狩られる獲物
全力で走って、どれぐらいの時間が経っただろう。肺が痛み、息が上がってまともに呼吸が出来ない。
もつれる足を必死に動かしながらリアムはちらりと後ろを振り返り、巨漢が涼しげな顔で追ってくるのを見てヒュッと喉を鳴らした。
これは娯楽目的の狩りで、自分は後ろから追ってくる閣下と呼ばれていた敵の首魁と思しき男の獲物だ。
「おやおや、子鼠ちゃん、どうしまシタ? まだたいして時間も経っていませんヨ? もう少し楽しませてください」
わざとらしいノーザンバラ訛りの朗らかな声で言われた直後に、一足飛びで距離を詰められ、嬲るように自分のすぐ横に斧を振り下ろされる。
鋼が風を切る音が耳元を掠め、リアムは尻餅をついて土の上を転がった。
「ファー! ざぁんねん! 外してしまいまシタ! 逃げるのに三十秒差し上げまショウ! いーち、にーぃ」
弄ばれているのは分かるが、それでも逃げるしかない。
何も考えられずにリアムはただただ逃げ惑った。
行き止まりに追い詰められて、リアムはその男と向かい合ってノーザンバラ語で話しかけた。
『なぜ、こんな事を?』
『人の言葉を話すとは知能の高い鼠もいたものだ。安物のローブに地味な見た目。その目の色と髪の色……学生会の役員のジョヴァンニ・ダスティか?』
リアムはこくこくと頷いた。
どちらであっても生き残れる可能性は低いが、誤解されているのなら、彼らのターゲットであろう王太子だとばれるよりも学生会の役員である子爵令息の方がまだ可能性がある。
『み、見逃してください……!』
『私は人語を話すなと言ったんだよ。意思の疎通もできないとは……言葉を達者に操ろうともしょせんは鼠だな』
ぴたぴたと頬を軽くはたかれ、太く厚い腕で掴まれ持ち上げられた。
ぐうと呻くと、男の嘲りに満ちた高笑いが鼓膜を揺さぶる。
『それになぁ、貧乏貴族のフリで誤魔化されると思ったか? 人間の洞察力を舐めるな。王太子殿下様』
ばれていたのだ、と思うまもなく容赦なく壁に叩きつけられてリアムはその衝撃に咳き込んだ。
「なんで……」
「安物のローブに比べてズボンの仕立ても革靴もお高すぎるんですよ。成り上がりの父に生まれを見るなら靴を見ろって教わってましてね。銀のスプーンと絹のむつきで育てられた王子様」
綺麗な大陸共通語でそう言った男は嘲笑を浮かべた。
わざとらしいと思っていたが、先程までのノーザンバラ訛りの大陸共通語はこちらの恐怖を煽るためだったようだ。
「さて、お遊びは終わりにしましょう。大義のため、我が故国ノーザンバラのために惨めで無惨な死に様を晒していただきますよ。殿下」
胸ぐらを掴まれ再び持ち上げられたリアムは相手の顔に唾を吐きかけ、一瞬そらされた顎めがけて、護身で習ったとおりに踵を突き出した。
「くそっ!」
高所から投げ出されて体を強かに打ちつけたが拘束は外れた。
リアムは痛む身体を引きずって体勢を整えると男の横をすり抜け、よろよろと走り出す。
「逃すか!」
男の声と共に、リアムの背中に斧が振り下ろされそうになったところをその間に入った鋼がぶつかる音が止めた。
「今回もなんとか、ぎりぎり、ごえいの……役を果たせたな。リアム。この男は俺が倒す。逃げろ」
「ライ!!」
血まみれのライモンドが斧を剣で押さえ付け、男の動きを阻んでいた。
「走れ! ジョヴァンニと合流しろ!」
叫ぶように告げられたライモンドの指示に従って、リアムは再び力を振り絞って走り出した。
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