灰色の日々
微かに踵を返す足音が耳に入ってオリヴェルは唇の片端をあげた。
ジョヴァンニが優秀で助かった。ちゃんと言い含めたことを理解して実行してくれたおかげで目の前の男との戦いに専念できる。
「ああ、こうやってお前と相対せて嬉しいよ。お前の剣筋も再会を祝ってくれているのかな。最高だヨ。オリィ」
思考を邪魔するようにうっとりと独りよがりに話しかけてくる男に対して知らず口調が塩辛くなる。
「なにそれ? 学校で同僚として相対して仕事してたし、なんも祝ってないし、今は一刻も早く駆除したいと思ってるけど? 前からじっとりとしたキモ目線送ってくるし、馴れ馴れしいんだヨ。そもそもあんた誰?」
「ひどいな。オレはお前のことをずっと思って見つめてきたのに。なあ、オリィ。俺を誰だと思う?」
「見た目的に生き別れの兄だろ」
「そうだよ。お兄ちゃんだ。お前はちっちゃかったから覚えてないヨネ」
オリヴェルが兄と口にしたとたんにアッシェンの顔に喜色が広がった。
「オリィ、オレももっと早く来たかったんだ。お前にこの世界は退屈だったろ? 学園で再会してから、お前のことずーっと見てたから分かるんだ」
「うわ……ドン引きダヨ……ムリィ……」
「この世界が退屈で、でもどうしていいか分からなくて一人孤独に佇んでいる。いつもそんな顔をしていたよね。オレはその答えを持っている。だから迎えに来たんだ」
独善的な確信に満ちたアッシェンの言葉にうんざりと反論しながらオリヴェルは攻撃の手を早めた。
「孤独? ないない。学園生活は退屈だったけど孤独だなんて思ったことないけど?」
「それはお前の心が摩耗しているだけだ!! 理解者がいなくて孤独だったに決まってる! オレも経験があるから分かるんだヨ。母上とお前がベルニカ公に連れ去られてからずっとずっとオレの景色はくすんだ灰色だった。閉じ込められて一人きりで教育を受け、何一つ変わり映えのない灰色の中ずっと退屈な日を過ごしていた。それが当たり前だと思っていた」
アッシェンは自身の昂りを抑えられないとでもいうように大上段から剣を大きく振り下ろした。
感情を見せたのはその一瞬だけ。
それをつく間もなく口調の興奮とは裏腹の静かで正確な剣尖を再び繰り出してくる。
「けれどあの日、オレの眼は開かれた……! ノーザンバラがディアーラを落としたあの日の血と焔の鮮やかさ……今まで見ていた世界は偽りで、これこそが真の世界だと理解したんだ。オリィ、お前にこの世界は退屈だろう? オレの手を取れ。一緒にこのクソみたいな世界の有象無象の塵芥どもを斬り捨て焼き捨てて、苦悶の叫びが奏でる鮮やかな世界を楽しもう……!」
陶酔した様子で言い募る、兄と名乗る自分によく似た男の言葉はオリヴェルの心の琴線を何一つ揺らさなかった。
強い敵と戦っている時は気分が上がる。ぬるい学園生活にほんの少しいやかなり退屈していたのは男の言う通り。
だが、興味も関係もない弱者の悲鳴を聞くことになんの高揚も覚えない。それは戦場においてごく当たり前の音で、知らない誰かがあげる苦痛などオリヴェルにとってなんの価値もない。
まわりの愛すべき性質の善良な人々を振り回して遊ぶのが自分にとっての娯楽だ。
「そんな理由で自分の国を滅ぼした奴らの狗に堕したのか? アホくさくて付き合えん」
無感動に刃を振り下ろすと、乱れた剣がそれを止める。
「おっ! お前だけは、理解してくれると思ったのに!」
切り返してくる剣の重さには強い怒りと恨みと悲しみがこもっていた。
「勝手にそう思って、勝手に裏切られて、勝手に怒ってろヨ。自己陶酔型の変態オナ兄ちゃん。お前の自慰行為にこっちを巻き込むな。迷惑だ」
相手の心の柔らかいところを抉るように言葉を浴びせかけると、静かに人を弑する剣に強く重くアッシェンの感情が乗り始めてオリヴェルは心の裡で歓喜に震えた。
「ああ、イイね。その剣はいいヨ。お兄ちゃん」
剣を握る手が汗ばんで頬が赤らんだ。美酒を飲み干した時に似た高揚を感じる。
興奮状態のままどれぐらいの時間打ち合っただろうか、石畳の小さな隙間に踵を取られた刹那、
アッシェンの剣がオリヴェルの脇腹を貫いた。
「あ、ヤバ……」
腹から剣を抜かれ、吹き出す血をとっさに抑える。逆の手で持つ剣だけは落とすまいと意識するが、先ほどと一転しそれはひどく重く感じた。
傷自体は致命傷ではないが、アッシェンは強い。次の動きで確実に屠られるだろういう理解に、身体の熱が醒めていく。
だが、剣をオリヴェルの身体から抜いたアッシェンがそこで突然動きを止めた。
「あ……ちが……」
血が、なのか、違う、なのかは分からない。ただ彼は、自身が弟を深く傷つけた事実にひどく動揺して見える。
オリヴェルはそれを見逃さず、重い剣を構えると、相手に全体重をかけて確実に命を奪える場所を過たずに刺し貫いた。
「ど、して」
「殺し合いの最中に隙を見せたら刺されるのは道理だ。オレが聞きたいヨ。なんで動きを止めた。チェックメイトだった。オレの首を刎ね飛ばせたろ? 全てを灰燼に帰すんじゃなかったのか?」
「おま、え、のこと、だけは……そう、したくなかったみたいだ」
仰向けに倒れたアッシェンが一言言葉を発するたびに鮮やかな血が口から吐き出され、暗い地下道を照らす灯がその目元を流れ落ちる涙の輝きを小さく反射する。
そして、何かを乞うようにオリヴェルに向かって伸ばされる指。
手に取ることを期待されて伸ばされたそれをオリヴェルは黙殺した。
「あ……ああ、そうか……りかい、した。オリィ。お兄ちゃん、の置き土産、を楽しんで……それの、方が、きっとおまえ、この……みだ」
すべて理解したように乾いた笑いと絶命の吐息を漏らして、アッシェンは事切れた。
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