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ほの★まら  作者: 三相南
3/7

第2話:決意

快晴の午後、皇居周辺は、コートを着た大勢の観光客で賑わっていた。その観光客の間を縫うように沢山のランナーが走っている。そのランナーの中に1人の女性がいた。薄手のトレーニングウエアを着て、白いキャップを目深に被り、スポーツサングラスを掛けて、俯きがちに、颯爽と入りぬけていく。足取りは軽く、前を行くランナーを次々に交わして行くが、息の乱れは殆ど無く、白い息を一定のリズムで吐き続けている。皇居桜田門をくぐると彼女は、スピードダウンして、腕時計のストップウォッチを止めた。2段に表示されていたタイムは上段が02:15’42”で下段が00:21’25”。翔子は、時計の数字を眺めて、ひとつ、ふっーと息を吐いた。白鳥翔子は、2月に行われる東京マラソンを目指しており、その練習で皇居周回コースを走っていた。1周5kmの周回コースを6周して、合計タイムが2時間15分42秒。最後の1周は21分25秒であったことを時計が証明していた。


翔子のフルマラソンベストタイムは、2時間52分30秒。昨年の東京国際女子マラソンで20位になった時に記録したものだが、あれから2ヶ月、翔子は、再びこの自己記録に挑もうとしている。


桜田門前の広場を、ゆっくりと3往復して、時計台の前へ移動すると、そこには幸子がきょろきょろと、周りを見回しながら立っていた。「幸子さん!」翔子が呼びかけると、幸子は驚いたように気づき、翔子の存在に気づいた。


「いつもと全然雰囲気が違うから、気づきませんでしたよー! あれっ、もう走っちゃったんですか?」幸子が話しかけると、


「えぇ、私の練習はこれでおしまい。これからは、あなたの練習に付き合うわ。」

「翔子さんの練習って、どれだけ走ったんですか?」幸子が興味深そうに聞くと、

「まぁ良いから。始めましょ。」と翔子は幸子の問いかけを遮り、ウォーミングアップ用のストレッチを始めた。


入念なストレッチのあと、まずはウォーキングから始めた。着地方法、腕の振り方、視線の位置や姿勢などひとつひとつ丁寧に、翔子は指導していく。20分ほど歩いた後、歩くようなスピードでのジョギングに移行した。まずは3分走って、3分歩く。これの繰り返しで皇居を2周した。距離にして約10km。話をしながらだったので、幸子は、時間が経つのを忘れて、トレーニングに取り組んだ。スピードは遅かったが、微かに感じる風が、頬に当たり、心地よさを感じていた。桜田門に戻った時、幸子は、このまま、どこまででも行けそうな、そんな気持ちになったが、「今日はこれくらいにしておきましょう」という翔子の一言で、この日のトレーニングを終えた。走り終えてクールダウンのストレッチをしていると、幸子は自分の脚が随分と張っていることに気づいた。関節の動きが硬く、歩き方も若干ぎこちなくなっていた。


「走っている時は全然大丈夫だと思っていたのに・・・」幸子が言うと、

翔子は「初めは、みんな、そんなものよ。繰り返し続けていけば、慣れていくわ。今日は幸子さんの、マラソン記念日だから、『風』でお祝いしましょ。」と微笑みながら語った。


そして、二人は近くにあるトイレで着替えを済ませ、新橋の食堂『風』へ向かって歩き出したのだった。



翌日、幸子がぎこちない足取りで出社すると、同期の小林幸治が呼び止めた。

「サチコ、怪我でもしたのか?」幸治が意地悪そうな笑みをたたえて話しかけると、幸子は、ほっといてくれとでも言いたげな表情で「怪我なんかしていないわ、ちょっと走ったら筋肉痛になっただけ。」とそっけなく言った。小林幸治は入社以来、ずっと同じ部署に配属されている唯一の同僚であった。入社当時、幸治は幸子に想いを寄せていたが、大学時代から付き合っていた彼氏が居るのを知っていたので、その想いは打ち明けることができず、いつしか、二人の間には友情のような気持ちが芽生え始めていた。そのためか、幸子が彼氏と別れたあとも、幸治は幸子に想いを打ち明けられず、気がついたら8年が経過していた。


幸治はからかった時に、ほっぺたをぷっと膨らませて、むくれる幸子の態度がたまらなく好きだった。その態度を見たいが為に、幸子を見つけては、ちょっと意地悪な話しかけ方をしていた。幸子も幸治のそういう接し方が嫌いではなかった。入社当時、10名居た同期も転職や異動で居なくなり、今では幸治と二人きりになってしまった。でも幸子は最後に残った同期が幸治で良かったと思っているし、幸治も同じ思いだった。


いつもとは違い、そっけない態度で歩き去ろうとする幸子に、「何で走ったんだ? 電車にでも乗り遅れそうになったんか? それとも子犬にでも追いかけられたか?」と再び、からかうような言葉をかけると、幸子はニヤっと笑って幸治のほうへ向き直り、「私、マラソンを始めたの! ホノルルマラソンを目指すのよ!」と得意げに話した。


幸治の中に居る幸子は、スポーツとはどうしても結びつかない、どちらかと言えば、どん臭いタイプで、走り出せば躓き、飛び跳ねれば敷居に頭をぶつける、そんな印象を持っていた。その幸子からホノルルマラソンに出場するなんて、想像もつかない言葉を聞いたものだから、幸治はかける言葉を失ってしまった。言葉が見つからずに固まっている幸治に、「なんか文句ある?」と幸子が胸を張って話しかけると、幸治は「お前、ホノルルマラソンって何キロ走るか知ってんのか?」と一歩近づいて、二人は向き合った。


「当然よ! 42.195kmでしょ」

「42.195kmって簡単にいうけど、東京からどこまでいけるか分かってんのか?」

「そんなの知らないわよ! でも皇居を8周とちょっとでしょ!」

「でっ、皇居を何周走って、その歩き方になったんだ?」

「2周だけど・・・」

「辞めとけ、辞めとけ。大体オリンピックに出るわけじゃないのに、フルマラソンなんて走って何になるんだ? お前には、絶対完走なんてできないし、似合わないから辞めとけって。」


話しているうちに、どんどん強い口調になっていく、いつもと違う雰囲気の幸治に圧倒され、返す言葉を失ってしまった幸子は、下を向いて、黙ってしまった。僅かな沈黙の後、幸子が顔を上げると、書類を小脇に抱え颯爽と歩いている翔子の姿が目に入った。


そして次の瞬間、幸子は幸治の顔を睨み「絶対完走するからっ! 完走したら私の願い事を叶えてもらうからね!」と言い放ち、幸治の足を踏んで、自分の席へと歩みだそうとすると、幸治は「完走できなかったら、俺の願い事を叶えるんだゾ」と、幸子の襟元をつまんで、言い返した。


幸子は、最初、ホノルルマラソンという舞台に憧れ、憧れの先輩、翔子と近づき、それに挑戦しようとしている自分に酔っていた。しかし幸治との会話で、それは単なる憧れではなく、はっきりとした目標へと変わった。絶対に完走して、幸治を見返すんだ!という強い決意を誓ったのだった。一方、幸治はランニングに打ち込もうとしている幸子を遠目に眺め、心の中に複雑な思いが湧き上がっているのを感じていた。


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