2-15 苛み
タンピーアを捕らえたナージャ。勝負は決まったか……
動けない。
ナージャの足元から生じたまるで異界から来たような黒色の鎖は、タンピーアの体中に巻き付いて絡みつき、そしてその先端が壁に溶け込むように吸い込まれ、壁に貼り付けにされる。
文字通り手も足も出せない無様な姿だ。状況からしてかなり危険であると判断したタンピーアは、やむを得ず仲間の少女スズナに逃走するように勧告する。
「ディジー! ……っく! ……この街から去れ」
「! タンピアお姉ちゃん!」
「この鎖はなぜかお前には絡みつかん。急いで街から去るんだ!」
今自分がかかっている術の正体が全く知れない。同じ寵愛者のアカシャが似たような鎖を用いていたが、あれとは似て非なる者どころではなく、異質と言う意味で天と地ほどの差の違いがある。
この鎖の厄介さを体感した上危険と判断するが、突発的な状況のために冷静ではいられなくなる」
「まって! 今助けに行く!」
タンピーアが拘束される様子を見てディジーは標的をナージャに変え、構えていたナイフを改めて構え直す。
ほんの数メートルの距離。しかし、ディジーにとって光の速さで移動する術式があるためあまり意味はないので、一瞬のうちに接近して刺すつもりだ。
体が月光とは異なる光を帯びる。利き足で踏みこみ、体を傾け、いざ初速の走行へと入り込んだ瞬間……
「させるか!」
「!」
横から邪魔が入った。オルトだ。
ディジーの動きを見逃さなかったオルトは、ナージャとディジーがいた所の中間点に先回りし、光速移動するディジーの体を捕らえたのだ。
小柄な身体のため大して力は無く、服を噛まれるだけで動きを止められたディジーは、ナイフを脳天めがけて振り下ろす。
「はなし……て…………!」
オルトは少女が振り下ろすナイフを、なんの焦りもなく余裕で口を離さないまま避け続ける。
「お前の光速移動……俺の何倍も早いその速度は厄介だが、進行方向とタイミングがわかれば捉えられないことはない!」
仲間のディジーも拘束され、どうにかできないかとタンピー
どれだけ力を入れようと、抵抗は虚しく鎖は微動だにしない。
「はは…………なかなか……頑丈な鎖じゃないか…………ありえなさすぎて酔いが冷めるわ……」
「それはそうよ。この鎖は、罪を犯した者、罪に穢れた魂の持ち主しか捉えない鎖よ」
「罪……だと?」
ナージャの足元から伸びる鎖は罪を犯した魂を含め、霊体や生物に関わらずあらゆる動きを拘束して磔にするものだ。
手首まで押さえ込まれているために抜けられない。右手にはまだレイピアが握られているが満足に動かせない。
「少なくともあんたは誰かの命を手にかけた。罪の重さに比例して、多くの鎖が絡みつくわ」
「…………なるほど、原理は解らないがようはあたしにはおあつらえ向けのことか。けどね……」
まだタンピーアの顔から笑みが消えない。こんな状況でもまだ敵に勝てる策があるのか。
闘志は消えない。まだ勝負は捨てていない。そう言うようにタンピーアは大きな声で
「さっきも言ったが、あたしは一人では戦わない」
「!」
タンピーアの声に応じてまたも遠くから光線の狙撃が襲いかかる。
それも、指先ほどの大きさの光線から、人ひとりを大きく飲み込むほどの巨大な光線へと代わり、なりふり構わず相手を殺すつもりだ。
だが、今のナージャには魂抑えの大盾がある。わざわざ防御されるとわかってて攻撃するはずがないと思えるだろう。
「おい、こいつは…………!」
しかし、狙いはナージャでもオルトでもなかった。
なぜなら白い光線はナージャから大きく狙いを外すと……
「誰の手を借りてでも、パウルの脅威は断つって言ったはずだ!」
タンピーアを張り付ける住居の壁を大きく飲み込んだ。
彼女の背中ギリギリに壁全てを破壊し、光線が消え去ると同時にバックステップで鎖から逃れる。
「もらった!」
束縛から逃げ切るつもりはない。刺し違えても敵は倒す。
タンピーアの白銀のレイピアが光る。月光を反射して穿つ。
ナージャには避けようのない速さで捕らえられた。
「ナー…………ジャ?」
オルトは迫る危機に喚起を挙げる反面、初めからナージャに避ける気配など微塵にもないとこがうかがえた。一体何を考えてそんな行動をとっているのかが分からない。
同じ風に見えたタンピーアは疑念を隠せないにしてももう遅く、刃の切っ先は彼女の左胸に刺さり、筋肉と肺を貫いて、背中へと赤い雫を滴らせて飛び出す。
「とった! これで……」
一突き。致命傷になりえるその傷を与えた瞬間、タンピーアの中に勝利への確信は……
「…………!?」
そんなことなど全く起きない。むしろタンピーアは戦慄しだした。
その原因はナージャの表情、彼女の表情が異様さを表していたからだ。
「……今のを抜けるのはたいしたことだけど、無駄よ」
変わらない。
ナージャの表情になに一つ変わりはない。いや、虫が体に止まった程度に煩わしく思っているかもしれない。だがどちらにしろ肺を突き刺した刃に対し、恐怖も痛みも知ったことではないような無表情に、もはや酔いなど完全に冷めて、戦慄するしかなかった。
「なぜ……お前は…………!?」
「あんたが知らないことよ」
ナージャの左手がゆっくりと動く。タンピーアに攻撃するのではなく、体に突き刺した白銀の刃を握り、その手に力を籠める。
細い金属など、たとえ片手だけでも彼女にとって強度はお菓子と変わらない。
「どれだけあの男に対する想いはあっても、力があっても、数人がかりであっても……」
パキンッ! と、握力に耐え切れず握りつぶされた刃は、そのまま強引に身体から引き抜かれ、虚しい音を出しながら地面に落ちた。
抜いた傷口から血が溢れる。溢れた血はシャツを汚し、赤く染めていくが、やがてそれは進行をやめて時間停止したかのように出血は止まった。
彼女は宣言する。
「ただの人間にわたしは殺せない」
自分は異端であることに。
決して抗えない、どうあがいても止められない、彼女たちにとって目の前の女は絶望と形容される存在だと証明された。
しかし、その異端の姿がかえってタンピーアにある結論へと導く。
「まさか……君も、奴と同類なのか?」
「奴?」
よくわからない。この剣士はいったい何のことを言ってるだろうか。
言葉に怒りを上乗せたタンピーアの声が怒涛のごとく表れる。
「パウルにことごとくちょっかいをかけ、あたし達寵愛者の絆を裂くような真似を平気で行い、あまつさえ……家族をもてあそんだあの奴と………………………………っ!?」
「!?」
ところが、時間は彼女たちにこれ以上の行動を許してはくれない。
タンピーアがいきなり目を剥いて口元を押さえたかと思うと、次の瞬間……
「血が……」
タンピーアの口元を押さえる指の隙間から零れ出る赤い液体は、時間が経つごとに量を増して勢いよく吐き出される。
突拍子もない異常な事態の正体を知るディジーは、恐怖に顔を歪めて悲鳴を上げる。
「タンピア姉ちゃん!」
「…………時間だ……! 限界時間だ…………!」
「限界……」
ナージャは思いだした。ツキカゲの話だと、月華街や陽光街の住人はお互いの街に長居することはできず、拒絶反応を引き起こしてしまう。
具体的になにが起こるのかは聞いていないが、今目の前で起きているようなことが本当のことならば……
本格的に彼女の命は危機にさらされていることだ。
タンピーアが崩壊を迎えようとした時、動揺したことで思わずオルトの口は緩み、動きを止められたディジーがその隙に動き出す!
「うおっ! こいつ……!」
「タンピアお姉ちゃん、逃げよう! もうここにいたら死んじゃう!」
すでにディジーの方も崩壊からせき込み、少量の血液を吐き出している。こちらの方も余裕はない。
相手が規格外すぎて倒せる見込みもない、それ以上に何よりも大切な仲間を死なせたくない。
だが、少女の想いとは裏腹に、タンピーアからは逃げようとする気配が全く見られないのだ。
「お姉ちゃん…………?」
「あぁ……ディジー。君は先に帰ってくれ、スズナの事は任せた」
「え…………お姉ちゃん!」
しかし、自分自身に危機が訪れようと、不屈の闘志は消えたりはしない。
剣を折られても彼女は拳を握りしめ、不屈な目でナージャを見続ける。
目の前の女がどんな状態なにか、言われなくてももうすでにわかっていた。
「ナージャ、こいつは……」
「ええ、こんな状況でもまだ戦おうとしてるわ」
「な……お前! 今自分になにが起きているのかわかってんのか! 帰れ! 早く帰るんだ!」
今オルトにとって敵だろうがなんだろうが関係ない。脱獄者ではない以上、必要以上に血を見たくはないのだ。
それなのにタンピーアの姿勢は全く変わらない。
「そう言う訳には、いかんねぇ…………!」
敵から気を使われていることに、少しだけおかしそうに笑う彼女は、どこか敵意とは違った感情がうかがえる。
諦めと形容するには少しだけ違う。
「わかってるでしょオルト。こいつはもう命を落としてでも私を止める覚悟がある。たとえ無理だとわかってても動くやつよ」
「……ああ、そうだ。ここでお前を逃したら、確実にパウルに……危機が及ぶ!」
「…………!」
行動の理由。それは本当に理解しがたい感情。
しかし、決して屈しはしないその強さ。もう退くことはないだろうという事は理解した。
故に、
「……オルト。あんたはあんたの言うように好きにしなさい。こっちは私が決着をつけるわ」
「……わかった!」
全てを言われずとも何をするべきなのかが分かったオルトは、ディジーの首根っこの部分を咥え、引きずってでも無理やりディジーを町の外に運ぶつもりだ。
「!? やめて! なにをするの!?」
首を加えられたディジーは必死に抵抗しようと手足を振りまいて暴れまくる。
しかし、一度決めたからには頑なに譲るわけにはいかない。
「敵に容赦はしない。お前の意見は聞かない! お前を今から町の外に出してやる!!」
「い、嫌っ! やめて! 離して!! お姉ちゃん! お姉ちゃああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……………………」
仲間を失う事を恐れた少女の悲嘆は、決して届くことはなく遠くへと消えていった。
自分の身を案じてくれる仲間も、敵であるにもかかわらずに心配する奇妙な犬ももうここにいない。
「はは、ありがたいことだ。これで心置きなく……戦える」
タンピーアにとってオルトは敵に変わりはないが、この時だけはディジーを無事に街の外まで連れ出してくれることに確信し、安堵の笑みを浮かべた。
その時、もう一息にとタンピーアは血と吐息をすべて吐き出し、地面を踏みしめて立ち上がった。
「さて、君が胸を貫かれても死なないような得体のしれない存在だとわかったが……」
もはや役に立たない剣を捨てたタンピーアは、身体を半身前に出して徒手空拳の構えを取る。
もはや倒すことすら不可能と踏んだ彼女は二次策で妥協する。
「せめて眼球の一つでもいただいて、あとは皆に任せるかね……」
「…………そう」
一方でナージャは、腕を黒化させて構える。
金棒の方は、光線を防ぐ大盾となっているため今は使えない。純粋な技能のみで圧倒するつもりだ。
血を流し、骨が軋み、痛まないところのない身体を必死に抑え、無駄にあがいて切迫する。
「はぁ!」
「…………くっ!」
それからの攻防は長く続かなかった。
タンピーアが急所狙いで素手を放ち、
黒化したナージャの腕が即死する攻撃を選ばず防御のみを選ぶ。
(もうこいつは……)
何のことはない。一方的な攻撃を一方的に防ぐだけ。
手は加えない。向かい来る攻撃を弾き落とすのみ。
それが時間をかけてゆっくり、ゆっくりとタンピーアの動きの精度は落ちていく。
警告ともとれた口から流れる一筋の血液は、今では身体のほとんどの皮膚から流れ出し、カウントダウンしていくように足元に血の池を作りつつある。
そして気がついた頃にはタンピーアは壁に背中を持たれかけて腰を下ろしていた。
「もう、ダメか……まったく、傷一つ与えられなかったよ」
タンピーアの手の平の中に、グチャグチャに握られた血液と肉片の一部。
ナージャからむしり取ったことで生じた傷は、結局微量ながらも再生し続けていき、徐々に回復に向かいつつある。
自分が敗けたことに、目的が果たせなかったことに、今さら悔しさを抱くこともできず、ただただ諦める事だけしかなかった。
「……ごめん…………」
……謝罪はナージャの耳に届かず、誰にも聞かれることはない。
その意味は自分の死に対する悲観でもなく、ナージャに勝てなかったことへの悔しさでもない。
ただ自分が何も残せなかったことに、己への悔恨と残心が最も濃く浮かび上がったのだ。
「結局、君はいったい何者なんだ……」
「…………」
「はは、だんまりか。参ったね。もしもこんな立場じゃなかったら、純粋に君に興味を持っていたんだが…………」
「……過去、パウルが犯した罪を裁きに来たのよ」
「え?」
唐突に、ナージャは言った。
唐突な発言に気を取られていたこともそうだが、内容もまたタンピーアにとってすぐには理解しがたいことなのだ。
そもそも、脱獄者の生前の事は必要な事でない限りあまり他言できることなのではないが……
(こいつはもう、終わる)
これは気の迷いだ。
どうせもう終わる。どうせ知ったところで意味はない。故に彼女はなんの気の迷いか、話してしまったのだ。
一度話した以上、抽象的ではあれその意味をはっきりと言う。
「愛する者だか知らないけど、たった一人の愛する者を助けるために、それ以外の多くを犠牲にしたことよ」
「……なるほど、パウルらしいことだ。この街に来る前のパウルを知っていたのか…………」
タンピーアは街に来る前のパウルを知らない。そもそも二十年前から容姿の変わらないあの男を疑問に思わなかった日はない。
だが、過去は過去で大して気にすることはなく、今だけを十分に生きていくこととして大して重要視せずに放っておいてしまった。
そのツケが今、ここで支払われると言うことだ。
「答えたついでに……ひとつ訊きたいことがあるわ」
「なんだい?」
「あんたが言っていた“奴”って、まさかあいつの…………」
苦い表情になる。一瞬にして浮かんできたあの忌々しい表情。
倒さねばならない敵で、忘れられない存在。
「シスカー=ベルベーニュのことを指しているの?」
「……やはり、あの得体のしれない者も知っているんだね」
「勘違いしないで。あんな気持ち悪い奴は敵でしかないわ。同類とかそう言う風に見ないでほしい」
「…………そうか、だがあたしにとってはどっちにしろ変わらない」
だが、ナージャがシスカーとは同類でなかろうと、タンピーアには一切関係ない。
片方は主を弄ぶもの。もう片方は主を奪うもの。
あちらはタチが悪いが、こちらはより一層無慈悲なものだ。
「お前は、あたしたちからパウルを奪う」
故に、許されることではない。
愛する者を奪おうとする者が、たとえパウルを殺すことが正しい事だと思われようが、そんなこと全く許されるはずがない。
「あたしを除いた寵愛者を、皆を、家族を、パウルのつながり全てを無視してまであいつの命を奪うなら、君はほんとうに底なしの……」
人でなしだ。
「…………」
……ここから先、タンピーアが言葉を発することはもうなかった。
しかし、最後に言えなかった言葉の意味をなんとなく感じ取れてしまう。
やはり自分は悪意の有無に関係しない、どうしようもない人でなしに変わらないことだと。
「…………」
大切なものを奪う。
「…………!」
壁に拳を打ち付ける。黒化していない、生の拳で。
殴った箇所が切れて血が流れ出て落ち、そしてすぐに傷は修復し始める。
痛みは感じる。しかし……
「……結局私も、あんな奴らと変わらないのね」
心の中に生じた“何か”は決して晴れようとはしない。
そんなものは地獄で消えてなくなったはずのものだ。そんなものは今必要ないもので、それなのになくなってほしいと思い切れずどうしようもない気持ちになる。
「やっぱり生きることは…………面倒な事だわ」
イライラする。理由のわからないイライラが胸の中でぐるぐると粘質に回る。
目の前の現実が嫌でも目に入る。
「……早く戻ってきなさい」
心の中の異物を煩わしく思う。
それでも相棒の地獄犬が来るまで目の前の現実に目をそらすことはなかった。




