第一章 くさった街を、かなぐり捨てて 「7」
七
「自分の妹の墓だ。自分でうめたまえ」
「はい」
男の命令に少女は素直に答えた。
静煙街から西へ五十キロ以上はなれた場所。
神童学院前と書かれたバス亭が目印のように一つだけ立っている。
雨が激しくふっていた。嵐に近いほどのすさまじい勢いで、水滴が地面を打ちたたいている。大雨のせいで、五メートルより先は見えない。
むきだしになった地面には、水たまりが何百、何千と広がっている。
今日は夜まで雨は止まないだろう、と男は思った。男は黒いレインコートを着て、フードで頭までおおっていた。
少女は赤いレインコートを着ていた。男と同じようにフードで頭をおおっているため、表情はうかがうことはできない。コートの胸元には、彼女の身分を示すように神童学院と記入されている。
男は手首の腕時計に目をやった。現在、アナログ時計の針は、午後六時四十分をしめしている。
「後二十分でバスが来る。それまでにすませることだ」
「はい」
女の子は持っていたシャベルを、地面に突き立てて土をほり始めた。大雨の中の力仕事は、大人の男でも楽なことではないだろう。
それでも、彼女は土をすくっては捨て、土をすくっては捨て……同じことを五十回ほどくり返した。
男は腕組みをしながら見ていた。彼女が自分でするべき仕事だと考え、手伝う気はなかった。
女の子の息がだんだん荒くなってゆく。
スコップを動かすたびに、はぁ、はぁ、と荒い息が
もれる。彼女はスコップを地面に立てて休もうとした。
何もせずに立っていた男はふたたび腕時計を見た。
午後六時五十一分。最初から十分以上が過ぎている。おどしのような言葉を男は少女にかけた。
「休む時間があるのかね?」
「つ……つづけます!」
男の警告を受けて、赤いレインコートの女の子はびくんと肩をふるわせた。あわてて、シャベルをにぎりしめて地面に突き立てる。
疲れた体をむち打って、のろのろとした動きで彼女は穴ほりを再開した。
やがて、ぬかるんだ地面に直径一メートル前後。深さ二十センチほどの円形の穴が完成する。
地面には、はだかの少女が転がっていた。長い黒髪の持ち主で体の大きさからすれば年齢は十五、六歳。
全身の肌は生気を失って青白い。
強い雨が顔に打ちつけていたが、少女は大きく両目を開けたままだ。瞳孔が広がった眼球は暗い空を見上げている。口からは、前歯と舌がはみ出していた。
銃弾が撃ちこまれたのか、首には小さな穴が一つ開いていた。わき出した大量の血が地面の水たまりを赤く染めていた。
レインコートの女の子は、指で妹の両目を、閉じさせようとした。顔に力がかかった時――妹の口のあいだから、よだれと血が糸を引いて落ちてゆく。ただし、打ちつける雨によって、体液もすぐに洗い流されたが。
彼女は両手で妹の足をつかむと、ズルズルと地面を引きずって穴まで移動させた。
妹の体を丸めて母親の腹の中にいる胎児と同じポーズをとらせた。どうにか、穴のサイズにおさめることができたらしい。
ふたたびシャベルを手に取り、今度は上から土をおおいかぶせてゆく。掘った穴が浅かったため、妹の体はおさめきれず、地面がもり上がってしまった。
作業が完了すると、男は言葉を発した。
「黙祷をささげたければ時間を取ってもかまわないよ」
「必要ありません。もう妹は死んでいます。人間の声を聞く能力は、なくなっていると思います」
赤いレインコートの女の子は、はっきりとした声で答えた。黒い空から、まぶしい光が地上を照らした。
一瞬、光は少女の赤いフードの中にも入った。彼女の唇のすき間から、強くかみしめた白い歯が見えた。
右の横顔には二本の大きな刀傷がきざまれていた。
空が怒鳴り声を上げた。
雨は明日までふりつづけるかもしれないと、男は思った。