9 大臣と王妃 ~王妃の鬱憤
本日3回目の投稿です。
ベルトンの名前を聞いた時から、マーゴットには彼が隣国の前国王だとわかっていた。かつてお妃教育で何度も聞いた名前だったからだ。
彼の正式な名はノア・マックス・ベルトン・デ・ヴァリ・デュ・ドラゴ。かの国の王位経験者に与えられる称号を名前の一部に持つため、長い名前になっている。
「王妃様、ノアさんの名前が長すぎて全然覚えられませぇーん。しかも一〇五歳って何ですか? 若いんですか、年寄りですか? 年の差九十歳とかアリですか?」
ジジはそう言って騒いでいたが、最終的には彼女は深く考えることは止めて、己のインスピレーションに従うことにしたらしい。つまり好きか、嫌いか。彼女らしい賢明な判断である。
ジジと出会って一年余り。その天真爛漫さにマーゴットはいつも癒されてきた。
二人はそのうち王宮を出て行くだろうから、それまではなるべく一緒に過ごそう。
そう思っていたのに、この国のオジサン連中ときたら――!
(さっきからネチネチと五月蠅いのよっ!)
マーゴットは大臣たちのお小言に、引きつった笑みを浮かべながら耐えていた。
「王妃が家出するなど前代未聞ですぞ!」
「淑女らしく陛下の言うことを聞いていればよいのです」
「陛下と喧嘩するなど、王妃殿下に問題があるのではないか」
「妃殿下はこの国の王妃として相応しくないのではないか」
「やはり側妃を迎えたほうが良いのではないか」
ハンソン侯爵はご婦人方による噂のバラマキには失敗したが、大臣たちの懐柔には成功したらしい。
マーゴットが久しぶりに王宮に帰ってみれば、彼らは言いたい放題である。
こんなことに貴重な時間を費やさねばならないとは残念無念だが仕方がない。もう少しの辛抱だとマーゴットは静かに時を待った。
あの後、ベルトンが手配した諜報員の報告で次のことがわかった。
ジジを攫おうとした一味と王妃マーゴットを襲った暴漢の黒幕は同一人物であった。予想通りハンソン侯爵である。
切っ掛けは、ここ数年ハンソン侯爵領のルビーの発掘量が大幅な減少に転じたことである。ハンソン侯爵家は自領のルビー鉱山から得た富で勢いに乗っている貴族だ。このままでは没落は免れない。
そこでルビーに代わる新たな収入源として目を付けたのが薬の転売だった。特にジジが作る希少性の高い薬は高値で取引される。独占しようと画策するが、ジジに逃げられ失敗に終わった。
焦った侯爵は、権力を得るチャンスは勢いのある今しかないと、娘のコリンナを側妃として王家に嫁がせようと目論んだ。
ジジの追手と王妃の馬車を襲った実行犯は、ハンソン侯爵家の分家筋である子爵の配下である。
娘を側妃にするのに王妃を邪魔に思ったハンソン侯爵は、ずっと暗殺の機会を窺っていたのだ。
それだけではない。なんとハンソン侯爵はその子爵を通じて、人身売買にまで手を出していた。金になるのはジジのように腕のある薬師だけでない。モフモフの耳やしっぽを持つ可憐な獣人たちが、愛好家たちの間で人気があることがわかったからだ。
ハンソン侯爵は悪事に目を瞑る見返りとして、また、娘を側妃にする根回しのため大臣たちに賄賂を渡した。
大臣の半数が収賄に手を染めるという事態を重く見た国王ランドルフは、一斉に粛清することを決めた。
現在、国王の指示で騎士団が証拠を押収するとともに、彼らの屋敷を制圧している。証拠品の場所は諜報員が調査済みなので、手間取ることはないだろう。間もなく動かぬ証拠を手に、宰相アルドリッチ公爵がやって来るはずだ。
今、謁見の間で王妃に暴言を吐いている面々は、何も知らずに調子に乗っているのだ。
「それは少し言葉が過ぎるのではないか? 王妃は仕事を滞らせたわけでもない」
隣にいるランドルフが大臣たちを窘めると、「王妃に相応しくない」と言った大臣が「ですがっ」となおも言い募ろうと口を尖らせた。
「家出した上に、誰とも知れぬ男を連れて帰るなど、はしたないとは思わないのですか?」
不貞を匂わせる物言いに、マーゴットもさすがに反論する。
「はしたない? ベルトン様は陛下が招いた客人ですのよ!」
「ああ、彼は余が招いたのだ」
マーゴットに加勢するランドルフだったが、大臣たちも負けてはいない。
「そうやって陛下が甘やかすから、妃殿下がいい気になるのです。やはり新しく妃を迎えるべきなのではないですか」
そうだ、そうだと場がざわつき、マーゴットはブッチンと堪忍袋の緒が切れた。
「いい気になっているのはどちらかしら? わたくしが王妃に相応しくない? ではあなた方はご自身が大臣に相応しいとでも?」
ピタリとその場が鎮まった。
「なっ、何たる侮辱! 妃殿下は我ら臣下の忠誠をお疑いになるのですかっ。陛下、何とかおっしゃってください」
大臣の一人がワナワナと体を震わせ言い募る。
忠誠などと、どの口が言うかとマーゴットは苛立つが、ランドルフに手を取られて思い留まった。
「だが、先に王妃を侮辱したのは、そなたたちであろう? 先ほどから聞いていれば、王妃の命が狙われたというのに、心配する言葉の一言もないとは……」
ランドルフの間延びした口調に、「しかし――」と大臣が言いよどむ。
その時、音もなく宰相アルドリッチ公爵が姿を現し、その後にノックス伯爵が続いた。ノックス伯爵の目が赤い。彼は夜通し、ハンソン侯爵や大臣たちの税金の申告に問題がないか帳簿を確認していたのだ。その手に何冊もの帳簿を持っているということは、やはり不正があったのだ。
「余も問いたい。そなたたちにこの国の大臣たる資格はあるのか?」
証拠を持った二人の姿を認めるや否や、眼光に怒りを宿し哀しいセリフを言わねばならない夫をマーゴットは切なく思った。
いずれも長く王家に仕えてきた家門である。信頼してきた臣下に裏切られる心の傷はどれほどのものなのか。
(ランディ君、しっかり! 私がついてるわ)
マーゴットはランドルフを応援するように、繋がれた手を力を込めて握り返した。
国王の様子に不穏なものを感じたのか、大臣たちは押し黙る。
「本日、そなたたちをここへ呼んだのは、我が妃への罵言を許すためではない。収賄と脱税の罪に問うためである! 反論は認めない。先程、貴様らの屋敷は軍が掌握し、証拠も揃った」
ランドルフが合図をすると、騎士たちが入って来て大臣たちを取り囲んだ。
彼らはひゅっと息を呑むと顔色を失くし、ブルブルと震えだした。
「そうだな。丁度良いから、王妃を貶めたゆえ不敬罪も追加しようか? その頭と体が繋がっていられるとよいな」
淡々と告げるランドルフの掌が、力強くマーゴットの両手を包み込んだ。
それを見た大臣たちの中には、甘言に騙されたと悔しそうに呟く者もいた。
「ハンソン侯爵の言うことなど当てにならぬではないか」
「不仲ゆえ、我々が薦めればコリンナ嬢が側妃に迎えられると聞いていたのに」
「我々は騙されたのだ」
大臣たちが引っ立てられていくのを見て、マーゴットは胸がスカッとした。鬱憤が嘘のように消えていく。
(でも肝心なのがもう一人いるわねぇ)
主犯のハンソン侯爵は、ルビー鉱山の発掘場が何者かの襲撃により破壊されてしまい、被害状況を確認するために慌てて領へ向かったのだ。
そこへ待ち構えていたベルトンから鉄槌を下された後、軍に連行されて戻って来る予定である。
鉱山で無理矢理働かされている子供たちの存在も発覚し、彼の罪状はまた一つ増えた。
「ハンソン侯爵の一族を拘束しました。あとは侯爵本人の到着を待つだけですが、ただ…………」
報告しながらアルドリッジ公爵が渋い顔をする。
「三日ほど前から娘のコリンナ嬢が行方不明で、現在捜索中です」
マーゴットは嫌な予感がした。