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ほの★まら  作者: 三相南
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プロローグ

大会の名前・地名などは実際のものを使っておりますが、詳細な情報などについては正確ではない部分もあるかもしれませんのでご注意ください。

2007年1月8日 成人の日。鈴木幸子は湘南にある実家のコタツに入りながらテレビをぼんやりと見つめていた。近所のスーパーでレジのパートをしている幸子の母は台所で食器を洗っており、公務員を退職した父は新聞をよみながら向かい側に座っている。兄は2年前に結婚し、実家には居ない。ごくごくありふれた休日の光景だった。幸子は自分の名前を観るにつけ平凡だなぁと思う。鈴木という苗字も平凡なら、幸子という名前もありふれている。もう少し目立つような名前は無かったかなぁ?と新聞越しに父の顔をみつめた。


名前の由来は演歌歌手の小林幸子から来ているらしい。当時まだヒット曲の無かった小林幸子を市民センターのコンサートで観た父が、その歌の上手さに惹かれて勢いでつけてしまったという。幸子が生まれた時と言えばピンクレディーの絶頂期であったのだから、タレントの名前をつけるなら、未唯ミーとかケイとかつけてくれれば、もう少し違った人生だったのでは?と今更ながら思うことがあるが、今となってはもう仕方がない。一方、父は幸子が生まれてから数年後に小林幸子が想い出酒でレコード大賞を取った時には、まるで自分の娘が取ったかのように大喜びだったという。


子供の頃の幸子は、勉強もまずまず、運動もまずまず、友達もそこそこいて、いじめられることも、いじめることもなく、順風満帆に育ってきた。中学ではバスケットボール部に入り、高校ではテニス部に所属したが、これといって目立つ成績は残していない。大学に入り、人並みの恋愛はしてきた。彼氏も出来た。お酒も覚えたし、勉強もした。でも元来、執着心のない幸子には、親友と呼べるような友達は出来なかった。いや一人だけ居た。幼馴染の美香ちゃんだ。彼女は生まれつき体が弱く、体育の授業は見学ばかり。でも近所に住んでいたので幸子とは仲が良かった。登校するのも一緒。遊ぶ時も一緒。激しい運動のできない美香ちゃんは、幸子が元気に飛び回る姿を自分に映し変えて、体育の時も、部活の時も、じっと眺めていた。小学校から高校まで同じ学校に通ったが大学は別々になってしまった。でも二人の友情は途絶えず、今でも頻繁に会い、休みが会うときは一緒に旅行に行ったりしている。


そういえば今日は成人の日。幸子が成人式を迎えたのは10年前だ。今思えば、大学生だったあの頃は楽しかった。難しいことは考えず、人間関係に悩むことも無く、気楽に過ごせた。成人式には振袖を着て美香ちゃんと一緒に市民センターへ行った。今日から大人だ!大人になったら・・・と色んな夢を語り合っていたのに、就職してからは、責任ばかり背負わされ、先輩と後輩の間に挟まれて、気を使わねばならず、出勤⇒仕事⇒帰宅(時々飲み会)という単調な毎日が、悪戯に過ぎていき、なんとなく30歳という区切りの年を迎えてしまった。“夢”と言う漢字に、にんべんがつき、“儚”になってしまったのだ。


今日で正月休みも終わり、明日からまた単調な毎日が始まる。横浜にある自宅を7時に出て、新橋のオフィスまでドアツードアで約1時間。人波に飲み込まれながらの通勤も慣れたし、職場にはソコソコ仲の良い友人もいる。仕事だって決して退屈なものではない。都内某IT関連会社にSEとして就職したので、数々のプロジェクトに関わり、会社や社会に貢献してきたという自負はある。世の中で大勢の人が利用しているクレジットカードのシステムや、インターネットを利用したショッピングシステムだって、その一部は、幸子の関わったプロジェクトが絡んでいるのだ。


しかしながら、プロジェクトを取り仕切るだけの能力がない幸子には達成感がない。リーダーの元で支持された事を着実にこなす。それが幸子の役割だった。そのために大学を卒業してから今までの8年間。何かをやり遂げたという実感が湧かないのだ。恋愛からも遠ざかっていた。大学の時に付き合っていた彼氏と5年前に別れてからは、これといった出会いも無くなってしまった。分かれた原因は未だに良く分からない。でもそれを追求しようと言うパワーすら奪われてしまった気がしていた。


このままじゃいけない。何か新しい自分を発見したい。今年こそは・・・と思うものの、その何かが見当たらなかった。湘南にある実家で過ごす毎日はお気楽で、楽しかったが、明日から出社だ!と思うと、気持ちはどんどん深みに落ちていく気がした。


平凡な名前をつけた父が、突然テレビのチャンネルを変えた瞬間、ふと我に返りテレビを見ると、そこには椰子の木の向こう側に沈むオレンジ色の太陽が映し出されていた。それは幸子にとって見覚えのある景色だった。それは、幼馴染の美香ちゃんと大学の卒業旅行で行ったワイキキの風景だったのだ。番組はホノルルマラソンのドキュメンタリーのようだった。


ホノルルマラソンとは毎年12月第2日曜日にオアフ島で開催されるフルマラソンの大会で、多い時には3万人もの参加者が集う。日本人の参加者が多く、ハワイで行われているのに約半数は日本人だと言う。制限時間がなく、ハワイの美しい景色の中を走れるので、市民ランナーにとっては夢の舞台とも言える大会だ。ホノルルマラソンのドキュメンタリー番組は毎年、成人の日に放送されていた。根っからのマラソン好き(観るだけだが)である父はこの番組を観るためにチャンネルを合わせたようだ。


幸子は何となくテレビを観ていた。美香ちゃんと訪れたワイキキに懐かしさを感じて、また行きたいなぁと思いながら、漠然とみていた。しかし真っ暗な夜空に花火が打ちあがり、想像を絶する数の人波が一斉に走り出すシーンが映し出されると、何故だか体の中からこみ上げてくるものを感じた。先頭を走る躍動感溢れる黒人ランナーからは何も伝わらなかったが、後続の一般市民ランナーが楽しそうにカメラの前を行き過ぎていくのには驚きを感じた。走ることは辛いことという意識が幸子にはあった。部活でも体育でも、無理やり走らされるマラソンというものには嫌悪感を抱いていた。それなのにテレビ画面を通じて伝わってくるランナーは実に楽しそうだった。顔にペイントをしている人や、お揃いのユニフォームを着ている人、中には仮装をして走っている人もいた。レースが終盤に差し掛かり、ハワイの暑い日差しが照りつけるようになると、ランナーの表情は一変し、歯を食いしばって必死に走っている場面がたくさん映し出されたが、汗にまみれたその表情はとても輝かしく感じた。ゴールの公園には、ものすごい数の観衆が集まり、ランナー達に大きな声援を送り、ゴールしたランナーはインタビュワーに涙交じりの声で感動を伝えている。番組の最後に映し出された『そこでしか味わえない感動がある』というメッセージを見た瞬間、幸子の体に強烈な電流が走った。


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