【星空】
時刻は深夜。あと数分もすれば日付が変わるだろう。辺りはしんと静まり返り、月明かりが暗い道をやんわりと照らしている。
そんな静かな街の中に、ひとりの青年の姿があった。
あたたかそうな深い緑色のコートに 白いマフラーをなびかせ、ふわふわとしたクリーム色の手袋をつけた彼は、白い息を吐きながら小走りにどこかに向かっている。
街の展望台へと続く階段の下に来ると、青年はぎゅっと口を横一文字に結び 上を見上げ、ぱたぱたと足音を立てながら階段を駆け上がっていった。
そのスピードに少し息切れをしてしまっているが、速度を緩める気は無いらしい。
階段を上り終え、左腕につけていた腕時計を見る。時刻は既に午前0時をまわっていた。
青年はきょろきょろと辺りを見回す。どうやら誰かを探しているようだ。
しかし、目に入るのは明かりの消えた街並みと、ざわざわと揺れる黒い裸の木ばかりで、人どころか動物の影すら見当たらない。
はぁ、と短くため息をつく。彼が探している人物は、いつもならここで、この時間帯にひとりで読書をしているはずなのだ。
今日は来ていないのか、と少し残念に思い帰ろうとすると、「あ。」と背後から小さな声が聞こえた。
もしかしてと思い、声がした方をおもむろに振り返ると やはり、彼が探していた人物が立っていた。
さらさらとした黒い髪、少し大きめの黒縁眼鏡がはえる白い肌、きちんとアイロンのかかった 詰襟の学生服。
厚めであたたかそうな暗い朱色のネックウォーマーに鼻の頭まで埋め、背中を丸めて寒さに耐えている。
「こんばんは。今日ははやいんですね。」
「あぁ、今日は流星群が見られるんだろう。楽しみにしていたんだ。」
にこりと笑ってそう言うと、少年はそうですか、ともそもそと呟いた。どうやら少し眠いらしい。
僕はこの少年の名前を知らない。前に何度か聞いてみたが、当ててみてください、と言うだけで教えてくれないのだ。
しかしそれだと呼び名に困るので何かあだ名でも、ということで、彼がネックウォーマーにしている缶バッチから、「A君」と呼ぶことにした。
A君はよくこの展望台にいて、星を見ながら読書をしているのだ。そして僕もA君に毎日会いに来る。
僕がここに来た時にA君がいなかったことはほとんどない。だからきっと、毎日欠かさずここに来ているのだろう。先日、最近は冷え込むから外に出るのが億劫になってきました、とは言っていたが。
僕と彼が出会ったのは半年前。
悩みがあって一人になりたかった僕はその日の深夜、ここに来た。そこでA君と会って、人懐こい彼は見ず知らずの僕の話を親身になって聞いてくれた。
悩みを誰にも話すことができなかった僕は、それだけでかなり救われたのだ。
そしてそれ以来、なぜか彼のことが気になってここに通うようになり、次第に親しくなった。
今では A君と他愛ない会話をしながら 星を見ることが、毎日のささやかな楽しみになっている。
そして、いつも一緒に過ごしていると、疑問もたくさん出てくる。A君はいったい何者なのだろうか、A君の本名はなんなのか。
どれを質問しても、はぐらかされるだけなのだが。
不思議な雰囲気を身にまとった、名前も知らない歳下の親友との天体観測。
そう考えると、秘密基地をつくったときの小学生のような気持ちになる。
もっとA君のことをもっと知りたい。もっと仲良くなって、夜だけではなく昼にも出掛けるような仲になれたらきっと、毎日が楽しいのだろう。
ぼんやりとそんなことを考えていると ふいに、星河さん、と僕の名前を呼ばれた。
「ほら。みてください、綺麗ですよ。」
A君は空を見上げながら、星を指差す。時間には少し早いが、どうやらもう流星群を見ることができたらしい。
黒い夜空にきらきらと青白く輝く月、尾を引いて白い線を描きながら流れる星。
流星は、最初はひとつ、ふたつ、と間隔を置いて流れていたが、すぐに雨粒のように流れだした。
わぁ、とA君が歓声をあげる。
その幼い子供のような反応に、僕はくすりと笑ってしまった。まるで弟ができたようだなぁ、と思って見ていると、ふとA君の制服のポケットから出ているハンカチに目がいった。
(絵斗…えいと?)
薄い水色のハンカチには、緑色の糸でそう刺繍してあった。おそらく、これがA君の本名なのだろう。
初めてA君のことについて知ることができた気がする。それが嬉しくて、僕はまた小さく笑った。
それに気付いたA君が、なんですか、と不思議そうに僕の顔を覗き込む。
なんでも、と言って星を見上げると、絵斗君も再び上を見上げた。
流星は未だ降り止まず、暗い夜空を駆け巡っている。そうだ、願い事しなきゃ、と隣の少年はぎゅっと目を瞑る。
僕も目を瞑り、この不思議な少年と、これからも一緒に星を見ていたい。心の中でそっと、願い事をした。