第三章 もどらない時代 「6」
六
月矢たちが海猫亭に帰ってきたとき、堕星は玄関前でうろついていた。三人の姿を見つけると、手をふって大声で呼びかけてきた。
「よう、遅かったじゃねえか! どうしたんだぁ?」
「みんなで、お昼を食べた後。神崎君に案内してもらって、買い物してきたんです。ねえ~、儚ちゃ~ん?」
堤がうれしそうに無傷に向かって言う。今日一日で親友になったような、なれなれしさだ。
夕日で波津街が赤く染まっている。月矢たちが何軒もの店を寄り道していた結果、午後四時半を過ぎていた。
堤と無傷は手に紙袋を下げていたが、月矢だけが手ぶらだった。無傷はかかえていた紙袋を開いて、中から三日月形のパン――クロワッサンを取り出した。
「これ、おいしいって評判のパン屋さんで買ったんですけど、食べますか?」
「へい、こりゃどうも」
堕星はクロワッサンをつかみ取った。仲間のやりとりを見ていた月矢は、わざとらしく大きく伸びをしながら、ため息をついた。
「女の買い物につき合うのは、かったるいね。すげえ疲れたよ」
「そいつはご苦労さん。ところで、お前さんに客が来てるぜ」
「へえ、誰だろ?」
月矢が堕星に聞き返した直後――。
「ひさしぶりだねえ~! 神崎く~ん!」
宿の中から、長身の少女が玄関に出てきた。無邪気な笑顔で、手をふっている。
まぶたのアイラインのせいで、くりくりした大きな目。耳には丸い金色のピアス。茶色に染めた髪は、背中まであるロングへア。
首筋がむき出しになった赤いキャミソールを着て、レースのついた黒いスカートからは、長い素足が出ている。
堤より大人っぽく見えるうえに、無傷より色っぽく見える少女だった。
月矢は彼女の姿が目に入ったとたん、自分の中からおだやかな気持ちが、完全に消えるのを感じた。内臓の奥から、焼けただれるような憎しみがこみあげてくる。
――後藤有香……なんで、あんたがここにいる?
――今さらオレに何の用だ? あんたとは、とっくの昔におわかれしただろうが。
できれば、一生のあいだ関わりたくないと思っていた人間との再会。
激しい緊張と怒りがまじりあい、心臓の音はドラムをめった打ちにしたように、乱れる。
堕星も、堤も、無傷も自分を見ていた。ひさしぶりに出会った有香も自分に注目している。心の中を探るような四人の視線がうっとおしい。
月矢は足もとをにらみつけた。正面を向いていれば、必死にこらえている動揺を見ぬかれるだろう。しぼり出すような、小さな声で伝えた。
「ち、近くに公園があるのを知って……るか?」
「え~と、すぐそこのブランコとすべり台しかない公園のことかな~?」
有香は月矢の怒りに気づかないように、のんびりした口調で答えた。
「そ、そこに行っててくれ。すぐ後でオレも行くから」
「うん。じゃあ、私。先に公園で待ってるね~」
素足に赤いサンダルをはいて有香は玄関に立った。無傷の前を通りすぎるとき、ちらりと様子をうかがって外へ出てゆく。
有香がいなくなると、堤が口に手を当てて、ふくみ笑いをした。月矢の肩をなれなれしく指でつついてくる。
「神崎く~ん。まさか、二マタかけてるのぉ~?」
「あんたにゃ、関係ないだろうが!」
押さえつけていた不満が爆発して、月矢は本気で怒鳴っていた。堤は黙りこんだ。
なぜ自分が怒られるのか分からないという顔で、目を白黒させている。
重苦しい毒ガスのような沈黙が、海猫亭の玄関に広がった。
「……ほっとけ、ほっとけ。今は、ほっとけ」
堕星がパンをほおばりながら、小声で堤に合図を送るのが聞こえた。
月矢は靴をぬいで宿に上がった。早足で自分の部屋に向かう。押入れの中に隠してあったガンベルトをつかんで、無意識の動作で自分の腰に巻きつけた。
ホルスターにささっていたコルト・ライトニングをぬいて、指でシリンダーを開く。
しっかりと二十二口径弾が六発こめられていた。
「男だろうが女だろうが、オレはえんりょしないからな。後藤め」
荒々しい息づかいで、低くつぶやいた。シリンダーを閉じて銃をホルスターに突っこむと、急いで月矢は部屋を出た。
別れた恋人に会いに行く、楽しい男の気分ではなかった。憎むべき仇相手を殺しに行く、復讐者のような気持ちだった。
「私もね、あれから夢想鉄道に入ったの~! びっくりしたでしょ~?」
「びっくりはしなかったよ。自分には興味がないことだからさ」
楽しそうに話しかけてくる有香に、月矢はひどく無気力な口ぶりで答えた。
二人は夕方の公園にいた。二十五メートルのプールと同じほどのせまい敷地に、ブランコとすべり台と
ベンチしかない小さな公園だ。
有香から五歩以上はなれて月矢は立っていた。
頭を左に九十度以上向けて、誰もいない場所をにらんでいた。この女から、可能なかぎり遠ざかりたいというのが本音だ。
「神崎君の組って、二人しか人がいないんだね~。私の組なんて、十人もいるんだよ~!
時田君でしょ。崎口君でしょ。千夏ちゃんに、美知子ちゃんに、それから、それからえ~と……」
有香は人の名前を出す度に、自分の指を一本づつ曲げて数えた。彼女は『ご機嫌』のようだった。何が楽しいのか、わからないが。
「そうかい。たくさん友達がいて良かったね。その友達も心配してるだろうから、はやく帰ったら?」
投げやりにあいづちを打ちながら、月矢はわざとらしく腕時計を見る。午後四時五十分になろうとしていた。
――まだ、二分しか過ぎてないのか。この人といっしょにいると、時間がもったいないな……。
月矢は足を動かして、びんぼうゆすりをした。はやく、相手に話を終わらせてほしいという意味をこめたポーズ。
有香はかなりにぶい女だったが、そっ気ない月矢にじれてきて次の作戦に出た。
「ねえ、このカードって見たことある?」
有香は夢想鉄道の会員証を取り出した。会員番号は〇六五。氏名は後藤有香。年齢は十八歳。
カメラ目線で、アイドルのような笑顔を作った顔写真がついている。
ただ、その会員証は月矢や無傷が持っている物
とは色がちがう。
有香のカードは『銀色』だった。夕日を反射して、きらきらと光っている。
「これはね、一回だけ他のパートナーを自分で選ぶことができる『純銀・特別会員証』っていうの。百五十人に一人、抽選で当たるんだって。知ってたぁ?」
月矢は首をふった。有香が話す一つ一つの言葉がどうでもいい。声を出すことさえ、エネルギーのムダな消費に感じる。
「どうしようかなぁ~。今の私のパートナーになってる人って、ものすご~くイヤな人なの。私って男の子の顔にはこだわらないんだけど、その人は神崎君みたいにかっこよくないしぃ~、やさしくもないからぁ~」
――だから、何が言いたいんだ? そのカードを持っているあんたに『ぼくを指名して下さい!』と、オレが言うとでも思ってるのか?
月矢は死ぬほどうんざりしていた。人の話をがまんして聞くのが、ここまで骨の折れる事とは思わなかった。残りの力をしぼり出して一言だけ伝えた。
「話はそれだけだろ? もう帰るけどいい?」
「どうしちゃったのぉ? 私、なんか変なこと言った
ぁ? 私は悪くないよね~?なんにも私はしてないよね~? 今日の神崎くんて、なんか変だよ~」
こまったような、笑ったような後藤有香の顔。完全な被害者ヅラ。悪意は何も感じられない。子供のように無邪気で、そして――愚かだった。
「あんたのキレイごとは聞きあきた。そういうことは、他の男に言ってろよ」
頭に血がのぼるのを押さえて、冷静に言い返す。この女と争うのは、自分も同等の人間になることだと気づいた。
背を向けて立ち去ろうした時、有香は前に出て邪魔をした。帰ろうとする月矢の腕を両手でつかんで、無理やり引き止めてくる。
「ねえ、待って! 神崎君は今の自分のパートナーってどう思う? あの女の子でいいと思うの?」
はじめて、無傷を見た感覚が、月矢の頭の中で鮮明によみがえる。
静煙街に停車した夢想鉄道のバス。ステップを上がってきた少女。赤い液体のついたソックス。どろまみれのセーラー服。少女が手にした汚らしいスポーツバッグ。
彼女の右の頬。生々しくみにくい二本の刀傷……。
彼女の傷を見たとき、自分はどんな反応をしたのか? 無傷のことを、かわいいと思ったのか? 無傷のことを、美人だと思ったのか?……。
思い出したくないことが連続でわき上がってくる。忘れていた生々しい感情が押し寄せてくる。
月矢は息を飲み、横目で相手をうかがった。自信ありげな有香――口紅をぬった真っ赤な唇が笑っている。月矢の考えを、すべて見ぬいているように。
愚かな部分と悪賢い部分。目の前にいる同級生は、食いちがう二つの属性を合わせ持った危険な女だと感じた。
「ねえ? 今の女の子から、他の人に変えたいって思わない? だって、神崎君のパートナーの人ってさ……」
「……顔に傷がある、気持ち悪い女だからか?」
有香が言い終える前に、月矢は引きついで言った。自分の腕をつかんでいた彼女の手が、一気にはなれてゆくのが分かった。
有香の笑顔は凍りついている。息がつまったような、おどろいた表情で。
「かわいくもないし、キレイでもない女だから、か?」
有香は何も言い返してこない。
「オレは、今のパートナーと結婚したいなんて思わない。彼女にしたいなんて思わない」
「えぇっ! じゃあ、じゃあ、それなら私と!……」
一瞬、有香の笑顔が戻りかける。消えかけた希望に、すがりつくように。
「でも、あんたとも関わりたくはない! 今の女の方が一万倍マシだからな!」
この女と争ってはならないと、自分を押さえていた理性がついに吹き飛ぶ。月矢はホルスターにささったライトニングをぬきながらさけんだ。
有香の着ている赤いキャミソールに銃を向けた。彼女の胸のふくらみを、銃口で押しつぶす。ちょうど、心臓に当たる位置を。
頭の中で電子音が鳴る。網膜には〈陰陽線・起動完了〉のメッセージが出る。白いターゲット・マークが、有香の胸をかこんだ。
指は銃の引き金にかかっていた。あまりに力がこもって、指先がふるえている。月矢は異常なほど落ち着いた声で、最後のおどしをかけた。
「まだ、オレを引き止めるつもり? これ以上、しつこくすると撃つけどいいか?」
夕日に照らされた有香。その両目が涙でにじんでゆれていた。
同情を引くための演技のように見えるし、本当に悲しんでいるようにも見える。ほうっておいても、五秒以内に泣き出すのは確実だろう。
「……もう、オレは帰る。あと少しで夕ごはんだしね」
月矢は有香の胸から銃を下ろして、ホルスターに突っこんだ。
あらためて、有香から背中を向ける。公園の外へ向かって全力で走り出した。彼女のいない別の場所へ、一秒でも早く出てゆくために。
――今日は本当に頭がイカれそうな日だ。女と関わるたびに、うれしくなったり、腹が立ったり、わけがわからなくなっちまう。どういう事だ。これは?……。
今まで感じたことのない不快感に、全身がのみこまれている。自分で自分のやることが、理解できなかった。




