アネットの決断(アネット視点)
「めんど……急に用事を思い出しちゃったから、任せたヨ! 二人で計画立てといて」
爽やかな顔で手刀を切って、するりといなくなったオリヴェルの背に手を伸ばしかけたアネットは大きくため息をついてジョンの方を向いた。
「仕方ありませんね。ジョンさん、門の端からその木の間の距離を測りたいので、巻き尺を……」
だがジョンは巻き尺の端を手に取ろうとはせず口を開いた。
「アネットさん、お家から連絡来てる?」
「……なんの、事かしら?」
アネットが顎に手を当てて小首をかしかげてみせると、ジョンは口角を持ち上げる。
「あなたのお家、ロスカスタニエ侯爵家を建て直せるだけの財力と同程度の地位を持つノーザンバラの貴族を君の婚約者として紹介するって話。君の父上はすぐに連絡をすると言っていたようだけれど」
父からの手紙にはリアムとの婚約がなせそうか、望み薄ならノーザンバラの侯爵令息との話を進めると一方的に書いてあった。
「国王陛下の制定した法により、侯爵家以上の貴族はノーザンバラ帝国の貴族との婚姻を認められませんし、無理ではありませんかとお父様にお返ししました。なぜ貴方がそれをご存知なのですか?」
「そりゃあ、君の父上にその話を持ちかけた側の人間だからさ」
あっけらかんと告白したジョンは話を続けた。
「知ってる? 今、ロスカスタニエ侯爵は首都のタウンハウスのみならず、領主館も抵当に入れているってさ。爵位は保持しているけどそれもこのままだと時間の問題じゃないかな」
「……そうですか」
「君の兄上の治療費、エリアス殿下にとんでもなくぼったくられたんだろうね。かわいそうに……。あふれるほどの富と権力を持ちながらなお、堅実に経営されていたロスカスタニエ侯爵家の富を根こそぎ奪っていくだなんてひどいよね」
「兄の病は本来なら不治の病です。それを治す奇跡を与えられたのですもの。両親は納得してお支払いしたのでしょうし、たとえそれがどんな理不尽でもわたくしはあれこれ思うところを言う立場にありません」
エリアスへの憎悪を掻き立てるかのような言葉に、含みを持たせてアネットは返した。
「自分の結婚相手がどんなひどい相手でもそう思うの? 君のお父上より年上で何人も愛人を侍らす成り上がりの粗野な商人と話を進めざる得ない状況だったけど。ご両親だって君の幸せを願っているから、こちらが持って行った縁談の方が良いだろうと決断してくださったんだ。感謝しないと」
ノーザンバラ帝国屈指の裕福な侯爵令息で年齢は二十才。容姿も端麗でリアム王子よりもイケメンだよ。と笑うジョンに心揺らされたように半歩下がって両手で口を覆った。
「さっき言っていた侯爵以上は結婚できない件は簡単さ。君を親戚の伯爵の養女にして婚姻を結べば法を回避できる」
挙げられた伯爵の名はキール山脈沿いに領地を持つ親戚で、目先の利益で目の曇った両親は気づいていないようだが危うさが透けて見える。キール山脈には最近脚光を浴び始めた石炭などが埋まっているはずだ。
目の前の少年の態度から言って、両親はすでに諾と答えているのだろう。貧すれば鈍するというがあまりにも判断が悪い。
とはいえ、アネットは彼らの娘である。
従順な娘たれと教育を受けてきて、跡取りである兄を優先させる生活を身に染みさせてきた。
若輩の自分にとって今突き付けられている決断はあまりにも重い。
「少し、お時間をいただく事はできないでしょうか」
「ごめんだけど、無理だヨ。今決めてくれなきゃ、援助の話は無しだ。こちらも時間がない」
取り繕っていた北方特有の訛りを出して少年は首を振った。
「体を使ってリアム殿下を籠絡して王妃の座にワンチャン賭ける? そんな事、君にはできないでショ? なに、そんなに難しい事はさせないヨ。ほんのちょっとだけリアム殿下を困らせる、そんな程度の事さ」
「リアム殿下を困らせるなんて……」
アネットの動揺を嘲笑い煽るように少年はさらに自分を揺すぶってくる。
「好きなのに全然意識されなくてツレない態度取られてるんでしょ? あの殿下、女の趣味が悪いからネ。君みたいな男を困らせないタイプに興味がないんだ。エミーリエ嬢やソフィア嬢に調教されちゃったんじゃないかな。だから少し困らせてやればいい。効果覿面さ」
婚約者をあてがうと言っているその口で好きな男を困らせて振り向かせてやれと煽る。
そんな事でリアムが振り向くはずがないのに、この悪魔は様々な餌を自分の前にぶら下げる。
その先の決断を下すのは気が重いが、今、この時点での答えはすでに決まっていた。
だからオリヴェルは自分を置いて行ったのだ。
アネットは両親に躾けられた通りの美しい姿勢で淑女らしい微笑みを持って答えた。
「両親には従わないとなりませんね。あなたがたは私にどのような役目をお求めになるのですか?」
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