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2-17 対面

 月華街の騎士たちが突入した頃、ナージャ達は陽光街の外で待機していた。

 騎士たちと突撃のタイミングを合わせるのではなく、あえて騎士たちが街を広まり始めた頃に突入する計算だ。

 そのタイミングをオルトは今測っており、反対側の方で戦いの様子にすこし怯えているリュナを横目で見つつ、ナージャは携帯電話を取り出して上司の番号をプッシュした。

 続くコール音の後、電話の向こうから厳かな男の声が聞こえてくる。


『……よう、ナージャ。もうそろそろか?』

「はい、所長。もう下積みは充分に終わりました」

『うむ、俺が知らない間にいろいろと動きがあったようだが……』


 今、携帯電話を使うナージャの姿は誰にも見えない為、邪魔される心配はない。

 おそらくここからはパウルとの最終決戦となるべく、今のうちに上司に報告するべく通信を使っている。


「月華街の人たちは協力的になりました。後は本格的に街へ攻めいるつもりです」

『いや、まて。そもそもなぜ月華街の騎士を利用して何をするつもりだ。状況も含めていろいろと説明しろ』

「わかりました」


 長らく通話していなかったため状況が読めない所長に、簡単に説明するべく作戦の最終確認にツキカゲと打ち合わせた時の事を報告する。



          ◇



『本当に君には驚かされてばかりだ。騎士たちを圧倒するほか、陽光街からの刺客も退けるとは』


 月華の王城の門前。

 開口一番、タンピーアとの戦いから戻ってきたナージャに待ち受けたのは、そんな言葉だった。

 まるで見ていたかのような物言いに眉を顰め、疑わしげに言う。


『……見ていたの?』

『そうだ。……正確には月光の下で何が行われていたのか、だがね』

『だったら話が早いわ。私が話した作戦、実行してくれるでしょうね』


 もうすでに勝敗はついた。最後の一人は行方不明だが、幹部の騎士四人をすべて退けたのだ。これで話を聞かないわけがない。

 それでもツキカゲはナージャの話を完全に理解していない。と言うより釈然としないことがある。


『……そこなんだが、今でも君の言っていることは半信半疑に近い』


 今さら疑う訳ではないが、ツキカゲは再確認するようにナージャに言われた作戦と正体について、改めて口にする。

 中でもその要となるパウルの正体。その予想以上の能力に今でも不思議と思慮深く考えてしまう。


『パウルの指についているその……『魂移たまうつしの指輪』だったか? あいつが身に着けていた黄色い指輪の効果が……』


 ナージャから教えられ、少なからず驚愕したその能力をツキカゲがもう一度口にする。

 制約もなく魂に直接干渉する禁断の術。

 何のリスクもない道具の恐ろしさが、説明をしていく中で表れてくる。


『有機無機問わず、自分の魂を印をつけた他の器へと移すなど……』

『正確には魂と指輪。この二つを移すものよ』


 魂が移る瞬間、指輪も器の指へと移される。

 これをもってして、肉体は滅びても別の肉体を借りて生きながらえることができる。

 つまり器の準備さえ滞りなくできれば、その持ち主は一生を半永久的に続けられることができる。

 ましてや……


『とはいっても、すでに魂のある器……特に健常な人間の中に入り込んだところで、抵抗されれば持ち主じゃない魂は追い出されるし、かといって死体に移すには器に限度がある。けど……』


 その持ち主がパウルだからこそ、問題は想定以上に簡単に済ますことができたのだ。

 それこそが、月華街の騎士たちがパウルを倒せないもう一つの理由になる。


『そもそもあいつは人間じゃない。花に憑りついて具現化された精霊よ。つまり、彼にとっての肉体は生身の人間の体じゃなく……』

『仙花といわれる特殊な花、か……どちらの街の魔術にはない能力だ』

『当然よ。これは()から持ち出された技術だからね』


 口外に地獄の事を口にすることはできないのだが、必要以上の追及が来ないことはこちらとしても大助かりだ。

 どうせこの世界は広い。何を異様と深く追求されないことが幸いだ。


『で、奴はどうやったのか知らないがその花を大量に用いり、街中のあちこちに仕掛けたのよ。そのせいであいつにはしてやられた』


 思えばおかしいことはいくらでもあった。

 傷つけたはずのパウルの姿が、痕跡なくどこかへ消え去った事。

 その直後、なぜかナージャの手に握られた、半分に折れた半透明の花。

 そして、街中見渡す限りにある()()()()()()()()()()()()()


 つまり、パウルは……


『どういう方法か、あいつは街中に肉体となる花が埋められていた。しかもどれ一つも例外なく、印付きでね』

『そのせいで瞬間移動のようなものができる上、傷ついた肉体を取り換える、か……にわかには信じがたいが、過去に戦った記憶と照らし合わせればつじつまが合う』


 陽光街の限りある場所に、自分の肉体となる花を大量に設置していたのだ。

 同じ花、しかもほぼ同じ環境下で育った幾多ものの仙花。

 あれは街を彩る花なんかじゃなかった。自分が都合よく光速移動し、なおかつ怪我などの負傷も、肉体を変えればいいだけ。


 花精という特殊な素性を持つパウルだからこそできる、多くの仮の肉体を用いた地獄の技術の使い方。

 だからこそナージャも逆に考えた。数で勝るならこちらも数で勝ればいい、と。

 それこそが、月華街へと赴いたナージャの理由。


『だからあなた達に頼んでいるのよ。たくさんの兵士を抱えるあなたに……』


 そう、自分は相当無茶なお願いをされたものだ。

 なぜなら、そんな方法で本当にパウルを倒せるのかわからない。本当のことなのかも怪しいところなのだからだ。


『……街中の花を毟り取れ、か。本当にその方法で奴を倒せるのかね?』

『ええ。あくまで逃避用、瞬間移動用の体となる花をつぶすだけ。肝心の本体は私が倒す』

『うむ……そうか』


 最後の本体を倒すと言う部分だけ声音を低くして強調した。

 なによりもそれだけは誰にも譲れない、邪魔など許しはしない、そう言外に感じられたツキカゲは大人しく言うことを聞く他にないのだ。


『だから兵士たちの説得、約束通り果たしなさい』

『……わかった。戦いを通じてまで賭けたものじゃ。すぐに行動へ移ろう』

『ええ、頼んだわよ』



          ◇



 そうしてツキカゲは月華街に残る戦力を集め、そして……実行に移った。

 以上の報告結果を聞いて、所長は少しだけ苦い表情を思い浮かべるような声を出す。


『お前……地獄の技術を教えたのか』

「能力だけです。地獄の存在自体は秘匿にしていますので問題はありません」

『……まあいい。しかしパウルも厄介な使い方をする。奴の特殊な生い立ちだからこそできる使い方だな』

「だからこそ、月華街の騎士たちを使うんですよ」


 作戦開始は早い方がいい。仲間が死んで動揺しているうちに決着をつけた方がいい。

 これはナージャではなく月華街の騎士たちの考えではあったが、ナージャにとっては都合がいい事には変わりない。


「少し早いですけど、感覚共有を使います。オルトと別行動を取ることになるのでサポートをお願いします」

『わかった』


 一旦別の機能を起動するため、通話機能をいったん切り、改めて街の様子を窺う。

 街の外で先に陽光街を襲撃した騎士たちの怒号が聞こえてくる。その時は来たようだ。

 すでに街中の花という花が騎士たちによって毟り取られ、破壊されていく最中となる。


「……始まったわ」


 直接様子を見なくても、外まで聞こえる音によってわかる。

 街は騎士団の突入により混乱状態に陥り、住人達は早いうちに避難所へ避難しているところだろう。そしてパウルの寵愛者もまた街を護るために表へ繰り出している。


 ある程度町が騒ぎ出せば、あとは自分の出る番だ。


「オルト。あんたはパウルの住処を襲撃して、あんたの記憶にある印付きの花を破壊して」

「わかった」

「ナージャさん。わたしは?」

「あんたはオルトについて行きなさい。どこかで一人になるよりはそっちの方が安全でしょ」

「わ、わかった」


 頃合いを見測り、戦いの準備に入る。

 今頃街は大騒ぎだ。なにせ目的は侵攻ではなくパウルの肉体となる仙花の破壊。つまりは街そのものを襲う事にある。寵愛者も対応に追われている頃であろう。


 ナージャは携帯電話に登録されたあるアプリケーションを起動し、付属のワイヤレスイヤホンの電源を入れて耳に付ける。

 すると彼女の義体が地獄にいる上司と、意識と感覚が共有された。

 イヤホン越しに上司の声が聞こえる。


『音声テストをする。ナージャ、最近お前がいないことで仕事が忙しい上に若干寂しいと思う。慰めてくれ』

「知った事じゃありません」

『……そうか』


 内容はとにかく、意思疎通は可能だ。

 準備ができた所で、ナージャははその混乱に紛れ、本命のパウルのいるところまで行く。


 騎士たちに蹂躙される街。そこにナージャ達も本格的に動きだし、混乱状態のまま突入していった。



         ◇



 街に入り、辺りを奔走すると、思いのほか順調に騎士たちは役目をこなしている。

 花壇や鉢植えなどの数多くの花は無残にへし折られ、更には念の入れように住宅の内部に入る者もいる。

 しかしそれで黙っていられるわけがない。


「陽光街の術師だ! 全員、迅速に距離を詰めろ!」

「三番と四番! 怯まず全速で進め!」

「みなさん! 前衛はわたくしがお任せしますので、援護をお願い仕します!」


 所々、橙と白を基調とした法衣姿の人たちが、騎士たちに魔術を放っている。

 敵を撃ち抜く偏光が飛び交い、視界を突き刺す閃光が奔り、騎士たちを牽制しつつ退避しようと躍起になる。


『凄まじい光景だ。脱獄者一人のためにこうも大事になるのか』

「現世への影響が無視できないほど大きいという事ですね」


 まさしく争いだ。情けも容赦もない殺し合い。

 これほどの人間同士の争いの渦中を、彼女はただひたすらに駆け抜ける。


「…………?」


 しかし、ある違和感をナージャは覚えた。


『どうした』

「さっきから私に対して攻撃してこない。なぜ?」


 先ほどから陽光街の術師はナージャに対して攻撃をしてこないことに気がついた。いくら騎士ではないにしろこの状況の中、真っ先に自分の領地を駆けて行く異邦人に対して警戒心を抱かないはずがない。


「待って、あの人に攻撃をしないで!」

「!」


 そう疑問に思いながら街中を駆ける途中、誰かの大声が耳に届く。

 活発的な少女の声だ。その声が、ナージャに魔術を施そうとする術師を制止した。


「パウル君が直々に相手をすると言った! だからあの女の人はパウルに任せて!」

『なるほど。あまり周囲の人間を巻き込ませたいために根回ししているようだ』


 今の声は聞き覚えがある。確か最初に戦ったパウルの寵愛者だ。

 タンピーアの事を知っているならば、パウル以外は手出ししてはならないと指示するのだろう。

 余計な戦いをしないことはナージャにとっても好都合だ。負ける心配はなかろうが、いちいち時間のロスには遭いたくない。


 すでにオルトは先に行っている。先ほどから脱獄者は街の最奥の所から動いていないという情報を聞いており、ひとまず目的地を

 オルトの匂いに頼ることもそうだが、陽光を作り出す“太陽石”の元へ行けば、否が応でも守護者であるパウルは現れざるを得ない。


 しかし、またしても思考中のナージャを近くの大声が掻き消してきた。

 この声に、彼女は足を止める。


『ナージャ! 今の声は……』

「……あっちの方ね」


 ナージャが進行する方向から右側の方、

 そこからより大きなどよめきが、恐れの色を交えて彼女の耳に強く届いた。


「まさか……」


 ナージャは即方向転換し、騒ぎの中央へと走り抜ける。

 距離からして大した長さじゃない。あそこには確か大きめの花壇が置かれた広場がある所だ。

 つまり……


『パウル……!』


 駆けて行く中、遠めだがその視線の先にパウルがいる。

 その周囲を白銀の鎧を身に包んだ騎士たちが取り囲んでいる。

 今にも襲い掛からん勢い……と言うより一斉攻撃を仕掛けるつもりだ。


 パウルに手を出すなと言ったはずだが、いざ目的が目の前にいると動揺せずにはいられない。

 しかもパウルにとっては大して注視されず、ただ降りかかる火の粉を払うかのように、


「邪魔だよ」


 一蹴するような一言と共に、パウルの姿が微動だにしないまま周囲の空間を引き裂かれた。

 何が起きたのかはっきりと見えない。しかし数秒後、騎士たちは見えない何かに突き飛ばされたかのように仰け反る。


「がっ…………!?」


 騎士たちにはいったい何が起きたのか見えない。

 しかし、ナージャはその攻撃の正体を目撃した。


『今のは……!』

「所長、見えましたか」

『ほんのわずかだが……』


 不可視の攻撃の正体。ナージャの目に入ったのは、パウルの両手の指が変質したことと、それによって攻撃を繰り出したのだ。

 透き通る白さが緑がかり、徐々に太さを増していったパウルの指は、ほんのわずかに光を帯び始めるとしなやかに伸びて騎士の鎧を裂いたのだ。


 ナージャと所長以外の騎士には見えない。

 しかし、伊達に何度も街を攻めただけはあり、過去の経験や仲間との情報の共有からあらかじめ騎士たちは反射的に回避に移ることはできたが、やはり彼の早さには反応しきれず、何人かが負傷してしまう。

 どれも軽症で済ませているが、指以外全く動かしていないパウルの佇まいに、やはり歯が立たないことを悟り、兵士たちは一旦引いた。

 代わりにナージャが躊躇もなく前に出る。


「……とうとう来たね、地獄の使者」

『……行くのか、ナージャ』


 今のパウルに迷いは見られない。

 柔和な雰囲気から一転、前よりも一段と強い闘志が感じられる。

 こちらも強い殺気を纏い、武器の存在を確かめて構えようとする。


「ここで戦う必要はない」

「!」


 しかし、その動きを読まれたかパウルは先に制するように言葉をかぶせてきた。

 その上、言葉以上に彼自身から感じ取れる強い感情に彼女は足を止めざるを得なかった。


「陽光の巨塔で待っている。一人で来い」

「…………」


 口数が少なく表面は平然としているが、その内側には得も知れない怒気が含まれている。

 それは寵愛者を奪った自分に向けられるものかとナージャは思っているが、実際にはパウル自身にも含まれていることを知らない。

 パウルの指に嵌めた指輪が光を放つが、これは魂を移す気だ。相手が受けて立つつもりである以上焦ることはない。

 湧き上がる情動を必死に抑え、余計な事を言わない内にパウルは《飛んだ》。


 目の前には仙花が落ち、彼の魂は彼の言うところへと向かった。

 彼女は特に何も思う事はなく、パウルの言った場所まで駆けて行った。



          ◇



 陽光街、最奥にある“太陽石”を納める巨塔。

 天辺から光を放ち、周囲に大きな影を作る巨塔の入り口にナージャはたどり着いた。しかし同時に不思議に思う。


 ここに来るまで彼女は寵愛者の一人も戦っていない。顔を合わせることは合ったが自ら抑えるように戦おうとはしない。

 初めから決められた道ができているように、ここへ誘導されているような感じだ。

 いよいよもってこれは一対一で戦うためにパウルが仕掛けたことだと感じられる。


『だがまだ何があるかわからん。気を付けろ』

「はい」


 上司の警告に適当に返事しつつ、木製の大きな扉を開けて中に入る。

 塔内に入ったナージャだったが、特に際立った物はない。

 あるのはただ階段と小休憩の踊り場のみ。見上げれば窓はなく、外の様子がわからないのでどれほどの高さなのかわからない。


『これを登り続けるのか……頑張れ』


 所長の特に必要ないエールを受けると、ナージャは階段を昇り始めた。

 石でできた階段を、足元を崩さないように配慮しつつ一段ずつ踏みしめて上へと登って行く。

 最初は罠の可能性があったがしばらく登り続けてもなにかが起こりはしない。誰も待ち伏せしている様子はないようであるため、昇るごとに少しずつペースを上げていった。

 途中の踊り場があるが全く休む気もせずひたすら登って行く。


『本当に何も来ないな……』


 あれだけの怒気を抱えておりながらも正面堂々を取るつもりなのだろうか。だとしたらおかしな話だ。

 階段を昇る音だけが響きわたる。


「……はぁ……はぁ……はぁ、ついたわ…………」


 そして、全ての階段を登り切った先にたどり着いたのはひときわ大きい扉だ。

 これ以上、上に昇る階段もなくここが最上階の扉だろう。


「ふぅ…………パウルはここにいるのね」


 ナージャはパンツのポケットからケースを取り出して『魂抑たまおさえの金棒』を出して構える。


『出だしから気を付けろ。相手が律儀に待っているとは思えん。扉を開けるときは十分警戒しろ』

「わかっています」


 武器の準備ができると一呼吸を入れ、ナージャは目の前の大扉を勢いよく音を立てて開いた。

 扉が開いてからどのように強襲を仕掛けるかを考慮しながら扉の中に入った彼女だが、目の前に広がる光景を見て思考が吹き飛んだ。


「! ここは……」


 塔の最上階へと登り切った彼女を待ち受けた光景は、塔内の持つイメージとは全くかけ離れた景色だった。


『ここが太陽石のある室内……どう見ても外だ』


 目に飛び込んだのは、室内であることを思わせない自然豊かな光景に見えた。

 地平線まで広がる青い草原と色とりどりのお花畑が全く雰囲気の異なる景色を表し、

 室内を眩しいほどに照らす大きな太陽は、日光で直視することはできないが、巨大な石が宙に浮かび上がって光を放っている。

 そしてその中央に広がるのは水面に景色を移すほどきれいな青い池。

 その池の上を数多の花が咲き乱れ、巨大な葉っぱが浮かんでいる。

 まさしくこれはどこかの野原にしか見えない。


『なんと幻想的な景色。とても石を管理する最後の地とは思えない』

「ふふふ、驚いてもらえたようで何よりだよ」

「!」


 声がした。間違いなく奴の声だ。

 その方角は池からだ。


『ナージャ、あそこだ』

「……来たわね」


 池の中央、表面を覆い尽くすほどの花をかき分けてぼこぼこと気泡がはじけ出ると、水中から一人の青年がゆっくりと浮かび上がるように現れる。

 頭から顔、次に首、そして胴体へと次々に姿を露わにして、体が現れてくる。

 そして足が浮かび、足裏が水面に着いたところで動きが止まった。


「ようこそ。ここは陽光街の源、“太陽石”の管理室。特殊な魔術で部屋を拡張し、僕の趣向でこういう景色にした」


 パウル・ロキ・シェロスは意外にも清爽としており、何一つ乱れることなく心を落ち着かせている。先ほどナージャに場所を教え誘った時のような隠された怒気が感じられない。

 透明。

 そう一言で済ますにはえも知れない何かが感じられる。


『……妙に落ち着いている。清々しさを超えて不気味だ』


 所長が警戒心を強めるように聞こえることを言うと、ナージャは池の近くまで一歩ずつ静かに歩いて行く。

 対して彼も足裏が水面の上を浮かぶように立っており、一歩ずつ水面を浮かぶ花を踏みつけながら池のふちへと歩いて行く。

 片方は内情を外面で閉ざし、もう片方は一点の曇りもない晴れ晴れとしている。


「きれいでしょ。たとえどんな花も土と水と光があるからこそ、こうして立派に咲くことができる」


 徐々に、徐々に、

 方や池の上から、もう方や花畑の上から、お互いに距離を詰めていく。

 パウルは何か喋ってはいるが、ナージャは沈黙を貫いて行く。


「僕が失えば泣く者がいる。僕がいなくなればこの街に大きな変動が起こる。そして何よりも僕はこの街から、皆の前から…………消えたくない」


 いつでも両腕を黒化する準備はできている。右手の中の金棒の存在を確かめる。

 見た感じパウルの両手には何も持ってはいないが、油断はできない。


「だからこそ、君がが正義であろうとどんな理由だろうと……」


 そしてお互いに間合いの内となるまで距離を詰める瞬間……


『ナージャ!』


 パウルの指先がかすかに動く。 

 その瞬間を見極めてナージャは動き出した。


「僕は君を倒す!」

「あんたを地獄へ落とす」


 パウルの指先が変形して光を帯び、鞭のようにしなやかに伸びて襲い掛かるも、それらすべてをナージャは金棒ですべてを受け止めた。


「…………っ!」


 それが合図となり、パウルとナージャは動き出した。

 互いにあるのは、敵を倒すのみ。

 片方は自分を含めた居場所を守るため、もう片方はただ役目のため。

 決して収まりのない戦いが始まった。

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