表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒロイズム教本  作者: 胤田 一成
14/20

ファッション島からの憂うつな手紙

 ゴウゴウと海の鳴る音で目を覚ましました。それが全ての始まりの合図(あいず)でした。思い返せばずいぶんと奇妙な体験をしてきたものです。

 あの嵐による惨劇(さんげき)は世間でも()沙汰(ざた)されているはずですから、ここでは多くは語りません。私はただ、自身が経験したことのあらましをポケットの中に残されていた紙に記して、この島に流れ着いた瓶に詰めて流すことにしようと思います。

 私がこの島に漂着してから数年間が経とうとしています。飛行機は島から離れた海洋に墜落(ついらく)したようで、運よく生き残った乗客員は私だけでした。(しお)(なが)れに乗って島に流れ着いた者は私一人だけのようです。

 島に流れ着いた時の私は満身(まんしん)創痍(そうい)でした。息を吹き返したのが不思議なくらいです。この島の人々によって介抱(かいほう)されなければ、ほどなくして息を引き取っていたことでしょう。島の人々には感謝してもし切れません。

 この島は世界から隔絶(かくぜつ)されて久しいようで、外から漂流してきた私を手厚くもてなしてくれました。好奇の視線もずいぶんと含まれていたようですが、大抵(たいてい)の島民の方々は私に優しくしてくれました。

 数か月ほどは(とこ)()せっていましたが、跡に残るような怪我もなく恢復(かいふく)していきました。私はその間にこの島の言葉や風習を学び、できるだけこの島に馴染(なじ)めるように努力しました。文化はいまだ熟してはおらず、狩猟と採取を中心に生活を送る民族であることが分かりました。彼らは文字すら持っていなかったのです。

 私はこの愛すべき人々に何かを残して去って行きたいと思うようになりました。欲張りな文明人の一人である私にとっては何か少し物足りないように思えてならなかったのです。

 私は彼らに衣服をまとう喜びを教えようとしました。肌もあらわに生活する人々を見る度に、私は目の置き場に困っていたところでありましたから、私は自分にとっても住み良い環境にしようと一生懸命(いっしょうけんめい)に服を作りました。

 彼らは子どものような無邪気な貪婪(どんらん)さで私の教えを吸収していきました。私はほとんど寝ずに衣服を(つくろ)ったほどです。私を真似(まね)して服を作る方が現れ始めたときには、思わず胸を()でおろしました。

 身を飾る事を学んだ島の方々は(つつし)みを覚えたようです。彼らは次第(しだい)に肌を見せることに対して恥じらいを見せるようになりました。私は自身の手によって未開の島に住む人々が少しずつ文明を(きず)()げ始めたことを喜びました。何の変哲(へんてつ)もない女がこの島では偉大な指導者に()()わるのです。数年前までは文字も知らなかった人々が記録を取るようになり、文明らしいものが実りを見せたのです。

 多くの人々が私のもとに集まっては教えを()うようになりました。その中には(しま)(おさ)御子息(ごしそく)もいらっしゃいました。彼は私の熱烈な信徒の一人でした。子どものように()んで輝く瞳の中に情熱を宿した若者でした。島に流れ着いてから数年後に、私は彼から求婚されることになりました。

 私は彼らを自分の子のように愛しましたが、それは恋とは程遠いものでした。或いは心のどこかで、彼らを自分よりも劣った存在として見ていたのかもしれません。いずれにせよ、私は彼の思いを拒絶したのです。

 彼は心の底から落胆(らくたん)したようでした。彼の瞳は(くも)りがちになり、殻にこもるようにすらなっていきました。(つつし)みを覚えた島の人々は恥じらいを知り、恥の感情は卑屈(ひくつ)さを生み出しました。次第に島の隅々(すみずみ)に(かげ)りのようなものが現れ始めたのです。そして(かげ)りは島の長の御子息(ごしそく)に実際的な行為を選ばせたのです。

 (ゆう)うつに(とら)われた島長(しまおさ)御子息(ごしそく)は自ら命を絶ちました。島で初めての自殺者でした。

 私は島に良くないものをもたらした女として()(きら)われるようになりました。島長(しまおさ)(おびや)かすまでに膨れ上がった私の教え子たちが(きびす)(かえ)して一様(いちよう)に去って行きました。私は悲しさのあまりに(とこ)()せるようになりました。

 島の男の方々は私の悲しみに打ちひしがれる姿を哀れに思ったのか、こっそりと荒屋を訪ねては食べ物を置いていってくれます。しかし、彼らの顔にはかつての()(かがや)きはありません。(ゆう)うつに(とら)われてしまった者が見せる(ほう)けたような空漠(くうばく)が、代わりとなって島を静かに(おお)うようになりました。

 私は(つつし)みと()じらいを教えただけのはずでした。この懊悩(おうのう)源泉(げんせん)辿(たど)れば(すべ)てはそこに(つな)がっているのです。楽園の蛇は人に知恵を授けようとは考えてもいませんでした。慎みと恥じらいを教えようとしただけなのです。

 私は遠くない日にこの(ゆう)うつな島から逃れるために(みずか)ら命を絶つでしょう。蛇が去った後に楽園は平穏(へいおん)を取り戻すのでしょうか。一度でも没した太陽は再び天を照らすことはないのかもしれない、と疑いを抱いたまま私は生涯を終えるでしょう。せめて、この手紙が誰かに届くことを祈っています。   



 (了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ