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2-23 ままならない感情

 自分自身を犠牲にしてまで入れた捨て身の一撃にシスカーは回避も防御もなく受けた上、さすがの奴も動揺していることが拳からなんとなくだが伝わってくる。次に奴がとりそうな行動もなんとなく予想できた。

 シスカーは顔面に突き刺さる殴打に反応し、顔面への殴打の反動と共に、即座に後ろへ跳んで離れようとする。

 まだだ。まだこのまま攻撃の手を止めるわけにはいかない。

 ナージャは、相棒の名前を叫ぶ。


「オルト!」

「応ッ!」


 ナージャの呼びかけに応じ、オルトの顎の力が増していく。

 今にもシスカー左足のももを噛み千切らんばかりだ。


「どういうごとぶっ!?」


 喋らせる暇を与えないように容赦なく次の拳を撃ちこんでいく。

 バキバキと、およそ人体から発してはいけないような音を出して、ナージャの拳が奴の体を砕いていく。


「私にはわからないものだったし、あんたにはもっとわからないでしょうね!」

「…………!」


 オルトが起き上がったのは偶然じゃない。なかばナージャが仕向けた賭けに近いようなものだ。

 少し前にシスカーに蹴り飛ばされた時、ナージャはオルトが気絶している方へわざと跳んだ。おかげで彼女はオルトに接近することができた。

 幸いだったのはまだオルトの首に『魂喰らいの首輪』が着いていた。

 だから彼女は、オルトに自分自身の魂を喰わせて力を出させようとしたのだ。わざわざ背後の地面に拳を打ち付けるふりをしてまでも、だ。

 その結果、背中の部分を噛みつき、オルトは復活した。

 あとは、ナージャとシスカーの様子を見守り、機を窺ってシスカーに突撃した。

 さすがのシスカーも、不意打ちかつ速攻で来たオルトに反応しきれなかった以上、


「う、これは……まずい…………!」


 シスカーは先ほどナージャとの攻防の疲労、更には片足を地獄犬に噛みつかれたせいで動けず、なすがまま彼女の拳に打ち付けられる。

 この時点でシスカーに逃げるすべなど、もう存在しない。

 それと同時に、シスカーに本気で畳み掛けるのもこの時しかない。


「もう逃がさない……覚悟、しなさい!」


 そこから先は、ただひたすらにナージャが拳をふるい続けていく。

 顔面を、腹部を、胸部を、両肩を、自分の手に届く全てのものを、破壊しつくさんばかりの勢いで殴り続ける。

 とにかくナージャは黒色に染まる両腕を充分に振り回して、シスカーの体を破壊しにかかる。

 これだけ一方的に殴り過ぎて逆に傷を負うことになっても、なお殴り続ける。

 先ほどくっついたばかりの左腕も、切り傷があったところから血が噴き出している。

 肉を撃ち、骨が砕けるような感触に嫌気を感じつつも、彼女は攻撃の手を休めない。

 オルトも、相手を逃がさんばかりにシスカーの足を噛み続け、ナージャから来る攻撃に体が押されないよう足を踏ん張る。


 そして、どれだけ殴り続けたか、

 握りしめた手の平から血が滲み、拳の先からも軋んだ音を立てて、とどめの一撃はシスカーの顔面に真っ直ぐ入った。

 直後に奴から響いたのは頭蓋が割れる音ではない。もはや頭蓋を貫通して間後ろへと突き抜けていくように響く。

 そして、シスカーだった肉塊は、真後ろへと倒れてしまった。


「はぁ……はぁ……はぁ……うっ…………」


 無理を通した数々の殴打に、さすがのナージャも限界に近かった。

 殴り過ぎてかえって疲れてへたり込むナージャに、相棒は真っ先に死体の足から口を離して駆けつけてきた。

 口元に付着したシスカーの血液を散らしながらも、大声で言わずにはいられない。


「ナージャ、無事か!」

「オルト……よく起きたわね。まったく、世話が焼けるわ……」

「そういうお前こそ、なんつー無茶しやがるんだ!」


 お互いの心配するも、気遣う余裕もなくつい憎まれ口を叩きあう。

 さすがに無視はできないところだったが、無駄口を叩く余裕くらいはあると安心し、改めてナージャが殴り飛ばした敵の方へと見る。

 相手はもうすでに目も当てられない凄惨な肉塊へと化してしまっている。

 顔面は潰れるどころか、突き抜けては風穴を開けてしまい、頭部以外の身体全体が血に塗れている。

 ここまでやれば、再生能力を持とうとしばらくは動けない。肉体的な意味もあるが、強烈に身体に叩きこまれた痛みの記憶は、後々に影響が残るほどの心的な外傷までも叩き込んだのだ。 


「シスカーは死んだのか?」

「……そんなわけないでしょ。脱獄者なんだから肉体的にに死のうといずれ再生するわ」

「いや……あんだけ猛烈に殴られたら軽くトラウマものだが…………」

「はやく……止めを刺さないと…………」


 ポケットのケースから即座に『魂封じの剣・二式』を取り出す。

 面倒くさいことだが、同時にチャンスだ。早いところこの脱獄者に止めを刺さないとならない。

 もううんざりだ。散々言葉攻めにされ、傷を抉られるようなことをして、動揺しないわけじゃない。

 早く止めを刺して、パウルにも止めを刺しに行って、それでひとまずこの騒ぎにはもう関わる必要がないんだ。

 そう思っていたのに……ナージャは否応にも、目の前の光景に足を止めることになった。


「…………え?」


 シスカーの周囲に異変が起きたことに、思わず足を止める。

 それは、シスカーの体のあちこちに、妙な砂色のモザイクのようなものが、傷口のあった頭部を優先し、そこから徐々に体全体を、まるでその事実を覆い隠すように見えなくなっていく。


「再生能力か! まだ早すぎるぞ!」

「再生…………?」


 いや、思っていたのと何かが違う。

 確かにシスカーも脱獄者である以上再生能力は当たり前に備わっているものだと思った。

 しかし、今ここで見ているのはパウルや美獣の時とは何か違う。


「はぁ!?」

「なによ、これ…………!?」


 モザイクらしきものが晴れると、そこにあったのは全くの無傷なシスカーの姿があった。

 シスカーの身体だけじゃない。顔に着けている目隠しを除き、奴が来ている服までもまるで何事もなかったかのように元に戻っている。

 まるで怪我があった事実を書き換えるように……


「……う…………うぅ…………」


 元の状態に戻ったシスカーは、情けなく地面に伏せて苦しげに呻き、こちらを一瞥している。

 まさかまだなにか仕掛けてくるのかと、ナージャは身構えていると……


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああんッッッ!!」

「「!?」」


 ……まさかの号泣だ。

 それも恥も外聞もない泣き方に、ナージャもオルトも思わず足を止めてしまうほどに。

 周囲の反応に関わらず、シスカーは涙を流しながら辛そうに喋る。


「グスン……私のこと、こんなに嫌いなんだ。あんな殴り方してたら嫌でも伝わってくるよ。うぅ……うう…………!!」


 シスカーの動揺した姿を初めて見て、むしろ戸惑う事しかなかった。

 彼女は知らないが、シスカーは地獄の苦行に泣き言一つもないままやり過ごしたほど、手におえない存在だ。たとえ奴をよく知らない彼女が見ても気味悪く感じられるなら、地獄監の連中は真っ青になるようなことだろう。

 しかも、彼女に殴られるまでだった自分の意図を読ませないようなわざとらしいものとは違う。ここまで感情をハッキリと露わにしているのは初めて見るのだ。

 ここにきて唐突は本音どころか感情の爆発を奇妙に思えると、さらに不可解な事態が立て続けに起こる。


「嬉しいよ……こんなに嬉しいことは初めてだ!!」

「!?」


 シスカーが急に泣くのをやめたかと思うと、高らかに声を挙げて明らかに喜んだことに、とうとうナージャもオルトも、気味が悪さに引いた。

 涙は流したままなのに、本当に口元を横に引いて笑みを浮かべているのだ。

 それが作りものでないとはっきり分かっているぶん、なおさらのことだ。


「だって……ここまでやってて私に無関心なんてそんなの悲しすぎるし、もう取りつく島もないんじゃないかと思ったけど、ここまで私の事を『許せない』でくれるなんて…………」

「おい、ふざけるな……いったい何の真似なんだそれは……!」

「……何言ってるんだよ。泣きたいときに泣いて、何が悪いんだい? こんな時ぐらい泣かせてよぉ!!」

「こいつ……イカレてやがる……!?」


 いったい今のどこに喜ぶ要素があるのかさっぱりわからない。

 しかも、先ほどの涙も含めて、それが偽りなどない純粋な嬉しさという感情から起きているため、なおのことわからないのだ。


「そうだよね……まだ希望は捨てちゃダメだもんね。ここで折れちゃったらなにもなくなるもんね。人間、諦めないことが大事なんだね!」


 そう言うとシスカーは立ち上がり、服についた汚れを振り払うと、なんの脈絡もなく前向きに奮闘していく。

 この状況に相手の考えは全く読めないが、今止めを刺すチャンスを逃すことになる。


「わかった! 私、頑張ってみるよ! 結果は急いじゃダメだってね」

「そう簡単に、逃がすわけがないわ!」


 わけのわからないことに足を止めてしまったが、すぐに止めを刺しにシスカーの元へ駆け寄り、すぐに魂を封じる短剣を振り降ろした。


「!?」


 しかし、短剣がシスカーに届く直前、奴の目の前に赤い色をした“何か”が阻んできた。

 液体でも気体でも固体でもない不自然な“何か”は、シスカーの命を削って展開されているものだ。

 その正体を知るナージャは、今までそのことを警戒していなかったことに失念する。


「『魂削たまけずりの宝玉』……!」

「ヒハハ、切り札は最後まで取っておくのさ。でも、ない状態でもここまで追い詰められたのはちょっとびっくりしたよ」

「この…………!」


 再び短剣を振り抜こうとすると、赤い“何か”は短剣を握りしめるように離さず、強制的に動きを止められる。

 それも、全力で力を入れてもがこうとナージャもシスカーも微動だにしない。


(防御でも攻撃でもなく、こんな使い方までできると言うの……!)


 魂を削られるという制限もあるが、そのせいで先ほどのシスカーは本気を出さなかった。

 いや、


「うーん再処刑人さん。望んだ結末は見られなかったけど、これはこれで全く違ったいい感じの展開だし、まあ一応満足してきますよ」


 こいつはまだなにかを隠している。

 地獄の技術を除いて、奴はまだなにか彼女の知らない何かを持っている。

 だから彼女はこれ以上無理に突っ込めないことを察した。


「でもね、再処刑人さん。これだけは覚えててほしいなあ」


 それをいいことにシスカーは、右手の指をナージャの顎下に当てて目線を合わせる。

 目隠しのない奴の瞳は意外なほどに澄んでおり、奴の瞳を通して自分の姿さえ映る。

 まるで自分自身を全て見透かされているようで、かえってやはり気味が悪い。


「どんな方向へ物事が進もうとしても、結局のところ自分に納得のいかない結末じゃないと、一生引きずっちゃうよ。…………今みたいにな」

「……うるさい。あんたに何がわかるの」

「主義なんて知ったことじゃない。だからもっと欲張れ。欲しい物も、必要な物も、どうでもよさそうな物も、嫌いな物も、廃棄処分物も、わたし自身さえもね。じゃないと、なんでも持っている私には延々と勝てないままだよ」

「…………」

「望めばきっと変わることができる。だから私の元へたどり着けることも、期待しちゃうぞ」


 言いたいことを言うと、「サラッ!」とシスカーは連れの少女の名前を呼び、ナージャを離して街から去っていった。

 彼女はその背中に一切の不意打ちをせず、最後まで見る事しかできないまま、シスカーたちの姿は消えていった。

 無言でそばに寄るオルトに、ぽつりと呟く。


「……あいつ、手加減をしてた」

「え?」

「自分の立場もわからないで、ただ楽しむためだけに…………」

「お、おい。どういうことだ」

「…………」


 彼女が再処刑人であることを、奴は知らないわけじゃない。

 不老不死である奴にとって彼女は天敵に近い存在だ。

 それなのに奴は彼女の事を本気で殺そうとしない。二十年前の時とは違い、わざと彼女を誘い出すようなことをしている。

 挙句の果てに、彼女にこの街を助けるようなことを言い、関係ないと言えば怒り、殴りつけば突然泣き出して喜ぶ。


「……」


 理解不能なことばかりだが、これだけは確信して言える。

 シスカーはこの状況を楽しんでいる。

 自他ともに生死に何も恐怖を抱いていない。まるで他人事のように嬉々として自分のやりたいようにやる。

 それがナージャにとって腹立たしいことこの上ない。


「……許さないわ」


 絶対に認めない。こんなこと認められない。

 再処刑人としても、彼女自身の意思としても、それは許していいことではない。

 それが憎しみか嫌悪なのか彼女自身にも測り切れないが、確固としてある一つの感情が固まった。


「絶対に、地獄へ落としてやるわ」


 絶対に逃がしてはならない。

 ただ一言、彼女自身そう心の中で誓った。


 皮肉なことに、それが後々自分自身への変化のきっかけになるとも自覚しないまま……


「おい、ナージャ。周りを見ろ」


 オルトに促され、周囲を見る。

 シスカーによって気絶させられた月華街や陽光街の住人達が、次々と起き上がってくる。

 しかし、月華街の住人である騎士たちの様子がおかしい。

 苦しげな声を出して体を押さえる者がいれば、外傷もないのに血を吐く者がいる。

 明らかに何か体に異常をきたしている。それも同時にだ。


「ナージャ。これは……」

「時間切れ……のようね」


 騎士たちが次々と自発的に体から血を流していく。

 ツキカゲが言っていた対立する街へ長居したことによる代償だ。

 これ以上街を責めることができないと判断した騎士たちが、悔しそうにも次々と街へ戻っていく。

 パウルの事を差し引いても、時間的に厳しいことだと判断したのだろう。

 次々と月華街の騎士が、陽光街から姿を消していく。


「ひとまずは安心していいってことか……?」

「いや……」


 こうなったのはシスカーが無理矢理騎士たちを足止めしたせいだ。それにこの後パウルを殺せば同じことはまた起きる事だろう。そうなればもう今度こそ陽光この街は終わりだ。

 もし自分が介入しようが、どちらに転んでも被害者は出るし、これ以上は自分にとって無関心ではあるが……


「…………ちっ、なにが責任よ。本当に…………」

「おい、ナージャ! どこへ行く! 俺は!」

「あんたはあの子の面倒でも見てなさい」

「え!? ああ、そう言えばリュナは……」


 ナージャは街の最奥にある太陽塔の方へと走っていった。

 彼女はこの状況にある決断を下した。

 もう彼女には、それまでの苛立ちなどもうどこにもなくなった。



          ◇



 パウルとバレリアとの最後の言葉は、悲哀に満ちたものとは少し違っていた。


「パウル父様……本当に、お諦めになるのですか……」

「ごめん、バレリア。来たるべき時が来た以上、やはり免れないことだよ」

「……おかしいです。そんなのどうして……父様はいつもそう勝手なのですか……!」


 怒りが、湧き上がる。

 バレリアは今まで抱いていた感情を全て上乗せするように、


「母様を置いて行ったことも……この街に置いたことも……挙句の果てにいきなり別れなんて…………」


 未だに消えない火傷跡の顔面が、痛々しく歪んでいく。

 彼女を傷つける存在から護ったのはパウル。しかし、傷つける原因を作ったのもある意味パウル。

 自分にとって父親とは実感できず、ただただ遠い存在にしか感じられない。


「ヴァレリィ。僕は、僕の大事な人を護るために、それ以外を犠牲にしたんだ。だから……こんな報いが来るのは……」

「言わないでください!」


 そんなことわかっていた。ずっと前からわかっていた。

 地獄の使者と対面する前から、わかっていたことなんだ。


 それでも彼女は、パウルに対して愛情と呼べるものは確かに存在していた。

 自分にとっては醜い傷跡でしかないこの傷も含めて、パウルは愛してくれた。だからそれに応えたい気持ちはあった。

 それなのに、


「どうして私は……今になって、なにも返せないんでしょうか……」

「ヴァレリィ……」

「ずっと向き合うのが怖かったのに……」


 パウルは決してバレリアをないがしろにはしなかった。いくら多くの寵愛者がいても、それだけは確信して言える。

 ただ、バレリアはパウルと向き合うことが怖かった。

 傷跡を残し、パウルに罪を背負わせる原因でもあった自分が、罪悪感を抱えたまま向き合えるほど強くはなかった。


「私は……遅すぎます! 今になってこんなことしか言えなくて……どうして私は…………」


 だからパウルはずっとわからなかった。娘が自分を避けていることを、娘の本心が全くわからないことを、地獄の使者が来ると知った時になっても、わからないままだった。

 しかし、理由は簡単だった。それを知るためだけにどれだけ時間をかけ、危険なことになったのか。

 気付くには、もう遅すぎたと言うのに。


「……だったら、僕からヴァレリィに、一つだけいいか?」

「え?」


 パウルはせめて、自分言う存在を少しでも残すために、娘にある言葉を言った。

 それは、彼女が生きるための希望であってほしいものであるが、下手をすれば彼女自身を縛り付けるかもしれないほど危険なもので……


「―――――それはっ!?」

「……死ぬ間際になって、こんなことを言うのはひどいと思うけど、どうかお願いを聞いてくれないか?」

「それ、は…………」


 最後にある一つの約束。

 バレリアは逡巡した。そんなことを言う人はもうすぐいなくなると分かっているし、それが諦観を表していることにも。

 答えに迷う。たとえ死に際の父親の大切な願いでも、簡単には頷けない。

 父親の願いを聞かないわけがない。ただ、それを果たすことが自分にできる事なのか、自分にはわからないことだと迷っている。

 こんな唐突なことに、そもそも少女は覚悟していない。ただ


「言いたいことはそれだけ?」

「「!」」


 と、静寂に包まれていた空間に、再度全く異なった者の声が割り込んできた。

 満身創痍の様子で、ひどく傷を負った様子の地獄の使徒が、真っ直ぐとした足取りでパウル親子の元へと近づいていく。


「ナージャさん……」

「来たね。もう、どうしようもないけど、覚悟はできているよ」

「……そうね。手間がかからなくてちょうどいいわ」


 パウルの身体は、長い時間経過によりもうほとんど再生されている。しかし、娘がそばにいる中、これ以上抵抗するつもりはないだろう。

 止めを刺すのは容易だ。魂を封じて、知らない顔をして、それで街を出ていけばいい。

 しかし……それだけ終われば、彼女は絶対に納得しない。

 いま目の前にいる脱獄者は、脱獄自体のことも、この街に住むことになったのも、全てシスカーに仕組まれたことだ。脱獄から今までどのように彼が生きていたのか知らないが、脱獄が始まった時点で、このような悲劇は避けられない事態となったのだ。

 こんな事態になったのも、全ての糸をたどれば何もかも奴の手の平で踊らされているような気がしてならない。

 だからこのまま簡単な道を選んで終わるような考えは彼女にはもうすでになくなっていった。


(他人なんか、知ったことじゃない)


 彼女自身、陽光街だろうが月華街だろうが、なにひとつ感傷など抱かない。

 それでも、このままあの憎たらしい脱獄者にいいように利用されたまま、なにもかも終わらせたくはない。


「死ぬ前に、自分のやるべきことをやってから死ぬべきよ」

「……なにを、するつもりだい」


 ナージャは思う。こんなこと、自分には無関心だ。誰がどうなろうと知ったことじゃない。

 だけど、このままじゃ自分自身を苛むこのイライラは収まらない。


「少しだけ、あんたに時間をあげるわ」

「え……」


 だから最後くらいは、納得のいく決着をつけることにした。

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