1-2 捜索と準備
新聞の情報をもとにある村へと向かうナージャ。
そこで待っていたのは……
アルスス地方、危険指定区域“魔獣の森”付近の村。
新聞から得た情報をもとに喫茶店から出発して数時間後、日はもうすでに暮れかけて、赤い日差しがかかってきた頃である。
「…………結構、距離があったわねここ」
「まあ、歩きだし地図頼りだからな」
「それにしても……」
主に名前の知らない村ではあったが、あらかじめ知った知識と上司の教えによりここは平和な村であるという事は知っていた。
魔獣が近くで生息しているとはいえ、首都から輸入した特殊な道具などにより魔物を寄せ付けず、その上で森を監視しているところなのである。
住民たちの仕事は魔獣の森の監視のほか、他の村同様、酪農や植物関連などであり、長閑な村であった。
しかし、それはあくまで過去の話であり今は違う。
「本当になんの気配も感じないわね……」
「そうだな。気配がまったく感じられねえ」
ナージャたちの感想はたった一言だけであった。
事前に知っていたとはいえ、やはり直に見た感想はほんの少しの驚きであった。
「なんかもう……すっかり廃れてしまっているわね……」
「そりゃあ十五年もほったらかしにすればボロボロになるわ」
十五年も人のいない村は、廃村と言う言葉が似合いそうな状態と化していた。
生き物の気配がしないのはもちろん、草は限界近くまで伸び、道は荒れ、木造や石造の建物から植物がはみ出しているものまである。
ただ人がいないというだけなのに、初めに現世に来た平原と、人が住んでいた形跡のみの村という形があるだけで、ここまで印象が違うのかと彼女は感じた。
「……少し回るか」
「え? あ、おい!」
ナージャは村全体を見回した後、ひとまずなにか手がかりはないかと、ひとまず村のいろいろな所を探ることにした。
最初は一番近くにあった木造の民家から何も言わずに向かっていく。
無論、そこも手入れをしていないためボロボロである。
「待てよ! 人の家だろうが!」
「別に誰もいないでしょうが」
遠慮もなにもなく、ナージャは扉を開けて靴を脱がずに中へと入った。
それを後ろから呆れたな目で見ていたオルトはため息をひとつついた後、ナージャについて行った。
建物へと入っていった直後の感想は、
「……これはひどい」
ただそれだけだった。
木材の建物は特にひどい。
床や壁の引っかかりには埃が積もり、天井などからはカビが生え、いたるところに虫が集っている。
リビング、個人の部屋、風呂場、とにかく色々と探ってみたが特に何か手がかりとなるものが見当たらなかった。
しかし……
「ん…………?」
と、ナージャは一つ気になる物を見つけた。
リビングにあるテーブルの上にあるものが乗っていたのだ。
それは、四人分の食器と、道具、それらに……
「………………」
もはや原型が分からない状態となった、恐らく料理なのだろう物が食器の上に合った。
というより料理であってほしい。皿の上にあるのだから料理のはずだ。
と、いうことは……
「……食事中にいなくなった……?」
椅子や料理らしきもの数からして四人。
それに、ボロボロではあるものの誰かが襲ってきた形跡は無し。
ナージャはこれらの状況を見て、一つ推測を立てた。
「つまり食事の途中、自分からどこかへ行ったという事?」
それも一斉に、自分たちからどこかへ行ってしまったのならば、襲われた形跡もなしにいなくなる理由もわかる。
だとするなら、
「……ナージャ、早くしてくれ」
「? どうしたのオルト」
「ここ……すげえ臭う…………鼻が曲がりそうだ…………」
「我慢しなさい。犬でしょうが」
「意味わかんねーよ! それにカビの生えた家で息したら大変だろうが!!」
「……確かにそうね。ならとっとと出るか」
と、パートナーの地獄犬に言われ、今さら気が付いたかのようにナージャは口を押えてすぐに外へ出た。
そのあと、同じように隣で五月蠅く喋るパートナーを無視して村中の建物を全て回った。
結果。
「まったくわからないわね……」
「…………」
ナージャは困ったように弱々しく言い、オルトは器用に前足で鼻を押さえつつ頷いた。
わかったことはせいぜい、襲われた形跡がなかったこと、前もって準備してどこかへ行ったわけではないという事、と言うことぐらいだ。
となると、さらに疑問を追求するには行かなければならないところがある。
ナージャはポケットから携帯電話を出すと、画面を押して耳にあてた。
「もしもし。所長」
『よう。どうした、ナージャ。何か手がかりはあったか?』
電話に出るや否や彼女の挨拶に対し返ってきたのは違う言葉だった。
時間からして数時間前に部下が言った通り、村のことについて調べた結果について訊いているのだろう。
もっとも、特に何も手に入らなかったが。
「いいえ、なにも有意な情報はありませんでした」
『そうか……まあ現世も十五年間なにも情報が得られてない為、当然と言えば当然か』
「はい。これからどうしますか?」
自分では考えはあるものの、先にナージャは上司に意見を求めた。
すると、
『ううむ、村はまだほかにもあるが、おそらくどこも同じなのだろう。ならばこういう時は……』
「こういう時は?」
『………………』
「所長?」
『…………どうすればいいかな?』
「…………」
『どうしよう?』
ナージャは何も言うことなく電話を切った。
「……おい」
「まったく、使えない上司ね」
突っ込むオルトを無視して冷静に彼女は呟いた。
少しして再び電話が夜の村に強く鳴りだした。
「…………」
顔をしかめつつも彼女はしぶしぶ電話を取った。
「もしもし」
『あのなぁナージャ。お前はもう少し人の話を聞くことを覚えろ。冗談くらい流せ』
「所長こそ、ここにきてどうしようとは、ふざけているのですか?」
『だから最後まで聞けといっているんだ。そんなんだからお前は色気も可愛い気もない、鬼泣かせの副所長と……」
「黙ってください」
『……ナージャ。人の話を聞かないお前は、コミュニケーションに障害を患っているぞ。略してコミュ障!』
「黙れ。それより話を最後まで聞くということはなにかあるのですか?」
上司の腹の立つ物言いを無視して、先ほどの気になる言葉を追求する。
所長は、いったん自分の言葉に区切りをつけて本題に入る。
『……その村からはなにも手がかりがなかったんだな』
「はい。広い森であるから他にも同じような村はたくさんありますが、おそらく結果はどれも同じでしょう」
『ならばやることは一つだ』
所長はなんのためらいもなく、リスクの高いことを言う。
『魔獣の森へ直接向かうぞ』
「……直球ですね。事前情報もなしに大丈夫なのですか?」
確か魔獣の森へ調査に出たものは誰一人帰ってこなかったという。
中には護衛に雇った屈強な傭兵ですら戻ってこなかったこともあるため、この状況で何も知らないまま魔獣の森へ行くのは無謀ではないのかと彼女は心配する。
だが、
『安心しろ。今のお前には義体と魂抑えの金棒がある。これなら魔獣ごときに負ける心配はない』
「……そうですか?」
『そうだ。それにオルトロスの奴は優秀な地獄犬だ。脱獄者のにおいがわかるため、捜索にも向く』
ナージャは上司の話を聞きつつ横目でオルトの様子を見た。
オルトは鼻を動かしつつ視線が森の方へと向かっている。
ということは……
『それにいくら危険とはいえ、他に頼りになる情報がどこにもない以上、あとは多少の危険を覚悟して進まなければなにも得られない』
「……そうですか、わかりました」
とはいえ彼女も同じことを思っていたため、意外ではあるが上司も同じ意見が出た以上遠慮する必要はない。
ナージャは電話を耳にあてたまま森の方に視線を向けながら最後に一言。
「では引き続き、捜索にあたります」
『ああ、気をつけて行けよ』
「はい」
ナージャは毅然とした様子で電話を切ると今度はオルトが彼女を問い詰めた。
おそらく話の内容からして何をするのか理解したのだろう。
「ナージャ。お前まさか……」
「そうよ。魔獣の森へ、行くしかないわね」
「…………!」
やはり魔獣の森がいなくなった住民のことについてなにか手がかりがあればいいと思うがやはりそこには何もない。
しかし、新聞にも書いてあった通り魔獣の森へと調査に出た人たちは皆戻ってはこなかったと記されていた。
ただでさえ不明の部分が多い上にすでに日が沈んだ真っ暗闇な状態ではいろいろと危険すぎる。
そう思ったオルトは早速魔獣の森へと足を運ぼうとする彼女を止める。
「おいおい待てよ。さすがにこんな夜更けじゃ危ないだろ。もっと明るい時に行くべきだろうが」
「え? 別に夜が危険なんて誰が決めたの? むしろそんな考えだから失敗したかもしれないじゃない」
「んなこと言われても……」
彼女は、あくまで慎重に動こうとするオルトに、まったく構わずに意見を言う。
が、どうもパートナーの表情はすぐれない。
「脱獄者はどいつもこいつも危険な連中だ。機をうかがわずに進むのは危険だろうが」
「なら、当てがあるかもしれない危険地帯を前にして、特に当てのなさそうな安全地帯でグズグズしていろっていうの? そんなことしている間になにかあったらどうするのよ」
「いやそうだけど……けど負けてしまえばそれこそアウトだろ」
こう見えてもオルトはナージャの事を心配しているのだ。
ナージャのその唯我独尊ともいうべきか、とにかく自分を中心とした行動により、また二十年前のような悲劇が起きるのではないか、とオルトは心配しているのだ。
つまりさっきから言ってるのは、そんな彼女自身を慮ったオルトなりの気遣いの発言だったのだが……
「もしかしてあんた……」
しかしそれに気づかない彼女は容赦のない言葉を吐く。
「……怖いの?」
「……なに?」
彼女の一言。
怖いの部分を聴いた瞬間、オルトの頭からなにかがざわついた感覚が起こった。
そのことに気づいた彼女は言葉で攻め立てる。
「ああ、そうよね。いくら番犬候補なんて立派な肩書でも所詮は候補だから大したことはないってことね」
「…………!」
そう言えばと彼女はオルトのことについて少しだけ思い出した。
確か彼は自信家で自分のことを番犬候補だといて自慢していた時があった。
シスカーの時もナージャの命令を無視して突貫して行ったほどである。
もっとも、自信満々の必殺技を繰り出すもあっさり負けてしまい、自信喪失に陥る所から本当はメンタルが脆い事もわかっていた。
二十年経過した今でも、ほんの少々ヘタレ気味なパートナーに彼女は苛立ち、とりあえず本音をまるまると放つ。
「まったく、地獄の住人のくせに夜が怖いなんて情けない」
「…………!」
「なに、否定しないの? それって認めているの? 何とか言いなさいよ……」
そして彼女は、地獄犬のパートナーにとって最も言ってはいけないことを……
「駄犬」
「!!」
……言ってしまった。
その瞬間。
「だあああああああああああああああ上等じゃぁぁぁぁぁああああああああああ!!」
ナージャの煽るような言葉にオルトは半ばキレるようにやけになって言ってしまった。
「夜がなんだ! 脱獄者がなんだ! そこまで言うならついて行ってやろうじゃないか!!」
同時にオルトは思う。
心配するんじゃなかった、と。
「そう……初めから言いなさいよ犬っころ」
「なんだと!? お前のような犬の気も知らぬガサツ女に、心配するだけ無駄だってんだよ!」
「はあ?」
苛立ちから突っかかるようにナージャのもとへ襲いかかるオルトを、彼女はパートナーの頭を押さえて妨げる。
頭を押さえられながらもオルトは吠える。
「お前こそなあ! そこまで言うならば森の中でくたばってんじゃねーぞ! 今更危険なことになって泣きつかれてもおせーからな!!」
「はいはい、とっとと行くわよ」
半ば憤っているパートナーを押さえていた手で頭を乱暴に撫でつつ、彼女は最も怪しい魔獣の森へと足を進めるのだった。
……ちなみに、
その直後、またも携帯電話が鳴りだしたのだが……
「もしもし」
『……待て、ナージャ。森へ入るなら一ついいか?』
「……なんですか、所長?」
『熊が目の前に現れた時は死んだふりはするな。むしろ危険だからな』
「……何の話ですか」
『あと虫除けの薬はつけろ。あとで痒い目に遭って俺に泣きついても知らな……』
「切りますよ」
大した話じゃないと判断したナージャは話途中の上司の話を切ったのだった。
本当に彼女には冗談が通じないのだった。
いざ、魔獣の森へ向かう。