2-10 突き放し
月華街へとすすんだナージャ達は……
月華の街。
常に明るく賑わいのある陽光街とは違い、月華街は常に月明かりのみで照らされ続ける静かな街だ。
同じ明るさでも月と太陽では相対的に違い、街に踏み込んだナージャ達はその静けさに陽光街とは違う印象を抱いた。
「ここが、月華街ね……なんか、不思議な感じがするわ」
もうすでに時刻は日が落ちた頃であるものの、街へと足を踏み行った途端、全く違う夜の雰囲気を肌で感じた。
それは、街の最奥にある塔から放たれる擬似的な月の光が、暗すぎず明かりすぎずにほどよく街を照らしている。
さすがに夜の時間のためにもうすでに住民は寝静まっているかと思いきや、以外と多くの人数が街の外で活動をしている。夜行性ということだろうか。
外から来たナージャにあまり目を向ける人はいない。
「で、ナージャ。これから何をしにどこへ行くつもりだ?」
街の観察はそこまでにして、オルトは次にどう行動するべきかを訊いた。
所長から地獄の技術を聞いた途端に、何かに気がついたようではあるが、いったいどのような目的のためにここに来たかは大方一つ。
「月華街のリーダーに会うわ。おそらく陽光街と同じく、塔の近くにいるはずよ」
それは己の目的を果たす為、
「……曖昧だな。不在だったらどうするんだよ」
「その時は聞き込みでもなんでもして探すわ」
と、言う訳で月華街の捜索に入るナージャたち。
とはいえ、敵に自分の正体が知れた以上、あまり長くもたつくつもりはない。
そのため、早速月華街の守護者の元へと、街の奥へ足を向けようとした途端……
「待ってください!」
「?」
その時、ナージャ達の後ろから静かな雰囲気を壊すように突如張りつめた少女の声が届いた。
ナージャにとって聞き覚えのある声に、思わず後ろの方へと振り向いた。
オルトもリュナも何事かとナージャと共に後ろへ振り返ると、そこには意外な人物の姿が映った。
「ナージャさん…………!」
緩やかな茶色い髪と白い頭巾は乱れ、何かが入った紙袋を手に息を切らしては疲労している。
しかしそれ以上に火傷の跡のある顔は悲痛な表情を浮かべ、全力疾走としていた事と感情的な要素を含めて額から汗を流している。
振り向いた視線の先に、弱弱しい表情になって力なくこちらを見つめるバレリアの姿が見えた。
「あんたは……」
意外な姿にナージャは少しだけ驚き、そのまま相手が近づいてくるのを待った。
静かにバレリアはこちらへと歩いて来る。
「ナージャさん、無事だったのですね。心配しましたよ」
バレリアは笑顔を浮かべながらゆっくりと歩いてくる。しかしなぜだろうか、その笑顔がそのままの意味に見えないのだ。
バレリアは状況に対して問いただすのではなく、初めに笑顔を浮かべてナージャに怪我がないのかを訊いた。
その問いは、自分のはやる気持ちを抑えて、まずは自分を落ち着かせる意味も含めている。
「別に、私に怪我はないわ。仕事を放って勝手に出て行ったことは正直悪かったわね」
「嘘をつかないでください」
しかし、ぴしゃりとバレリアはナージャの言葉を否定した。
目の前まで近づいてきたバレリアはナージャの脇腹に手を近づけてくる。
「!」
「ナージャさん、服を返してくれたのですね。でも……」
バレリアは手に持った紙袋からあるものを取り出す。
中から出てきたのはなにか黒い色のなにか塊のようなものが……
「酷いですよ。たった一日だけなのに仕事着をこんなにして……」
バレリアがそれを手に取って大きく広げると、一着のビジネススーツである事がわかった。
しかし、脇腹の部分には穴が開いており、わかりづらいが血の染みのようなものができていた。
ほんの少し前に喫茶店に返したばかりの服が、もう店員の手に渡ってこちらまで来ている。
つまり、先ほどの自分たちを尾行したことでここまで来たという事だろう。
「それで……どうしたのですか。仕事はたしかに終わりましたけど、いったいなにをしにここまで来ているのですか」
「…………」
バレリアが本題……もとい、ナージャ達が月華街にいるその理由を知るためにわざわざここに来たのだ。
陽光街の住人である彼女にとって、知り合いが対立する街にいれば疑問に思うだろう。
しかし、逆にナージャにとっても疑問に思うところがある。
「……そういうあんたこそ、こんなところに居て大丈夫なの?」
はぐらかすのではなく純粋な疑問として、ナージャはまずバレリアがここにいる理由について訊いた。
先ほどまで襲われたばかりなので、今すぐにでもバレリアの身に危険が迫らないか、念のために訊いてみるが……
「大丈夫ですよ。私は皆さんとは違いますから、月華街の人に狙われることはありません」
「…………?」
言っていることの意味は分からないが、とりあえず大丈夫だという事は分かった。
その上でナージャは、向こうが誤魔化しなど通用しない以上、言う事は
その前に、
「オルト。その子を連れて先に探して。後で行くわ」
バレリアの前にも関わらず、ナージャは残り一人と一匹を場から外すため、先に行くように命令した。
いきなりの事に反論しようとしたがうかつに喋れぬ上、言葉とは違う何かを感じ取る。
オルトにはわかる。
詳しくは知らないが、服を立て替えたらしいその少女とナージャの間に不穏な空気が流れている。
片方はどこか悲しそうに笑い、もう片方は鋭く厳しい視線のまま立ちかまえている。
多分それは一対一で話し合うべきだろう。しかし……
「必要以上には話さないわ。早く行きなさい」
「…………」
地獄の秘匿に関しては最低限守り抜くつもりはある。ならばいちいち疑っても切りはない。
オルトはとにかくこの場のことをナージャに任せて、リュナと共に先に月華街の守護者を探すことにした。
一人と一匹は、街の奥の方へと駆けて行く。
「ナージャさん……」
リュナは心配するようにナージャを見ているが、もう向こうはこちらなど気にも止めていない。
オルトとリュナは去っていき、正真正銘の一対一になってしまった。
気が付けば周りにはほとんど誰もいない。なおのこと静かな空間が、より強く二人の言葉を強く走らせる。
「私がここに来た理由は、目的のために月華街の連中に協力させるためよ」
「目的……何のためにですか?」
バレリアは、なにか覚悟を秘めた目でナージャを見つめ、答えを待っている。
まるで帰ってくる答えがとんでもない事であることが予想できているようだ。
だからこそ端的に、シンプルに、ナージャは答えた。
敬愛する男を殺すという事を。
「パウルを殺す為よ」
「…………」
告げられた事実は、しかしバレリアの心に衝撃的な形となって刻まれた。
それなのに、バレリアの心の中はどこかが静まっている。
意外にも想像以上に驚かないバレリアだが、内心どのような形であれ精神的に大きく影響を与えている。
バレリアの恐る恐るとした問答が飛びかかる。
「……それは、もしかしてナージャさんが街に来た本当の理由ですか?」
「言えないわ」
ナージャ達の目的は禁句。
「パウル様を含めて写っていたあれらの写真、もしかして全部ナージャさんの敵なのですか?」
「言えないわ」
脱獄者のことも禁句。
「パウル様をどうしても殺さなくてはならない明確な理由はなんなのですか?」
「言えないわ」
パウルの生前に触れることも禁句。
なにも語られない事実はバレリアにとっては事実がなんであろうと納得がいかないものだ。
「…………どうしてですか」
全てを言えば地獄に関する言葉が出てしまうため、ほんの些細な事でも出さぬよう頑として答えださない。
バレリアはますます不安げな表情になり、重苦しい沈黙から必死に言葉を作り出す。
目の前にいる、深淵のようなナージャの本心を知るために。
「……パウル様は素晴らしい方です。いつだって私たちの街を護るために死力を尽くされるお方なのです。それなのにどうして平然とそんなことが言えるのですか」
バレリアにとっては善き人であろう者がどうして命を狙わなくてはならないのか分からないだろう。
その上、会ってまだ数日も経っていない余所から来た人間に狙われるなどなおのこと理解ができない。
だからナージャはある事実のみを選び、語る。
「パウル・ロキ・シェロス。あの男は過去にとんでもない悪事を起こしておきながら、その責任も取らずに逃げた男よ」
「…………!?」
「その事実だけで十分。人格の問題じゃないのよ」
地獄や生前のことは秘匿し、ただその事実のみを述べる。
バレリアには衝撃的な事なのだろう、ただそれだけで言葉を失わせるには十分すぎる威力があった。
目を開き、口がふさがらない様子でただ聞いた事実を頭の中で反復させるのにいっぱいだった。
「ま、さか…………!?」
たった三文字、されどその重さはバレリアの心の乱れが強く表れている。
しかしナージャはそんなことを知ったことではなく、次々と言葉に攻める。
「本当よ。あんたはその事実を知らないだけ。あんな奴は、後ろめたいことを隠しながら善人ぶって生きているだけの、どうしようもない卑怯者よ」
「…………!!」
その言葉に、バレリアはもう堪え切れなくなった。
直後に甲高い乾いた音が、夜の街中にこだました。
ナージャの左頬が赤く染まる。
バレリアの右手も赤く、そして痛み以上に震える。
「……どうして…………!」
「…………」
その言葉は、ただ大切な人が侮辱されたことに限らない。
よりにもよって、自分が気に入り少しでも心を許したかもしれない人が、そんな言葉を口にした事実が彼女の信頼を崩す要因となったのだ。
ナージャは叩かれたことに無反応で、ただバレリアの次の言葉を待った。
悲痛と憤怒の混じった叫び声を、甘んじて聴き受ける。
「どうしてそんな酷いことが言えるのですか!!」
強い意志の籠った瞳で睨みつけ、煮えたぎる心は
次々と溢れ出る強い感情が、言葉となってバレリアから吐き出される。
つづられた思い出が幻想のように放たれる。
「あなたは私の顔を見ても一切気味悪がりませんでした。私が立て替えたことに律儀に返してくれました。私の無茶な要求にあなたは応えてくれました。たった一日だけでしたけどあなたは真剣に働いてくれました…………!」
「…………」
バレリアにとって、人が人を完全に理解するのは到底あり得ないと思った。
ましてやナージャは会ってから一日程度しか経ってはいない。それで理解すると胸を張って言えるほど、バレリアには到底言えない。
しかしバレリア自身の直感が、目の前の人物が悪い人ではないとそう感じたのだ。
一目合った時から……
話しかけた時から……
共に働いた時から……
その直感を信じて、少しでも心を許してもよいかもしれない。
しかし、その結局は今のザマでしかない。
それがどうしようもなく悔しく、哀しかった。
「……あなたなら、私は信じてもよかった。友達になれてもよかったと思いました……」
「知った事ではないわ」
突き放すような冷めた言葉。
それがさらにバレリアの心にますます深い傷を負わせることになる。
「パウルを殺すのに十分な情報を得たわ。後は準備を整い次第、攻撃するわ」
「ナージャ、さ……」
「もうあんたとは馴れ合う必要はないわ」
もう相手の心はボロボロだ。
ナージャはもう用がないと暗に言うように、踵を返して月華街の奥地へと向かう。
「待って…………!」
しかし、ナージャの背中からバレリアが必死に抱き着くようにしがみつく。
決して行かせはしないと言うように、ただ足を止めるために全力でしがみつく。
無駄だとわかっているのにまだ諦めきれない。
「行か、ないで……」
もはや言葉など不要。どれだけ感情に訴えかけようと、理屈で攻めようと、ナージャに止まるという言葉はない。
それなのに、バレリアはただただ悪あがきをする子供のように、がむしゃらにこれ以上先に進ませないためにあがく。
「行かないで、ください…………!」
ただただ無意味であっても懲りずに言い続ける。
どれだけ辛辣な言葉を並べられようと、どれだけ非情な姿を見せつけられようと、それでもバレリアはナージャを諦めることはできなかった。
大切な人と、信じていた人が殺し合いたくないために、涙を流しながら精一杯引き止める。
「お願い、します…………!」
しかし、もうナージャには我慢の限界だ。
「……しつこい!!」
もうこれ以上待ってはいられなくなった。
ナージャはポケットの中からケースを取出し、更にその中から金棒を取り出す。
そして、即座にそれを籠手の形に変え、力いっぱいに振り向き、そしてバレリアの腹部に軽く一撃を加えた。
「あ…………」
バレリアの体から力が抜けていく。
籠手に付いた針の効果により、魂の活動を押さえられたバレリアの体は膝から崩れ落ちていく。
その無気力感には抗うことなどできず、無情にもバレリアは意志に反して地面へと倒れ伏してしまった。
倒れたバレリアに、ナージャは最後にある一言を付け加える。
「もしあんたがそれでもパウルの味方となって、私の邪魔をする気なら……」
……これは警告だ。
知り合いなど、相手の人格など、知ったことではない。ナージャの瞳に迷いなどない。
これまでの事を決別するように、冷酷に言い放つ。
「あんたも、敵よ」
そしてナージャは躊躇いなく自分の進むべき方向に向き、沈黙のまま黙々と行動する。
鎮静に使った籠手をケースの中にしまい、月華街の守護者がいるであろう奥地へと足を進めた。
振り向などしない。どれだけ懇願されようが緩めることなく足は動く。
すると、
「――――――――――――」
最後に後ろから、かすれるような声が来た。
ナージャはそれを、運悪く聞いてしまった。
目をわずかに伏せ、その言葉をもう一度言う。
「……人でなし、ね」
心など痛まない。
否定などしない。
その事実を認めたうえで前に進む。
「ええそうよ。地獄で生きる時点で、人なんかじゃないわ」
理不尽は飽くほど受けた。
情はとうに擦り切れた。
だからこそ役目には忠実に、ナージャは暗い夜道の中を歩いて行った。
そのために知らないうちに築いていた、ありふれていて、しかしかけがえのないものを断ち切りながら……
◇
陽光街、館と入口の中間地区にてパウルの寵愛者の一人であるユリとタンピーアも動きを見せていた。
とはいっても、ユリは街の中の一つの建物の屋根に座り、目を閉じて何か集中している様子だ。
その横でタンピーアはなにもせずに静かに立っており、特に何もすることはなく静かにユリの様子を見守っている。
まるでユリから何かを待っているようだ。
「うん……うん……うん……」
目を閉じたユリが無意識に何事か呟く。
特に意味を持たないその言葉は、しかしユリの状態を表しているようだ。
パウルの愛した寵愛者たちの中で優れた探知能力を持つユリは、塔から発せられる日の光によりほぼ街中の人間を感知することができる。
半日前にオルトやリュナを追いかけていた時は、窓から差しかかる光を媒介にして探っていたため、その様子をタンピーアに教えつつ追っていたのだ。
ただし、日の光に当たっていることが前提のため、日陰にいる者や光が差しこまない建物の中の人間は探ることはできない。
しかし、そんなことは知らないであろう目的の人物を探るため、ユリは集中を続けて目的の人物を探る。
「……ん…………んん…………?」
すると、瞼が閉じられたユリの表情が、何かが引っかかるような感じになり、眉間にしわを寄せて集中力を高めた。
途中、徐々に唸り声も交えた彼女の様子は決して触れてはいけない様子であり、タンピーアは固唾を飲んで緊張し、ユリの答えを待った。
「んー……………………わかったぁ」
やがて、厳しかった表情の彼女は張りつめた糸が切れるようにふっと表情が和らぎ、そのまま目を開いてのろのろと立ち上がった。
先ほど集中していたことが嘘みたいに、空気が抜けるように顔も言葉もしぐさもふにゃふにゃになる。
タンピーアは答えが気になるがすぐに急いたりはせず、一拍待たせた後、ユリの方へ促した。
「おぉみつかったか。ユリ、どうだったんだぁ?」
「う~ん……この街にはいないみたい」
頑張って集中して探した結果、残念なことにユリは若干しょんぼりさせて力のない声で喋った。
まさか目的が不在であることが予想外だったか、タンピーアはその意味が気になってユリの言葉の意味を待った。
「疑似の日の光による感知機能。日陰に隠れている様子じゃなかったし、ほんのちょっぴり前に感知したには感知したけどぉ……」
「けど?」
「目的の人、なんだか月華街に向かったらしぃよぉ」
「へぇ…………月華街に?」
てっきりまだどこかに潜んでパウルを討ち取ろうかと思っていたが、目的は予想外にも隣町の方へと移ってしまった。
これでは一般人ならまだしも、すでに守護者の一人である自分やユリでは追いかけることはできない。
パウルに至っては町の外に出る事すら不可能だ。
タンピーアはそれでものんきな表情になって、状況整理をする。
「……もしかして奴さん、向こうで相当面倒なことを企んでないかねえ?」
「うーん、狙いはパウルだという事は分かったけど、まだまだ謎が多いねぇ」
「さすがのパウルも月華街に逃げられれば追えねえわなぁ」
状況を冷静的に見て、深追いは避けるべきだろう。
それになにやら妙な胸騒ぎも覚える。
「タンピーアちゃん、ユリと一緒に月華街に行かない?」
「いいややめとけ。少なくともユリは月華街の連中に顔を知られている。会う前にもめごとになる」
「うぅ~…………」
さすがに対立する街に勝手に行くことはできない。
ユリは頭を抱えて悩んでしまう様子だったが……
「…………」
対してタンピーアは不思議となにかを考えている様子だった。
主の危機かもしれないのに、どこかのんきに見える表情で考え事をしていた。
裏で動く者




