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5 愛と混乱 ~王妃マーゴットの戸惑い

本日2回目の投稿です。

「本当にわけがわからないわ」 


 もう話すことなどないというのに、夫ランドルフが毎日やって来るのだ。

 マーゴットはその度に追い返している。三日目からは花束が手渡され、五日目からは手紙が添えられるようになった。

「愛するマーゴちゃんへ」という書き出しで始まるその便箋には、思わず顔から火が出るような甘い言葉が綴られていた。


(マーゴちゃん……って!)


 結婚前の呼び名である。かつてはマーゴットもランドルフをランディ君と呼んで仲を深めたものだ。しかし王と王妃という、より責任のある立場になってからは、その愛称は徐々に忘れられ、マーゴットは夫のことを「陛下」としか呼ばなくなっていた。


(ランディ君は一体どうしちゃったのかしら?)


 マーゴットは混乱していた。


 そして昨日、義姉のゴドウィン公爵夫人が兄の代わりに、伯爵邸の様子を窺いにやって来た。

 彼女は顔が広く、自身の派閥を率いている。その影響力は絶大で、ゴドウィン公爵夫人に睨まれたら社交界では生きていけないと令嬢たちに恐れられているのだ。

 彼女の情報によると、王妃が寵を失いハンソン侯爵令嬢が側妃に上がるのではないかという噂が、新興貴族を中心に数日前から流れ始めた。一方で、保守派を中心とした高位貴族の間では、国王が王妃マーゴットを溺愛しているという逆の噂で持ち切りであるという。


「ふん! ハンソン侯爵ごときがこのゴドウィン公爵家(わたくし)と保守派筆頭であるアルドリッチ公爵家を出し抜き、偽りを広めようなどとは笑止千万!」


「ですが、わたくしが陛下と別れて王宮を出たのは周知のことなのですよね?」


「は? 別れた? フッ、何をおっしゃっているのやら。お二人は妃殿下の誕生日を巡って、痴話喧嘩をなさっただけですわ。陛下はマーゴット様のご機嫌を取ろうと、それはもう必死なのですよ。これを溺愛と言わずして何というのです」


「ええっ~? デキアイ?!」


「そうですわ。その証拠に、陛下は毎日欠かさずこちらへ通っておられます。その熱烈ぶりに憧れて、家出するご婦人もいるくらいですわ」


(うそっ! それ、絶対にヤラセでしょ!)


 義姉が自分の取り巻きたちに指示したに決まっている。彼女は目的のためなら手段を選ばない。敵に回したくないタイプだ。


「ですからご安心なさいませ。わたくしはマーゴット様の味方です」


 義姉は扇子から顔を覗かせ、悠然と微笑んで見せたのだった。


 このようなやり取りを思い出しながら、マーゴットは悶々と思案する。

 両家が火消しに動いたということは、これ以上、側妃の噂が広まることはないだろう。

 ということは、夫は本当に側妃を娶る気はないのか?

 いや、でも、しかし――――――。

  

「本人に直接尋ねてみればいいんじゃないですかぁ?」


 黒猫獣人ジジが、ムシャムシャとおやつのクッキーを貪りながら言う。彼女の思考はいつも単純明快だ。

 食べたいものを食べればいい。やりたいことをすればいい。わからないことは聞けばいいのだ。


(それはそうなんだけれども…………!)


 なおもジタバタ抗おうとするマーゴットの心を見透かすように、ジジがニコッと笑う。


「だって人の心の中なんて、本人にしかわかりっこないですもん!」


 そりゃそうだ、と自然にストンと腑に落ちた。

 ようやくマーゴットは、明日きちんとランドルフの話を聞こうという気持ちになった。王宮を出てから、十日目になろうとしていた。

 


 翌朝、マーゴットが腰を据えて話し合おうと応接間で待ち構えていると、腹が減っては戦は出来ませんという執事ケネスの勧めでランドルフと朝食を共にすることになってしまった。

 花束と手紙を届けるだけで、まともに会話することも叶わず追い返される日々だったランドルフの顔には、この好待遇に期待感が滲み出ていた。


「――――と言うわけでだな、余は最初から側妃を迎える気などなかったのだ」


 ランドルフがここぞとばかりに懸命に弁明してくる。


「あの場を早く切り上げようと焦ったがゆえの失言であったと?」


 マーゴットは眉を顰め、まだまだ疑念の色を隠せない。

 ランドルフは大きく頷く。


「うむ、そうだ」


「陛下が側妃を迎える気がないことはわかりました」


「わかってくれたかっ!」


 ランドルフは嬉々として顔を上げる。しかし、マーゴットは顔を曇らせた。


「ですが結婚破棄の件は別です。あんなにハッキリおっしゃったのに、いったい何があったんです? 急に隣国の式典にでも招待されましたか。わたくしが欠席ではマズイのですか?」


「違う、違うっ! 本当に結婚破棄なんてする気はなかったのだ!」


「え? でも…………」


「あの後、発言を撤回しようと部屋まで行ったのだ。しかしだな…………」


 急に尻つぼみになるランドルフを見て、マーゴットはなんとなく事情を察した。


「もしかしてわたくしたちの声……聞こえてました?」


「ああ……」


 二人の間に気まずい雰囲気が流れる。


(あら、イヤだ。うるさいとか、嘘つき野郎とか、いろいろ言っちゃったわ。私ったら不敬よね)


 会話が聞かれていたとわかって、マーゴットはなぜあんなにも早く自分の居所が知れたのか合点がいった。

 しかし興奮していたとはいえ、碌でもないことを口走った記憶がある。自分はともかく、侍女たちにまで迷惑が及ぶのは忍びないとマーゴットは頭を下げることにした。


「申し訳ございません。侍女たちには何の咎もございません。罰はわたくし一人が受けますゆえ、どうか寛大なご処置を」


「頼むから謝らないでくれっ! こちらの考えが至らぬばかりにこんなことになったのだから。余が悪かったのだ。本当にすまない」


 妻の謝罪にランドルフは大慌てだ。とりあえず罪に問うつもりはないらしいとマーゴットは安心する。

 気を取り直して、暫く無言で食事を続けていると「コホン」とランドルフの咳払いが聞こえた。

 

「その……余はハンソン侯爵の娘が十七歳などとは知らなかった。そなた……マーゴちゃんはよく知っておったな」


(ここでもマーゴちゃんっ?)


 マーゴットは危うくカリッと焼いた厚切りベーコンを喉に詰まらせるところだった。慌てて水の入ったグラスを手に取る。


「貴人の顔と名前と年齢を覚えるのは、淑女の嗜みですわ」


 王妃ともなれば国内だけではなく、周辺諸国の王侯貴族や要人の顔と名前を一致させておくのも仕事のうちだ。情報を常に新しいものに更新し、皆が会する場面でトラブルが起きないよう気を配っているのだ。


「マーゴちゃんは昔から努力家なのだな」


 ランドルフは感心して頷き、パンをちぎって口に放り込んだ。


「陛下、そのマーゴちゃんと言うのは――――」


 その恥ずかしい呼び方はどうにかならないのかと訴えようとして遮られる。


「ランディ君だ」


「へ?」


「これから二人の時は、ランディ君と呼んでくれ」


 愛称で呼ぶよう求められ、マーゴットは戸惑った。


「へ、陛下?」


「ランディ君、だ」


「……ランディ君」


「何だ」


「これはどういうことですの?」


 このタイミングで食後の紅茶が運ばれてきた。淹れたてのカップから茶葉のいい香りが漂っている。

 ランドルフは一口喉を潤してから、席を立ってマーゴットの傍までやって来るとその手を取った。マーゴットの顔が赤くなる。


「へ、へ、陛下……ランディ君?」


「周りから倦怠期だと勘違いされ、君からも愛を疑われたことがショックだったのだ。余の自業自得だ。だがもう一度チャンスを貰えないか?」


「ランディ君…………」


「マーゴちゃん…………」


 握られていた手にランドルフの唇が落とされる。


「もう一度、ここから始めよう」


「また明日」そう言って帰って行くランドルフの後ろ姿を見送りながら、マーゴットの胸はドキドキと高鳴っていた。

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