第一章 くさった街を、かなぐり捨てて 「6」
六
テストバトルを終えた月矢は、乗合バスに乗って自宅に向かった。
バス亭でおりる前、意識を集中させて陰陽線を起動させる。〈気体濾過機能・作動〉のメッセージが目に映り、有毒物質を消し去る機能がスタートした。
静煙街の空全体に、濃い灰色の雲が広がっていた。
空気も霧がかかっているように白くにごっている。四月の十日を過ぎていたが、この街には春の気配すらあらわれない。
街中をうめつくすアスファルトの道にはダンプカーやトラックが、黒い煙を吐いて走りまわっていた。
街の大部分は住宅ではなく、ノコギリ型の屋根をした工場ばかりが目につく。
どの工場も煙突から、大量の黒い煙をまきちらしている。煙突は何百本もの大軍となって空を攻撃するのにいそがしそうだ。
「何度見ても、すばらしい街だ。あまりにすばらしくて、街中にゲロをブッかけたくなるぜ」
月矢は怒りをこめてつぶやいた。住めば都という言葉があるが、この静煙街は何年住んでいても巨大なゴミ箱のようにしか感じられない。
今は午後六時前。帰宅ラッシュで、多くの人間が外を出歩いていた。月矢は家に向かって歩きながら、あたりに目を配った。
背広を着たサラリーマン。ヘルメットをかぶった労働者。自転車に乗ったセーラー服の女子校生。誰もが鼻と口をおおう防毒マスクをしている。
中にはゴホゴホと激しくせきこむ子供の背中を、
さすっている母親の姿さえあった。
『ただいま、光化学スモッグ警戒警報が発令されています。外気には危険な毒物が含まれているため、外出時には必ず防毒マスクを着用して下さい。ただいま、光化学スモッグ警戒警報が……』
広報の放送が聞こえてきたが、この街の住人ならば言われるまでもないだろう。
「まあ、このくそったれな街とも、明日でおわかれだけどな」
汚染された街の住人を見ても、月矢は何も感じなかった。自分には旅立ちの予定があり、一生この街で暮らすわけではないからだ。
黒ずんだコンクリートで作られた集合住宅――時田マンション。
月矢は三階まで階段をあがった。三○一号が神崎家の住みかだった。ドアを開けて中に入ると、傷ついた壁と汚れた天井が出むかえてくれる。
広さは3LDK。父と母と弟と自分の四人で暮らすには、せまくるしい家。ただし、下流家庭にしては、これでもマシなのかもしれない。
ダイニングに入ると、夕食時であるため、家族全員がそろっていた。
「おかえり、月矢」
台所から料理中の母親が出てきた。
神崎正子。五十二歳。やぼったいパーマ頭の主婦。真面目で正直に生きてきたが、つまらない人生を送っている人間だと月矢は思う。
「あんた、夕飯はどうすんの?」
「いらない。今から教授のところに、別れのあいさつに行ってくる」
父親は工員の汚れた作業着のまま、タバコをくわえてテレビを見ていた。
神崎裕介。五十五歳。母親とは逆に常識やルールを無視して、自分の好きなことをやりたいほうだいにやってきた男。
人生のすべてをパチンコと競輪にささげてきたが、成功者ではないのは、この家に住んでいることであきらかだ。
鼻の穴からタバコの煙を出しながら、父親はたずねてきた。
「なあ、月矢ぁ~。おめえ、明日から旅に出るんだろぉ~?」
「そうだよ。死ぬまでこんな街にいるのは、いやだからな」
家族全員は、月矢が旅立つことを知っていた。
テレビを見ると『すばらしい神童テクノロジー』がやっていた。
自分たちの会社を宣伝するために、神童産業が放送している科学情報番組だ。
画面の中では、スーツを着た若い女レポーターがしゃべっていた。
『西暦時代はまちがった科学の力が原因により、一九九五年に終了したといわれています。西暦が終了して再生暦をむかえた現在。
神童が作り出す新しいエネルギーが、社会で広く使われているのは、みなさんもご存じなことでしょう。
今回は最新の神童産業のテクノロジーについて、皆さんにお伝えいたします』
西暦時代は二十世紀末に終っていた。現在は再生歴という、新しい時代がはじまっている。
月矢たちが暮らす島国を治めるのは国家ではなく、一つ一つの都市が独立をして自治を行なっていた。
それら多くの都市をたばねて、全体的に支配しているのが超巨大企業――神童産業だった。
月矢がテレビの前を通った時、さっと手がのびてホルスターの銃をうばった。
「うおおぉ~! リボルバーの銃って、カッコイイなぁ~! なぁ、あにき? どうして、これって緑にぬってんの?」
にきびが顔に目立つ少年が銃を持って笑っている。神崎正一。十六歳。
高校二年生の弟だ。月矢より勉強ができるうえに、人当たりが良く友達も多いやつだった。
「オレの好きな色でぬると、銃が言うこと聞くからだよ」
弟の手からリボルバーをうばい返して、自分専用の引き出しの中に銃を入れた。腰のガンベルトも外していっしょにつめるとカギをかける。
市民が武装することが合法的に認められた時代だったが一日中武器を持ち歩くのは重くてだるいものだ。できるかぎり、手ぶらで外を歩くほうが楽だった。
テレビの中では、最初の女レポーターが、真面目そうな口調で質問していた。
『なぜ、神童たちはあのような超能力を使うことができるんですか? 私たち一般人とのちがいは何でしょうか?』
『原型があるかないかの差ですよ。再生暦五年に、原型と呼ばれる新しい生命エネルギーが科学的に確認されました。その力を応用して、社会利用しているのです』
説明しているのは、髪の少なくなった五十代の男だった。金のかかった紺の背広を太った体に身につけていた。兵器開発部部長・谷村銀二と名前が出ている。
えらそうに椅子の上でふんぞり返っている様子を見れば、神童産業の中でも、かなり上級の役職についているのだろう。
『私たち一般人に、神童となる素質はあるんでしょう
か?』
『いいえ。原型の持ち主は二百人の児童の中に、一人ぐらいしか発見されませんよ。
原型とはまったくの先天的な素質でしてね、持って生まれなければ身につけることは不可能です。仮に素質があっても、適切な教育を受けなければ、〈原型〉を使うことは、できないでしょうね』
谷村という男は半分笑いながら答えていた。知識のないレポーターの質問をばかにしたような笑い方で。
『となると、天才である少年少女たちの努力が、時代を作ってゆくということでしょうか?』
『ええ、それは正しいでしょう。ただ、これからの神童産業は新しい分野の開拓も行っています。
特に人体機能の拡張計画ですね。開発されたパーツを手術で埋めることにより、人体では果たされない機能を身につける計画が進んでいるんですよ』
『えっ、人体機能の拡張? それは本当ですかぁ~!』
女レポーターはおおげさにおどろく。
『神童産業の新企画にメスが入った!』とテロップが出ると同時に、絶妙のタイミングで番組が中断して、CMがはじまる。
黄色い三角のぼうしと、黄色いパジャマを着た小人のキャラクターが登場した。
神童産業のマスコットキャラクター。『しんど』君だ。やさしい男の声でナレーションが入る。
『みんなの使っている電気は、どうやってできるのかなあ?』
神童発電所と説明が入って、巨大な機械の映像が出てきた。
頭から足まで、全身をおおう防護服を着た労働者たちが作業をしている。西暦時代にあったという、原子力発電所の炉心とおなじような外観だった。
『なんと、電気はこの神童発電所で作られているんだ!』
その後、十二歳くらいの少年がアップであらわれた。メガネをかけており、背広にネクタイ姿。いかにも、頭の良さそうなエリートという感じの子供だった。
『ぼくが神童発電機・第伍号機を設計しました。静煙街のみなさんに安心して電気を使ってもらえるように、毎日がんばっています!』
緊張した顔つきでエリート少年は短くコメントする。テレビを見ていた月矢の弟が、不満そうにため息をついて言った。
「神童ってさ、一年に何千万エンもカネをかせいでるんだろ? いいなあ」
「あんなちっちゃいガキが、年収何千万かよ。あぁ~あ、月矢が神童だったらいいのになぁ~。そしたら今ごろ年収五千万ぐらいもらえるのによぉ~。
なあ? どうしてお前は神童になって、生まれてこ
なかったんだぁ?」
父親が見下したような目を自分の長男に向けてきた。月矢は鼻を鳴らして、言い返した。
「親の血統が悪いから、くだらねえ子供しか生まれてこないんじゃねえの」
台所から来た母親が夕食であるラーメンのどんぶりを、テーブルの上に二つ乗せた。
はしを取ると父親と弟はズルズル音を立てて食いはじめる。母親は憎たらしい顔になって、父親にグチをこぼした。
「だいたいねえ、父ちゃんがパチンコをやめれば、うちだってもっとまともな暮らしができるんだよ。ちょっとは、反省したらどうだい」
「うるせえ、うるせえ。本当にうるせえババアだ」
父親は文句を言われてもまるで反省せず、ニタニタ笑いながらラーメンをすいこんでいる。
「バカは死ななきゃなおらないぃ~。オヤジは死ななきゃ、パチンコをやめなぁ~い。そんなオヤジと結婚した母ちゃんは、超大バカだぁ~。この世はみんなぁ~、バカばっかりでぇ~す」
弟は変なメロディーをつけて、歌いながら両親をコケにしていた。
――ああ、本当にくだらない家だ。一秒でも早く、こんな家から出たいぜ。
月矢はこの家族との十八年間の生活に、心の底からうんざりしていた。頭が悪く、センスが悪く、運までもが悪い両親と弟。いっしょにいると、自分までが最悪の人生を送りそうな気がしてくる。
電話が鳴ったので、近くにいた月矢はコードレス型の受話器を取った。
「はい、神崎です」
『あっ……神崎くん? あたし、有香だよ~。元気だったぁ?』
十代後半の女の子の声が聞こえた。少し頭が悪そうで、わざとらしいほど甘えたしゃべり方。
月矢は思わず舌打ちをした。
相手は高校時代の同級生。自分と同じ十八歳の後藤有香だった。
受話器から耳を外して、玄関へ向かう。この女と自分との会話を家族に聞かれたくはない。
「あにきぃ~。もしかして、彼女からの電話かぁ~い?」
「殺すぞ、バカやろう」
笑いかけてきた弟の後頭部を、力いっぱいなぐりつけてやった。家族に聞かれない位置まで来た時、月矢はきわめて無愛想な口ぶりで電話の相手に言った。
「何かオレに用事があるの? 急いでるから、簡単に言ってくれない?」
『ごめんねぇ~。神崎くぅ~ん。あたし、最近はいそがしくって、神崎くんの相手ができなかったの。三原くん知ってるでしょ?
あの人があたしと二人っきりでカラオケに行きたいって何回もさそってくるから、友達と四人で行って来たんだよ~。何度も断るのも悪いし、かわいそうなんだも~ん』
「へえ、そいつはようござんしたね」
なげやりに答えた。まともに聞くのが、バカらしくなるような話。
高校を卒業した時点で、この女への愛想はつきていた。今までに何度も、同じような話を聞かされた。
しかし、有香は甘ったるい口調で、うれしそうにベラベラしゃべりつづけた。
『他にも、橋爪くんとか、増田くんとか、岩渕くんとか、いっぱいさそわれてるの~。
女の子はたくさんいるのに、なんで、あたしばっかりさそうんだろうね~。さそってくれるのは、うれしいけどぉ~、いそがしいからこまっちゃう~。神崎君の方はどう? 何か楽しいことあったぁ?』
「別に今まで通りさ。平和で安全で、死ぬほどつまらない人間生活をやってる」
足をゆらせて、びんぼうゆすりをした。怒りを押さえるのに苦労した。腕時計を見れば、午後六時三十分を過ぎている。
『最近あたしねぇ~、すっごい事をする予定なんだよ~。もしかしたら、新しい人生が始まるかもしれないの。まだ、誰にも話してないんだけど、神崎くんにだけ特別に教えてあげよっかなぁ~。ねえ、教えてほしい~?』
「悪いけど、オレは今から出かけなきゃならないんだよ。じゃあな」
がまんの限界だった。早口で相手の言葉をさえぎって、電話を切る。
――汚い街。くだらない家族。バカな女。……明日で完全におわかれだ。
電話をもとの位置にもどしながら、月矢は深くため息をついた。
ドアを開けて外に出た。何もかも気に入らない静煙街だが、旅立ちの前に会っておきたい人物が一人だけいる。