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2-16 準備終了

 匂いが変わった。

 闘志と流血との激しい匂いは緩やかに薄れつつある。

 ナージャの方からした寵愛者の匂いに決定的な変化が起きた瞬間、オルトの表情は曇らざるを得なかった。

 オルトは確信した。向こうでの戦いに決着は着いた事だろう。


(ナージャ……まったく、無茶をしやがって……)


 あのとき、タンピーアが絶望しかけた時の事を思い出す。

 タンピーアが束縛を抜けてレイピアで突こうとしたとき、ナージャはあえて避けようとはせずわざと受け止めたのだ。

 おそらくは義体だからこその不死と微弱ながらの再生能力を暗に示し、タンピーアの心をくじこうとしたのだ。実際彼女はナージャの正体に半ば絶望に落ちかけていた。


 だが、かと言って再生能力とはあくまで傷口をふさぐ程度の機能であり、欠損した部分が戻ってくるわけではない。もしもタンピーアがそれに気づいてナージャの身体のどこかを斬り落としにかかろうとしたら……


(ま、その時は本気で防御か反撃に掛かるだろうな)


 しかし解せない。そうオルトは思った。

 なぜナージャは問答無用に相手を叩き潰すことはせずにわざわざあんな手を取ったのだろうか。

 もちろん地獄の規定によって現世の住人には必要以上の危害を加えてはならないが、そんなこと彼女の性格からして気にかかることではないだろう。

 じゃあなぜあの手を取ったのか。絶望させるためか、手間が省けるからか、常に合理的な判断をする彼女ならばそう言う風に考えてやったかもしれない。

 しかし、そうであるとは断定できない理由がオルトにはある。


 いろいろと悪い予感が頭の中を巡り続けたが、そうこう考えているうちに目的の場所に着いた。

 今は目の前のことをどうにかしなければならない。


 動揺と焦燥から生じる衝動を乗せて全速力で駆け抜け、たどり着いた月華街の外に続く門の前にたどり着いたオルトは、強引に口に咥えた少女をあえて乱暴に投げ捨てた。


「きゃ!」


 寵愛者ディジーは全身を擦りむいたまま立ち上がる。

 手には短剣。しかし少女にあるのは闘志ではなく怒りに似た感情に過ぎない。


「よくも……よくも…………!」


 敵意を向けられようと必要以上に取り掛かるわけにはいかない。

 無理やり追い返そうとするのでなく、自ら街を出るように促していく。


「あいつと目的は同じだが、お前は目的に入らん。さっさと帰るんだ」

「……よくも……タンピアお姉ちゃんを……!」


 ディジーの瞳が、怒りを通り越して憎しみに染まっていく。

 その光景を直視することに、オルトはほんのわずか心を痛めた。


「お前に俺は倒せない。さっさと帰れ!」

「ぅ……ううぅうぅぅぅっぅぅぅぅうぅっぅうぅ!!」


 しかし、いかに強い感情がディジーの心を支配していようと、現実はどうしようにもできない。

 一度破られた技をもう一度使うほどディジーも愚かでない。ただでさえ肉体が月華と拒絶反応を起こしているこの状況で、今の自分に勝算は全くないと悟らざるを得なかった。


「ぅ…………!」


 もう罵声の一言も出せず、ディジーは言葉もなく瞬時に街から消え去っていった。

 少女の姿が見えなくなった上で、まだ確認しなければならないことがある。

 鼻を動かしていくオルト。右に、左に、時にはあたりを少し駆けながら匂いを探っていった。


(あの狙撃してきた奴の匂いもしない。去ったか……)


 オルトが探していたのは初めにナージャを狙撃していた光線使いの寵愛者の事だ。

 あの時、神経を研ぎ澄まして嗅ぎ取ったかすかな匂いが感じられない。かといって血にまみれた匂いも感じられないため、早いうちにもう街から去った可能性がある。

 オルトの推測からして、狙撃してきた寵愛者は何らかの形で遠くにいる者の姿を見ることができる。それがどんな方法かは具体的には解らぬものの、タンピーアの合図を感じ取って正確なねらいをもって狙撃をしているのだ。

 しかし、その何者かの匂いはオルトの鼻から離れて行く感覚がした。

 おそらくその寵愛者も街中にいたせいで拒絶反応が起きたのだろう。その上、おそらくは“見た”のかもしれない。


 タンピーアと言う仲間の最後を。


「…………」


 オルトは無言のまま、先ほど戦った大通りの方へと走り出していった。



          ◇



 月華街、中央大通り。

 静寂と虚無が辺りを包み、むせ返るほどの血の匂いが道の一角だけにあふれ返っている。


「…………」


 ナージャは呆然とするまでもなく、至って正気のままその場に立ちつく知っていた。

 常に視線は余所を向くことはなくある一点を見続けている。


 すでに物言わぬ骸となったそれをただ見つめているだけだった。

 そこにいったい何を思い続けているのか、彼女以外にはわからない。


 沈黙の空気が支配する中、背後から相棒の足音が聞こえた。軽快な走りではない、重く静かな足取りだ。

 そこでようやく彼女は視線を横へと向け、顔を下げて辛い表情に陥る相棒に目を向ける。

 言われるまででもないのに、確認せずはいられなかった。


「ナージャ。その女……死んだのか」

「そうね。時間切れって所よ」


 そう聞いてオルトはなにも言う事ができず。ただ口を強く閉じている。

 哀しいと言われるとなにか違う。

 少なくともこの状況はオルトが望んだものではない。そうせざるを得ないことに歯がゆい思いを抱いている。

 それでもオルトはその感情を抑え、自分の方からの状況を報告する。


「あの少女は陽光街へ帰った。狙撃してきた方も……たぶん」

「…………そう」


 オルトの報告を聞いてナージャはとくに感慨深げもなく目を伏せた。

 もう敵はいない。それを聞いたナージャは今の状況になってある行動を取り始める。

 すでにやると決めた手前、彼女の右手は骸の方へと向けられる。


「命道術・蓮火れんか

「!?」


 するとナージャは指先から綺麗な紅い火を灯しだすと、それを目の前の骸に投げつけた。

 灯は骸の右手に着地すると、そこから食事をするかのように火が手の上へと燃え広がる。


「ナージャ! 何を……!」


 自然にはない鮮やかな紅い火は、まるで意思があるかのように轟々と燃え上がっては骸の身体を端から徐々に蝕んでいき、やがて全てを覆っていく。

 燻りもなくただ黙々と、音も匂いもなくただその姿だけが形を崩していく。


 そして、夜空を超えて輝いた炎は、役目を終えたかのように徐々にその勢いを小さく縮小していった。

 炎の中はもうほとんど影がない。皮も骨も肉も、焼き尽くすのではなく消失していくかのように骸は小さくなっていく。

 そしてあと十数秒もすれば目の前にあったものはすべてなかったことになるように、骸の身体はなにもかも消失してしまう。

 しかし、ナージャはこのまま黙って見てはいなかった。


 ナージャの腕が黒く染まる。


「!?ナージャ! 何をしている!」


 ナージャは腕を黒化すると腕を火の中に入れる。

 ほんの数秒、たったそれだけで焦げ跡も火もつかないまま手を引き戻し、そしてそれをパンツのポケットに入れた。

 そしてこのまま火は小さくなり、残り数秒で消失していく。


(今のは……どういうことだ?)


 オルトは解らない。

 なぜナージャはわざわざ命道術を使ってまで遺体を消失しようとしたか。

 そして火が完全に消失する目前に彼女がとった行動。

 その行動の意味をオルトは掴み切れないまま、火は完全に消えてしまった。

 もうナージャ達の目の前に何もない。なにもかもなかったことのように消えた。

 血も身体も、その持ち主が生きていたことを証明する者は何一つなくなってしまった。

 ただ一つ、彼女が取り出した物を除いて。


「……オルト。もう騎士たちが望んでいることは終わったから、さっさと行くわよ」

「あ、あぁ……」


 彼女の行動に気圧されつつも、それを振り切り次の行動へと移ろうとする。

 しかし、その直前にもう一つやることを思いだし、気持ちを誤魔化すことも含めて言う。


「……いや、待て。俺はこの場から離れたリュナを連れ戻しに行ってくる。あの城で待ってろ」

「……わかった」


 必要以上の言葉を話すことなく、オルトは走り去って行き、その背中を見送ることもなくナージャはただ歩いて行った。


 今のナージャにあまり多くの言葉を話す気はない。

 肉体的負傷はもうすでにないが、こころの中では自分でも知らない“何か”を煩わしく感じているからだ。


 途中でアクシデントもあったが、果たして騎士たちは納得してくれるだろうか。


 未だにナージャ達に対する不信感を拭いきれない騎士たちがいるかもしれないが、せっかくの好機かもしれないこの作戦を、反論を述べたことで台無しにしてはならないと思えるかもしれない。

 陽光街の連中の罠であることも考慮するが、月華街に長居しているために陽光街の住民であるわけでもないと判断するだろう。実際にパウルの寵愛者と対峙していることは、かえってより良い結果を得られるかもしれない。

 まだ胡散臭いところはあるが疑いようはないはずだ。


 それでも無理ならば後は自分だけで何とかするだけだ。

 そう頭の中でいろいろと考慮し、ナージャは月華の王城へと足を進めていった。



          ◇



 第三太陽館会議室。

 陽光街の守護者パウルと、その他寵愛者たちの緊迫した雰囲気の中、ひどく動揺した寵愛者ディジーの報告を聞く事になった。

 そして、ただでさえ冷たくて重苦しい空気が、少女特有のか細げな言葉によりさらに重くなる。


「……タンピーアが、本当に…………?」

「…………」


 ディジーの口から聴かれた訃報は、タンピーアを知る者なら到底信じられない内容である。

 ショックどころか反応さえもままならず、この場にただ一人の少女の言葉しか響かない。

 ただ、部屋の中ひとりで泣きじゃくる少女の声が、放心する少女たちを現実から離さない。


「ごめんなさい、お兄ちゃん……ごめんなさい…………!」


 嗚咽でまともに喋ることもできず、ただただ泣くしかないディジー。

 だれもが言葉を失った。そして各々が感情を露わにしていく。


「あいつは……あまり派手なことはするなと言ったはずなのに……!」


 咎めるようにダリアが怒りを表に出す。

 沈黙から動揺が伝わり、耐え切れず悲痛な表情になるアカシャ。

 どうしようもない感情の行き場にローズマリアは、ディジーに問い詰めていく。


「ディジーちゃん! どうしてそれをわたくしたちに何も言わずにするのですか! 相手がどんなに未知で危険な存在なのかも知らないで……!」

「待って! ローズマリア!」

「パウル様! そうは言われましても!」

「待ってくれ!」


 糾弾の声を挙げるローズマリアを必死に制するパウル。

 そのどちらにも表情に余裕が見られない。未だにタンピーアの訃報を受け止めきれず、戸惑いが浮かび上がっているからだ。

 それでも、どうしても言わなければならないことがある。


「ディジー、僕を護りたかったんだろ。タンピーアも同じ気持ちで、どうしても僕をひとりにできないから、自分自身で戦いに行ったんだよね」


 でも、と辛辣な表情になり、喉の奥でつっかえる言葉を無理やり引き出していく。

 もうすでに意味がないことであろうと、訊かずにはいられない。 


「どうして……どうしてそれを僕に言えなかったんだ」

「…………言ったらお兄ちゃんは止める。ただでさえ一度ひどく傷つけられたのに、これ以上ひとりになんかできない」

「僕は傷ついても死なない。

「死ななければ傷ついてもいいわけじゃないの! ただ、それ自体が嫌だって……だから…………」

「…………」


 理屈ではない。ただ傷ついてほしくない。

 自分だけが黙っていているわけにはいかない。

 そんな思いが、言葉になくてもパウルの心に強く響いた。


「そうまでしてくれたのに、僕は君たちのことを……」


 しかし、勝手に敵の所へ行った仲間を責めることは出来ない。

 その怒りも虚しさも悔恨もすべて、向けられるのは自分自身だからだ。


(僕のせいだ……)


 パウルはこのような事態を引きとめられなかった。

 想定できないはずがないのだ。それなのに彼は自分のことにかまけてばかりで、このような事態を引きとめられなかった。

 そして何よりも……彼自身の迷いがこの事態を引き起こしたのだと青ざめた。


(僕が迷ったから、こんなことになった)


 戦う事はもうすでに決めている。

 しかし、過去の罪に対する罪悪感と脱獄犯である事実が、本当にそれでいいのかとパウルの心の内を苛み、それがあの時傷を負う形となって現れた。

 そのせいで彼女たちが心配した。だからタンピーア達は黙って戦いに行った。

 そして無様に、ただ黙って仲間の死を受け入れなければならない事態になった。


「うわあああああああああ! お兄ちゃん! お兄ちゃあああああああああああん!!」

「…………!」


 まだ幼い少女には容易に受け入れられない現実。

 ディジーの慟哭に、だれも言葉を発することはなく、ただ黙々と聞き入れるのみとなる。

 しかし、大切な人を亡くしてしまった現実は、かえってパウルになにがなんでも生き残る決心がつくことになった。


(やっぱり……罰は受けるべきかもしれないけど、今ここにいる皆を置き去りにするつもりはない)


 過去に犯した罪に対する罪悪感。

 自分の見惚れた少女を救うために多くの者を犠牲にした。

 それ自体に後悔はないかと言うと、犠牲となった人間を思い、苦しい思いをすることは多々あった。

 だけどもう悩むよりも悔やむよりも、


 今を守り通し、生きるために戦う。

 故に容赦なく、彼女と決着をつける。


 その決意は同時に外から乱入した物によって新たな火種としてパウルの中に湧き上がる。


「パウルぅ! 大変なことになっちゃったよ!!」

「ユリ!」


 会議室の扉が乱暴に開かれると、慌てた様子でユリが中に入り、一同の視線がすべて扉に注がれる。

 髪を振り乱し、顔中から流れ出る汗は一様してただ事ではないことがうかがえた。

 静寂さと泣き声から悲痛な空気が一転する。


「ユリ! こんな時に騒がしいぞ! そもそも呼び出しに応じないとは何だ!」

「そんなことはどうでもいいから、大変なことになったから聞いて!」

「落ち着いてユリ! いったい何があったんだ!」

「じ、実は…………」


 おろおろと普段のおっとりした彼女らしくなくひどく動揺している。

 嫌な予感にじっとりと汗が浮かびつつも、逆に心は静かに余裕に似た空虚を生み出していた。


「げ、月華街の騎士たちが陽光街に……それも、かなりたくさん!」

「……そうか、わかった」


 もう驚きはしない。だいたい向こうの動きが予想できたからだ。

 おそらくこいつは彼女の仕業だ。彼女が月華街に働きかけてこのような事態を引き起こしたのだ。

 だとしたら次にどう動き出すのか、自ずと答えは浮かんでくる。


「皆、もしかしたら例の何者かは本気で勝負に出たのかもしれない」


 これは決着をつけに来た、そう思っていいだろう。

 しかし、初めに決めた主義は変える必要はない。

 決着は自分自身でつける必要があるのだ。


「だけど、誰も彼女に手出ししないでくれ。彼女は君たちに敵うほど普通じゃない」

「パウル様! こんな時でもまだそんなことを言うつもりですか!」

「パウル君、どうしてッ!?」

「決着は僕がつける。だからみんなは街を護ってくれ」

「……おいパウル」


 しかし、その言葉に納得するはずがない。

 それが明確な形となり、ダリアはパウルに詰め寄っていく。


「お前らしくないぞ。いつも協調性があって、できないことは力を合わせて素直にアタイ達に頼ってくれたくせになぜ今になってそれを言う!」


 言葉は強気でも瞳が揺らいでいることにパウルは気づいている。

 なぜパウルはこんな時でも一人でいることを貫いているんだ。

 わからない。パウルがいったい何を考えているのかさっぱりわからない。

 ダリアの不安が糾弾へと形を変わる。


「結局のところアタイはあの女がなんなのか知らない。お前が抱えていることも知らない。そのせいでタンピーアは…………」


 ちっ! と、らしくもない舌打ちに顔を顰めるダリア。あの女の行動が読めないのはよくあることだし、良くも悪くも意表を突いてくる人なのだ。今さら後悔しようがなにが起ころうが、もうすでにタンピーアがかえって来なことだと割り切っている。


「アタイ達にあれこれ命令するくせにこんな時になってもそれを言わないなんて筋が通らないにもほどがあるだろ!」


 そして、ダリアの手がパウルの胸倉を掴み上へと引き上げる。

 どこまで意思が硬かろうと、これ以上退くことはできない。


「教えろ。納得がいくまでアタイは動かない! あいつが死んだのはあいつらが勝手に動いた事だが、そもそもあんたが何もかも言い渋っていたことが原因だろうが!」

「…………!」


 そしてパウルは……


「わかった、全て話そう」

「!」


 観念した。いや、諦めたわけではない。覚悟を決めたのだ。

 もう、これ以上黙っているのは彼女たちに失礼なことだと。


「だけど、今は時間がない。もしも皆が彼女に立ち向かわないことと、僕が無事に彼女を退けて帰ってきたら……」


 己自身が彼女たちを向き合わせる事を、勇気をもって告げる。


「……罪も、間違いも、弱さも、全部僕は話すことにするよ」

「……本当だな」

「君たちとの約束を僕はたったの一度も破らない。今までも、これからもだ」

「……わかった。その言葉を信じよう」


 なら決まりだ。

 自分の決めた主義をあくまで曲げず、しかし約束を取り付けることはできた。

 ここは彼が戻ってくることを信じ、自分に今できることのために動くべきだ。

 言葉はなくとも、その場にいる全員の寵愛者はそれを感じ取った。

 そして、次に動く彼女たちに迷いは全く見られはしないものとなる。


「ユリ! 他の娘たちに今の状況を伝えてこい! 戦えるものから動かしていけ!」

「わかった!」

「んじゃ、ボクは早速偵察に行く!」

「わたくしもついて参りますわ!」

「ディジーは休んでて! 気持ちが落ち着けたら行って!」

「わかった……!」


 信じるに足る約束ができた以上、寵愛者たちはもうパウルに問い詰めない。不安や疑惑は街を護る気持ちへと変わり、パウルの約束を信じて彼女たちを突き動かしていった。



          ◇



 そして、一人になったパウルは懐から一つの通信端末機を取り出した。

 結局これはいったいどんな道具なのかさっぱりわからず、機械全般が人がてなパウルにとって避けるしかない代物であった。

 しかし、説明を聞くと工程は簡素なため、大して手間取ることはなくパウルはその通信機のあるボタンを押した。

 そして、かすかな経験をもとにそれを耳に当てて電子音の存在を確かめる。

 すると直後に聞こえてきたのは、素なのか演技なのか今一わからないけだるげな声だ。


『ヒハ。ああ、何だお前か。おいどうした、今日の私は一段と静かでいたい気分なんだぜ』

「……本当に君はいろいろと不確定な人物だね。シスカー」

『あらパウル君! 君から電話してくることなんて珍しい事じゃない!』


 なぜ二度も確認を取ってくるのかさっぱりわからないが、いい加減相手の鬱陶しさにはなれたパウルは、冷静に話を切り出す。


「シスカー、君は言ったね。誇りか命かどちらかを選べと。大切なものを秤にかけてよく考えて選べと」

『うん、言ったね。結論でも出た?』

「出たよ。僕の答えはね」





「僕は君に助けを求めることにした」

『……へぇ、そうか』







 予想に反して平坦とした声。

 想定内なのかそれとも動揺を隠しているのか、結局のところ向こうの感情が読み取れない。


「初めはこの街の守護者になるつもりはなかった。治療だけで十分だったし、二人で暮らしていけるならどこでも構わなかった。けど……」


 思い浮かべるのは、自分たちが救われた陽光街の暖かくて優しいところ。

 自分を慕い、共に街を護るために戦った寵愛者たち。

 護りたい存在。何をかけても失わせたくないもの。


「君に半ば無理矢理に守護者にされた時は煩わしかったけど、今では感謝しているよ」

『……意外だな。そんなふうに感謝されるとはな』


 今まで煩わしくしか思っていない相手でも、こんな状況になると感謝の言葉が浮かんでくる。

 さんざん人の事を弄んだくせに、変な所で気を利かせるところがあるのだ。


「君には許せないところがある。けど、ただ一つだけ感謝してもしきれないことがあるからね」


 たった一つだけ

 それは、パウルを初めに突き動かした要因であり、かけがえない存在として今も大切に想われているもの。


「それとシスカー。地獄の使徒を倒したら僕は、みんなに…………自分のすべてを話すつもりだ」

『……おや? さんざん苦悩したことだったのに、話すことになったのか?』

「僕はもう、意地になるのはやめようって思うんだ」


 もともとは愛する者たちを巻き込まないために、どうしても勝てない戦いに身を投じないよう、自らの意思を伝えた。しかしそれは仇となって、仲間の訃報を聞く事になった。

 しかし、そのショックはかえってパウルにある決断をもたらした。


「意地を張って隠し続けたせいで、僕の大切な人が一人死んだ」

『おや、そうか』

「もう、意地を張るのはやめようって思うんだ。もう僕の弱さも間違いも全て、彼女たちに話す」

『やめて! そんなことをして彼女たちの心があなたから離れたらどうするの! 正気に戻って』


 こんな時なのに煽りを入れてくる。

 電話越しに向こうがニヤニヤしてそうな顔が浮かんでくる。

 これは試されているんだなと、煽りに煽って反応を窺っている様子が感じ取れた。


「離れてもいいよ。むしろもう彼女たちの不安とか疑念とか取り除いた方がはるかにましだ」

『……そうか。その意思は変わらないものとなったんだな』


 すると電話の向こうから笑いに漏れた息を感じ取った。

 嘆息ではない。どこがおかしいのか愉快そうな声で感じ取れた。


『ヒハハ、変わったなパウル。お前は変わった』


 成長でも退化でもなくシスカーはパウルに変わったと言った。

 それらに含む意味をパウルはひとまず気にしないことにして、シスカーの指摘を静かに聞く。


『理解者や共感を求めたいくせに、お前は愛する女でさえ自分の過去つみを語らない。愛情も慈愛も求めるくせに肝心の自分を語らないこと、そのくせして愛する女を利用して自分を楽にしたいと言う欲求、その二極と過去つみの罪悪感に迫られて、お前はいつも苦しんでいる。だからお前は街や仲間を護ることで自分の気持ちを騙して、それで少しでも過去つみから逃れようとした』


 まるであらかじめ本に書かれていたことを読み上げるようにペラペラと辛辣な言葉の羅列がせめぎ立てる。

 認めたくはないものだが、否定しきれない事実に苦悩してしまう。


『ヒハハ、皮肉な話だ。お前の理解者とは、愛した女じゃなく私なんだから』

「……僕の理解者が君だと?」

『良くも悪くも私がどうでもいい存在だから、間違いも正しさも好き放題言えるんでしょ?』

「違う!」

『少なくともお前がそんなに苦悩する理由を、私は知っているよ?』

「僕を理解した気の君よりも、僕に正面からぶつかるみんなの方がずっと大切だ」

『……言うようになったね。あのころのありきたりな君が恋しいよ』


 でもね、と軽口をたたいているシスカーはふざけた口振りで真剣に話す。


『うだうだ迷っている君に一言! 物事に絶対性なんかないから、お前が悩むことなんて結局なんにも生まないし、何にもならない無駄なことなのだよ』


 慰めとは程遠い、唾棄するような辛辣な言葉。

 それがパウルの心に必要以上に響く。


『お前は世界を敵に回してまで彼女を助けた。脱獄して手の届く人間を護った。ならば今はそれを護るために戦え。贖罪の気持ちなんてまずは捨てろ』

「……わかったよ」


 自分のすべきことは決めた。迷いはしない。

 そうと決まると最後にひとつ、電話をかけてきた本来の目的としてシスカーにある頼みごとをする」


「シスカー。君に助けを求める理由は一つだけだよ」

『だいたい言いたいことは解るよ』


 もうすでにわかったような口振りが、若干弾んだ声として耳障りに聞こえてくる。

 本当に何がそんなに楽しそうなのか理解できないが、こんなお願いができるのは今話している人しかいないこともまた事実であった。


「今までの事を伏せて、それだけは君を信じたい。頼んでもいいか?」

『いいぜ。補助は任せて、お前はお前で心置きなくやりな』

「……ありがとう。シスカー」


 感謝の言葉を言い終え、パウルは通信を切った。等間隔の電子音が空回りに響くと、今度は左手の黄色い指輪が光りだした。

 現世へと脱獄して初めての命を懸けた戦いに、覚悟を決めてパウルは行く。


(……みんな、僕は行くよ)


 そしてパウルは…………飛んだ。

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