ひび割れた仮面
春を迎えていても日が暮れれば冷え込みは激しい。
空気が冬の名残りの寒さを見せた黄昏時、避難所として生徒達に解放された王立大学校の馬場。
いくつか焚かれた焚き火を囲って、硬い顔をようやく緩めた生徒達が炊き出しのスープを食べている。
「街の方もまだ混乱がおさまらないようですわね……。計画では学園とこちらに王城の兵が派遣されて生徒を保護してくれるはずだったのですが」
アレックスにスープを渡し、ソフィアもそれを口に運んだ。
ライモンドから教わったスープの味にリアムのことが頭をかすめたが、今考えてもどうにもならないから追い出した。
ケインを信じて自分のすべきことをするだけだ。
「凱旋門はともかく神殿で問題が起きたなら、そちらを優先せざる得ない。神殿との問題は神聖皇国との友好関係にも関わってくるからな」
うんざりとした様子に理由があるのかアレックスに水を向けると、彼はスープの表面が揺れそうなほど大きなため息をついた。
彼は避難所の環境を整えるのと並行しながら人をうまく使って情報を集め、現状を把握している。
「この後神殿との折衝になるだろう。責任問題や犯人の件を含めてな。こちら有利で押し切るには神聖皇国語でやり合う必要がある。問題がデカいからリアムか俺の出番なわけだが、今回リアムは当事者だろう。消去法でこれを片付けるのは俺だ。頭が痛いよ」
先程までの大公然とした物腰を崩して、海亀島での彼を彷彿させる砕けた口調でぼやいたアレックスにソフィアは返した。
「それを口実に、しばらくノイメルシュでレジーナと過ごせばいいと思いますわ。貴方がいればレジーナもあの偽汚物にメロついたりしなかったと思います」
「言いたいことは分かるが、それだと俺が本物のクソ野郎だな。いや、間違っちゃいないか」
ソフィアにそう自嘲して返したアレックスの表情に普段見せない弱気が覗いている。
「俺がいなかった間のレジーナの事をもう少し聞かせてくれないか?」
ためらいがちに尋ねられてソフィアは言葉を詰まらせた。
不在の間の今の有様だ。心配に決まっている。とはいえ、馬車の中で話せる話はしてしまったし、レジーナとはテオドールと付き合う付き合わないで喧嘩してから没交渉だった。
アレックスに伝えるような話もこれ以上ないのだ。
リアム達から多少は聞いているが人づての話を聞かせるべきではないのではと口ごもっていると、馬場の入り口が急に騒がしくなった。
これ幸いとそちらに目をやり、はっと視線をアレックスに戻して、その手から器が転がり落ち、彼の履いた良質の革のブーツにスープがかかるのを見る。
「ジーナ!!!」
叫ぶようにその名を呼ばわったアレックスがそちらに向かって走り始める。
視線の先では誰よりも薄汚れくたびれた様子のジョヴァンニとレジーナが警備兵に止められていた。
レジーナを警備兵から庇うように立ったジョヴァンニはこの寒空の下シャツの上にベストを着ただけの姿、対してレジーナはサイズの合っていない薄汚れた男物のローブを羽織って前をぎゅっと合わせている。まるで自らを抱きしめるかのように。
嫌な予感がしてソフィアもアレックスを追った。
「ジーナ! 無事で良かった……!」
警備兵を押し除けてレジーナを抱きしめようとしたアレックスの動きが止まる。
「レジーナ?」
アレックスを見た瞬間にレジーナの顔に浮かんだのは紛れもない恐怖だった。
なぜ彼女がアレックスを見てそんな顔をするのか分からないが、ソフィアは咄嗟に全てからレジーナを庇うように輪の中に割り込んだ。
「レジーナ! 無事で良かったわ。ジョヴァンニも」
「ソフィアも無事で良かった! 逃げる途中で彼女の服が泥だらけになってしまって。それで僕のローブを着てもらっているんですが、中に入るなら全員ローブの前を開けて改めないといけないと言われてしまって困っていたんです」
ジョヴァンニが自然な会話を装って問題を伝えてくれたからソフィアもそれを受けて立ち回る。
「まあ! そうでしたの。でしたら、わたくしが馬車で危険物を持っていないか改めます。服が泥だらけなら、着替える必要もありますし。それでよろしくて?」
「……ええ、それでしたら構いません」
圧をかけるとピリピリした顔は崩さず警備兵は頷いた。
学園で起こった事件のことやレジーナがノーザンバラ皇女の母を持つことなどで相当警戒されていたようだ。
「大公閣下、ダスティ子爵令息から学園の様子を聞き取っておいていただけますか?」
ひび割れはがれた隙間から見せた感情を再び綺麗に覆い隠した一分の隙もない顔でアレックスは鷹揚に頷いた。
「王女を任せた。ベルニカ公女。子爵令息、こちらに」
規定のボディチェックを受けるジョヴァンニを尻目にレジーナを庇うように馬車へ連れて行く。
「着替えはこれでいいかしら?」
何があったのか本人が口にするまで聞いてはいけない。極力優しく声をかけると小さな声で礼を言ったレジーナはおどおどと強く寄せていたローブの前を開ける。
丁寧な仕事で作られて釦が飛ぶはずがないオーダーメイドのシャツは釦が失われ、一部は布から引きちぎれている。ソフィアは一瞬目を伏せ、普段通りの態度を心掛けて替わりの一式を手渡した。
「外に出ていますわ」
「ここに、いて……」
怯えた顔で頼まれてソフィアは頷いた。
レジーナは新しいシャツに腕を通して釦に指をかけたが、震える指がそれを閉じさせない。
「手伝いましょう」
ソフィアが釦をかけてレジーナを見上げると頬にぽつりと涙の滴が落ちる。
「ジョヴァンニに助けられて、なにをされたわけじゃないの。私を守ってた警備の人は殺された……それに比べたら私は、本当に……なにも。拘束されてキスされて、服を破られただけ。たいしたことされてない」
言い訳でもしているかのようにレジーナはテオドールの所業を吐き出し、そう思い込もうとしているかのようにたいしたことがないという言葉を繰り返した。
「好きだったはずの人だし、たいしたことじゃない! あの二人は全然違う! 似てないと思ってたの! そういう話をテオドールとしていた。2人は全然違う! だから平気なはずなのに! でもっ!! アレックスをみた瞬間にテオドールにされた事を思い出して……傷つけるってわかってるのに! アレックスのことは大切なのに!」
怖いの、と感情の制御を失ってソフィアにすがる少女にかける言葉もなく、ソフィアはただレジーナのことを抱きしめた。
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