09 九回目。
今日も四月十三日の金曜日。土曜日ではない。
でも明日は来るはずだ。
鏡に映る姿の姿を見ながら、制服のドレスに着替えた。
「ジュエリー・リティディオンが時の巻き戻しをした……とりあえず、エレクトロン・ターリと話すか」
私は予定を呟いて、クローゼットを閉じた。
私は寮の部屋から飛び出して、坂を上がった場所に聳える純白の学園に登校する。
その校門前に赤毛を靡かせるエリオト・ハイマティーテースが待ち構えていた。
フラッシュバックする告白。忘れていた。
「おはよう。ペリドット」
「お、おはよう……」
「返事は?」
「……好きって、本気なの? あなた、私をからかっているだけじゃない」
「からかうのが楽しい。それを好きと呼んでいいだろう?」
面食らう。
からかうことが楽しいから好きってことでいいのだろうか。
エリオトの感性がわからない。いやでもそれも好きって分類に入らなくもないのだろうか。
立ち尽くしていたら。
「あ、ペリドットちゃーん! おはよう」
サピロスが私を見付けて、大きく手を振った。
あ、エレクトロンだ。
私はエリオトを置いて、スタスタとエレクトロンの元に向かう。
「ちょっと話があるのだけれど、エレクトロン・ターリ」
「……君は確か」
金の短髪に琥珀の瞳の持ち主であるエレクトロン・ターリは、ちらりと横に立つ親友のサピロスを見た。
あ、サピロスの想い人だと聞いているな、これ。
「オレの同じクラスのペリドットちゃんだよ」
勘付かれないようなのか、サピロスはそう言う教え方をした。
「ペリドット・ガルシア。こっちに来て」
名乗って私はエレクトロンと二人で話そうと、玄関の隅に移動する。
けれども、サピロスとエリオトがついてきた。
「エレクトロンと二人で話したいのよ! どっか行って!」
「ええー」
「気に入らん」
沸騰点が低い私は、そう怒ったのだけれど、それでも二人は離れようとしない。
仕方ない。このまま話そう。
「あなたが昼休みに何するか知ってるわ」
「!? なんで君が知っているんだ! まだサピロスにも話していないのに!」
ぎょっとした顔をしたエレクトロンは、私の右腕を掴んだ。
そして二人から離れて、私に顔を近付けて声を潜めた。
「どういうことなんだ?」
「ちょっと近いよエーレ!」
「離れんか」
サピロスとエリオトに、引き離される。
「ああもう邪魔しないでちょうだい!!」
「二人でコソコソ話しないでよーちょっとジェラシー感じるからさ」
「ループに関係あることなら、オレにも聞かせろ」
わざとらしくむくれて見せるサピロスに続いて、腕を組んだエリオトが言った。
「ループ?」とエレクトロンもサピロスも鸚鵡返しする。
「ああ、もういいわ! あとで話す!」
私はエリオトの背を押して、その場から離れた。
「エレクトロンが愚行をしたのか?」
「ある意味愚行だけれど、犯人ではないわ」
「そうか……で? はぐらせたつもりでいるかもしれないが、返事は?」
ギクッとする。
告白の返事のことだ。
「わ、私は、付き合うとか今は考えられないから!」
「オレと付き合って損はないぞ、きっと面白い」
「絶対に面白くないと思う!」
エリオトが楽しいだけじゃないか。
おかしそうに笑う横顔を見て、頬が熱くなる。
学年二位の実力者だし、イケメンだ。こんな人に好きだと言われるなんて。
いやでも性格が悪い。そこ忘れてはいけないわ、私。
「ローガン先生のところに行く!」
「行かなくていいだろう。呪文ならオレが教えてやる」
「え。あ、ありがとう……」
教室まで一緒に行って、ペンを持ってくるとエリオトは手首に書いてくれた。本当に覚えているなんてすごい。私はこんな長い長い呪文、覚えられない。
男子生徒に、手首に何かを書かれているこの状況、変だな。
周囲の目が気になった。
「って! 何書いてるのよ!?」
掌に“エリオトの所有物”と書かれてしまう。
からかうことが好きなこの人が大人しく呪文だけを書くと、本気で思ってしまったことに悔しさが湧き上がる。
「では昼休みになったら、事情を聞くぞ」
ニヤリと笑ってエリオトは、自分の教室に入って行った。
誰だ、あの人をループから目覚めさせたのは!
とんでもない協力者だと私は地団駄を踏みたい気持ちを必死に抑えて、自分の机に突っ伏した。
「どーしたの? ペリドットちゃん」
「……サピロス」
「あれ? 今日はさん付けしないんだね。そのままサピロスだけでいいよ」
私が身体を起こすと、前の席に座ったサピロスが私の机の上に腕を置いて、にへらと笑いかけた。
「……エレクトロンは昼休み、何するって?」
「さぁ? 来いって言われただけ」
「……あの男」
私は拳を握り締める。
「え? どうした、どうした……ってなにそれ」
怒りに震える私を宥めようとしたサピロスが、袖からはみ出た手首に書かれた呪文に気が付く。私はつい、掌の中の文字を忘れてしまい、手を開いてしまった。
「“エリオトの所有物”……?」
「い、悪戯書きされたの」
「……ふーん」
焦りつつも、私はそう白状する。
サピロスがじっと私の掌を見つめたあと、親指でその文字を擦った。
「なかなか消えないね」と言葉を漏らすと、水の魔法を発動してそれで私の手を包み込んだ。冷たい。ぷくぷくと浮いている水玉の中で擦れば、文字は徐々に消えていった。
「ありがとう、サピロス」
「どーいたしまして」
サピロスは嬉しそうに笑う。
そんな笑みを見ると、なんとも言えない気分になる。
なんで、どうして、この人は私が好きなのだろうか。
思い返せば、冷たい対応ばかりしてきた。
同じクラスの女たらしの男子生徒だと、距離を置こうとしていたのだ。
ああ、聞けばよかった。ループを終える前にどうせ忘れられるなら、どうして好きになったのか。気になってしまう。もう、全く。
私だけキスされた記憶があるなんて不公平だ。
ちょっとむくれていたら、また「どうしたの?」と首を傾げられた。
「なんでもないわ」
「そう」
一限目の授業を受けて、休み時間になったら、すぐに教室を飛び出す。
隣のA組の教室に入って、真っ直ぐエレクトロンの元に行った。
「あなたがやろうとしていることは間違っているわ!」
はっきりと言い放ってやる。
「君に何がわかるんだ。部外者だろう」
エレクトロンは腕を組むと踏ん反り返った。
なんて男だ!
「大体なんで公衆の面前で言い渡す意味があるの!?」
私は声を潜めて、問い詰める。
「ある! オレとあのジュエリーとの婚約は学園中に知れ渡っているんだ! 公衆の面前で言い渡さなければいけない!」
「!?」
エレクトロンが声を潜めて言い返した。
確かに私すらも、婚約カップルだと知っている。
婚約破棄したことを広めるため。
「でもあなた、ジュエリーの気持ちを考えたことある?」
もう八回以上繰り返し婚約破棄を言い渡されているジュエリーを思うと、気の毒すぎる。記憶がないことは、幸いなのか。
黒板のある前の席に座っているジュエリーを見ると、心配そうにこちらを見つめていた。
「恥をかくのは承知だが、元はと言えば親同士が勝手に決めた婚約をあっちが広めたんだ」
オレは悪くない! と言いたげなエレクトロンを見て、殴りたくなる。
今私と話しているだけでも心配しているのに、それに気が付かないのか。
ジュエリーは、こいつのどこがいいのだ!
いや学年一位だし、財閥のお坊ちゃまだし、ルックスも良い。結婚相手として、財閥のお嬢様には良いお相手。
そしてサピロスの気持ちに、今まで気付かなかった自分を、棚上げには出来ない。
始業開始のチャイムが鳴ったものだから、私は一先ず引き下がった。
「ペリドットさん」
二限目の休み時間のことだ。廊下から呼ばれた。
そこにいたのは、むっすりと機嫌が悪そうな白いローブを羽織ったマルガリタリ。クリーム色の髪と真珠色の瞳。
「先輩、どうして」
「なんで今朝来なかったのさ?」
どうしてマルガリタリがここに来たのか。
私は驚いて、近付いた。
「もう呪文は……ってまさか、マルガリタリ先輩も思い出したのですか?」
図書室に行かなかったのは、呪文を書いてもらったからだ。
繰り返される朝に図書室に行くことを知っているのは、ループから目覚めたからだと気が付く。
「そうだよ。僕が思い出さなかったら、約束はどうしていたの? 忘れたからってなかったことにしようとしたの?」
「いや……はい、そうです」
否定しようとしたけれども、その真珠の瞳に見据えられては白状するしかなかった。
「全く。僕は覚えているから、ランチを一緒にとろう。約束だよ、ペリドットさん」
肩を竦めて見せたマルガリタリは、とんでもない行動をする。
ちゅっと私の頬にキスをしたのだ。
見ていたクラスメイトが、ざわめいた。
「!?」
「じゃあね」
マルガリタリはご機嫌そうに廊下を去る。
放心して頬を押さえていた私は、こっちを同じく放心して見ているサピロスに気が付いた。
ギギギ、と首を回して、明後日の方向を向く。
その後、授業中、またサピロスの視線が痛かった。
いつも一緒にランチをとる友だちに断りを入れて、私は一人で体育館を向かおうと歩いていく。そこでばっちりとサピロスと目が合った。
まぁ、サピロスが私を見ているから、目も合う。
「あ、ペリドットちゃん。ペリドットちゃんも、体育館に行くの?」
「……」
結局あの男は、公衆の面前で婚約破棄するつもりだ。
私は眉を潜めた。
「なんでそんな顔をしちゃうの? 可愛い顔が台無しだぜ」
「そうですかー」
体育館に急ぐ。
「……ペリドットちゃん、図書委員長とはどう関係?」
「……」
その途中で尋ねられた。
どうって、私が訊きたい。
このループで、私は何故か異性にまとわり付かれてしまっている。
サピロスは、元からだけれども。エリオトとマルガリタリは、どうして私に迫るのだろうか。わからない。
「あれ? だんまり? いつもならこう……あなたには関係ないって言うところじゃない?」
苦味を含めた笑みを作って、サピロスが首を傾げる。
「サピロス。あの……」
ごめんなさい、と言おうとした。
今まで冷たい対応をして、ごめんなさい。
でも私は謝らなかった。今回はループしない。
「そうよ、関係ないわ。ただマルガリタリ先輩にランチに誘われただけよ」
そうぶっきらぼうに話した。
スタスタと歩いて行けば、扉が開かれた体育館が見えた。
中に入れば、数十人の生徒達がいる。ほとんどがA組だ。
「ちょっと待った!!!」
私は声を轟かせた。
ギロリとエレクトロンが、私を睨む。そのまま口を開こうとしたから、私はーーーー。
パチン、と指を鳴らして従者を召喚した。
ここで君との婚約を破棄する! とエレクトロンがそう言ったが、声は響かない。
体育館の中は、閑散とした。音が消えたのだ。
それはもう耳が痛いほど、静寂。
音を奪い去ったのは、私の従者だ。光沢の羽織りは純白だけれど、無造作に長い髪は漆黒。唇も黒く塗られた男性の姿。でも幻獣の一種。
【沈黙の谷】に住む幻獣で、音を消し去ることが出来る。例えばそう、呪文魔法の発動を無効に出来るのだ。
私はこの幻獣と召喚獣の契約が出来たから、魔法生物の成績はずば抜けている。名前は、セリノリソス。
この体育館の音は、セリノが支配した。私の声以外。
「去りなさい! さもないと【沈黙の谷】のセリノリソスが声を奪うわよ!!」
見物人達に、凄んだ。
私を一瞥したセリノは、右手を上げて見せた。
セリノは特定の人の声を、奪うことも出来る。
怯えたり呆れたりして各々がそう反応して、体育館から出て行く。
残ったのは、ついてきたサピロス。それといつの間にか来たエリオトとマルガリタリがいた。それに臆さなかった数人だけ。
私はそのまま、手首に書かれた呪文を読み上げた。
ジュエリー・リティディオンの周囲に光の柱が三つ立つ。それを結ぶように円が描かれた。
それがガラスが割れるように、音もなく光が弾け飛ぶ。
キラキラしながら落ちる残骸も、消えてなくなっていく。
ループから、解放された。
20180209