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ヒロイズム教本  作者: 胤田 一成
11/20

モグラの集会

 「モグラ」と呼ばれていた時期がある。

 僕の両親は町で小さな居酒屋(いざかや)(いとな)んでいた。日が暮れると彼らは(あきな)いに出て、翌日の明け方まで家に帰ってくることはなかった。するとそれをいいことに、いつからか深夜になるとどこからともなく子ども達が集まってくる。アルバイト帰りの者、塾帰りの者、家族と不和(ふわ)(かか)えている者。僕の家の戸を叩く連中(れんちゅう)は多かったが、その誰もが日の下での暮らしに鬱憤(うっぷん)(いだ)き、またその()(ぐち)見出(みいだ)せぬまま、ふらふらと居場所(いばしょ)を求めてさまよう、か弱く、哀れな者達であることは共通していた。

 誰が提案したのか、記憶は定かではないが、いつからか僕達は自身のことを「モグラ」と称するようになった。()(ひかり)を嫌っては地中(ちちゅう)(うごめ)く、奇怪(きかい)脆弱(ぜいじゃく)な生き物の呼称が実にしっくりと馴染(なじ)むような気がしたのである。毎晩のように我が家ではモグラ達が集い、ささやかな(うたげ)(もよお)すようになった。

「トランプをしようぜ」

「またかぁ。他にやることもないし、やるか」

 僕達は酒もタバコもやらなかった。手を伸ばせば(とど)き、いつでも堕落(だらく)できる環境にありながら、誰もそういった悪行(あくぎょう)関心(かんしん)(しめ)さなかったのは不思議でもある。おそらく、「これ以上、落ちこぼれたくない」という意識が不文律(ふぶんりつ)となり、無法(むほう)(なか)(ほう)をもたらしていたのだろう。酒やタバコの代わりに、僕達が夢中になったものはトランプであった。

 貧しい家庭であったとはいえ、我が家にもトランプぐらいなら置いてあった。だが、我が家を訪ねる連中は自身が持ち込んだトランプを(この)んで使いたがる傾向(けいこう)があった。まるでそれを持っていることがこの家を訪ねる資格ででもあるかのような風潮(ふうちょう)すらあった。彼らの(うす)っぺらな学生カバンの内には、教科書が忘れられることはあっても、トランプは忘れられることは、まずなかったといってもいい。中には僕の家の戸を叩いておきながら、それを(おこた)ってしまったことに気づき、そのまま(きびす)(かえ)して帰ってしまう者もいたほどである。

「トランプ、忘れちまった。やることもあるし、今日は帰るよ」

 そう言って街灯(がいとう)(とぼ)しい光に照らされながら、暗い帰路(きろ)辿(たど)る者の後ろ姿はもの寂しく、子どもながらに哀愁(あいしゅう)を感じさせられるものであった。

 陰気(いんき)(うたげ)ではあったものの、僕達はそこに喜びを見出していたのは確かである。傷の()()いと言い切ってしまったら終わりではあるが、訪れれば自身と同じような苦悩(くのう)葛藤(かっとう)(かか)えている友人がいて、誰に気づかうこともなく気ままな振る舞いが許されている空間はこの上なく優しいものであった。僕の家は日陰者(ひかげもの)らの(いこ)いの()であった。しかし、モグラ達の(うたげ)(じき)(まく)()ろすことになる。

 高校三年生の秋、我が家は破産(はさん)した。両親が居酒屋(いざかや)の経営に()(づま)っていたのは知っていたが、終わりはあまりにも呆気(あっけ)ないものであった。多くのものを失うことになった。モグラ達の集会所も手放す結果となった。

「今晩中に荷造(にづく)りを()ませないと。大きなもの以外は全部捨てなさい。朝になってご近所さんの噂になるのだけは嫌だから」

 ()(けず)るような痛々(いたいた)しい宿替(やどが)えであった。悲しむ(ひま)も与えられないまま、思い出の品は次々と処分されていく。何事にも穏やかで、どちらかといえば優柔不断(ゆうじゅうふだん)な性格をしていた母もこの時ばかりは鬼気(きき)(せま)(いきお)いがあった。

 夜遅くまでひたすら荷造(にづく)りを(おこ)なった。両親は近所の()(はばか)り、一晩の内にどうしても宿替(やどが)えの始末(しまつ)をつけたかったようであった。

 しかし、一家が数十年かけて()()げてきた膨大(ぼうだい)な量の家具や日用品の山は、容易(ようい)に片づけられるものでないのは当たり前であった。

 時計の長針が(いただ)きを指すころには(せい)(こん)()()てていた。夜明けまでに荷をまとめられるかどうか、いよいよ不安になってきた時分(じぶん)のことである。一匹のモグラが我が家の戸を叩いた。

「お世話になりました。引っ越しの手伝いに来たんですけど、やっぱり迷惑でしたか」

 モグラなりの恩返(おんがえ)しのつもりであったに違いないが、僕の両親は彼を歓迎(かんげい)しなかった。息子の友達に夜逃(よに)げの片棒(かたぼう)(かつ)がせるわけにはいかない、という名目(めいもく)(うら)には明らかな羞恥(しゅうち)屈辱(くつじょく)があったのは言うまでもない。

「少しでも力になりたかったなぁ。楽しい思いをさせてくれたからね。これは餞別(せんべつ)

 そういってモグラは僕の(てのひら)を握って、傷だらけになったトランプを僕に手渡すと、肩を落としながら暗い夜道(よみち)辿(たど)り、去って行ってしまった。僕は彼の姿がすっかり(やみ)()けてしまうまで見送ると、(たく)されたトランプを誰からも(うば)われないようポケットにしまった。

 あれからずいぶんと長い月日が経った。眠れぬ夜、僕は時折(ときおり)あの晩のことを思い出す。そして深夜になると、傷だらけのトランプをバッグから取り出しては、ソリティアを(たしな)むのだ。遠いモグラ達の(ささや)きに耳をすませながら。


(了)

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