2-13 月華の騎士 後
絶体絶命のオルト、かと思いきや……
リュナからナージャの様子を訊いてひとまず安心し、遠慮なく次の作戦を実行する覚悟ができた。
カインズに拘束されたままオルトは痛めつけられた体で一つ深呼吸し、喉の奥から声を震わせて雄たけびを上げる!
「オ……オオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」
「「!?」」
急に敵である犬が叫びだしたことで、騎士二人は呆気にとられたような顔をする。
しかし、カインズはどうせ大したことはないと、サティはなにかが来るのではないかと正反対の反応をする。
「なに?」
「これが本当の負け犬の遠吠えか? …………見苦しいぞ犬公が!!」
「危険。早く始末する」
影騎士、サティ、双方が両側からオルトに少しずつ迫り寄る。
念のために少し進行を遅めにして近づいているのだ、
「おっと待ちな。折角本気を出すってのに、その対応はしらけんじゃねえか?」
「…………?」
しかし、突然何か言いだしたことに影騎士もサティも足を止めた。
不規則な発言に対する警戒だろうが、オルトはこれを予想済みで話し続ける。
「俺はなあ、あわよくば手加減をした状態でお前等を倒せればそれで万々歳なんだが、いかんせんお前等は想像以上に強くて、こちらは本当に苦労するばかりだ」
これは時間稼ぎだ。
オルト自身に大した意味などない。しかし向こうはわざわざ言われなくても動きを止めてくれた。
ならばほんの少しだけ時間を稼ぐために、オルトは饒舌に喋り続ける。
「本気を出せばお前等はただじゃあすまなくなるんでな。一応俺たちの所じゃ必要以上の危害は加えられないから、あくまで手加減していたんだぜ」
「……なんだと?」
サティもカインズもオルトに注目している。
オルトに注意を引きつけられている。
「おい犬公、ハッタリ抜かしてんじゃねえ。ただの犬じゃねえにしろ、ちょっと大口すぎねえか?」
「いいや、そうじゃなきゃお前等の硬い鎧なんかあっという間だ。俺の力はそう言うもんなんだよ」
そうこう話していくうちに、オルトの嗅覚にある匂いが反応する。
そろそろ来た。ならばこちらも動く時だ。
「なんせこの力、消耗するには結構ハイリスクな力だから、失敗すれば大きいし成功しても大きい!」
「!」
騎士たちが静かに警戒してオルトを見ているのにも関わらず、オルトは気付かれないように『魂喰らいの首輪』のもう一つの機能を発動する。
喰った魂はあまりない。しかし、そこまで多く消耗するつもりもない。ほんの少量だけを活用し、攻撃ではなく脱出用に用いる。
「なにを…………!」
「いいように、なれってなぁ!!」
オルトは、自身を拘束するカインズの腕に軽く甘噛みする。
それと同時に消費した魂の攻撃を、カインズの腕に当てる。
「ッ!?」
「カインズ……?」
肉体的な干渉を超えた、言葉で表現するには奇妙な負傷。
魂に干渉されたことをうまく表現できない攻撃を受けて、カインズの拘束する腕が緩み、オルトが緩んだ隙間から脱出する。
「!? しまった!」
「はっ、俺が捕らえられるかぁ!!」
脱出したオルトが即座に取った行動は、住宅の壁から壁への跳躍を繰り返した、敵への牽制だった。
もう何度目かの同じ行動に、さすがの騎士たちも惑わされることはない。
「おい、犬公。サティは当然ながら、このカインズにそんな惑わしが通用するとでも思ってるのか!」
カインズの視線が的確にオルトの方へと固定されている。
確かにオルトの速度についてこれている。カインズ視線がオルトから離れられない。
しかし、逆にそれがオルトの誘いであったことに、カインズは気がついていなかった。
(来い…………!)
牽制するオルトの姿をカインズかしっかりと視覚に捉えている。
逆に言えば、視線はオルトにしか定まっていない。
それがカインズの致命的な失点となる。
「!? カインズ、違う! 上…………!!」
「え?」
しかし、サティは気づいたが、もうすでに遅い。
オルトの狙いは自分から攻撃することではなく、もう一人が攻撃を成功させるために牽制したにすぎないのだ。
「な、に…………!?」
カインズの視界。そこに移るのは降り注いでくる物体。
雨ではない。雨にしては黒く、そして大きい物体だ。
それが棘であるという事を気づいた頃、すでにカインズは手遅れの状態となった。
「カインズ!!」
カインズのはるか上空から、無数の棘が飛来してくる。
それは、オルトに気を取られていたカインズにとって、命中は避けられないほどの広範囲に渡った。
「やってやれ! ナージャ!!」
「な…………!?」
慌てて影騎士と入れ替えようにも、範囲がとても広く逃げ切ることは不可能だ。
オルトはすでに細い路地の屋根の下に退避しており、巻き添えを喰らう事なくその様子を見ていた。
しばらくして、襲来する棘の豪雨は止んだ。
路地から恐る恐る顔を出すと、そこには……
「……どうやら、一人はやってくれたようだな」
奇襲は半分成功した。
オルトの目に、降り注いだ棘に全身を指されたカインズの姿があった。
指一つも動く気配はない。魂が無気力化されてしまったという事だ。
そして、オルトの目の前に着地した新たな影。
それは紛れもなく、魂抑えの大筒を背負った不敵な相棒の姿だった。
ゆっくりと街道に出るオルトは、周囲への警戒を怠らずにナージャへと話しかける。
「よお、正直危なかったところだ。感謝するぜ」
「まったくよ。大した相手じゃなかったにしても、もう少し待てなかったの?」
「しかたねえだろ。噛み千切るにも場所を選ばなきゃなんねえからよ」
オルトはそう言いながらナージャと合流して、周囲の様子を見る。
すぐ近くに魂抑えの棘が大量に刺さったカインズが動こうとはせずにずっと無気力な状態のまま制止している。
あの様子だとすぐに動き出す様子はない。
「気をつけろナージャ。敵はまだ……二人いるぞ」
オルトの嗅覚が敵の匂いを捕らえる。
一つはサティだとしてもう一人は……
「んも~、待てと言ってるだろ~」
自分たちの左斜め上に、三日月型手裏剣を宙に回転させたクレイセンが身の丈ほどの巨大な三日月刀を振り回しており、さらには正面にいるサティが複数もの幻影の分身を作り出しながらこちらへと歩いている。
状況が覆されたことに騎士たちは動揺を露わにする。
「……カインズの間抜け」
ボソッっとサティが悪態をつくが、もうすでにカインズは戦闘不能だ。二対二。先ほどまで優勢だったための余裕の表情が、今では焦燥と緊張に現れている。
一見してすぐに情報整理をする。
「オルト。そこの女騎士の情報は」
「相手は幻影らしきもので姿を増やしたり本来とは違うところに姿を表したりする、厄介な奴だ」
「そう。だったら方法はあるわ。あんたはあの中年を相手に頼むわ」
「了解!」
好機だ。
不意打ちを仕掛け、敵を欺き、ほぼ半数まで数を減らした。後は一気に畳み掛けるのみだ。
ナージャとオルトは意志を疎通し合い、共闘する。
「オルト。ここからは共闘で行くわ。しっかり動きなさい」
「おう、十分サポートするぜ」
双方が沈黙したまま動きを止め、互いに相手の動きを警戒し、全くの不動の均衡が保たれている。
しかし、均衡が破られるのは、そう遅くはなかった。
「っ!」
「…………」
「はっ!」
「ん~」
オルトとナージャ、サティとクレイセンは、合図などなしにほぼ同時に動き出した。
初めに攻撃を仕掛けてきたのは、クレイセンの方だ。
「バラバラに刻んで~!」
クレイセンの周囲の三日月型手裏剣が、大道一面に弾幕のように張った。
縦に、横に、斜めに、さまざまな角度で回転しつつ、刃の壁が迫りくる。
「オルト、乗って」
「了解!」
ナージャが左腕を真横に突き出し、その上をオルトが乗ると左腕を前方の上空へとぶん回す。
振り上げた腕に合わせてオルトが跳躍し、目の前に迫りくる三日月手裏剣の壁を飛び越える。
「! ほぉ~大胆なこと」
横に避けるなら予想できたが、人間の方と力を合わせて飛ぶとは少々予想外だ。
しかし、クレイセンにとってそんなことは想定の範囲内だ。
「まだまだ!」
クレイセンの周囲の月光から新しい三日月型手裏剣が作りあがる。
新しくできた手裏剣でオルトを迎え撃つつもりだ。空中では満足に身動きが取れないために逃れられないと踏んだのだろう。
しかし、そうなる前にナージャの大筒が棘を放ち、刃の壁に一筋の突破口が切り開かれる。
「!」
飛んでくる三日月型手裏剣を、一部に集中して叩き落とし、そこからナージャが武器を構えてクレイセンに全力で突撃する。
対してクレイセンは身構える。詳しい理論は解らないが、カインズを簡単に無力化した謎の棘。当たればただでは済まない。
しかし、意外なことにナージャは大筒を使わずにそれを構えながら何かを呟く。
「形状変化。『魂抑えの金棒・参の型』!」
呟いた瞬間、武器が光を放ちながら変化した。
手元の大筒が光ると、ナージャの脚の部分を纏い、徐々に形を成して光が収まっていく。
そして、ナージャの脚には自分と同じ騎士を倒したあの具足へと変わっていった。
無意識にクレイセンの表情がこわばる。こちらにまたしても接近戦を挑むつもりだ。
「望むつもり~!」
クレイセンの後ろの上空から降り注ぐ月光が、クレイセンを中心に爆発的な閃光を広げる。
光が収まるのは一瞬、クレイセンの両手には身の丈を超える巨大な三日月の刀が現れた。足が動き出す。突起を掴み、曲線を描く刀身がナージャに吸い込まれるように振り下ろされる。
攻撃自体は大した速度でもない。横に抜けて間髪入れずに次の攻撃を入れればいいと判断する。
しかし、思考から行動へと移行しようとする瞬間、横からきた謎の不可視な攻撃が、ナージャの左わき腹に打突の衝撃を与えた。
「!?」
攻撃が着た途端、衝撃と流動で反対側へと跳ぶナージャ。
警戒していないわけではない。しかし不意打ちすぎたため判断を遅らせてしまい、三日月の大きな刃が目前まで迫ろうとしている。
「隙あり~!」
しかし、ナージャは攻撃されそうになる瞬間にも、慌てだすことはなかった。
なぜなら、
「オルト」
「っっだぁ!!」
「え!?」
三日月手裏剣の幕を乗り越えたオルトが、着地した瞬間にナージャの元へ駆け、クレイセンに食らいつくさん限りに突撃する。
ナージャに気を取られていたクレイセンは、ナージャからも逃げるように横方向へと跳躍し、三日月刀をプロペラのごとく横へと盾のように回転して、防御の姿勢を取った。
しかし、逆にそれがクレイセンにとっての命取りになる。
「!」
ナージャが、クレイセンの方へと駆け、突撃しだしたのだ。
まだナージャの脚には具足がある。武器を変えるつもりはなくそのまま攻撃を仕掛けるつもりなのだ。
黒化した腕がクレイセンに伸びる。
クレイセンの展開した三日月刀の回転防御。下手に突っ込めば逆に斬り落とされてしまう。捨て身にもならない攻撃だ。そう相手は思うだろう。
だが、まだこの騎士たちを欺く考えを、ナージャ達は持っていた。
今、それを実行するべくオルトが合図を出す。
「よし、今だ! やれ、リュナ!」
「えぇぐっ!?」
その瞬間オルトの掛け声と同時に、クレイセンの後頭部になにか堅いものが当たった。
なんてことない。どこにでも落ちているありふれた小石。ただし、常人が投げるにしてははるかに強く、無視できないほどの痛覚をクレイセンの後頭部に引き起こしたのだ。
ダメージしては微弱。しかし、背後にもまだ敵がいると考え、本能が後ろにいるかもしれない敵に警戒心を迎えた途端……
「そこよ」
「!? しまっ…………!」
防御を緩めたわけではない。回転速度を落としたわけではない。
しかし、意識だけは目の前にいるナージャよりも、見えない背後の伏兵に気を取られたことで、隙を突かれることになる。
ナージャが差し出した手。黒化した武器になる手。
それが、回転する刃の鎬に丁度よく命中する。
速度は速く切れ味は鋭い。しかし刀身は薄く耐久度より性能を優先する。
月光と魔力がある限りいくらでも作り出せる量産型の仕様が、返って仇となりクレイセンの敗北の要因となった。
「う、うっそぉ~!」
三日月刀を突きぬいて砕き、更に月光を纏って強化された騎士鎧をも貫く。
ナージャの黒化した手……突き詰めて指先が何もかも貫くと、クレイセンの胸に届く数ミリで動きを止めた。
命の止めは刺さない。しかし、そうでなければ殺されたという感覚にクレイセンはしばらく動けなくなった。
念を入れて蹴足の構えを取る。
その隣にオルトが跳び付き、見えない何かに食らいついた。虚空に牙を向けたオルトの先に不可視の存在が姿を現す。
「っ!?」
サティだ。
己の姿を隠した女騎士の不意打ちは、地獄犬の機転によって阻止された。
幻影を作り出すだけに非ず、姿さえ消すことができるサティだが、なぜか見破られてしまい、その上攻撃を喰らわされたことに驚いた。
それを察したのか、オルトは答える。
「言っておくが、いくら視覚で俺を騙そうとしても、お前の事は匂いでわかる。……仲間がやられそうになって、功を焦ったな」
「しまっ……」
言葉さえ残させない。
ナージャの具足を嵌めた蹴りが、クレイセン、サティの両者の体に入った。
「…………」
文字通り、残りの騎士たちも言葉なくその場に崩れ落ちた。
しかし攻撃はやめない。止めを刺す。
ナージャは念を入れてもう一度クレイセンとサティに具足の一撃を加え、完全に魂の活動を押さえた。
もうすでに相手は動く気力も喋る気力もなく、無機質な人形のごとく静まり返った。
「よし、ナージャ。もうこれで、一旦は何とかなったな」
「あと一人ってとこね」
ハーフィ、クレイセン、サティ、カインズ、
月華街の騎士五名の内四名を無力化した。時間制限つきのため急がなければならないが、今すぐにはいかないだろう。
しかし、完全に『鬼ごっこ』の趣旨から脱しているように見えるが、ナージャは邪魔する敵は倒すだけだからあんまり戦術的ではない撤退はしない。
「ナ、ナージャさん。わたし、役に立てた?」
「そうね。よくやってくれた
「あ、ありがとう…………」
なお、リュナに指示をした内容は至って簡単な内容だ。
ナージャからある程度操作された携帯電話を受け取り、それで街の様子を見てオルトに報告をするというものだ。
オルトとナージャは離れて戦うため、お互いの状況がわからない。携帯電話を使えば隙が出てしまうため、リュナに渡したということだ。体内通話をすれば互いの状況を知ることができる。
もう一つは、オルトから合図が来たら騎士の気を引くこと……危険なことはあまりさせない為、せいぜい物を投げる程度だが……その隙をついてナージャ達が攻めるということだ。
騎士たちもリュナの事を戦力で数えてはいないはずだ。ナージャ達との戦いに集中したことも含め、まさか三人目からの不意打ちを食らうとは思わなかっただろう。
相手と自分との認識の差。それが決定的だったかもしれない。
とにかく、騎士たちは四人戦闘不能にした。
あと一人だ。
「オルト、行くわよ。それと、あんたは巻き込まれないように遠くへ離れてからついてきなさい」
「おう!」
「わ、わかった!」
残り二人が動かないことを確認すると、ナージャ達は街の奥の方へと向かって行く。
残りはあと一人だ。油断するつもりはない。いそいでパウルを倒す準備をする必要があるため、オルトと力を合わせてとっとと倒すことにする。
そう頭の中で作戦を考えていたナージャだが……
「!?」
「……ナージャ?」
「どうしたんですか?」
突如、ナージャは足を止めて振り返った。突然の行動にオルトはどうしたのか訊くが、全く反応が来ない。
なにか聞こえた。なんなのかはわからない。しかし、遠くから静けさを通り越して不気味な気配らしきものを感じる。
さらに気になる方へ、ナージャは視線を向ける。目を凝らし、なんらかの予感めいたものからとにかく遠くへ遠視する。
「おい、おまえはいったいなにを……」
「っ!? あんたら伏せて! 早く!」
「え…………?」
その時、
「…………っ!」
「ナージャ!?」
オルトもリュナも、この時なにが起きたのか全く分からなかった。
ナージャが睨んだ先、人が見えないほどの遠くから、指ほどの太さの光線が、ナージャの脳天に向かって飛んできていたのだ。
光線が来た源には人の姿がいない。と言うより、線が遠すぎて人の姿がかろうじて見えない。いったいこれがなんなのか、すぐには解らなかった。
その不可解な光線は前から後ろへ通ると、次にナージャの体が傾き、抵抗なく街道に叩きつけられる。
そうしてやっと一人と一匹は、今何が起きたのかようやく気がつき、そして倒れてしまった姿に悲鳴を上げた。
「ぁ……ナージャ!!」
オルトもリュナも、悲鳴を上げてナージャの方へ駆け寄った。
今の一撃はナージャの脳天を貫いたように見えた。その光景を見て冷静にはいられない。
「ナージャさん!」
「…………問題ないわ」
しかしナージャはすぐに答えた。目立つけがはどこにもなく、五体満足の状態で起き上がった。
光線は、直撃することはなくナージャのこめかみを掠めたのだ。命中する寸前に身体をそらしたため、ナージャの眉間に焼け焦げた風穴が開くことはなかった。
即座に起き上がり、すぐに看板などの遮蔽物に隠れる。
「おい、今のは……!」
「最後の騎士……今の攻撃は……?」
まさか不意打ちで来るとは、少々意外だった。
影に潜む、影を実体化するなど様々な魔術を見たが、遠距離からの攻撃はこれで初めてだ。
それもいきなり脳天狙いだ。まさかもうすでに騎士に狙われているのか……
だが、それらの予想は次の言葉で即座に否定された。
「おぉ、今の狙撃をよけるとは、やっぱりただものじゃないねぇ。これで月華街の騎士は大抵殺せるんだがねぇ…………」
「!」
その時、またも新しい声が光線とはちがう横方向から聞こえ、より一層ナージャ達を警戒させる。
女の声だ。やや舌足らずなその声は、飄々としてどこか憎めない雰囲気を醸し出している。
姿は見えない。路地から聞こえるため、路地の影がその者を覆い隠している。
どこかで聞いたかのような声。
大して長い時間話した声ではない。しかし、安定しないその喋りは、印象としてある姿を鮮明に映し出す。
ナージャ達の気づきに比例して、路地の影から足が出てくる。
「あいさつが悪かったなぁ、まだ撃つなって釘を刺したつもりなのに、スズナの奴ったら……」
「…………」
大したことだとは思っていない。特に覚えておくべきことでもない。ただ記憶の端にとどめているだけの、なんとない存在に過ぎない。
ただ、あの時自分の手首を捕まえた彼女の素早さと即効性は、侮りがたいことを評価した。
影から出た足は、腰、胸と徐々に姿を現す。
「ま、君もパウルの奴を傷つけそうじゃないか。これでおあいこってことにしてくれ」
「あんた……!」
そして、相手が完全に姿を現した瞬間、記憶の中でほんのわずかにしか思っていない人物の顔と一致した。
そのまなざしも、その立ち回りも、その喋り方も、……そしてその秘められたしたたかさも、全て記憶に一致している。
ただ一つ違うのは、酒など回っていない、酔いのない澄ました顔をしていることだ。
「お、お前は……!」
「まったく……面倒くさいのが出てきたわね……!」
確信した。こいつはパウル・ロキ・シェロスの寵愛者だ。
ごまかしも戸惑いもなく、タンピーアは腰から一本の細剣を下げて、真剣なまなざしでナージャ達を見定めるように姿を現した。
その姿を見た途端、自然と金棒を手に取る。言葉などなくてもわかる。こいつも敵だ、と。
「あんたは離れてて。勝手なことはなしよ」
「あ、うん……!」
リュナはナージャ達から離れて、タンピーアとは別方向の路地に入る。その姿を振り向かず、ただ目の前の敵に集中するのみだ。
隣の地獄犬も構える。二対一だろうが構わない。
「あぁ、盛んだねえ。まったく……」
敵意、悲嘆、嘲笑、闘争。
飄々とした寵愛者は、予想した悪い出来事にあらゆる感情が混じり合い、複雑な思いを抱えて笑った。
それは、ほんのちょっとでも愉快に思えたあの時の記憶が、嘘のように彼女の思い出から剥がれていった。
それと同時に、腰の剣が鞘から抜刀される!
「こんな形で再会たぁ、まったく縁も奇妙なもんだってんだ」
寵愛者、現る




