2-24 別れの時
すでに心が折れかけたパウルにナージャやったことはただひとつだけだ。
パウルの手のひらに『魂移しの指輪』を渡した。
「なんの、つもりだ」
魂の転移が発動し、パウルの身体は傷ひとつない新しい仙花となって甦った。
しかし、当の本人は訳が分からないように困惑していると、続いて彼女は言う。
「別に何かをしろとは言わないわ」
「?」
「早くいきなさい。すべてが終わったあと、魂は回収させてもらうわ」
「…………!」
彼女の言っていることが、猶予のようなものだとパウルはようやく気づき、直後に困惑する。
いったいなぜ彼女はこんなことを言い抱いたのだろうか。すぐに浮かび上がったのは自分と同じもう一人の脱獄者のことだ。
(シスカーが……あいつが彼女に余計なことを吹き込んだのか?)
考えられるとしたらそれしかない。
あれだけ人の心をかき回すことに長けた奴ならば、たとえ地獄の使徒相手でも不可能とは言い切れない。実際に地獄で獄卒たちが手を焼かせたという事実を知る以上、信用できる理由もある。
「そうか……」
これは慈悲なのか、それとも情けなのか、彼には分らない。
だが、どうしても彼女の本心を知りたかったパウルはせめて最後にあがくように彼女に問いかけていく。
「ねえ、地獄の使徒。君の名前は何と言うんだ」
「そんなこと訊いていいなんて言ってないわ。早くいきなさい」
「答えてくれ。僕を殺すんだから、それくらいは知っていいはずだ」
「…………」
そんな感傷はどうでもいいもので、どうでもいいものに価値を求めない以上、答える理由などない。
しかし、これ以上無駄に時間を引き延ばししていくようなこともしない。
「ナージャ、よ。それが私の名前」
「……でもそれは、君の本当の名前じゃないよね」
パウルは何となくわかることを口にしていくと、ナージャがほんの一瞬だけ忌々しげにしていることを見た。
やはり彼女も地獄から何らかの影響を受けた存在だと確信する。
「そうよ。人間じゃない。地獄の住人として地獄から与えられたものよ」
「だったら君の、本当の名前を教えてくれないか」
つまり、地獄によって変質したのが今の彼女ならば、かつての存在につながる部分を訊く。
そして彼女も、かつての自分の記憶に何も感傷に浸ることもなく、ただの事実として述べる。
「私はもう死んだのよ。死んだ名前に、なにもないわ」
「そう、か……」
しかし、帰ってきたのはにべもない答えだ。
折角抱きかけた淡い希望は全て崩れ去っていく。
「残念だ。せっかく君から意志を感じることが出来たのに……」
結局目の前にいる存在は、自分一人ではどうにもならないくらい壊れきっていることを、パウルは自分のことのように悲しんだ。
自分を殺していく人間に対しても、一度抱いた情を捨てきることができない。
「こんな形で出会わなければ、僕は君に興味が湧いた」
「そうやって何も考えずに手を差し伸べるばかりするから、あの金髪の寵愛者のような被害者が出てしまうのよ」
「……タンピーア」
彼女の最後を、パウルは知らない。
再処刑人から聞いた、自分を守るために戦って死んだということしか知らない。
命を懸けてまで守りたい存在を作ってしまったのが、結果的に彼女を死に至らしめる結果に導いたのだ。
(……結局それが、僕の弱さなのかもしれないのかな)
パウルはこの期に及んで自分自身のことを振り返っていく。
脱獄に至った理由も、死別したにもかかわらず娘のことを諦めきれなかったからだ。
自分が死んだ存在であるにもかかわらず、覚悟を決めて地獄に落ちたにもかかわらず、パウルはそれを諦めきれるほど意志が強くはなかった。
しかし……
「お父様……」
彼の目の前には、顔に火傷の跡がある実の娘がいる。
パウルのおかげでいまこうして五体満足のままここにいる。
だが、この後彼女は父親の喪失という現実に直面せざるを得なくなってしまう。
「大丈夫です、パウル父様。私はあの地獄のような場所でずっと……もう終わりたいって、なくなりたいって思えたのに……それでも父様は私に、希望を与えてくださいました」
バレリアは、もうそれ自体を誰にも責めたりはしない。
吐いた言葉は決して慰めではないと、父親に……そして自分自身にも言い聞かせる。
もう一度父親を失うことになっても、彼女は気丈に振る舞う。
「私は父様がいたから、いまここにいられます。もう私は父様がいなくても、頑張れるから……」
それでも、言葉とは裏腹に彼女の顔はまったく偽ることはなかった。
それを見せないようにするはずが、ますます堪えきれなくなる。
「だから……父様……安心して……くだ、さ…………」
「……ヴァレリィ。最後の最後まで、弱い父親ですまない」
バレリアの体を、パウルは抱きしめる。
震えが止まらず、嗚咽が漏れていくことに、彼自身もまた同じ感情がこみ上げていく。
『僕はただ、大好きな人とのどかに過ごしたいだけだった。たとえ罪人になったとしても、守ることができるならそれでも本望だった』
それを口にしようとはしたが、どこか言い訳じみた言葉だと感じ、声に出すことを止めた。
そして、何をするべきかを決めたパウルは、ゆっくりとバレリアの体から離れると、ナージャの方に振り向き、宣言する。
「……ナージャさん。僕、月華街のところに行くよ。守護者だから普通は街から出られないから、かなり無理をすることになるけど……」
その言葉の意味をすぐに理解したナージャは不可解そうに眉をひそめる。
「それがあんたのやることなの? 意外ね。別れの言葉を残すのかと思ったのに」
「別れは……言えない」
パウルは一度娘の方へ顔を向けたが、すぐに視線を再処刑人の方へ戻していく。
後ろめたいものからの逃避ではない。そこには静かな決意が見える。
「余計なものを残したら……それが忘れられなくなってしまう。死に際を見せたくないから……だから、僕はみんなの前から勝手にいなくなったことにしてくれ」
「……あんたって思ってた以上に自分勝手ね。ほしいものをほしいままにして、最後は自分の保身のために動くの?」
「そう思っても、構わないよ。ただ……」
確かに、寵愛者や街の住人を悲しませないために、自分の死を仄めかしていくのは自分のことしか考えていないと捉われていても仕方がない。
しかし、この時パウルの中に深く残った懸念が明確に大きく膨らんでいるのは、娘のことでもなく、寵愛者のことでもなく、街のことでもない。
自分を殺そうとする再処刑人が、自分を殺した事実に糾弾されていくことだ。
たとえ、彼女の立場からして“正しい”ことをしても、それは街のみんなにとって知ってほしくはないことだ。
だからこそパウルは、自分の死を誰かに知られてほしくないのと同時に、自分が再処刑人である彼女に殺されるという事実も残したくはなかったのだ。
心にどこか暗いものを秘めていて、それでいてどこかに希望を持っている。
場違いにも、パウルはそんな彼女を心配し、あまつさえ慮ってしまった。
それを自分だけが理解し、それを決して表に出さないようにする。
「…………何?」
「……いや、なんでもない。そろそろ行くよ」
そうしてパウルは、巨塔から飛び出して、月華街の方へと向かった。
例えそれが勝てない戦いを強いられることになろうと、パウルの表情にもはや悲壮などどこにもなかった。
もう街を守れないことには変わりはない。大切な人を残して死んでいくことには変わりはない。
しかし、
(もしも次があるなら、もっと強くなるから)
パウルは自分の弱さを悔いたが、最後まで実の娘を救うことを悔いることはなかった。
(みんな……さようなら…………)
せめて今度は、どうすれば自分の居場所を守り続けられるかを考えていこうと思う。
2
月華街からでたナージャの右手に、魂を封じる短剣が握られている。
その反対の手には魂を移す指輪が握られており、その二つをケースの中に放り込んでいく。
結局、パウルの再処刑は月華街で行われた。
その事実を知るのは、月華街でパウルが最後のあがきとして戦った騎士たちと、再処刑を行った本人とその付き人と犬のみだ。
二人目の再処刑を終えた彼女はもう一度、陽光街の中に入る。
再処刑人として特に意味のある行為ではなかったが、彼女自身なぜか最後にこの街の様子を見ておきたかった。
いま、街中は日光がフィルター越しのように街に降り注いでおり、いまにも消えそうな蝋燭のような危険性を感じさせる。
これが、自分自身のしてきたことの結果であり……あの脱獄者の掌の上でもあるのかと考えると、頭の中にチリチリとした火種が起きる。
だが、それもすぐに横の地獄犬の声にかき消された。
「……なあ、ナージャ」
「なに?」
オルトの声は、いつものようなぶっきらぼうで堂々としたものではなく、どこか不安が混じっている。
いまのナージャはどことなく不機嫌と言うべきか、あまり触れてほしくないような緊張感を出している。
それでもオルトは疑問に思うことがある。どうしても相棒である彼女に確認しなければならないことがある。
「お前はどうして、パウルに手心を加えるような真似をしたんだ。シスカーの奴に何か言われたのか?」
オルトは、彼女の行動に疑問を感じざるを得なかった。
それまでただ脱獄者を殺すことにのみこだわり続けた彼女が、目的を果たす直前になって、パウルになにかしらの役目を果たすために猶予をくれたということを。
その行為自体に何の意味もない。結局魂を回収する以上、余計なことをする分無駄が出てしまうこともある。
その上、
(……お前は、いったいどんな気持ちでこの街を見ているんだ)
オルトはまだ彼女のすべてを知ったなどとおこがましいことは言えない。
しかし、それなりの付き合いで彼女のことを少しでもわかると自負する自分もいる。
その前提に当てはまらない行動をするナージャに。オルトは心底疑問に思い、それが彼女自身を知るという理由のために、先ほどの行動を訊いたのだ。
しかし、
「……さっさと行くわよ。まだ脱獄者は五人もいるんだから」
「あ、おい!」
ナージャは何も答えずに先へと進み、オルトはあわてて追いかけていく・
オルトは知らない。パウルが脱獄をした理由も、この街に留まる理由も、彼の血縁者も、そのすべてにあの脱獄者が関わっていることも知らない。
ただ、あの脱獄者がなぜか陽光街にいて、自分を使ってナージャを呼び寄せて戦った……らしい。
そこから具体的なやり取りの事はさっぱりわからない。気がつけばナージャとシスカーが戦っていて、自分はギリギリのところで意識を取り戻し、なんの指示もないままただ己の判断に従って動いただけだ。
結局あの後、ナージャは何の説明もない。
そしてそれを詮索することも、オルト自身、質問に答えない彼女をから憚られる。
リュナも、なにがなんだか分からないが今の彼女にはあまり触れないでほしいと本能で察した。
そうして、このまま言葉もなくただ街を出ていこうとしたナージャ達に、
「ナージャさん!」
「ん? なんだ」
遠く離れたところから懸命な声が彼女たちの元に届けられていった。
なんのことかとオルトとリュナは振り替えるが、声だけで誰なのかを理解したナージャはただひとり振り向かない。
「私は、どんな理由があってもあなたを決して許しません!」
「おいナージャ……呼ばれているぞ」
「行くわよ」
「…………?」
なぜか普通に知り合いとなった子に対してまで無視をするナージャに、またも違和感を覚える。
しかし、構うことなく足を進める彼女に慌ててついていくオルトとリュナ。
それでも、たとえ振り向かないとしてもバレリアの言葉は続く。
「ですが、パウル父様と約束をしました! 父様がいなくなっても、街のみんなのことを頼むと、そう約束をしました!」
「父様……!? ナージャ、いったいどういう……」
「黙ってて」
「…………!」
頑なに無視を決め込んでいく彼女に、もうオルトは何も言わない。
ただ、せめて何を言っているのかだけは集中し、ついでにナージャの方の反応もうかがっていく。
「ですから今度は私がパウル父様に変わって街をお守りします! そして、もう月華街の人とは戦わない方法を探します!」
無視をするナージャに負けず、自分の思いを吐露していくバレリア。
いまでも父親の命を奪った地獄の使徒に対する憎しみを、少なからず彼女は自覚している。
けれど、それ以上に父親が残していった大切なものを、今度は自分が守ると覚悟を決める。
それが死んでいった父親の心残りを守るためだからだ。
「そして、もしも私なしでも街が平和でいられるようになった暁には」
それでもなお、足を止めない彼女の背中に、負けじと声を張って叫ぶ。
「ナージャさん。あなたのことを見届けさせてもらいます!」
バレリアの瞳には、かつて彼女に抱いていた怒りや悲しみが、今はもう薄らいでいる。
それは決して大切な存在を奪った彼女に対する憎しみを忘れたわけではない。しかし、
「パウル父様の命を奪ってまでナージャさんがなにを成し遂げるのか」
それでも、バレリアは彼女を信じたかった。
短い間だが、一緒にいた人間である彼女が本当は何なのか、全て知りたくなった。
だからこそ、これは彼女に対する宣言とともに、自分自身に対する決意をする。
「絶対に、絶対に私はあなたに追い付きますから!」
「…………そう」
最後の一声が届いた瞬間、
彼女は結局振り替えることもなく、独り言のようにつぶやいた言葉はバレリアどころか、隣にいる相棒や獣人の少女の耳には届かなかった。
そして、あと数秒もしないうちに彼女の姿は見えなくなっていった。
「…………」
取り残された少女の中に残されたのは、不思議と怒りでも憎しみでもなかった。
初めて会った時、お礼を言われたとき、一緒に働いたとき、そして……
月華街で、決別の言葉を言われたとき……
「ナージャさん…………」
……バレリアは、ナージャのことを自分とどこか似ていると感じた。
他人に無関心なところも、拒絶をするところも、それなのにどこかで違った“何か”を感じることも。
「…………さようなら」
バレリアの火傷跡のある頬に、涙が伝わる。
その涙がどういう意味なのか自分でもわからない。しかし、なぜか泣いていることに数秒遅れて気づいた彼女はあわてて袖で涙をぬぐった。
もうすでに彼女には背を向けているため、決して見えてはいないと心の中でそう言い訳をした。
3
「……これこそがこの街の一つの結末か。案外ありふれた終わり方だな」
「…………(コクッ)」
陽光街から数百メートルほど離れた地点で、シスカーとサラカエラは森の中に潜みながら、あたかも直接街を見たかのようにぽつりとつぶやいた。
いつもの目隠しはもうない。すでに隠す必要のなくなった(と勝手に自分で判断して)瞳をさらし、感慨深そうで実はそうでもなく笑んでいた。
自分の行動が交えたこともあるが、結局のところ今の結果を感じ取り、シスカーはすでに知りえたことを改めて確認するように、言葉に置き換える。
「愛って怖いねぇ。この世で最も強力な感情だと思わない?」
「…………(コクッ?)」
「ほら、歌にだってあるじゃない。『最後に愛は勝つ』ってね」
結局パウル君は負けちゃったけど、とシスカーは言い捨て、街とは真逆の方向に体を向けるとサラカエラと共に歩き出した。
もうどうでもよさそうに興味の対象を変えると、次から何をしようかと新しいおもちゃを欲しがるように無邪気に瞳を輝かせていく。
横にいるサラカエラの方は、初めから何とも思ってないのか、シスカーのことなどどうでもよさそうに一人、光を失っていく指輪を見ていた。
黄色く光っていた指輪が徐々に暗くなっていく。地獄の技術とは別の、遠くにいる者の命に比例した光る指輪は、やがて役目を終えるように光は消えていった。
たったいま、同じ脱獄仲間が一人いなくなったはずなのに、その横顔は変わらずの笑顔だ。
かつての仲間の命よりも、自分が得られた成果の方を優先して喜んでいる。
「ヒュフフ。でも、再処刑人さんが少しでもいい感じにいい感じとなるんなら、それもいいかなーって…………ん?」
すると、ふと唐突にシスカーの右腰の部分から妙に甲高い電子音らしきものが突きぬけており、あたりを包む暗闇に反し、鼓膜を痺れ刺すような耳障りな音を響かせていった。
シスカーは音の発生源に手を入れて出すと、手の平には真っ黒い無骨な形の通信機らしき板が出てきた。
半分に開いたそれを耳に当てて、電子音に劣らず甲高い声を出していく。
「あ、鬼さんじゃん。やあ、もしもしィ!?」
それがいったい誰からなのかを理解して通信機に出た途端、甲高い金属音がシスカーの耳を突き刺すように出た。
反射的に奇声を挙げつつも通信機を離さないシスカーと、声に驚いて引くサラカエラの元に、厳かで一切の妥協も許さないような低い声で言う。
『シスカー。貴様、己に何か言いたいことがあるではないかな?』
怒気を纏ったその声は、少しでも相手に何らかの反省する心がないかと、わずかな期待も入っている。
ただし、そんなことが伝わろうと伝わらなかろうと、シスカーはお構いなく自分の要望を口にする。
「……鬼さん、もしかして怒ってらっしゃる? 怒っているのかのう? 激怒ってる?」
『反省の気はなし、か……制裁が必要か?』
「いやー待って待って! 鬼さんったらそんなに怒気なんか籠めちゃダメ!」
通話先で、明らかに怒りの声を籠めている様子に、シスカーはわざとらしく煽る。
言いたいことはわかる。どう答えるべきかももう浮かんでいる。
けれど結局、慮ることなどなく言いたいことだけを言う。
『貴様が余計な介入をしたせいで、ことがさらにややこしくなった。あまりリスクの高いことはするなと言いたいんだ』
「もう、よほどのことが無けりゃ文句は言わないんじゃないの? そんなに角生やしたような怒りを表しても……あ、もうとっくに角生えていたか。鬼だからっ!」
『……貴様がどれだけ好き放題にしようとこちらの知ったことではないが、彼女に関わる内は慎重にしろと言ったはずだ』
「えー。掻き回した方がおいしくなるのは糠床と一緒で、構ってもらわないと死蔵っちゃうんだから」
『……………………』
「あれ、鬼さん? もしもし、もしかしてマジ切れ?」
『もういい。反省するつもりがないならこれ以上何を言おうと無駄だ』
まともに取り合うのもバカらしく、これ以上言及するのも無駄だとあきらめると、今度はシスカーの方から恐れることなく疑問を投げかけた。
「早く再処刑人さんをパウル君に見つけさせるために電話を鳴らしたのも、余計なこと?」
『そうだ。挙句の果てに、彼女の目の前で自分を書き換えたことは、いくらなんでも愚かを通り越して救いようがないとしか言いようがない』
「いやー、再処刑人さんも想像以上にやるもんでね……最後に至っては、本気の本気だったさ」
『……どうだか。それで、結局結末はどうなった』
勝手なことをした脱獄者を叱るのは後にして、ハイリスクで介入をしたシスカーにある結果を訊く。
そこには、不足の事態にたいする不安が付きまとっているものの、同時に何かしらの成果を期待していることも含んでいる。
「パウル君は見事に死にました。再処刑人さんに魂を抜かれ、見事に灰と化しました。でも、再処刑人さんは、パウル君に一度だけチャンスをやると、パウル君が最後の最後に月華街の守護者と戦ったんだよ!」
『ほぅ……』
「ま、結果パウル君は手負いの上に敵の月華街だから負けたし、止めは再処刑人さんが刺しちゃったけど、守護者は深手を追っちゃってね。だからしばらくは陽光街が襲われることはないでしょう。これってすごいよね! 街に来たばかりの再処刑人さんだったら容赦なく殺すのに、自分にとって何の意味もないことを、思想に関係なく他人のために行動した! やっぱりパウル君は期待通りの男だよ!」
予想以上のことをしてくれたといってもいいね、とシスカーは胸を弾ませるような声で、抑えきれない興奮とともに『報告』を続けていく。
『それほど貴様はあの男に期待していたのか?』
「そりゃそうだ! ええ。なにせ強いくせに自分以外を守れないような意思の強い人間なんて、まさしくピッたりな人材じゃない!」
と、まるで恋人のすばらしいところを語るように、初恋をするがごとく顔を赤らめて嬉々としている。
そのパウルが死亡したにもかかわらず、変わりない表情だ。もし再処刑人の彼女がいれば、もう一度怒りを覚えるだろう。そんな光景だ。
「人間、特に女性が大好きで、傷つけられる怖さも知っていて、なんにでもできる力がありながらもその振舞い方に迷う。まさに再処刑人さんにないものをたくさん持っているんだ」
だからシスカーにとってもパウルに対し、敬意を払い、信頼していた。
彼ならば自分の敷いたレール通りに動いてくれる。いいや、レールの上を走る上で、それ以上のパフォーマンスを発揮してくれる。そんな彼ならば、再処刑人になんらかの影響を与えるはずだ。
そのために自分はいろいろとお膳立てをした。
パウルとナージャを早く対面させるために、様子をうかがう彼女を見つけるようにした。
いろいろと大きなことを抱えているパウルにわざとらしく煽っては自分が協力できるよう取り付けた。
そして自分自身を怒りの種にして、パウルに対する同情心を深めた。
だからこそ、望んだものとは違えど満足いく結果になった。
その結果に喜び、そのための感謝としてシスカーは言う。
「パウル君は、実に優秀な素材でしたよ」
『……本当に、貴様はどこまでも外道だな。仲間さえ道具扱いか』
「はぁ!?」
あきれるような物言いに対し、心底心外そうにシスカーが声を荒げて反論する。
「酷いよ! 人のことを外道呼ばわりしてぇ! 別に私はパウル君のことも……いや、他の皆の事だってちゃんと尊敬しているし、愛しているんだから♥」
『どこの世界に“愛している”の理由で、そいつの大事な娘を操るんだ。この鬼畜が』
「おいおい、鬼さんに鬼畜呼ばわりとは」
非道と扱われ、納得がいかないように饒舌なまま、より強く言葉に熱を籠めていく。
まるで離れている恋人を愛おしげに話すように、
「『愛してる』なんて私からの一方的な感情だし、それに善いことも悪いこともなにもかもが大好きなんだ。だから、たとえみんなが私の前で喜んでも悲しんでも恨んでも泣いても笑っても怒っても楽しんでもつまらなくても怖がっても愛しても戦っても日よっても女々しくても猛々しくても健やかでも病んでも熱くても冷たくても硬くても軟らかくても孤独でも人徳でも理想でも現実でも王道でも邪道でも堅実でも淫らでも賢明でも愚かでも強くても弱くても若くても老いても成長しても退化しても名君でも暴君でもみんなみんな愛してるから……!」
「…………(ゾクッ)」
嬉々として語るシスカーに、すこしだけサラカエラは嫌気が生じ、少しだけ距離感が生まれてしまった。
しかしふと、こんな脱獄者とあの再処刑人が対照的に思えてくる。
何のために動くのか自分の心を決して開かない彼女に対し、シスカーの次から次へと溢れ出る感情の奔流。
まさしく対照的に思えるし、それでいてそのどちらも得体が知れない。
『貴様……脱獄した本当の目的を忘れていないだろうな? よもや自分に酔うために好きなことをしているわけではないな?』
「だから言ったじゃない。この世で最も強い感情だって。だから鬼さんも、私を助けてくれたんでしょ?」
『……くだらん。貴様は俺にとって通過点に過ぎない。愛などと安い言葉を吐くな』
「自分のためなら、それも自分への愛だよ」
『……ふんっ』
あまりどうでもいいシスカーの問答に付き合う気もなく、一声で一蹴する。
「けど鬼さん。私を怒るのもいいけど、鬼さんの方は大丈夫なの? そっちは大変なんでしょ?」
『貴様に心配されるほどではない。それは貴様が知ってることだろ』
「ま、それもそうか」
『お前のやることに大概は目をつぶるが、今度同じようなことをするならば……』
「じゃあね、鬼さん。またの活躍を期待してるよ」
『あ、おい! 貴様話を……(ブツッ!)』
相手の言葉を最後まで聞かず、シスカーは一方的に通話を切った。
そしてその端末を握りつぶして破壊すると、新しく取り出した端末にデータを移していく。
「ふうぅー、これだから地獄の鬼は小言ばかりで気が滅入るんだよねー。サラもそう思わないかい?」
「…………(フルフル)」
あまり同調するとまた長話になりそうなので、否定することにした。
サラカエラが自分に構わないことを見ると、自分もどうでもいいようにそっぽ向きながら独り言をつぶやいていく。
それは、いくら目的のために切り捨てたものだとしても、決して未練を捨てきれない存在だ。
「……パウル君。君は今頃、自分自身の弱さを悔いているところだけど、そんなこと私からしたら何にも意味はないんだよ」
目をつむり、思い返すのは地獄で初めて出会い、脱獄を決心するまでに至った時のこと。
あのころは見えもしない希望を信じ続け、ただ自分への罰が全て終わるのをただ待つだけの、それだけの存在だった。
不幸も知らず、地獄に似合わない晴れやかな顔と、その途中から差し込まれる悔いるような陰りが真っ先に浮かぶ。
「だって、設計の時点で狂っている機械なんて、どんなふうに直しても元には戻らないし、長くは保たない。近いうちに必ず崩壊を迎えちゃう。どうにかするには、一度全部壊すか、またまたまったく別のものに作り替えるのか、それしかなかった」
パウルの願いはただ愛する人たちと共に永く穏やかに過ごしたかった。
少なくとも脱獄したのは、迫害された実の娘を助けるためであり、その娘が完全に回復し、なおかつパウルがいなくなっても生きていけるようにすることが彼の目的であった。
しかし、
「君が弱いなんてない。ただ、諦めが悪かっただけさ。だから案の定、余計なものも抱えることになった。自分に不釣り合いなものまで抱えちゃって、思い上がりと捉われても仕方がないよ?」
シスカーの記憶と知識では、ほぼ炭近くまで焼け焦げたパウルの娘を回復する方法はいくらでもあるし、その手段はなにも陽光街に限られはしなかった。
それなのに、シスカーは面倒な事情を抱えているあの街を紹介した。
その結果、パウルは娘以上に抱えきれないものを背負うことになった。
「でも私は、そんなパウル君のことが好きだったよ」
もう目隠しのないシスカーの瞳が細められ、ややさびしげに微笑んだ。
それは大義のために戦い、命を落としていった仲間を手向けるように、
未練を断ち切った親友に別れの言葉を放つように、
しかし、彼の死を有効なものと割り切っているのかそれとも別の理由か、
「さようならパウル君。再処刑人さんのこと、ありがとうね」
先ほど指摘されたように、仲間を道具扱いと呼ばれた者にしては、感謝にほんの少し悲しみを交えたような表情を浮かべている。
「さて、次は何をしようかな……」
しかし、まるでスイッチを切り替えたかのように、何事もない元のままのシスカーに戻った。
先ほどの通信先から釘を刺されたことも、まるでなかったかのように次の行動を思案すると……
「まずは前回と同じ、残りカスを探してみましょうか」
怪しげな笑みを浮かべると新しい玩具に憧れる子どものように、ただただ心を弾ませていった。




