防具の手入れから掃除洗濯さらには料理の下拵えまでいいように使われ、その間に修練とは名ばかりのしごきがはいって、疲労困憊だった。
倒れ込むように眠った寝台は、床よりも少し高くなった板に獣の皮を敷いたもので、湧いた虫に刺された痒みで毎朝目覚めた。
それに比べれば清潔なだけまだマシだ。
とはいっても、今いるここは牢獄で、自分には不釣り合いな場所だ。
寮の部屋より手狭な部屋に置かれたベッドは小さくて寝返りを打つと落ちそうになるし、その横のキャビネットも祈祷書が一冊入っているだけだったから、それ以来開いていない。
室内の異常に気づきやすくするために薄く作られた壁越しに廊下や他の部屋の物音が聞こえるのが落ち着かないし、隣室のロスカスタニエ侯爵が漏らす切れ切れの怨嗟と後悔の声は気が滅入る。
その日は珍しく廊下を行き来する足音が頻繁に響き、そのおかげで侯爵も息を潜めているようで、外の他の声がよく聞こえてきた。
「二人がちゃんと話し合えるといいですね」
「うん。そうだね……」
聞き慣れた響きはリアムとおそらくジョヴァンニだ。
レジーナとエリアスを心配する会話をしている二人に対して苛立ちと恨みが募り、壁を殴りたい衝動に駆られた。
だが、見張りがいるからそんな行動は取れずストレスが溜まる。
やる事もなく二人の会話に耳をそばだたせていると、別の足音がこの部屋の前まで近づき、二人の声が止まって、エリアスの声が耳に届いた。
「お前達の尽力でレジーナと二人で話すことができたし、腹も決まった」
「レジーナの無罪を証明しましょう。彼女は巻き込まれただけですから」
リアムの言葉にテオドールはいっそう注意深く外の音に神経を凝らした。これは聞いておいた方がいい話だ。
「頼みがある。ヴィルヘルムに逃げ回られていてね。レジーナの処遇について裁判の前に話したいと伝えてくれないか」
「わかりました。説得します」
「リアム……先に謝っておくよ。この件が解決したら望みのままに礼をしよう」
「え??」
「……ああ。ヴィルヘルムとの面会の件で、骨を折ってもらう詫び、ということにしよう」
「レジーナは僕の妹です。なんとしても助けたい。協力は当然ですよ。そういう事なら礼なんて不要です」
「そう言ってもらえると胸のつかえがおりるよ」
エリアスの声に硬く思い詰めた響きがあるが、彼らはレジーナの事を話していただけだ。
だが、その会話に不覚にも動悸が止まらなくなった。
結局のところテオドールはまたしてもリアムに負けて、ここに囚われている。
投獄されてすぐ、父からタウンハウスに禁足となり直接面会には行けないこと、何があったのか正直に書くようにという手紙が届いた。
だから尋問の近衛騎士にも伝えた通りレジーナと恋愛関係になったが、彼女を女王にと持ち上げるノーザンバラ人に騙されて巻き込まれた。レジーナには二股をかけられリアムのせいで牢に入れられたと伝えた。
その後、近衛から『異母兄に恨みのあるノーザンバラの毒婦の娘がキュステ公爵令息を誑かし、ノーザンバラの工作員を手引きして学園襲撃事件を起こした。また彼女は女生徒に命じてフィリーベルグ公爵令息の毒殺をはかった』という筋書きの調書がもたらされた。
それを読んで、査問会の時に『何に代えても父としてお前の生命と最低限の立場だけは守る』と言われた言葉を思い出し、これは父が手を回してくれたものに違いないとテオドールは理解した。
そして、これに署名をすればレジーナを罪に落とすと分かりながらも調書に署名をした。
自分を手ひどく裏切った女に義理だてする必要などないからだ。
父から連絡が来たのはその一度だけでそこから音沙汰はなく、平気な顔をしていたが不安な気持ちが毎日の無聊で少しづつ膨らんでいた。
この後どうなるのだろうか、とテオドールは形のいい爪を噛む。
胸の内に溜まった不安は一気に彼を絡め取り、その上に心を縛り付けた。
会話を聞く限り、リアムとエリアスはあの調書を覆そうとするだろう。
それがなったら自分はどうなるのだろう。
うっすらとそうなった未来を想像したテオドールは、それを境にまともな眠りに落ちることができなくなった。
親が面会に来てくれれば、無理ならば手紙の一枚もくれるのならば、この不安は払拭されるのに、待てど暮らせど両親からは連絡が来なかった。
だから、テオドールはリアム達の会話を反芻しながら狭い寝台を転がり、朝日が顔を見せるころに睡魔に意識をゆだねる毎日を過ごすことになった。
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