手を離すことの出来る幸運(アレックス視点)
時間はほんの少し遡る。交流祭の前日の深夜ノイメルシュに辿り着いたアレックスはオクシデンス商会へと足を向けた。
旅の埃をおざなりに落とし、ハーヴィーに手紙の詳細を尋ねて答えを得たのが今だ。
「どうして教えてくれなかった……! 十年その状態だったってことか?! それは十年も……レジーナにもお前にも辛い思いをさせ、傷つけ続けていたということだよな!」
自責、呵責、悔悟、絶望、悲嘆。
それらがアレックスの心をかき乱し混乱させていた。
八つ当たりも甚だしい恨み言に苦悩を浮かべたケインが首を振る。
「錯乱している時の譫言を言わないでくれと言ってどうにかできたか? 無為に苦しめるだけだろ。あなたの心の傷はそれほどまでに大きくて深いと分かっているから、言えなかった。苦しむあなたをさらに追いつめろと?」
ぼんやりと記憶している夢の中で何度かユリアが手を握ってくれたことがあった。
だがそれは夢などではなく、レジーナが娘のふりをして握ってくれていたということなのだろう。
そんな優しい子供を完膚なきまでに傷つけた。一時の激情で聞かせてはいけない話を聞かせ、過去の感傷で振り回して孤独へと追いやった。
「どうやったら、償える……。こんなのどうしようもないじゃないか」
頭を抱えたアレックスをケインが力づけるように肩を抱きよせて、支えてくれる。
「強行軍で心身ともに疲れている。こんな時に何か思い浮かぶはずがない。朝まで休んだほうがいい」
「眠れると思うか?」
働かない頭とは裏腹に心はささくれ立って、とてもではないが眠れそうにない。
「大丈夫。おやすみ、アレックス」
ケインの腕が首に回って不意にアレックスの頸の動脈を締める。
物理かよ!と突っ込む間も苦痛もなく、アレックスの意識は闇に沈んで、気がつけば朝を迎えていた。
「おはよう。夢も見ずによく眠れただろう? 食事を持ってきた。気分はどうだ? 熱は出ていないか?」
「あれは眠れたじゃなくて、意識を失ったっていうんだ。覚えとけ。今は爪先から頭の上まで汚水に浸かっているような心持ちだが熱もないし、少し冷静にはなった」
ケインがそつなく支度した洗面用具で身支度を整え、その後に手渡されたトレイに載せられたカップ一杯ほどのスープを一口分すくって無理やり口に運ぶ。
「あなたが眠っている間に色々確認したがどうにもきな臭い。今日の祭で何か起こる可能性がある。城には行かずに直接学園に向かおう」
「ああ……」
スープを口に運ぶ手が重い。
そこまで聞いてもレジーナへの罪悪感から思考を切り替えられない。
だが、煩悶するアレックスの耳をケインの低く優しい声が打った。
「取り繕わずにあれの母親のことを含めてどう思っているのかごまかさずに話して、レジーナが今まで飲み込んでいた気持ちを全部聞いてやれ。元々そのつもりで島を出たんだろ。レジーナとあなたは十年絆を築いていると、ずっとそばにいた俺が保証する。あなた達なら分かり合えるはずだ」
ケインのいう通りだ。
リアムの事だけでなく、レジーナと実父であるヴィルヘルムのわだかまりを解き、レジーナの心の曇りを拭いたいと思ってメルシアへと戻ってきた。
だが、彼女の心は晴れるどころかより翳りを帯び、孤独の中惹かれてはいけないモノに惹かれ、再び国同士の思惑に翻弄されて引き潰されそうになっている。
その原因の一端に自分が取ってしまった言動があるのであれば、思いを伝えないといけない。
たとえどれほどの痛みを伴おうとも。
リベルタからメルシアに帰る時に、ケイン達に向かって自分は偉そうに心の傷も処置しないと毒が回るなどと言ったではないか。
「ああ、そうだな。そうだった」
「もう出会った頃の小さな子供じゃないから、子離れして一人の大人として話すんだぞ」
「子供はいくつになっても子供だとリヒャルトも言っていた」
「それはそれとして、もう、子離れの時期だよ。アレックス。守ることと手を離すことは別だ。子供だって一人の人間で、自分だけの力で歩けるんだ。自分で子供の手を離すことが出来る幸運を噛み締めながら手を離してやるべきだ」
アレックスは望まざるして子供達の手を離した人達の顔を思い浮かべ、手を離さざるえなかった子供達のことを思い、俯いた。
スープにひとしずく涙がこぼれ落ちた。
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