第三章 もどらない時代 「1」
一
四月十二日。
月矢が無想鉄道の旅に出て二日目の朝。
「おぉ~い! 目をさませぇ~! もう、七時半になるぜぇ~!」
「おはよう、神崎君! 起きてる?」
出入口のふすまが全開に開いた。やってきたのは、堕星と堤の二人組。どちらも夢想鉄道の制服に着がえている。
ここは海猫亭にある、四畳半の一人部屋。有料のテレビと、古ぼけた柱時計と、全身が映せる長い鏡しか見当たらない、地味な和室だった。窓からはまぶしい朝日が入ってきていた。
すでに目覚めていた月矢は、ふとんをたたみながら堕星と堤に答えた。
「もう、オレは起きてる。そんなにさわげば、白雪姫もビビってションベンをもらしちまうよ」
「だったら、白雪姫も紙オムツをするしかねえなぁ! ぶわっはっはっはっ!」
月矢のギャグを真に受けて堕星がバカ笑いをした。目尻に涙を浮かべながら、腹をかかえている。
「もう! この人は、すぐに下品な話をするんだから!」
堤が顔をしかめた後、月矢を見ていった。
「あの~、今日はみんなでレクリエーションをする日なんだけど~」
「どんな仕事をすればいい?」
かけぶとんをたたんだ後、月矢は上にしきぶとんを重ねて持ち上げた。二つのふとんを同時にかかえると、かなりの重さが腕にかかってくる。
「これは遊びだ。仕事じゃねえよ。初日は『新しいメンバーと知り合うために楽しく遊びましょう』っていう、なかよしタイムがあんのさ」
「じゃあ、みんなでフォークダンスでもおどるのか? バトミントンでもやるのか? アホみたいだ」
くだらない質問をしながら、月矢はふとんを押入れの中に突っこんだ。
――ああ、くそ。十八歳にもなりながら、小学生みたいなことをしなくちゃならないのかよ。
イヤな気持ちが、腹の奥からわき上がってくる。
「いや~、今回は残念なことに、俺と堤ちゃんは行けねえんだ。やっかいな用事が他にあって……なあ?」
堕星が笑いをこらえながら、堤に目で合図を送る。何かをかくしているのが、一瞬で分かる態度。
「よし、なら中止ってわけだ。オレは一人でやりたいことをやらせてもらう」
パチンと指を鳴らして、月矢はよろこんだ。だが、堤が反対意見を返す。
「ちょっと、待って。私たちが行けなくても、残りの人だけで行ってもらいたいんだけど」
「え? 残りの人だけ? あんたち二人が来ないとなると、じゃあ……まさか」
月矢は一瞬、息が止まった。顔に冷や汗がにじみ出てくる。危険な予感がした。あたり前のような口調で、堕星はその予感を的中させた。
「神崎ちゃん。君はあの無傷儚ちゃんと、デートをしてもらう事になる」
「待て、待て、待て! ちょっと、待て! オレが、あの子と二人っきりでか?」
月矢はふだんの何倍もの大きさの声を出した。頭が混乱している。今の心境は、パニックの一歩手前に近い。
「そりゃそうだろう。デートってもんは、二人でやるって決まってるじゃねえか」
「イヤだ! イヤだ! イヤだ! 絶対にイヤだぞ! オレは!」
月矢は恥を捨てて絶叫した。この宿のどこかにいる、あの刀傷の少女まで聞こえたかもしれないが知ったことではない。
「オレは自己紹介の時に一言話しただけで、あの人とは何もしゃべっていないんだ。何も知らない女と、デートなんかできわけないだろう?」
「何言ってんだい。何も知らない相手だからこそ、デートするんじゃないか?」
「ちがうんだよ! 問題はそれだけじゃない! なんか、あの人は気むずかしそうで、とっつきにくい感じがするんだよ! 一体、オレは何を話せばいい? 女と二人きりになるのは苦手なんだ!」
思わず、月矢の本音が出ていた。堕星はニヤニヤ笑いながら、月矢の弱点を突いてくる。
「昨日はお前さん、たくさんの女を自分のものにしたいって言ってただろ? そんなじゃあ、やばくないか?」
「ちがう! 好みの女には自分から声をかけるけど、あの人は別にタイプってわけじゃないっ! それに、オレは昔この街に住んでいて、あれからどう変ったのか見て回りたいと思っていて――」
「おお、それなら都合がいい。街を案内してやんなよ」
「こら! ちょっと、二人とも落ち着きなさいよ!」
言い合いをする二人の肩をつかんで、堤は引きはなした。保母さんがケンカをする子供を、あつかうようなやり方で。
月矢は引き下がらなかった。半分、あきらめの表情になりながら言った。
「しょうがない。あの子と何かするのはいいとしよう。でも、オレと二人きりにするのはカンベンしてくれ。もう一人、誰か来るなら行ってもいいけど」
「じゃあ、最初から最後までは無理だけど、後半にちょびっと俺が顔を出してやる。それまで、一人で何とか間を持たせな」
「おい、待てよ! それじゃあ、デートと同じだろう!」
怒りをむき出してつめ寄った月矢を、堕星は手で押し返した。なれなれしくポンポン肩をたたきながら、なだめてくる。
「だいじょうぶだよ、神埼ちゃん。お前が緊張してるように、むこうも緊張してる。俺のカンだけどな、あの子は案外いい子かもしれんぞ」
「何を理由にいい子っていうんだよ。顔に『いい子シール』でも、はってあるのか?」
月矢はへりくつをこねた。
そんな言葉で説得されるほど、自分は物分かりがいいほうではない。
二人の押し問答を見ていた堤が、何気ない様子で口をはさんでくる。
「ねえ、デートをするとかしないとか、そんなに真剣にならなくてもいいんじゃない? 神崎君は、あの無傷さんを自分の彼女にしたいわけじゃないんでしょう?」
「あ、当たり前だあぁぁぁっ!」
顔を真っ赤にさせて、月矢は怒鳴った。いちばん言われたくないことを言われて、無性に腹が立った。
「だったら、あんまり気にしなくてもいいじゃないの。男の子の友達と遊ぶような、軽い気持ちで行ったらどう? むこうも神崎君のことを、そんな深刻には考えていないと思うけどねぇ~」
さすがに、女の意見だけあり説得力があった。
月矢は深くため息をついた。この数分間で緊張したり、喜んだり、怒ったり――感情が嵐のように動いたので、身も心も疲れはてている。
「あの女の子を……男だと思えってか?」
月矢は天をあおいだ。どうやら、覚悟を決めるしかないらしい。
「……やっぱり、あの人と二人っきりにされるのは、つらいなぁ。なんとか、別行動する方法を見つけないと本当にやばいぞ」
食堂で朝食を食べた後、月矢は腕組みをしながら玄関へつづく廊下を歩いていた。
頭の中は無傷のことでいっぱいだった。今、自分が何を食べたのかさえ覚えていないほど、気持ちは乱れている。
服を着がえて外に出かける用意はしていた。
この街は治安が悪くはないため、腰には銃を下げていない。
「おはよう、神崎くん」
玄関まで来た時、背中から女の子の声がかかった。月矢は、後ろをふり返った。
まっすぐな黒髪の女の子が廊下に立っている。自分と同じくらいの背丈だった。最初は誰なのか分からなかったが、すぐに彼女が無傷儚だと思い出す。
――へえ、自分の服に着がえたのか。
月矢は相手の姿をまじまじと見つめた。彼女は黄緑のワンピースを着て、上からオレンジのカーディガンをはおっていた。肩には赤いハンドバッグを下げている。
今日の服装は清潔そのもので、しみ一つない。昨日の髪のくせも今はなおっていたし、顔色も良く、つやつやと輝いた肌をしている。
離れて見れば、どこにでもいる十代の女の子といえた。右の頬にある、二つの刀傷をのぞけば。
「ああ、ここにいたのか。探したよ」
本当は探しに行くつもりなどなかったが、うその言いわけをした。月矢は彼女と目が合わないように、視線を下にむけた。本心をかくしているため、無意識に苦笑いをしてしまう。
彼女は、月矢のそっけない反応など気にせずに切り出した。
「今日って、レクリエーションの日でしょう? 堕星さんと堤さんは何か用事があるみたいだけど、神崎くんはどうするの?」
「オレは昔、この街に住んでいたことがあるんだ。今日はそこを色々回ってみたいと思ってる。君は……どうする?」
「わたしもいっしょに行ってもいい? この街のことは、何も知らないから」
「それはやめた方がいいんじゃないかなぁ。たぶん、いっしょに来てもつまらないと思うよ。楽しい所なんて、行かないしさ」
月矢は言葉の中に、最大限の退屈をこめて言った。自分のような男と関わるのが、時間のムダだと彼女が気づくことを願いながら。それは、無傷儚と別行動を取るための、悪あがきだったが……。
「つまらないって、いけないこと? わたしは、つまらなくても気にしないよ」
予想外の言葉が返ってきた。
月矢はぎくりとして、肩をふるわせた。今までずっと下に向けていた目を上に向ける。不思議そうに目を丸くして、無傷は自分の顔を見つめている。
計画は完全に破られていた。
「そ、そうかぁ~! そ、そ、そこまで言うなら、いっしょに行くとしようかぁ~」
月矢は舌がもつれて、異常なほど早口になっていた。かっと全身が熱くなる。顔も熱くなる。理由は分からないが、腹の底から笑いがこみ上げてきた。意味不明の楽しい気持ち。
――あれ? なんで、こんなに笑いたくなるんだ?
――もしかして、オレはよろこんでるのか? くそ! この気分は何なんだ? わけが分からないぞ……。
今までに味わったことがない分類不能な感情。しかし、悪い気分ではなかった。
月矢は無傷と二人で海猫亭を出た。
外は晴れていた。真っ青な空にかがやく太陽がまぶしい。大通りまで来ると道は北と南に分かれていたが、昨日、祭をやっていた地域とは反対の方向――南へと二人は進んだ。
道は遊歩道になっていた。両側にはツツジが植えられて、目が痛くなるほどの赤い色をした花が、点々と咲いている。今が春であることを知らせていた。
月矢は無傷の横にならんで歩いていたが、いきなりドキリとさせられる質問がやってきた。
「わたしの傷って目立つと思う?」
「ええぇっ!……お、お、オレはあんまり気にならないけど?」
月矢は思わず大声を出したが、反射的にうそをついた。
「そう? 気にならない?」
無傷はちらりと目を横に動かして見てきたが、うたがっているような感じはしない。
なんとか、ごまかすのに成功したようだ。
――やっぱり……思っていても、本当のことは言えないよなぁ。
表の顔と裏の顔。月矢の腹の中で激しく入りまじっている。
たとえ、自分が彼女の顔の傷にこだわっているとしても、おいそれと口にするわけにはいかない。
月矢は自分のボロが出る前に急いで話題をかえた。
「今日は四キロぐらい先の場所まで、歩くつもりだけどどうする? 疲れるならバスで行こうか?」
「だいじょうぶ。それぐらいなら、平気」
「なら良かった。この街のバスは本数が少なくてね、乗るなら一時間は待たないといけないんだ」
月矢は堤に言われたアドバイスを思い出して、友人と話すような気配りを心がけた。
無傷は波津街の景色を、めずらしそうに見回しながら言った。
「わたし、今までずっと全寮制の学校に行ってたの。だから、あんまり外に出たことはなかった。こんなふうに知らない街を見るのは、はじめてなんだ」
「そうか。じゃあ、ヒマつぶしぐらいにはなるかもね」
月矢の頭の中では、無傷と会話をしながら、別の思考がフル回転していた。
――それにしても、堕星と堤のやつ。他の用事ってなんなんだ?
――まさか、オレとこの人をくっつけようとして、わざと二人きりにさせたんじゃないだろうな?
あの二人へのうさんくさい気持ちが、腹の中でくすぶっている。堕星にしても、堤にしても、出会って二日しかたっていないため信用はできなかった。
同じように、今、自分のとなりを歩いている少女にも、心を許すわけにはいかないだろう。




