ファッション島からの憂うつな手紙
ゴウゴウと海の鳴る音で目を覚ましました。それが全ての始まりの合図でした。思い返せばずいぶんと奇妙な体験をしてきたものです。
あの嵐による惨劇は世間でも取り沙汰されているはずですから、ここでは多くは語りません。私はただ、自身が経験したことのあらましをポケットの中に残されていた紙に記して、この島に流れ着いた瓶に詰めて流すことにしようと思います。
私がこの島に漂着してから数年間が経とうとしています。飛行機は島から離れた海洋に墜落したようで、運よく生き残った乗客員は私だけでした。潮の流れに乗って島に流れ着いた者は私一人だけのようです。
島に流れ着いた時の私は満身創痍でした。息を吹き返したのが不思議なくらいです。この島の人々によって介抱されなければ、ほどなくして息を引き取っていたことでしょう。島の人々には感謝してもし切れません。
この島は世界から隔絶されて久しいようで、外から漂流してきた私を手厚くもてなしてくれました。好奇の視線もずいぶんと含まれていたようですが、大抵の島民の方々は私に優しくしてくれました。
数か月ほどは床に伏せっていましたが、跡に残るような怪我もなく恢復していきました。私はその間にこの島の言葉や風習を学び、できるだけこの島に馴染めるように努力しました。文化はいまだ熟してはおらず、狩猟と採取を中心に生活を送る民族であることが分かりました。彼らは文字すら持っていなかったのです。
私はこの愛すべき人々に何かを残して去って行きたいと思うようになりました。欲張りな文明人の一人である私にとっては何か少し物足りないように思えてならなかったのです。
私は彼らに衣服をまとう喜びを教えようとしました。肌もあらわに生活する人々を見る度に、私は目の置き場に困っていたところでありましたから、私は自分にとっても住み良い環境にしようと一生懸命に服を作りました。
彼らは子どものような無邪気な貪婪さで私の教えを吸収していきました。私はほとんど寝ずに衣服を繕ったほどです。私を真似して服を作る方が現れ始めたときには、思わず胸を撫でおろしました。
身を飾る事を学んだ島の方々は慎みを覚えたようです。彼らは次第に肌を見せることに対して恥じらいを見せるようになりました。私は自身の手によって未開の島に住む人々が少しずつ文明を築き上げ始めたことを喜びました。何の変哲もない女がこの島では偉大な指導者に成り代わるのです。数年前までは文字も知らなかった人々が記録を取るようになり、文明らしいものが実りを見せたのです。
多くの人々が私のもとに集まっては教えを請うようになりました。その中には島長の御子息もいらっしゃいました。彼は私の熱烈な信徒の一人でした。子どものように澄んで輝く瞳の中に情熱を宿した若者でした。島に流れ着いてから数年後に、私は彼から求婚されることになりました。
私は彼らを自分の子のように愛しましたが、それは恋とは程遠いものでした。或いは心のどこかで、彼らを自分よりも劣った存在として見ていたのかもしれません。いずれにせよ、私は彼の思いを拒絶したのです。
彼は心の底から落胆したようでした。彼の瞳は曇りがちになり、殻にこもるようにすらなっていきました。慎みを覚えた島の人々は恥じらいを知り、恥の感情は卑屈さを生み出しました。次第に島の隅々(すみずみ)に翳りのようなものが現れ始めたのです。そして翳りは島の長の御子息に実際的な行為を選ばせたのです。
憂うつに囚われた島長の御子息は自ら命を絶ちました。島で初めての自殺者でした。
私は島に良くないものをもたらした女として忌み嫌われるようになりました。島長を脅かすまでに膨れ上がった私の教え子たちが踵を返して一様に去って行きました。私は悲しさのあまりに床に伏せるようになりました。
島の男の方々は私の悲しみに打ちひしがれる姿を哀れに思ったのか、こっそりと荒屋を訪ねては食べ物を置いていってくれます。しかし、彼らの顔にはかつての陽の輝きはありません。憂うつに囚われてしまった者が見せる呆けたような空漠が、代わりとなって島を静かに覆うようになりました。
私は慎みと恥じらいを教えただけのはずでした。この懊悩の源泉を辿れば全てはそこに繋がっているのです。楽園の蛇は人に知恵を授けようとは考えてもいませんでした。慎みと恥じらいを教えようとしただけなのです。
私は遠くない日にこの憂うつな島から逃れるために自ら命を絶つでしょう。蛇が去った後に楽園は平穏を取り戻すのでしょうか。一度でも没した太陽は再び天を照らすことはないのかもしれない、と疑いを抱いたまま私は生涯を終えるでしょう。せめて、この手紙が誰かに届くことを祈っています。
(了)




