黒い歴史がまた一頁
一方その頃。
ディオンは父ヴァンサンに悪態をつきながら校長室の膨大な書類の取捨選択を手伝っていた。
「くそ、バカ! ウンコ! 常日頃からちゃんと整理整頓に励めよ! ちゃんと片付けてあれば、もっとさっさと逃げ出せたのに!」
「今年度分はちゃんとやってあったでしょっ!! 前校長がちゃんとしてなかったんです!」
「引き継いだならあんたの仕事だっ!!」
「過去を振りかえっても成果は出ません。ほら、手を動かして! おかげさまで最初の年までいきました。こっちお願いします」
「あ、オリヴェル先生だ。えっ?! あの人こんなに成績良かったの?! あ、でも素行悪……」
「手を止めた上に個人情報見るんじゃありません。オリヴェル先生は為人はともかく切れ者ですよ」
ディオンはそう返したヴァンサンの様子を盗み見た。口を動かしながらも神経質そうな細い指で書類を繰っていく動きに澱みがない。
『仕事もまともにせず母に領地運営を押し付けて中年のおっさんのケツを追うろくでなし』が、ディオンの彼に対する評価だが、共に仕事をしてみれば有能と認めざるえない。
「終わりました。あなたの分と合わせて鞄に詰める作業はお願いします。私は書類をいくつか作らないといけないので」
「は?! 大変な作業を押し付けんな! ……やらないとは言ってないだろ! そんな目で見るな! というか、こっち見んな!」
「はいはい」
肩をすくめて、分けた書類を横にどけてデスクに向かったヴァンサンは羊皮紙に何かを書きつけ、不意にその手を止めた。
「あなたのお母さんの名前の綴りはモニーク? それともモニカ? モニカならCAです? それともKA?」
「自分の妻だろ!! そんな事も知らないのかよ!」
「二人で署名したのは、貴方の出生届が最後ですから覚えてませんよ。ほら時間ないんですから早く答えてください」
勢いに押されてディオンが母の名前の綴りを言っうと、それを書き込んだヴァンサンは羊皮紙を半分に折ってさらに三つ折りにし、紙の継ぎ目に封蝋を垂らすとシグネットリングで封をする。
「これでよしと。ディオン君、はいこれ」
「なんだよ、これ。」
「ガイヤール家の爵位移譲の書類です。伯位は私の代からですが、爵位自体は先祖代々受け継いでるものですから大切にしてくださいね! 日付は先週付です。貴方が学園を卒業するまでは引き続きモニーク・ガイヤールを領主代行とする旨も書いてあります。それと一族が罪に問われる可能性が高まった場合はこちらを。離縁状と貴方は母親の籍にはいっているという証明です。やはりこちらも今日から少し前の日付にしてあります」
「なっ!」
学園で出されるちょっとした書類のように出されたそれは、本来軽々に渡されるものでなく、ディオンはヴァンサンの意図が読めずに白目を剥いた。
「なんで?!」
「校長として責任を取らないといけませんから。その前に爵位を譲った体裁を整えておけば、家は罪に問われません。それでもダメだった時、こちらの書類で貴方達は他人だと押し通せます。厳しそうならフィリーベルグ公爵かエリアス殿下にお願いしてください。それぐらいの融通はきかせてくれると思います。あの二人、子供に甘いですから、貴方がその仔犬みたいな目でうるうるしたら助けてくれますよ」
「あんたなら責任取らずに保身も出来るんじゃないのか」
そう尋ねると、ヴァンサンは首を振った。
「何かあった時に責任を取るのが役目ですから。まして、リベルタでエリアス殿下が生存している事を報告しなかったおめこぼしでここに配置されていますから無理でしょう。その時が来ただけです。今日はディオン君がたくさんかまってくれて、人生で三番……いや、五番めぐらいにいい日になりました」
ありがとうございます、とかすかに笑ったヴァンサンに頭を撫でられて、ディオンは頭を縮めて俯いた。
「廃嫡するって言うから、仕方なく手伝っただけだっての! 母様……母上が困るから!」
「貴方のお母さんは子育ての才能もありますね。彼女はインテリオの有能なご令嬢だったんですけど、ボンクラ令息に婚約破棄され、私は領地を経営する手腕がある、結婚してくれと私に売り込みをかけてきまして。私も渡りに船と契約結婚をお受けしたんですよ」
「ツッコミどころが多すぎるし、物語ならそこで愛に目覚めるパターンだよな!」
「そこは現実ですから、お互い共同経営者以上の感情は特に。まあ、この話も盛ってますし」
「こんなところでこんな時に本当か嘘か分からない話を混ぜんな、おっさん! 馬鹿っ!」
「やっと調子が戻りましたね。まあ、運が良ければ使わなくてすむかもしれませんし、さっさと逃げましょう」
そう言ったヴァンサンが鞄を二つ持ち、残る鞄を一つ、ディオンに持つように言って扉を少し開けて廊下を覗き見て、顔を青くしながら静かに扉を閉める。
「両側から誰か来ています。出られそうにありません。隠れて隙をうかがいますよ!」
「どこに?!」
「仮眠室にクローゼットがあります。この書類を隠して我々が入るとギリギリですが、相手がクローゼットを探そうとしたところを不意打ちして逃げます。いいですね!」
二人は校長室の奥の小部屋のクローゼットに飛び込んで扉を閉めた。
暗く狭いクローゼットで抱き合うように身を寄せ合い、息を殺すと囁くようにヴァンサンが言った。
「もしも逃げられなさそうなら、私が囮になりますから貴方だけは逃げなさい」
「そんなこと……できると思うのかよ! できないよ!」
「シッ! 人生で一度ぐらい親らしいポーズを取らせてくださいよ。ディオン君、お母さんを大切に。二人で頑張ってください」
校長室の扉が開く音が微かに響き、部屋を荒らすような音が聞こえる。
狭いクローゼットの中、ヴァンサンがディオンを庇うように身体を動かした。
「開けられた瞬間に私が体当たりで敵を拘束します。ディオン君は逃げなさい」
「そ、そんなこと……」
「やるんですよ。いいですね」
外で家具を倒す音が聞こえる。派手に部屋を荒らしているのだろう。
ずっと嫌いだと思っていた父がここで囮になって死んでくれるなら万々歳だ。
ディオンはそう思おうとした。
だが父の背を見て自分は彼のことを何も知らず、彼は自分のことを同じように知らないと気がついてしまったし、いまだにわだかまりはあるものの、不器用な愛情と歩み寄りを見せられて絆されてしまった。
クローゼットが開いた瞬間、父がその前に立って扉を開けた男に体当たりをしようとして避けられたのを見て、ディオンは男に飛びかかった。
「父上! 逃げてください! ボクが敵を押さえ込みます!!」
振り払われないように相手の腰に腕を回して拘束し、ぎゅっと目を閉じて叫ぶ。
一瞬の空白の後、父のひどくはしゃいだ能天気な声が部屋に幅いた。
「ケ! ケインさん! 聞いていただけました?! 今ディオン君が私のこと父上って呼んでくれましたよ!」
「え? け、いん、さん? 誰??」
ディオンは腰を掴んだまま、そっと顔を上げて自分が誰に抱きついているのか認識して絶叫した。
「ウッソだろぉおお!! フィリーベルグ公爵?! 嘘って言ってくれ! 今のなし! なし!」
そこには赤毛の美丈夫、フィリーベルグ公爵ケイン・シュミットメイヤーが当惑した顔で血まみれの剣を片手にこちらを見下ろしていた。
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ヴァンサンの人生で良かったと思えた日ランキング
1位、エリアスが生きてたこと
2位、エリアスと出会えたこと
3位、ウィステリアとリベルタで再会できたこと
4位、アレックスに私掠船免許与えて助けられたこと
5位、ディオンに構ってもらえたことです。