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ヒロイズム教本  作者: 胤田 一成
13/20

天井裏の子

 富士山麓の写真を撮るために足が棒になるまで山間(やまあい)の道を(ある)(まわ)った。とっぷりと日が暮れてから辿(たど)()いた民宿(みんしゅく)は、都会では滅多(めった)に見られないほどの古屋敷(ふるやしき)だった。取材のついでにいくらかの写真を撮らせてもらった後に、時計を見てみると長針はてっぺんを超えていた。

 カメラに保存された風景写真を整理する必要があったが、明日になってからでも遅くはない。取材旅行の総括(そうかつ)は翌朝にすることにして、宿の主人が用意してくれた布団にとりあえず横たわった。

 (のり)のきいたシーツに身体の熱が()()っていく心地良(ここちよ)さを味わいながら、天井を仰いだ。木枠(きわく)の組まれた天井を見るのは久しぶりだった。

 ――親父が死んでからどれくらいが経ったのかな――

 竿縁天井(さおふちてんじょう)を眺めているうちに死んだ父親のことを思い出した。父親を亡くしてからずいぶんと月日が流れているにも関わらず、こうして天井の木目(もくめ)を見詰めていると妙にゆかしく感じられる。しばらく考えた後に突如(とつじょ)として、その理由に思い至った。

 ――むかし、こんな天井の家に住んでいたことがあったなあ――

 転勤の多かった父親に連れられて土地を転々(てんてん)としながら暮らしていた時期がある。小学校に入学するころには止んだが、中にはずいぶんと(ひな)びた土地で過ごしていたこともあったはずだ。(きり)がかかって判然としないが、(はり)()まれた天井の古民家(こみんか)寝食(しんしょく)していた記憶を取り戻した。

「それはきっとテンツルシの仕業(しわざ)だなあ」

 昼間でも隅に影を残す木組みの天井が、何とはなしに恐ろしかった。(いた)一枚(いちまい)(へだ)てた向こうには、知らない世界がぽっかりと口を開けているような気がしてならなかった。

 今にも向こうの側の世界から異形(いぎょう)のものが顔を(のぞ)かせるのではないか。そういった妄想は際限(さいげん)なく広がっていくものだ。

 ある眠れない夜に(のど)(かわ)きを覚えて台所に行くと、仕事から帰って来た父親と鉢合(はちあ)わせしたことがある。

 昔気質(むかしかたぎ)厳格(げんかく)だった父親に夜遅くまで起きていたことが露見(ろけん)して、叱責(しっせき)されるものとばかり思っていた。だから、思いがけず、眠れない理由を優しく訊ねられた時は驚いた。

「それはきっとテンツルシの仕業(しわざ)に違いない。テンツルシはこの辺に住む妖怪でな。恐れることはないんだよ。悪さをするものではないからね。ただ、知って欲しいだけなんだよ。そして、人間のお前と遊びたいだけなんだよ。俺も幼いころに一度だけテンツルシと会ったことがある。可愛らしい(わらべ)の姿をしていたよ。何一つ恐れることはないんだ」

 朴念仁(ぼくねんじん)の父らしくないユニークな話だった。(おび)える我が子を(なぐさ)めようと話したつもりだったのだろう。すると、父は父なりに子との接し方について考えるところがあったということになりそうだ。

 ――無関心だったわけではないんだ――

 いつも黙然(もくぜん)としていて、何を考えているのか分からない人だったが、失ってみてからようやく気が付くこともある。テンツルシは不器用な父親の優しさの現れだったのかもしれない。

 ――親父はテンツルシと出会ったと言っていたが、あれは本気だったのかな――

 父は嘘をつけるような人柄(ひとがら)ではなかったと記憶している。咄嗟(とっさ)に思いついた冗談(じょうだん)にしては出来が良すぎている。「テンツルシ」はおそらく、「天吊るし」と書くのだろう。実際に存在する話なのだろうか。謎は深まるばかりだ。

 ――今なら素直に親父に訊ねられそうなのになあ――

 途端(とたん)に父親が恋しくなった。働きづめの人生だったに違いない。孝行(こうこう)をする()もなく父は脳溢血(のういっけつ)()ってしまった。(ひざ)をつき合わせて酒を()()わすぐらいの(ひま)はつくれたはずなのにしなかった。後悔ばかりが思い浮かんでは消えていく。

 天井裏(てんじょううら)の妖怪は幼い父の前に姿を現したのだろうか。天井の木目(もくめ)を眺めながら、どうか真実であって欲しいと願った。

 父にも子どもであった時があり、それは楽しく幸せな思い出に満ちたものであって欲しかった。今となっては、そう願うことぐらいしか父のためにしてやれることはなかった。

 父との間に結ばれた紐帯(ちゅうたい)はか細く、頼りないものだった。僕はその糸の端を強く手に握り締めて祈っていた。そんなことに思いを馳せている間に一滴の涙が(ほお)(つた)って(まくら)()らした。

 父親との合間(あいま)()わされた、ささやかな思い出に(ひた)りながら、沈むように深い眠りに落ちていく。意識の糸が途切れる直前に、コロリコロリという鈴を転がすような(わらべ)の笑い声を聞いた気がした。  



 (了)







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