1-4 邂逅
さて、後ろにいる何者かを追ったナージャ達だが……
そして、数時間後。
「おーい。別にとって喰ったりしないから出てきて来いよ」
「…………」
暗闇の中、ナージャの後ろをつけていた何者かが逃げた後、ナージャとオルトは手がかりを逃すまいと何者かを必死に追いかけていた。
途中、ナージャが命令口調で待てと言い、そのたびに隣のオルトがなだめるという負のサイクルが続いていた。
そして、少女は巨大な樹の根っこにある隙間にもぐりこんでしまい、そこから出てこなくなってしまった。
何者かはどうやら小柄であり、ナージャは隙間に入ることができずオルトも入ろうとはしなかった。
つまり、説得で何者かから来てもらおうとしているのである。
「おーい! 大丈夫だって! 隣にいるこいつは基本凶暴な奴だけど理由もなく襲うようなことはしないって!」
「やかましい」
「なんだよ。お前の脅すような言い方をするから逃げられちまったんだろうが」
「…………」
冷静になってみれば、手がかりを求めるあまりついつい、自分のやってしまったことに気づくナージャ。
そう言えば地獄にいたころも、怠慢で悪さばかりする部下を脅し過ぎたせいで、悪さをしなくなったどころか死役所やめてしまう事もあったし……、と昔の話を思い出す。
仕方がない、とナージャは自分にとって、できる限り声を抑えて静かに話す。
「安心して、別に私たちはあの村の住人じゃないわ。正確にはあの村の住人がなんでいなくなったのか調べにここへ来たのよ」
「…………」
とりあえず自分の素性を、地獄の部分は抜きにして言うが、反応がない。
それもそうだ。そんなのは行方不明になった調査員となんら変わりない。自分だけは違うと言われてもその説明では納得しない。
もっとも、調査員が何者かに会っているとしたら、だ。
ナージャはもう一つ、隣で喋る犬について言う。
「大丈夫よ。この犬は喋ったり乱暴な口を利いたりするけど、私がしっかりと手綱を締めているから」
「うるせえ。乱暴は余計だ。あと手綱は締められてねえ」
「そう? けどそもそも喋る犬と言う時点で十分…………ん?」
すると、隙間の所からもぞもぞと何かが動き出す気配がした。
どうやら何者かが出てきてくれたようである。
「……おいおい、今のくだりのいったいどこに安心できる要素があったんだ?」
「言葉ってのも使ってみるものね」
「……まったくだ。お前みたいにすぐ脅すようなことばっかりするガサツ女にはできねえことだ」
「あぁ? なによ」
「おぅ、やるか?」
だが、再び何者かが一歩ずつ下がり始めているのを感じて、こんなことしている場合じゃないと、ナージャはゆっくりと何者かに近づいた。
「大丈夫よ。私はただ知らないことを知りたいがためにここに来ただけよ。用事を済ませたらすぐにここから出ていくわ」
とにかく自然体で、遅くもなく速くもなくそのままの足取りで近づくナージャ。
何者かはもう逃げることなくそのまま待っている。
「…………ん?」
そして、手を伸ばせば触れるほど近づいた時、ようやくその正体がわかった。
それは……
「女の子……?」
「おいおい、まだ子供じゃねーか」
暗闇の中見えてきたのは、まだ見た目の年齢が十五歳ほどの少女だった。
暗くてもはっきりとわかる大きくて深い瞳。
すっきりとした小顔に細い線。
真っ赤に燃えるような短髪。
そして警戒しているのか目を細めて険しい表情でこちらを見ている。
これはどこからどうみても少女であった。
なぜこんな所に女の子が、と疑問に思い始めるがナージャはそれよりも少女の特異性に目が釘付けになった。
「この子……人間じゃない?」
ナージャの目に映る少女は人と呼ぶには少し異なった容姿をしていた。
頭の部分には獣の耳のようなものが生えている。
おしりに近い所からは丸められたふわふわの尻尾が付いている。
手足の指先には長くのばされた鋭い爪がついている。
衣服は全く身に着けておらず、しかし発達した身体の要所要所に毛皮を付けたように獣の体毛が生えている。
早い話、人間と獣が混ざったような容姿をしていた。
「お、おい……なんだこいつは……!?」
「…………」
動揺するオルトの横でナージャは地獄で学んだ知識を動員して思い当たる所を探し出す。
確かこの世界の生態学は範囲が多すぎて学びきれなかったが、この特異な姿には覚えがある。
人間と獣が混ざり合った姿、確か現世番号四番界、通称《幻界》に生息する生き物……
「《獣人族》……!」
いや、少し違う。と彼女は思う。
なぜなら種族は同じでも住む世界によっては呼び名が違えば生態も違ってくる。
魔力が存在する現世と存在しない現世の人間が違うように、この獣と人間の混ざった子供も、地獄で得た知識と何か違うのかもしれない。
だが、ナージャは正体が少しわかると同時にある一つの考えが浮かんだ。
しかしここは魔獣が生息する森であり、その内部も明かされていない。獣と人間が混合した生き物がいてもおかしくはない。
つまり、この生き物がもともとここに生息しているならなにか手がかりを持っている可能性が高い、とナージャは思った。
ならば、子供と接することは得意ではないが、自分にとって精一杯の気持ちで怖がらせないようにと、ナージャはとりあえず視線の高さを同じにするよう腰をかがめて少女に話しかける。
「……脅かしてごめんなさい。私の声、わかる?」
「…………うん」
弱々しくも、見た目には不相応な静かな声で、少女は返事をしてくれた。
意志は通じるようだ。ならばナージャはさらに続ける。
「私はナージャ。この森の周辺にある村人がいきなりいなくなったからここへ調査をしに行けと言われてね。それでこんな犬を引き連れてこの森に入ってきたの」
「こんな犬は余計だ」
怒鳴りたい気持ちのあるオルトだったが、少女もいる為すぐに声を抑えて言った。
ナージャは続けて話をしようと少女に視線を向けるが、少女はオルトを不思議そうにみるとナージャに問いかけた。
「お姉さん、前に来たニンゲンと同じなの?」
「…………?」
この瞬間、ナージャは少女の言葉に少し違和感があった。
少女は一瞬なにか別の意味で怯えるように言ったからである。
ここは、はいと答えてはいけない。と感じた彼女は、ここで違う答えを出す。
「……いいえ、違うわ。あの村に思い入れがあるけどこれはあくまで私個人が決めて、この森に入ったのよ」
「……お姉さん、本当?」
「ええ、本当よ。なんならこの犬の命をかけてもいい」
「おぉい!? なんでだよ!?」
オルトは悲鳴じみた突っ込みをするが、少女はオルトを見ると、なにか納得するように怯えなくなった。
「そう、ね。わたしニンゲンは嫌いだけど、お姉さんはふしぎとそこの魔獣がなついているから……」
「なついてない。なついてない」
「魔獣がニンゲンになついているって珍しいから、もしかしたらこれまでとは違うニンゲンじゃないかと思って……」
「なついてないって」
「…………」
どこからどう見ても、どう聞いても仲良くはないのに少女は確信に近い感じで言った。
直感なんだろうか、とナージャは思う。
確かになついているかは疑問だがオルトは飼われたり縛られたりすることなくナージャについて行っている。
とにかくこっちに対する警戒はないようなので、ナージャは質問に入る。
「ねえ、二つ訊いていい」
「なに?」
「あなたはあなた一人でこの森に棲んでいるの?」
「…………」
すると少女はなぜか寂しそうな顔をして俯きだした。
そして、時間をかけずに少女はすぐに答えた。
「…………うん。わたしも、父さんも母さんも、ちぃちゃんもりゅうちゃんもみんなみんなここに住んでいたの」
「(住んで……いた?)」
なぜに過去形なのか疑問だが、ここでためらってしまっては手がかりが得られない
が、しかし当初の質問をもう一つ行う。
「じゃあ、ここは魔獣の森って外から呼ばれているけど、あなたたちは魔獣が……怖くないの?」
どう訊けばいいか迷ったがストレートに思ったことを訊いた。
すると、
「ええ、怖くないよ。わたしたち一族は魔獣と仲良しなの。だから魔獣もわたしたちのこと傷つけはしないのよ」
「そう…………」
つまり目の前の少女の一族と魔獣はこの森で共生しているという事になる。
訊きたいことは訊いたが、途中でもう一つ気になることが出てきた。
「ごめん、あともう一つだけいい?」
「なに?」
ここで退いては手がかりは得られない。
そう思うナージャは少々強引に、さらに踏み込む。
「あなた、さっき父も母もそのほかも住んでいたって言ったけど、今はもういないの?」
「お、おい……ナージャ……」
オルトが少し諌めるように言う。
少し性急すぎたかもしれない。
だが、なにかを感じる。
なんなのかは知らないがとにかく嫌な感じがする故に、ナージャはさらに追及する。
すると少女はほんの少しうつむきながらも答えた。
「……連れて、行かれた」
「え?」
だが、返ってきた答えは予想外だった。
連れて行かれたと言ってもすぐに誰なのかはわからない。
「誰に?」
「…………ニンゲン……!」
「え…………?」
帰ってきた答えはまたしても予想外だった。
少女は辛いことを吐き出すように言う。
「父さんも母さんも、ちぃちゃんもりゅうちゃんも、他の皆も全員、変な格好したニンゲンに連れて行かれた!」
「…………!?」
少女の言葉を聞いた瞬間、ナージャの中からなにかざわついた感じがした。
いるかもしれない。やつらがいるかもしれない、と
ナージャはすぐに状況の確認を取った。
「それってどういった特徴の人間……」
「待って!」
ナージャがなにか言う前に少女はいきなり耳……頭についている獣の耳に手を当ててじっとしだした。
いきなりどうしたのだろうか、とナージャは静かに少女をみるが、少女は急に顔を青ざめてきた。
「……どうしたの?」
「……いけない、こんな時に!」
「…………!」
ここに来て少女の様子から彼女はなにかを察した。
ここは魔獣が数多く生息する森。それもまだ夜中であるため危険は多い。
つまり、
「魔獣か。でもあなたは魔獣とは仲がいいんじゃないの?」
「違う、魔獣じゃない! この地にやってきたあのニンゲンが作り上げたまがい物!!」
「!」
その時、彼女たちの後ろの草がガサガサと音を立てた。
そして、現れたのは……
「来た……!」
「!」
「おいおい、なんだぁこれは!?」
ある程度、目が慣れているナージャやオルトとはいえ、輪郭しかわからないために正体がなんなのかわからない。
しかし、輪郭のみでもその影はかなりの大きさであり、三人の中で最も高い身長のナージャを圧倒するほどの大きさを持った影だった。
影は大猿のように大きな人型であり、二足歩行で両腕をぶら下げてこちらを見ている。放たれる獣特有の殺気はなく、どこか知的な雰囲気を感じさせる。
「ここは逃げましょ! お姉さんが何者なのか知らないが、ここは戦わずに逃げた方がいい!」
少女はすぐにナージャとオルトに逃げるように言うが、どちらも聞く耳を持たずに影の方に向かう。
相手が一匹でもあるからだろうか。
「嫌よ。逃げるなんて真似、私が許すわけないでしょ」
「!? ちょっと……!」
ナージャはパンツのポケットからケースを取り出すと、開いて中から大きな黒い金棒を取り出した。
脱獄者が持ち去らなかった数少ない地獄の技術の一つ、『魂抑えの金棒』である。
いきなり現れた大型の武器により少女は目を丸くして見た。
「!? その武器はいったいどこから……」
「オルト。牽制」
「わかった」
疑問する少女を後に、まずはオルトが先に影の足元へと到達し、その周囲を回りだした。
「おらおら! どうだどうだ! 捕まえられるか!」
「!」
犬にしては俊足な足さばきに影はほんの少し動揺を見せる。
だが、
「がぁ!!」
「! グオォ!?」
ここに来て初めて影は呻くような低い声を上げた。
オルトが影の足にかじりついたのである。
それも首に着けられた『魂喰らいの首輪』の効果により、影の魂の一部を食いちぎられる。
「グアアアアアアアアアアアアアア!!」
するとどうなるか。
影に肉体的負傷は起こらないが、足を動かす部分だけ、痛覚に似たような強い刺激が起こる。
だが、今のは食いつきが浅く、体も大きいため、痛いのはほんの一瞬ですぐに影は足元のオルトを蹴り出そうと足を思いっきり動した。
しかしオルトはそんな大ぶりな蹴りなど何ともないようにひらりと躱す。
「グゥ!!」
「はっ! こんなおっそい攻撃があたるか!!」
「そうよ。憎たらしいあいつのように回避するのよ」
「!」
影が足元の犬に気を取られている間、ナージャは影のすぐ近くまで接近していた。
「グアァァァ!!」
「あ……お姉さん、危ない!!」
影はナージャの姿を見るや否や、ほんの少しの動きですぐにナージャの背後へと回った。
「速い!」
そして影は両の手を合わせて大きな拳をナージャに向かって振り下ろした。
このままではナージャはつぶされてしまう。そう思った少女だったが、
「無駄よ」
「!?」
なんとナージャは振り向きもせず金棒を盾に、かなりの重量がある影の両こぶしを受け止めたのだ。
少女も影も明らかに驚いている。
だが、驚くのはそれだけじゃない。
「なによどこかのだれか。デカいのは見かけだけ?」
「!」
ナージャは金棒で受けた影の両手を掴み……
「オルト。それとあなたもここから離れて」
「え?」
「なぜ?」
「早く……!」
「「は、はい!」」
そして、掴んだ両手を思いっきり振り上げて影を体ごと思いっきり持ち上げた。
そう、体格差や体の大きさを無視して持ち上げたのである。
「「!?!?」」
影も少女もまったく意味が分からないといったような感じだがオルトにはそれが不思議と見なかった。
それもそのはず、ナージャの義体は限りなく現世の人間に近いように作られているが、戦闘時に限り、リミッターを外すことで高スペックの性能を発揮することができる。
つまりは自分よりも何倍もの巨体を持ち上げることくらい訳ないのである。
そして影を上へと打ち上げるように投げた後、ナージャは周りの木に三角飛びするように空中に浮遊する影に追い打ちをかける。
「ガッ……!?」
「悪いけど…………終了よ」
投げ飛ばされた直後、空中でなにもできない影の頭部に、ナージャが金棒を振り下ろす。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!?」
頭部に激しく金棒を撃たれた影はその後叫び声とともに地面へと思いっきり叩き落された。
金棒の効力、魂の無気力化と体を思い切り打ちつけたことにより影は動かなくなってしまった。
数秒して彼女も地面に着地した。
「はい終了。大したことないね」
「まったくだ」
「…………!」
あっさりと影を倒してしまった一人と一匹に少女は驚きを隠せなかった。
暗闇の中、視覚に頼れない上に影の正体を知っている少女にとって彼女と犬の戦い方はあまりにも桁外れなのだ。
呆気にとられている少女に対し、ナージャは大して何も思わないまま影について正体を訊く。
「それで、いったい何なのよこいつは」
「あ、えっとそれは……」
「いや、待て」
しかし、長い時間夜としての暗い時間が過ぎて行ったせいで、空は徐々に明るくなっていることに彼女たちは気づいた。
「夜明けだ……」
時間の経過により、日が昇っていくとともに暗くて見えなかった影の正体もだんだんその姿をはっきりと現してきた。
そして、見えてきたのは……
「!? なんだこれは……!」
「これは……魔獣……?」
見えてきたのはゴリラのような巨大な体に、豹のような下半身をもつ異様な存在であった。
大きさも異常ながら、上半身と下半身の毛の色彩もあっておらず、どう見ても異様だ。
それに、ゴリラの上半身自体なにか手を加えられている様子がある。
「……ちがうよ。こいつは魔獣じゃない。この地にやってきたあのニンゲンの手により作られた哀れな怪物なの」
「……その人間、どういうやつよ」
「……ニンゲンの着る物に関してはわからないから何も言えない。だが、そいつは獰猛で猛々しい、筋肉のあるニンゲンのオスだった。そして、そいつの部下はみんなしてそのオスのことをこう呼んだの」
ナージャとオルトは食い入るように少女の言葉を聴く。
少女の口から出される言葉はたったの三文字。
「……『美獣様』って」
「…………!」
その名前を聞いた瞬間、
彼女の中のざわついた感覚は消え、代わりに確信へと変わっていったのだった。
脱獄者、判明。