欲しかった言葉
アネットはユルゲンと共に残された。遠く離れていく二人を見つめるアネットにユルゲンから声がかかる。
「アネット。俺は殿下の命を守って、必ず敵を防いでみせるから」
そこに普段の闊達さはない。
ただ悲壮感を漂わせて、迫り来る敵と逃げていったリアム達の間、そしてアネットの前に、壁のように立って抜剣している。
真新しいそれには先ほど斬った敵の血と脂が乾ききらずに張り付いて残っていた。
「「うぉおおお!!」」
喊声をあげ突っ込んでくる敵をユルゲンがその場から一歩も動かずにいなして斬り捨て、剣を返すと次の敵を倒した。
が、三人目の剣を受け流しきれずにその頬から血が飛ぶ。
寮の前で青ざめて動きを止めていたのと同じ人間とは思えない勇猛さと必死さで、自らの傷を顧みずに敵を屠るユルゲンを見ながらアネットは罪悪感に震えた。
自分がいなければ、彼はこんな場所で敵の足止めなどする必要なくリアムを護りながら逃げきれていたに違いないのに、ユルゲンはもはや無価値になった自分などのために、この場に留まり命を賭けて戦っている。
「ああ……」
泣くことを忘れた乾いた目でユルゲンの背を見つめると、アネットは手渡された刃を両手で握りしめ、震える手でその切先をさきほどソフィアに教わった場所に当てがった。
いまさらながら、今朝ジョンに吐かれた呪いの言葉がアネットに絡みついていた。
愛人か、娼婦か。
ソフィアが置いていってくれた温情を今使って足手まといの自分を消せば、まだユルゲンはリアムを追えるし、自分は惨めな未来を歩まずに済む。
いいことしかないではないか。
それでも自らの命を断つ行為は恐ろしくて。
最期の一突をためらっていたアネットにぶっきらぼうな声がかかった。
「アネット」
第一波の敵を屠りきったユルゲンは肩で息をつき、袖口で汗を拭いながら、こちらに背を向けたまま続けた。
「実は俺、甘いもの好きじゃないんだ。普段は小腹がすいたら干し肉を齧ってる」
「え?」
ユルゲンは自分が持って行った菓子を誰よりもおいしそうに食べてくれていた。
そもそも最初の日にアネットが持ち帰ろうとした菓子に対してがっかりした様子を見せてくれたのは彼だし、持っていくたびに顔を緩めて、ひと足先に毒味で食べた菓子についていかに美味しいか、皆に説明してくれていたのも彼だ。
だから甘い物が好物なのだと思っていた。
「けど俺、騎士物語でヒロインが作る菓子に憧れてたんだ。けれど、そんなもの生まれてこのかた縁がなかった。あの時も後輩の作る手作り菓子を食べてみたかっただけだ。けど食べてみたら他の菓子と違って……美味かった。優して素朴で。君の人となりが分かる、皆のことを考えて作られた菓子だった」
ユルゲンは不意に思い出したように剣についた血と脂をローブの裾で拭って再び剣を構える。
敵が再びこの道めがけて押し寄せつつあった。
「だから、それは使わないでくれ。ここを守りきった褒美は、他の何でもなく君の作る焼菓子がいい」
「あっ……」
その告白を聞いた瞬間、アネットは短剣を取り落として口元を両手で覆った。
こんな時なのに身体の奥底から喜びが湧き上がる。
「はっ! はい! お約束します! だから貴方もここを守り切って……!」
勢い込んで伝えると、ユルゲンの背が伸びて、彼の身体がひときわ大きく見えた。
そしてアネットの目の前でユルゲンは敵の上に血の赫い花を咲かせてみせる。応援に対する答え代わりに。
アネットは奮戦するユルゲンから目を離さず、その逞しい背中を見守り続けた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
ブックマーク、エピソード応援、評価、全てモチベーションになっています。
まだの方はぜひ★★★★★で応援よろしくお願いします。