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プロローグ5:殺意

 「夢咲くん……だよね? 何があったの? 美冬ちゃんと」

 そう、険しい声で話しかけてきたのは、忌野茜という女子生徒だった。

 日陰者のマコトでも名前を覚えているのは、彼女が学級委員に選ばれる優等生だからだ。校内で仰々しく『天才』などと呼称される嘉藤智弘という男子生徒に次いで成績が良く、教師からの信頼も厚い。何より彼女は、マコトにとっての多聞のように、九頭龍が僅かに気を許して会話を交わす数少ない女生徒だった。

 「まあな」

 特に取り繕うつもりもなくそう言った。しかし、隠すつもりがあるかということと、今その話をしたいかというのは別の話だ。

 「悪い。気になるなら、九頭龍のほうに聞いてくれないか?」

 そして慰めてやって欲しい。自分には絶対にできないことを彼女に代わりにやって欲しかった。

 「……あくまで噂なんだけどね。あなたが美冬ちゃんに酷いことして捨てた……みたいな風にいわれてるから。ちょっと確認をしに来たの」

 「そうかよ。ようするに疑ってるんだろうけど、じゃあ俺が否定してあんたは信じるのか?

 ……って話だ」

 「なんでそんな言い方をするの? 私はあなたを信じたくて来ただけなのに」

 綺麗な言葉面だが、どこかねばねばとしている。マコトは感じつつも、確かに大人気なかったと思い直して

 「すまない。あいつには何もしていない。信じてくれるかどうかはともかく、俺から言えるのはそれだけだ」

 「そう……」

 忌野は少しだけ疑いの晴れたような表情をする。しかし、やはり怪訝そうなのは変わりなく

 「じゃあどうして、あの子はあんなに泣いてたの?」

 「お節介だな」

 結局話さなければならないのか。面倒だという気持ちが強い。が、ここで沈黙すれば忌野の中で自分に対する邪推が育つだけだろう。相手がほんとうにどうでも良い人間ならともかく、忌野はまだ理性のある人間に見える。誤解されたままでいて欲しくない。

 「あいつにメールで告白された」

 忌野は特に驚くでもなく頷く。無論、薄く察しているはずだ。そう思ったから話したのだ。

 「気の毒だが、それを断った。……で、泣かせた」

 「何で断ったの?」

 純粋な興味のようでもあり、どこか責めるようでもある。そう感じるのは、マコト自身が後ろめたさを感じているからなのだろうが。

 「色々ある」

 そう答えてみて、これでは言い訳しているのと同じだと思いなおし、マコトはきっぱりといいなおした。

 「面倒だった」

 ごちゃごちゃと考えるのが。明確な恋愛感情を抱かないままで交際して、自分の気持ちに対して問答し、無用にいらいらするのが面倒だった。そもそも恋愛感情というものが分からなかった。

 などといっても、結局最終的にマコトにその選択をさせたのは、恋愛という事柄そのものに対する遠慮や怯えだったのかもしれない。ようするにマコトはガキだった。

 「そう……」

 忌野はそれ以上追求せずに、申し訳なさそうに押し黙ってから。

 「ごめんなさいね、お節介にこんなこと聞いてきて」

 「いやいいんだ。あんたは九頭龍が心配だったんだろ?」

 「……そうね。だけど、何もできないの。鵜久森さんたちは私のいうことなんて聞かないし……。この間、赤錆さんにきっぱり言われちゃったわ。『偽善者』って」

 俯いてそういう忌野の表情には、悔しさや悲しさがにじんでいた。皮肉屋の赤錆がいいそうなことだ。それは少なくとも忌野にとって正鵠を得ていたのだろうし、そういわれて堪えたということは、実際に忌野は少々ばかり偽善めいてもいるのかもしれない。

 「いやそれは違うだろ」

 だがマコトは言った。

 「あんたは九頭龍のことを気にかけて目をかけてやってる。そのこと自体が、たぶん九頭龍には救いになってるはずなんだ。だから無力ではないし、偽善なんてののしるのは筋が違う」

 そういうと、忌野は目を丸くしてマコトのほうを見て、唇を結んで息を吐いてからいった。

 「……ありがとう。ちょっと安心したわ」

 「何がだ?」

 「あなた、たまに美冬ちゃんと一緒にいるけど、どうなんだろうって思ってたの。良い噂は聞かないしね。申し訳ないけど、ひょっとしたらだまされてるんじゃないか、位に思ってた」

 「はっきり言うな」

 「ごめんなさい。けど安心したの。あなたがすごく優しそうでね」 

 そう言って忌野は笑いかける。

 なんだか理解者を得たようなそんな、都合の良い喜びを感じて、マコトは「そうかい」といってそっぽを向いた。

 ……偽善者。

 その言葉がなぜか、心に張り付いてはなれなくなったのだけれど。


 ☆


 九頭龍にはああいったものの、『今までどおり』などできるはずもない。結局、マコトは今日一日九頭龍と口を利かないままで過ごしてしまった。

 誰とも口を利かないままで一日を過ごし終え、ぼんやりとして席を立つ。クラスメイトたちの視線が集中したかと思うと、皆一様にそっぽを向いた。戸塚に殴られている写真はクラス全体に拡散されているはずで、誰も進んで手負いの獣に目を合わせようとはしないものだ。

 「おい多聞。ちょっとコンビニでここのメモにあるもん買って来いよ」

 もう一人の手負いの獣である戸塚は今日も元気だ。あれから手当てをしたのだろう、顔中にガーゼとシップが張られている。

 「えーっと。いいんすけど、ちょっと持ち合わせがないんすよねぇ。今月けっこー戸塚クンに頼まれて色々買ったじゃないすか。もうそろキツいっつか……」

 多聞がたどたどしく言う。怒り出すかと思ったが、戸塚は意外と冷静に

 「そうか。じゃあおい、『スイカ』」

 そう言われ、戸塚たちから離れた席で一人、写真集を眺めていた『スイカ』こと伊集院英雄がびくりとして、無意味に聞こえない振りなどし始めた。

 「おい聞いてるのか『スイカ』。金出せよ」

 まるまると太った体に汗をまとわせた伊集院からは、確かに『スイカ』のような水気をはらんだ臭気がするはずだ。戸塚は伊集院の目の前まで来ると、彼の呼んでいた写真集を取り上げて

 「なんだこれ? エロ本か?」

 クラスメイトがくすくすと笑う。伊集院はいやいやと首を振って

 「いいえ写真集なんですな。超絶実力派女子高生モデルであり、我が大天使、粕壁あおいの」

 独自のねっとりとした話し方で口にする伊集院。どちらにしても教室で読むものではないだろうに。

 「リアルは捨てたと思い込んでいた我輩ですが……んん~、彼女だけは特別なんですな。如何様に清楚に思えたアイドルでも、次々とスキャンダルの発覚する最近、『清純派』などという言葉はただただ空虚なものでしたが……。彼女は違いますぞ、どこをどう叩いても埃が出ない。まさに現代の大天使といえますぞ」

 「キモいっつの」

 戸塚は若干身を引いて言う。伊集院は「んん~」と独自の笑みを浮かべ

 「して戸塚殿。お金の無心であればノーサンキューなんですな。拙者、小遣いは全てソーシャルゲームに課金しておりますので」

 「っけ。そのなめた口を利かなきゃ少しは加減してやるんだが……」

 そう言って戸塚は伊集院の胸倉を掴みあげ、容赦なくその太った体躯を蹴り飛ばした。

 「んふっ!」

 そう言って肉団子のように転がる伊集院。大きな顔に見合う分厚い眼鏡がゆかに転がる。戸塚が一歩にじり寄ると、伊集院はへらへら笑いながら

 「ここ、これは失敬。逆らっても無駄ですな。ふー」

 と、怯えたように財布を出す。戸塚はそれを取り上げて、中身を全て多聞に渡した。結構な枚数の千円札だ。

 「釣りは取っとけ」 

 「は、はぁ。いいんすか」

 多聞は遠慮しながらそれを受け取って、伊集院に向けてへらへらした笑みを向けてから

 「へへ。戸塚クン最高っす。でもこうするなら、最初からコイツに買いに行かせりゃいいじゃないすか?」

 「こいつが買ってきたパンとかいちいち妙な臭いがすんだよ、なんか濡れてるしな。気味が悪いったら」

 一度、伊集院がパンを買いに行かされてた帰りに、パンを便器の中にくぐらせているのを見つけたことがある。パシリに使われることに対する報復のつもりなのだろう。陰湿な奴なのだろうとは思うが、こうした飄々とした態度を含めて、彼なりの抵抗なのだろう。

 だが結局、財布を出さされているところを見ると、やはりそれはむなしいものでしかないのだが。

 「んん……。今月の課金が……」

 丸くなって落ち込んでいる伊集院の表情に気の毒なものを感じつつも、マコトは立ったまま長居しすぎたことを感じて教室を出た。

 進学校といいつつも、いじめなんてものはどこにでもある。男子にも、女子にも。どこにでも強者と弱者がいて搾取は起こる。その事実を再認識させられ、マコトは酷く不愉快な気持ちになる。

 外に出るために、中庭を通りかかったときだった。

 「あたしは夢咲さん専用の腐れマンコです」

 頭から水をかぶったような、全身が冷え込むような感覚があった。マコトははじかれたように振り替えるしかない。

 「おっ。気付いた気付いた。ほらクズ、もう一度……」

 「あ、あたしは……夢咲さん専用の腐れマンコです」

 言わされるほうにも聞かされるほうにも、おおよそ最低といって良いその台詞。奴らだ、鵜久森たちが九頭龍にそれを言わせていた。「いいよいいよ」そうはやし立てる鵜久森の傍で、赤錆が愉快そうにけらけらと笑っている。化野だけは、少し面倒そうな表情で傍に座り込み、棒つきのキャンディを口に突っ込んでぼんやりとこちらを見つめていた。

 九頭龍は泣きながらマコトのほうを見た。羞恥と、それから不安にかられた表情で、マコトのほうを向いて停止する。今にもその場で崩れ落ちそうな真っ白な顔。泣きはらした目。握り締めた拳。

 過呼吸めいてその場で胸を抑える九頭龍の髪の毛を、鵜久森はひんづかんで見せて

 「ほらほら。愛しの夢咲が通りかかったんだから、ちゃんと思いを伝えなきゃだめじゃん。ほら、もう一回、もっと大きな声で言ってみよ」

 「や……やだぁ……」

 「ボコられたいの!」

 「ひぃ! あ、あた……あたしは……あ、あ」

 そして九頭龍は歯を食いしばって震える。下を向いて涙を流す。鵜久森は髪の毛を引っ張って「早くしろよ」と恫喝する。赤錆は笑う。まだ意見できそうな化野はどうでもよさそうだ。

 「あたしは夢咲さん専用の……」

 「ほら早く!」

 「あたしは……夢咲さん専用の……ううぅ」

 拳を強く握りこんでいる自分を意識する。腹の中が煮えくり返る。周囲からは嘲笑めいたささやき声が聞こえてくる。

 「おい……鵜久森」

 勤めて冷静に、マコトは言った。

 「あ? 何? どったの?」

 「やって良いことと悪いことが……」

 「何それ意味わかんない。アタシら別に、シャイなこの子のために、本音を言わせてあげてるだけなんだけど」

 そう言って笑う鵜久森に、赤錆が「そうそう」と追従した。化野は眠そうにしている。この女もまた、誰がどんな風に傷つこうとどうでもいいのだ。

 赤錆はあざけるように笑いながら

 「シゲちゃんからメール届いたよ。夢咲ぼこぼこじゃん、だっさーい。夢咲さー最近調子に乗ってたもんね。しょうがないよ、うん」

 シゲちゃん、というのは赤錆から戸塚への呼称だ。二人は交際していたはずだ。

 「お似合いじゃない? あんたとクズ、根暗同士でさ。あ、でもクズとヤルならフミちゃんにお金払ってね。こいつ、ワタシちゃんたちの所有物だから」

 そういって赤錆は鵜久森にこびるように「ねー」と笑いかける。女王蜂は満更でもなさそうに口元に笑みをたたえて九頭龍の頭を掴み

 「ほらクズ。もう一回言ってみようか」

 「え……その。ううぅ。ぅうう」

 「とっととしろ!」

 「あ、あたしは……」

 「やめろ!」

 マコトは自分でも驚く程大きな怒鳴り声を発し、鵜久森の胸倉を掴んだ。赤錆が息を飲み込む。化野もこれにはこちらを注目した。鵜久森は一瞬だけ、恐れるような表情を浮かべたが、すぐに澄ました顔に戻る。

 「へぇ? 怒った? あはは夢咲あんた怒った?」

 鵜久森はにやにやとしていう。マコトはそのまま鵜久森の胸元に力を込めて、壁に向かって突き放した。鵜久森は背中をしたたか打ち付けて痛そうな表情を浮かべたが、すぐに済ました顔になって

 「あはは。あんたみたいな根暗ちんこ欲しがるようなこんな淫乱のために、怒るんだ」

 「てめぇ……殺すぞ」

 ちょっとフミエその辺で……と赤錆が恐れたようにいって、マコトのほうをちらちらと一瞥する。それだけ今のマコトは殺意に満ちた表情を浮かべているのだろう。

 「殴りたい? 殴ったら? それであんた今度こそ退学だから。誰があんたに味方すると思う? あんたみたいなどうしようもない奴誰が擁護すると思う? 結局さ、あんたもクズも、ゴミなの。ゴキブリみたいに暗いところで寄り添って、誰にも同情されないまま叩き潰される害虫なの。殴ったら? そしたら思い知ることになるだけっしょ。ねぇ」

 どうして止めることができるだろう。確かにここでこの女を殴れば自分は退学になるかもしれないが、それが分かっていたとしても、理性の利かない状況というのは存在する。冷静な自分がやめるべきだとどんなに囁いても、自制の聞かないほど強い激情というのは確かにあるのだ。

 ……望みどおりに。

 マコトは振りかぶって鵜久森に殴りかかった。鵜久森は怯えた顔をして、しかし口元には笑みを浮かべて自分の顔を覆う。殴り殺してやろうと思った。後のことは知らない。とにかく目の前の女は死んでいい奴で、自分はこの女を殺してもいいのだ。現実的にどうであれ、マコトにとってそれは間違いのないことだった。

 「だ、だめですっ!」

 そう言って、柔らかいものがマコトの懐に全力で突っ込んで来た。しかし体格の差は歴然で、そいつはあっけなくマコトにはじき返されてその場で転がってしまう。

 気勢をそがれて、マコトは足元で倒れるその女を見る。九頭龍だ。九頭龍は泣きじゃくりながらマコトの足元に擦り寄ると、彼女にしては強い意志を秘めた表情で懇願するように言った。

 「殴っちゃだめですよぅ……。だって夢咲さんが退学に。夢咲さんがいなくなったらあたし……。だめですよ」

 マコトは気付いた。この女は身を挺して自分を守ったのだと。

 ひっく、ひっくとなき続ける九頭龍に、マコトはもう何もできなくなった。それを感じ取ったのだろう、鵜久森は吐き捨てるように

 「目障りなのよ。あんた」

 マコトのほうを睨むように言った。

 「この子はアタシらの友達なのね。いじめてるわけじゃなくて、こういうキャラなの。それをさ、あんたが勝手に突っかかってきて。こいつもなにを勘違いしたのかあんたになついて。うっとうしいったらありゃしない」

 どうしようもないほど捻じ曲がったその台詞に、マコトはもはやあっけに取られるしかない。

 「もうこの子に……アタシらに近づかないで!」

 わがままを言う子供のような、ヒステリックな声。マコトはなんとなく察する。鵜久森にとっては、九頭龍は自分たちだけのおもちゃで、マコトはそれを取り上げようとする邪魔な人間なのだろう。

 「フミエー」

 そう言って、化野がぼんやりと立ち上がって鵜久森に言った。

 「かえろ」

 その一言に、激情にかられたようにしていた鵜久森は、「うん」と子供のように小さくうなずいて

 「ほらクズ。行くよ」

 そう言って九頭龍を乱暴に立たせて連れて行く。自分と鵜久森を交互に見つめていた赤錆は、「ま、まってよフミちゃん!」とどたどた鵜久森の後ろを付いていった。

 連れて行かれる九頭龍に、マコトは、またも何もしてやれなかった

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