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矜持

 校長に大学校に向かう馬車を用立ててもらっている間に、リアムは保健室に赴いた。


「殿下。お怪我やご不調はありませんか?」


「皆のおかげで大丈夫だよ」


「興奮で痛みを感じられなくなってますね。相当酷く打ちつけてますよ」


 保健室に隠れていたという校医が、手慣れた様子で肩や背中に湿布を貼ってくれる間にリアムは他の怪我人の事を尋ねた。


「重症順に治療しましたよ。神聖皇国語のローレンス先生とオリヴェル先生は処方した薬で眠っていますが、ライモンド先生は先ほど目を覚ましました」


 ケインの言葉を信じていないわけではなかったが、校医の報告でリアムは安心した。

 彼は王宮から派遣された医師で体調不良の際は容赦なく苦い薬を処方させる鬼だが、見立ては確かだ。

 眠っている二人の様子をそっと確認した後、見た目ほどではないから動揺をしないようにと釘を刺されて、ライモンドの寝ている間仕切りの中へと通された。


「ライ……?」


 ライモンドには他の二人以上に包帯が巻かれていた。特に両目を覆う形で巻かれた包帯が痛々しい。

 それを見たリアムはベッドの横にへたりこんだ。

 どうやって声をかけていいか分からなかった。

 怪我人に気を使わせたり動揺を誘ってはいけないと釘を刺されて心の準備も出来ていた。

 それでも耐えきれそうになくて必死に歯を食いしばると、大きくて広い手がなにかを探すように動いてリアムの頭に乗せられた。

 そこにはいつもの力強さがなく静物のように重かった。


「お怪我、ありませんか?」


「僕の心配してる時じゃないだろ! 皆のおかげでたいした怪我もないよ! それより、目が……!」


「無事な方を灼けつかせないために両目に包帯巻いてますけど、やられたのは片目ですからご心配なく。ご無事で良かった。殿下を護れてなかったら無事な片目も首ごと飛んでましたからね。他の連中は?」


 片目を喪ったのにかすり傷といった趣で言うライモンドを見上げると、彼は歯を見せて笑った。

 たいしたことがないと思わせたいのだと察し、リアムは涙の浮かんだ眦を袖口で拭う。

 怪我に当たらないようにライモンドの手を楽な形に戻して、硬い丸椅子をベッドの横に寄せ、そこに座りなおした。


「オリヴェルとローレンス先生が重傷でこの隣で寝てる。ライがたくさん敵を倒してくれたおかげで、他の人は無事だし軽傷だ。ジョヴァンニとレジーナも地下遺構から脱出できてると思う。ユルゲンもアネットを守り切った」


 リアムは校長と合流する前にケインに希って、ユルゲン達と別れた場所に足を向けた。

 そこには累々とした屍を借景に、アネットの膝を枕にユルゲンは今のライモンドのように横たわっていた。

 雲の切れ目から差し込む光が二人を照らし亡き勇者を憐れむ女神(ピエタ)像のように見える。

 ユルゲンの様子に心臓が凍りつきそうになり、リアムは蒼白になって二人のもとに駆け寄った。

 そのばたばたとした足音にアネットの顔が強張り、ぴくりとも動かないユルゲンを華奢な体で覆い隠すように抱きしめて庇う。


「……アネット!」


 息を切らしながらリアムが声をかけるとユルゲンを庇った腕から力が抜けた。

 アネットは顔を上げるとリアムとその後ろに護衛として影のように佇むケインを認め、疲れきってこわばった顔にほんのりと安堵を浮かべる。


「もう、大丈夫なんですね……」


「ああ、学園を脱出したソフィアが助けを呼んでくれた」


「そう。ソフィアを……。殿下もご無事でなによりです」


 アネットの悲しげな眦から涙があふれた。

 斜陽の柔らかな光を含んで煌めきながら落ちた涙がユルゲンの頬を濡らす。


「その……ユルゲンは」


「ユルゲンは殿下の命に忠実にこの場を護って戦い抜き、私をも護ってくれました」


 私なんかのために無茶をして馬鹿な人、とアネットの細い指が慈愛を含んで血で煤けたユルゲンの髪を漉く。


「とても、疲れているんです。もう少しだけ、このまま休ませてあげてください」


 するとユルゲンの眉がぴくりと動いてうっすらと瞼が開き、淡いブルーの瞳がアネットを認めて、とろりと甘い笑みが浮かぶ。


「ああ、俺……死んだんだ。斬られた覚えはないけど」


 リアム達に気がつくこともなく、その瞳は、ひたとアネットだけを見つめている。


「俺の大好きな人と同じ顔の女神が迎えてくれるなんて、フォルトルは気が利いてる……」


 実に満足そうに呟くとユルゲンは再び目を閉じた。


「……ユルゲン、生きてた。もしかしてひどい怪我もなく? その、今は疲れで?」


 リアムが確認すると、ユルゲンの言葉で夕陽よりも赤く染まった顔をあげたアネットは、少し意外そうな表情でこくりと首を縦に振った。


「ああ、よかった……。アネットも挫いたところ以外は大丈夫?」


「はい。彼のおかげで」


「二人とも無事でよかった……」


 一瞬だけリアムに微笑みを向け、ユルゲンに視線を戻すアネットに、彼が回復する頃に迎えをよこす旨を告げて、リアムはその場を離れたのだ。



「ユルゲンは僕の命を遂行し、アネットも彼を支えた。ソフィアはケインさんを呼んでくれた。僕は、あまりにも不甲斐ない。ただ逃げ回るばかりで何もなしていない。ライにもこんな怪我を負わせてしまって、ごめ……ううん、ありがとう。ライモンドのおかげで僕は大した怪我もなく、今ここにいる」


 泣くのをこらえていたはずなのに、あふれだした涙は止まってくれない。鼻水を啜りあげながら途切れ途切れに何度も礼を言ってライモンドの手をそっと握りしめると、ライモンドは優しい優しい声で言ってくれた。


「殿下を無事にお守りすることができたことが、我が身の誉。目の傷も箔がついたってもんです。だから泣かないでください。武人にとって大将っていうのは生きて元気でいるだけで尊いんですからね」


「うん、ありがとう……本当にありがとう。ライモンド」


「盛り上がっているところ悪いが、怪我人には休息が必要だ。馬車が仕立て上がったから校長と話をしてきてくれ。それが終わったら出立だ」


 そこにカーテンを開けてケインが乱入してきて追い出され、リアムは挨拶もそこそこに保健室を後にした。だから、リアムはこの後の会話を知らない。


「もう、無理しなくていいぞ」


 カーテンを閉じたケインに言われたライモンドの口元が悲嘆と悔恨に崩れ、笑みで取り繕っていた本来の感情が現れた。


「う…っううぁ」


 ライモンドは口元を抑え、密かに慟哭する。

 その間小さな子をあやすようにケインはライモンドの赤い髪を撫でた。


「ちゃんと取り繕えなかった……油断するなと散々言われていたのに油断して毒を盛られた。この怪我はそのせいで負った俺の自業自得なのに。リアムに泣かれて謝られかけ、礼まで言わせた。ケインさん。俺、自分が情けなくて、どうにかなりそうです」


 ライモンドは祖父や父と違い本当の戦いに身を置いた経験は少なく、ただそれでも若手として圧倒的な実力を誇っていた。だから油断していた。

 結局のところ自分は本当の殺し合いなど何も解っていない小童に過ぎなかった。

 今回の敗北でライモンドが負った傷は深い。

 形が見えるものは片目だけだが、矜持を抉られ、無力感と後悔だけが残された。


「赤狼は四肢をもがれ両目を抉られたとしても、鋭い牙持つ顎が動く限り、敵に噛みつき、全てを屠ったという。お前は生きている。四肢をもがれてもいないし、片目は無事だ。今回の悔恨を糧にしろ。フィリーベルグの皆も、もちろん俺も力になる。また修行のやり直しだ」


「もう二度と、こんな惨めな思いはしません」


 ケインに励まされ、嗚咽を漏らしたライモンドはそう強く誓った。

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