第五章 ゴミのような現実を、たたきつぶせ 「4」
四
大通りからそれて、裏道を歩くこと数分。月矢が案内されたのは、都市の空白地だった。立てられた警告板には『養神街・未開発区域。立入禁止』とある。
無断駐車を防ぐためのロープがはられていたが、調律師は無視して先に進んでゆく。
月矢もためらうことなく、ロープをくぐった。
「このへんで、いいかな」
運命調律師は立ちどまった。野球場をこえるほどの平地が広がっていた。
むきだしの地面には、ところどころに雑草が生えている。周囲三百メートル以内には、建物はない。祭のさわぎも、ここではほとんど聞こえなかった。
「思ったんだけど、あんたって神童だろう? この前のサイコロは、神童の力で先読みして当てたんじゃないのか?」
相手が何か言うより先に、月矢は切り出した。
「神童の力を知っているとは話が早い。今から君に見てもらうのも、神童の力で作った幻覚なんだ。じゃあ……映画を始めよう」
神童などめずらしくないという言い方だった。はめていた白い手袋をぬいで、調律師はパチンと指を鳴らす。いきなり、目を閉じたように世界が真っ暗になった。
しかし、月矢はおどろかなかった。神童には、こうした能力を持つ者もいるだろう、と理解した。
「これは無傷儚の記憶からコピーした映像だ。わかりやすいように、三人称視点で再生しているよ」
闇に目がなれてくると、家の中だと気づいた。最初に、古びたコンクリートの壁が見えた。築三十年は過ぎたような、アパートの一室らしい。
月矢と調律師は六畳の和室に立っていた。部屋の中は暗かった。カーテンのすきまから、わずかに光がもれてくることで、今が昼だと分かる。
畳の上は、足のふみ場がないほど汚れていた。スナック食品の袋。インスタントラーメンの容器。使用済みのわりばし。
ウーロン茶のアルミ缶。バナナの皮……。あらゆる食事の残骸が転がっている。
同時にシャツやズボンやスカートなど、ぬぎ捨てられた服が目につく。服のかたまりは人間の腰の高さまで、山を作っていた。
となりは台所だった。シンクには汚れた皿が何十枚も積まれていた。足下には生ゴミでいっぱいになったポリバケツがあり、その上を何匹ものハエが飛び回っている。家そのものが、ゴミ箱のような世界だった。
調律師は月矢に説明をした。
「無傷儚が六歳のとき父親はすでに家を出ていた。母親に愛想をつかして、別の女に乗りかえていたからだ。理由は、見れば分かる」
台所のすみで無傷の母親らしい女が立っている。パンダの絵のついたボロボロの黄色いTシャツを着て、すりきれたジーンズをはいていた。
髪形と服のセンスからすれば、二十六、七歳ぐらいか。もっとも、母親は二十代とは思えないほど、血色の悪い顔つきをしていたが。
彼女は右手にステンレス製のほうちょうを持ち、左手に百円ライターをにぎっていた。刃物の上には、砂糖のような白い結晶が乗っている。ライターの炎はほうちょうの下をあぶっていた。
白い結晶が熱せられて煙がわくと、彼女は必死に煙を吸いこみ出した。月矢はこの女の結婚相手が、逃げ出した理由が分かった気がした。
「ただいま」
ドアがゆっくり開く音がした。黒髪の幼い少女が家に入ってくる。彼女はドロをぬりつけたらしい汚いワンピースを着ていた。
六、七歳の無傷だと月矢は気づいた。まだ、右の頬には二本の刀傷はなかったが、目や鼻の作りは現在とにている部分が多い。
「はやく、出しな!」
ほうちょうとライターを、まな板の上に置くと母親は怒鳴った。無傷は急いで台所にやってきた。こわばった顔とふるえる手で、持っている物をさし出す。
母親は手の中の物を見たとたん、娘の頬にびんたをはった。無傷は床にぺたんと尻もちをついた。
「あんた! なんで、これっぽっちしか、もらってこなかったの! バカァァッ!」
無傷の手にあるものが床に落ちて、きーんとかん高い音を鳴らす。銀色に光る三枚の百円玉が、床を転がってゆく。
母親は怒り狂っていた。まだ二十代でも四十歳を過ぎたような、やつれて年老いた顔になっていた。
「あんた、ちゃんと『頭のおかしい子』をやったの?」
「……うん、やった」
無傷は大きな目に涙をためながら、母親を見上げた。恐怖におびえて、両手で頭をかかえている。これ以上の暴力を恐れるように。
「ふざけるんじゃないよ! お母さんはね、たったこれっぽっちじゃ、お薬買えないんだよ! わかってんのぉっ!」
「いやっ! やあぁぁっ!」
母親は自分の娘の腹を、思い切りけり飛ばす。悲鳴を上げて、無傷は床にはいつくばった。背中をけいれんさせながら、幼い無傷は泣き出した。
声を押し殺して、息がもれる音だけが部屋の中にひびいている。
「ここまでイカれた親が、この世に……いたのか?」
月矢は腹から力をしぼり出して、うめき声を上げた。目をそむけたくなるような光景だった。
一方、運命調律師は目の前の事件を見ても、マネキン人形のように反応がない。落ち着いた口調で、解説をつづけた。
「彼女は物ごいをやっているんだ。『頭のおかしい子』の役はたくさん金をもらうための作戦だろう。ただのびんぼう人より何か障害を持つ子供の方が、人の同情を買う事ができるからね。
彼女はまだ六歳だし、売春をするには少し早い。物ごいをするのが、高収入を得るベストの選択だったんだろうな」
「あんたみたいなバカな子はおしおきだよ! 一週間、ごはんぬきだからね!」
母親は怒鳴りながら、無傷の髪をわしづかみにした。力まかせに引いて立たせると、となりの四畳半の部屋へ、無理やり引きずってゆく。
部屋には金属製の檻があった。横はばと高さは一メートルをこえていて、大型犬でも入りそうな牢屋だ。この母親は娘を痛めつけるために、わざわざこの鉄の箱を用意したのだろうか。
「本気で、そん……なこと、するのか? 狂ってい……る」
無傷の母親の異常さと凶暴さに、月矢は圧倒された。歯を食いしばり、不快な気持ちにひたすら耐えた。
母親は鉄格子の扉を開いて、強引に自分の娘を、中に押しこもうとした。
だが、無傷は指を扉の格子にからませて、しがみついて抵抗する。目から大つぶの涙をポロポロこぼしながら、彼女は泣きさけんだ。
「お母さん、やめてえぇ! お母さんっ! お母さんっ! お母さああぁ~んっ!」
アパート全体にひびきわたる大声。幼い女の子のすさまじい悲鳴に月矢は耳鳴りと頭痛さえ感じた。
母親は娘の髪をつかむと、思いきり引っぱって頭を扉にたたきつけた。衝撃でビリビリと、鉄格子がふるえる音が鳴る。
「言うことを聞かないとこうだよ! こうだぁ! こうだぁっ! こうだあぁっ!」
一回、ニ回、三回。無傷の頭は何度も鉄の扉にぶつけられる。五回目に頭が扉に命中したとき、無傷の指が鉄格子からはなれた。
母親は急いで、檻の中に娘を突き飛ばした。荒い息をつきながら扉を閉めて鍵をかける。
檻の中の無傷は背中を丸めていた。血が流れる額を手で押さえながら、大声で泣き出す。声と息を吐くたびに、彼女の体はブルブルふるえた。
月矢は腰の銃をぬいて、無傷の母親に向けた。怒りを押さえられる限界をこえた。のどが割れるほどの大
声で怒鳴った。
「今すぐ、そこから無傷を出せ! でないと殺すぞ!」
母親――何も気づかない。自分の目の前に、月矢が立っていることに。自分の鼻先に銃がつけられていることに。
何事もなかった様子で台所にもどって、ほうちょうをライターであぶり出す。もう一度、煙を吸いこみはじめた。
「何をしてもムダだよ。これは、ビデオと同じなんだ。過去の記憶をもとに再現されたイリュージョンだ。止められるものなら、僕がとっくに止めている」
調律師が月矢の腕を押さえてきた。相手の腕を、月矢は思いきりはらいのけた。
月矢の中で、陰陽線が起動する。思考が〈電脳化〉される。赤い丸のロックオン・マークを敵の頭に合わせた。
「殺してやる! 殺してやる! 殺してやるぞ! この世から、消してやるぞ!」
大声でわめきながら、夢中で銃の引き金を引く。
二十二口径弾を連続で撃ちまくる。
だが、幻影は血を流さず、たおれもしない。調律師が言ったことは、うそではなかった。
無傷の母親は、ほうちょうから出る煙に酔いしれていた。目玉をギラギラと異常にかがやかせて、よだれを流しながら笑っている。顔の肉はげっそりと落ちて、ゾンビのように見えた。
気がつくと、『NO BULLET!』の警告が出ている。
リボルバーにこめられる弾の最大数は六発。強化戦士の月矢の場合は、一秒以内にすべての弾を撃ちつくしてしまう。
「……オート・リロード」
新しく弾をこめて、月矢は銃を乱射した。怒りと憎しみが、すさまじい熱さでわきあがる。高熱で体中の肉が溶けて液体になり、流れそうな感じさえする。
――だめだ。ふつうの銃なんかじゃ、ものたりない。ぜんぜん、ものたりない。
――オレはこの女に、マシンガンを撃ちたい。ロケット・ランチャーを撃ちたい。核ミサイルを撃ちこんで、地球ごとブッ飛ばしてやりたい。
もっと強力な武器がほしいと心の底から願った。破壊への衝動が止まらない。この狂おしい欲望を満たすには、自分の持っている武器では、あまりにも弱々しい。
銃を撃ち、薬莢を捨て、自動で弾をこめ、また撃つ。月矢の足もとに、薬莢がたまってゆく。
六発、十二発、十八発、二十四発……。リロードをする度に、六の倍数で薬莢は増えてゆく。
やがて、月矢の興奮が冷めてきた。ぜえぜえと獣じみた息を吐きながら、銃を下ろす。額から汗が流れている。
重労働の後のように、身も心も疲れきっていた。
月矢が落ち着きを取りもどすと、調律師は説明を再開した。
「彼女の唯一の幸運は、性的な虐待を受けなかったことだろうね。それだけは運が良かったかもしれない。だが、被害にあったのは他にもいる。見たまえ」
調律師はカーテンの間から窓の外に指を向けた。
となりは一戸建ての民家だった。庭に犬小屋があった。鎖でつながれた犬がやかましくほえている。
犬にほえられているのは、四歳ぐらいの少女。
彼女も無傷と同じように、汚れて生地がズタズタに痛んだワンピースを着ている。
少女は地面に両手両足をついて、四つんばいになっていた。犬のエサの入った皿に、顔を突っこみながら、動物のエサをむさぼり食っている。
犬がほえて近寄ってきた時、少女は皿から顔を上げた。
「あっち行けぇ! あっち行けよぉぉ~!」
少女は地面にある小石や砂をつかみ取って、さけびながら犬に投げつけた。キャンキャンと情けない鳴き声を上げて、犬は遠ざかってゆく。
邪魔者を追いはらうと、少女はまた犬の皿に顔を突っこんで、エサを食いつづけた。
彼女の姿は、いきなり裸になって、人間の女を食いはじめた数日前の無傷とおなじように見えた。
「あれは無傷儚の妹だ。彼女たちは三日に一度ぐらいしか、まともな食事にありつけない。食べられるモノなら、何でも口に入れたいんだね。人間はそこまでしても、生きたいと思うんだ」
月矢は声が出なかった。調律師の話が頭に入ってこない。
頭で物を考えることができない。目の前がぐらぐらしている。唇がふるえ、体がふるえた。
衝撃的な体験を、連続で味わったためにすべての感覚が、働くことをやめて停止している。
調律師が指を鳴らした。一瞬で幻覚は消えて、視界が明るくなってゆく。灰色の空が見えた。足もとには、さっきまでいた都会の空白地があらわれた。
「この映像の時代から二週間後。彼女の家に、神童産業のスカウトマンがやってきた。
無傷儚とその妹は神童の才能を発見され、学院に連れてゆかれた。
覚醒剤に狂っていた母親が、たったの五万円で子供を売りとばしたからだ。しかし、彼女たちは級外神童の実力しかなかった。二人は裏稼業を行う兵隊にさせられて、今のように――」
「結局、あんたは何が言いたいんだ! 何のために、こんなモノをオレに見せるんだ! オレをイカれた気持ちにさせるために、こんなモノを見せるのかよ!」
相手の話をやめさせるために、月矢はわめきちらした。この男の語る一つ一つの言葉に、激しい怒りをおぼえる。あれだけの地獄を見ておきながら、平然としている神経が信じられない。
調律師はゆっくりとした口調で、言い返してきた。
「この前言ったことを覚えているかい? 『何かは最初から決まっていて、途中で変えることができないものがある』という話だ」
「それがこれと、どう関係ある?」
「これは決められていたことだ。彼女はどれだけがんばっても、こうなる『運命』だった。何をどうあがいても、ヒサンな人生を送るようになっていた。
現実で成功するのは、ほんの少しの人間しかいない。そして、うまくいく人間は最初から決まっている。失敗する多くの人間も最初から決まっている。
何か新しいことにチャレンジする人間は、自分が失敗する可能性について、知っておく必要があるんだ。それを君にも、教えてあげたいと思ってね」
銃をにぎっている月矢の右手がふるえた。体全体までもが、細かくふるえはじめる。
頭の中がまっ赤になる。
ドラムをなぐっているように、心臓が大音量で鳴る。一時的に消えていた爆発的な怒りと憎しみが、よみがえってくる。
――新しい女も大量の金も欲しかったが、そんなものは、どうだっていい。
――オレが一番したいことは、今、ここで、こいつを殺すことだ。
「そうか、そうか。教えてくれて、どうもありがとう……」
月矢はゆがんだ愛想笑いをうかべた。笑顔は〇・五秒以内に消えて、残酷な本性に切りかわった。
「……もう、わかったから、とっとと死ねや!」
運命調律師に向けて銃を撃つ。本気で殺すつもりで、発砲した。
ところが、白黒の仮面をつけた男は消えていた。目の前には、誰もいない空間が広がっている。月矢は銃をかまえながら、その場をぐるりと見回した。
三百六十度、どこにも敵はいない。空き地は、地面に雑草が生えているだけで、身をかくす場所は見当たらなかった。
――『神童』の力で、透明になっているのか? でも、この近くにいるはずだ!
今までに戦ったことがない相手。今までに見たこともない未知の能力。かすかな恐怖をおぼえたが、それ以上に怒りの力は上だった。
敵が視覚できる場にいないので、ターゲット・マークも表示されない。
月矢は手当たりしだいに銃を撃った。右、左、前、後。弾丸は地面にめりこんで、土煙を上げた。手ごたえはない。
銃を連射していると、『NO BULLET!』の表示が出た。
「オート・リ……!」
月矢が再装填の命令を口にしたとき――。
「できないよ」
完全に死角になっていた場所――灰色の背広が、右目のはじに見えた。運命調律師は、月矢の右後ろに回りこんで姿をあらわした。
調律師は右手に、銀色の拳銃をにぎっている。洗練されたデザインの九ミリのオートマチック・ピストル。SIG・P228を月矢の頭に押しつけていた。
「ガンベルトを見たまえ」
月矢は目を動かして、自分の腰を見る。
静煙街を出た時は、ループに四十八発すべての弾丸がつまっていたが、今は一発もない。かわりに地面には、何十もの薬莢が転がっている。
「さっき、ヤケを起こして撃ちすぎただろう。だから、こうなる」
「オレは、銃がなくても戦えるぞ。爪でお前を突きさしてやる。歯でお前を食いちぎってやる」
月矢は敵にひるむことなく、歯をむき出しておどした。いつ殺されてもおかしくない状態だったが、この男に許しを求めたくはない。銃を向けている調律師は、勝者の余裕でたずねた。
「どうして、彼女のことで君はそこまでムキになるんだ? 君は無傷儚とお別れしたいんだろう? 新しいパートナーを、探すつもりじゃなかったのか?」
「なんで……そんなことを、知っている!」
月矢は信じられない思いで、調律師を見た。今まで感じていた怒りが、混乱に変わっていた。
「さっき見せた通り、僕は人の過去を調べる力がある。君の頭の中も、すでに調べているんだ。
君が陰陽線を埋めた強化戦士であることも、夢想鉄道でトラベラーをしていることも、最初から確認ずみだ。そして、このままいけば君は最悪の人生を送ることも僕は分かっている――」
調律師は銃を背広の内側に引っこめて、かわりに携帯用ポケットティッシュを、差し出した。
月矢も弾切れの銃をホルスターにもどすと、ティッシュを受け取った。
裏には安っぽいペンギンのイラストがあり、ペンギンクラブという会社名がある。
『一〇〇%確実のステキな出会いが、ここにあります!』の宣伝文句。
男性用と女性用に電話番号が分かれているのをみて、くだらないテレクラの広告だと知った。
「どうしても自分のパートナーを変えたければ、無傷儚をおどしてそこに連れてゆけばいい。
そこの店長は副業で人身売買をやっている。神童ならば一人当たり、三百万円から四百万円で、買い取ってくれるよ。
もうかった金で、他のトラベラーから純銀・特別会員証を買い取る。そして、犯罪のプロにたのんで、カードを書き変える。カンペキな方法だと思わないか? やるか、やらないかは、君の自由だがね」
月矢は何も言わず、ティッシュの広告をにらみつづけていた。
「自分の運命を変えたければ、この危険な方法をためす価値はあるだろう。君はあの女の子より、運にめぐまれているぞ。神崎月矢君……」
教えてもいない月矢の名を、なれなれしく呼んだ。運命調律師は月矢に背中を向けて、何歩か前に進むと、背中はうすくなり消えていった。
神童の力で透明化したのだろう。
テレクラのポケットティッシュに、月矢は両手の爪を立てた。最大の力でビニールを引きちぎり、広告をやぶる。
中のティッシュもズタズタになるまで切りきざんで、まきちらす。すべては風に乗って、紙吹雪のように消えた。
「じゃあ、なんだ? ヒサンな人間はずっとヒサンなままなのか? 無傷やオレは最低の人生をすすむのが、決まっているっていうのか?
そういうヒサンな人間は、ただ生きて死ぬために生まれてきたっていうのか?……答えろ! 運命調律師!」
今まで敵が立っていた空間を、月矢は激しくにらんだ。恐怖と絶望を、声にして吐き出す。誰も聞き手はいなくても、何かをさけばずにはいられない。
やりきれない気持ち。満たされない何か。自分がどうしたらいいのか、分からないあせり……。
すべてを胸の中へ強引に押しこんで、月矢は歩き出した。




