2-9 説得
パウルの過去とは……
『現世番号五番界。そのある所に世界を滅ぼすほどの怪物が眠っているとされた』
「…………」
急に昔話を語るように、よくわからないことを語りだした所長だったが、話は最後まで聞くため静かにする。
今回はオルトもそばにいるため一緒に所長の話を聴くためにスピーカーモードにしている。
電話から深刻そうな所長の声がナージャとオルトの耳に届く。
『事の発端は、まあ当時は世界の至る所で戦争があったため、ある魔道機関が魔道技術による生体兵器を製造しようとした。そのために非検体には人の命を犠牲に魔力を注入するわ、さらには強化や改造を繰り返すわで、強力な個体が誕生したのはいいが手を付けられないほど凶悪な何かになった』
呆れたように所長は言うが、要は人体実験の失敗品が暴走したという事だ。
たしかになんとも呆れた話だ。しかも人間の手で生み出されたことだからなおのことタチが悪い。
『大地を腐らせる猛毒。生態と融合する細胞。人工的に注入された一般成人数十倍の魔力。…………まさしくそれは世界を滅ぼすほどの危険さを孕んだ異常な存在だ。生物とすら呼べない存在だ』
「生物ですらない……」
『細胞のないウイルスのようなものと、そう思えばいいか?」
……説明が適当だが、パウルを捕らえる事とは直接関係ないための割愛だろう。
しかし、たった一人でそんな危険な物を作ってしまうのもそれはそれですごい話だが……
『世界の危機にさらされそうになった途端、世界中の魔道士はその怪物を、ある少女を番人にして人柱としてある王国の地下深くに封印した。言葉、睡眠、感情、そういった人間にとって当たり前の機能を犠牲にする不死不朽の外法を施してな』
「……人柱、ね」
ナージャの声音がわずかに下がった気がした。
その少女が何を思って封印されたか知らないが、ナージャにとってはただただ不愉快な話だ。わざわざいう事はないので胸の内にしまい、所長の話を続けて聞く。
『ところがある日、その王国の第二王女に、貴族でもなんでもない外からの流れ者を恋人として王国に連れ込んだ。当時の国王はかなり激怒していたな』
「その恋人ってまさか……」
『そう、パウル・ロキ・シェロスだ。…………節操なさすぎだろ』
最後だけボソッと小声で妬みみたいな台詞が聞こえたが聞かなかったことにした。
いちいち上司の冗談に付き合ってはいられない。
『そのせいで当時、王国貴族たちがパウルと決闘したりや策略で暗殺されかかったりと荒れに荒れたな。それなのにパウルはあくまで求婚を認めさせるためだけに動いていたし、王女は王位継承権を捨ててまでパウルと駆け落ちすると問題発言をしたり、もうこれだけでも地獄へ落ちても仕方がないほど国を混乱させ……』
「所長。早く本題を話してください」
またいつものしょうもない愚痴が始まったので、若干苛立った口調でまくし立てる。
そういうエピソードはどうでもいいから早くしてほしい。
『……で、だ。その王国の王女が興味本位で、パウルを連れて地下まで降りたのだ』
「なにが、『で、だ』ですか。そんな危ないところに、随分とあっさり連れて行くのですか」
『さあな。多分その王女は知らなかったうえにあれは立ち入り禁止だから、どうしても気になって潜入したんだろ』
「杜撰な警備ですね」
そう言えば上司が百八人の嫁がいると言っていたが、王女もそうなのだろうか。
先ほど聞いた話もそうだし、もはや存在が国際問題クラスなのだが……
『なにも知らないまま地下へと降りたパウルと王女はそこで彼女と出会った』
「……人柱のことですね」
怪物を封じるために、人間であることを捨てられた少女。
その少女とパウルが出会った。つまり、先の事がある程度予想できてしまう。
『しかし、よりにもよって地下に降りた人間がパウルだと言うのが間違いの始まりだった。言葉も訊けず感情さえもたない、いわば人形のような少女に……パウルは恋をしたのだ』
「……本当に訳の分からない男ですね」
『初めはただ通って、一方的に言葉を出して、少女の姿を見つめるだけの日々が続いた。当然、王国の貴族や王族たちには内密であることが前提だったな』
それだ、パウルにとっても、王女にとっても危険な出来事でしかない。
少女に会っても案の意味もない。意味のないくせにリスクが大きいからなおのこと理解できない。
『少女が何か言ったわけでもない。笑ったこともない。それなのにパウルの少女に対する思いは徐々に膨れていく一方だ』
「もはや病気じゃないですか……あの男…………」
パウルの異常な愛情を改めて知り、ナージャは呆れるしかなかった。
しかし、自分には持たない感情でもあるそれはナージャにとって、悪いと言うより理解できないという認識でしかなかった。
なぜここまで他人のために、しかもただ一方でしかないのに愛せるのだろうか。
『だが、そんな日々は長くは続かなかった。とうとう王国の者に、パウルと王女が地下へ降りたことが知られてしまった。しかしパウルは地下に少女がいることを、城下町の民に明かした。物的証拠とかも提示していた』
「パウルは、何のために地下の少女のことを話したのですか」
『さあな。ただ、自分が住んでいる王国の真実を知ってもらって、少しでも味方をつけたかったかもしれない。本当の所はよくわからんがな、だが……』
所長の言葉が、だんだんと重くなっていくことが、電話越しでもナージャにはわかった。
おそらくそれはパウルの事だけじゃない。なにか別の要因が含まれている。
それは……
『地下の封印の事や人柱の事はすでに民は知っていた。知った上でパウルは捕らえられてしまい、口封じに初めから結果の決まっていた裁判で、三日後に死刑宣告されて牢に閉じ込められた。その上、例の王女は国の法を破った上に地下の秘密をパウルに知られた原因として、今後一切パウルに関わらずなおかつ地下の事は黙秘にすると命令されたが、王女は拒否した。そのせいでやがてある貴族に謀られ、暗殺された』
「……なんですかそれ。もはや狂気じゃないですか」
『まあ、秤で少女一人と世界全体を掛ければ、必然と少女を犠牲に選ばざるを得ないだろ。たとえそれで何を犠牲にしてでもだ』
保身のためなら他人を犠牲にしてでもいとわない。
ナージャには、関わりのない他人など知ったことなどないのだが、それでも嫌悪感を出さずにはいらなかった。
密かに舌打ちをしつつ、所長の話を集中して聴く。
『その時のパウルは理解できなかった。なぜあんな少女を一人地下に閉じ込めても、王も民も平然としているのか、そうまでしていて罪悪も感じずのうのうと生きている姿が、とうとう温厚なパウルを激昂させた』
激昂、という言葉にいよいよパウルの罪状を決定づける事実が明らかになる。
「まさか……」
『そうだ。奴は王国の牢から脱し、地下の少女を救うために国の全てと戦うことになった』
「…………」
たった一人の少女と世界を秤をかけて、パウルは少女を選んだ。
その結果が、罪人の烙印を押されることになった。
『その時のパウルは容赦がなかった。向かってくる敵は容赦なく打ちのめし、迷いも見せずに地下へと降り、そして例の人柱の少女の所へと到達し、問答無用で封印を解いた』
「ですけど、少女の封印を解くってことは怪物を解き放つことですよね」
『そうだその少女を救ったせいで封印は解かれ、怪物は現れた。パウルは覚悟して滅ぼすつもりで怪物に挑んだ』
それでもただ考えなしに封印を解いたわけではない。
その怪物を倒すための準備をしていたかもしれない。確かにパウルは特殊な環境で生まれた強力な個体であるが……
『特殊な環境で育った仙花の体と百数十年もの研鑽を積んで得た膨大な魔力は、まだ封印を解かれたばかりで目覚めきってはいないが、世界を滅ぼすほどの力と撃ち合うごとにその余波で国が崩れていった』
「はた迷惑な戦いですね」
『まあ、危険の予兆はあったから民はもうすでに逃げていたから人的被害は少なかったが……』
どちらにしてもやっていることは迷惑行為に変わらない。
もっとも、犠牲になった一人を知らんふりする人間とじゃパウルといろいろ変わらないと思うが。
『時間はあまりかからなかった。お互い力は巨大だが耐久の問題があったからな。で、結果は驚くことにある意味相討ちとなった』
「相討ち、ですか?」
しかし、負けるか勝つかどちらかしかないと思ったが以外にも相討ちという結果になった。
結局世界とパウルはどうなったのだろうか。
『どれだけ努力をしても限度はあった。力で敵わないと悟ったパウルは、少女のと同じ術式で自分自身に怪物を封印させた』
「!」
『膨大な魔力を内包していたから不可能ではなかった上、一応あいつは不老ではあったから呪いの必要もひとつの所に留まり続ける必要はない。そうしてパウルは怪物と決着をつけた』
「…………」
しかしそれはどう考えても円満解決な展開とは思えない。
その後には地獄が待ち構えていることが、ナージャには容易に想像できた。
『あとはもう壮絶だった。パウルと怪物のせいで王国は滅ぶ、安定した封印だったのに感情ありきの個人だから不安定な封印として世界中の人間に狙われる、愛する人の身の安全のために全ての配偶者と別れる、もう王国から出た後のパウルの人生は散々だ』
それがどれほどの苦悩なのか、本人ではないナージャには知らないし知ったことではない。
しかし、頭の中にパウルとは別のある思い出が浮かび、無意識のうちに口の端を噛んだ。
『元人柱の少女と共にかつて仙人と暮らしていた、人里を離れた山奥で二人だけひっそりと落ち着いて暮らしたが、最後にその少女に殺された』
「え?」
しかし、最後の部分だけナージャにとって信じられない結果が出た。
よりにもよって救われた人間が、自分の恩人を殺したのだ。
それでも、ほんの幽かに起きた動揺を外には出さずにあくまで声はそのままで通す。
「助けられた少女が、助けたパウルを殺した?」
『そうだ。それもただ殺したわけじゃない。怪物の封印に選ばれるくらいで、少女も特殊な力を持っていてな……いったいなにを思ったのか、封印した怪物を外へ解き放つことがないよう強い魔力を持つ仙花の体が人柱となりつつ、機能はそのままに魂をあの世に送るように…………パウルを、殺した』
「なぜ…………」
ナージャにはわからない話だ。
その少女が、よりにもよって自分を解放した人間を殺した。
それがナージャにはわからないのだ。
所長に言うつもりはなかったのだが、聞こえていた所長ははっきりと答えた。
『わからない。理不尽な人間の心など、理解できないものだ』
「…………」
全く救われない。
少女を助けようとし、しかしただそれだけのために多くの犠牲者を出し、その後世界すべてを敵に回し、挙句に最後は自分が助けた少女に殺される。
「……ひでえ話だ」
先ほどから黙って話を聴いていたオルトは、重々しく口を開く。
この地獄犬はナージャよりも深く、パウルの話を聴き入っている。
背中で静かに意識を落としているリュナが、なにも知らないで呼吸をしている。
「……同情はできないわ」
しかし……ナージャは変わらない。
たとえこれから殺すつもりの敵がどれだけ人格者であろうと、どれだけの過去があろうと……何も変わらず、平常としたまま続ける。
「だったら大人しく地獄で苦行を終えて、転生するのを待てばいいのよ。それを脱獄なんて……愚かしさの上塗りよ」
『…………』
ナージャはあくまで自分の役目には忠実だ。
それなのに電話の向こうの声は、ほんのわずか滞っている。
『……その通りだ。だからナージャ…………』
上司は心配する子供を見るように、試すつもりなのか真意を聞くつもりなのか、不安げに重苦しいく問いかける。
『できるか?』
「今さらですね。私はパウルを処刑するのに、何をためらう必要があるのですか」
『……わかった。健闘を祈る』
もう用はないと言いたそうにナージャは電話を切ろうとした。
しかし、オルトはまだ何か用があるらしく、ナージャの行動を制止する。
「待て、ナージャ。俺からも気になることがある」
「なに? 何か情報でも得たの?」
「ああ、地獄の技術かもしれない情報だ」
「何ですって?」
『ほう、どんな情報だ?』
オルトは、パウルの館で見たことについて、情報を話した。
花を育てている日の当たりがいい大部屋がある事。それだけではなく、その花には地獄の文字で『印』と書かれていること。
もしかしたらそれは地獄の技術かもしれないものなのだが……
『印……まさか…………!』
所長は心当たりがあるようだ。
ナージャも電話を切らずに改めて話の集中に入る。
『ナージャ。パウルには直に会ったか』
「……はい。まだ倒してはいませんが」
『だったら奴の手に指輪が付いていなかったか?』
「指輪?」
ナージャは先ほどパウルと対峙した時の事を思い返した。
指……パウルの白く細い指……
「……ありました。パウルの右手の人差し指に、指輪が嵌められていました」
確か、パウルの指に不思議な黄色を放つ指輪が嵌められていた。
あの時は特にパウルの言葉に気を取られていたが、思い返してみれば、確かにパウルの指に指輪があった。
報告を聞いた所長は、確信を持って思い当たる地獄の技術の説明をする。
『----------------』
「…………」
電話の向こうから明かされる地獄の技術の真実。
それを聞いた途端、なにかを思いだしたようにナージャは路地裏から街道へと駆けて行った。
「おい! ナージャ!」
ナージャはオルトの言葉など無視をして、所長から聴いた話に自分の考えを照らし合わせて街道を見る。
街を歩いていた時は気にしなかったが、改めて見ると沢山あることが判明したのだ。それが、さきほど腑に落ちなかったナージャの不可解な顔が、ようやく理解へとつながる。
「……そう言う事ね」
改めてナージャはどうするべきかを考え、ひとまず電話を切ることにする。
「……わかりました。引き続き、対処法の捜索に当たります」
『気をつけろよ』
ナージャは電話を切って、ポケットにしまった。
沈黙する空間。その中で真っ先にオルトはナージャの方へ振り向く。
「……ナージャ。俺は別にこの特命に対して迷うつもりはないが……」
「なによ?」
オルトは今さらだが、この特命に不安を覚えた。
別にできるできないかの問題でもない。自分自身に迷いを抱く事でもない。ただ……
「お前は何を考えて行動している。いったい何を思って脱獄者を再処刑している」
「…………どういうこと?」
「いや、何がお前をそんなに突き動かしているのか……」
オルトはナージャの瞳を真っ直ぐ見据えている。ナージャも質問の意味が分からないわけでもなく、静かに見返している。
オルトは時々この相棒の事がわからない。
シスカーの事は抜きにして、いったい彼女の何が脱獄者を追う源となっているのか。
パウルのような相手にさえ躊躇わない“それ”が、いったいなんなのか……
ナージャに、答えに窮する様子が見られない。
常に無常を説くその口から答えが聞かれようとした瞬間……
「……ぅ……ん…………オルトロス、さん?」
「! リュナ……」
沈黙の中、リュナがオルトの背中で目を覚まし、静かにその体を起こした。
ぼんやりとした意識からだんだんと覚醒していく。
「……やっぱりいい。こいつの前で言っていいことじゃない」
「……そう」
そう聴いて、ナージャは特になんの感慨も抱かないまま退いた。
オルトの顔に汗が流れる。さすがにリュナの前で言っていいことではないことを察してやめさせたが……
(なんだろうか……今のこいつの感じ……………)
オルトは一瞬、ナージャからなにか底の見えない洞のようなものが見えた。
ただ単にオルトの予想通りの答えではないと感じたが……
「ん……オルトロスさん、ずっと乗ってばかりでごめんね。今降りるから」
「あ……ああ、大丈夫だ。悪かったな。派手に飛んだり走ったりして」
「うん…………」
しかし、そんな不安めいた考えも、リュナの無邪気な顔を見てあっさりと消し飛んだ。
いくら悩もうと、別にそれでナージャが裏切るようなことはないと、ある信頼を持って……
(……いや、もういい。今はまずパウルの事に集中しないとな)
ひとまず気になることは後にしてこれからどうするべきかを聞く。
所長からの説明を聞いてなおのこと一筋縄ではいかないからこそ、慎重に事を進める必要が出てきた。
「で、ナージャ。これからどうするってんだ」
「決まっているわ」
所長から地獄の技術の説明を聞いて、一層迷いなくナージャはある決断を下した。
目指すは太陽街の出口、そのさらに先にある場所。
「月華街へ行く」
ナージャは何を考えているのか、いったん脱獄者の住む街を離れて、対立するもう一つの街へと行くつもりの様だ。
予想された答えなのか、オルトはあえて深く追求せず、素直に従うつもりだったが……
「ナージャさん。この街から離れるの?」
「そうよ。けどその前に寄り道する」
「え?」
と、拍子の抜けた声を出したのはオルトの方だ。
敵に見つかった以上、あんまり長居出来る余裕はないのだが……
「さっさと行くわよ」
「おい、待て。行くってどこにだ。忘れものか?」
「そうよ。話が分かれば無駄口は消してとっとと行くわよ」
「おい、待てって!」
いつもより急ぎ足になるナージャに、懸命に追いかけるオルトとリュナ。
オルトは気が付いていない。
ナージャの今の服装は変装喫茶で働いていたビジネススーツのままだ。恐らく彼女の向かう先は例の喫茶店なのだろう。
もっとも、彼女がそこへ向かう理由は服だけの問題なのか……
◇
攻め込んだ月華街の連中も退き、街は再び安寧の時を取り戻そうとした。
しかしそれなのに、顔に火傷跡のある少女の表情は、どこか優れない。
暗い雰囲気を纏って、ある目的地へととぼとぼと歩いて行く。
「……なんでこんなにも気が重いのでしょうか」
少女、バレリアは外側も内側も重たい状態でゆっくりゆっくりと街道を歩く。
時刻は夕方から夜に差しかかるころ、喫茶店営業では、一応明日から再開となっているので、今は何の目的もない。
しかし、なぜこの少女はこんなにも気を重たくしているのだろうか。
「ナージャさん。いったいどこに、何をしに行ったのでしょうか……」
バレリアが気を沈ませている理由は明白。昨日の昼に出会ったあの女性の事だ。
ほんのついさっきまで共に頑張って店で働き、楽しくお喋りをしていたはずだ。
それなのに、間が悪く月華街の騎士が攻め込んできたせいで強制的に離れ離れとなり、一応避難所内をくまなく探したがとうとう彼女には会えずじまいだった。
せっかくバレリアにとって気を許せるかもしれない女性と出会えたはずなのに、
せめて、一日でも仕事を手伝ったお礼だけでも改めて伝えたかったのだが……
「まだまだナージャさんには着てもらいたい衣装がかなりあったはずでしたのに……」
と、自前のありとあらゆる衣装を思いだしては、それをナージャが来ている想像をする。
思い出すだけでも紅潮ものなのだが、当の本人と離れているために、すぐに気を沈めてしまう。
そんなやり取りを何度も何度も繰り返しながら、自然と足が喫茶店へと向かっている時、偶然にもバレリアはある者を目撃する
「? …………あれは」
バレリアの視線の先に、喫茶店の裏口に続く裏路地。
そこから出てきたのは、白いカッターシャツと膝までの黒いパンツの格好の女性が、犬と少女を連れてどこかへと走っていく姿。
仕事の時とは違う格好だが、その姿を見たバレリアは、先ほどまでの沈下していた気分などどこ吹く風で、大声でナージャの名を呼ぼうとした。
「ナージャさ…………!?」
しかし、バレリアは見た。
走っている彼女の顔を見て、とっさに硬直した。
「え…………?」
こちら側に気づいていない、ナージャの一瞬の横顔。
それは、まるでこれから何か大きなことを……とんでもない事を実行するような、そんな準備をする真剣な表情が見えたのだ。
観光目的の人間がする表情じゃない。
それに、同じ表情をかつて少女は見たことがある。
「こ、これじゃあまるで…………」
そう言えば不審に思った。
なぜ彼女はパウルの顔が書かれた紙を持っているのか。
なぜ彼女はパウルの事を知らなさそうなのに会いに来たのか。
なぜ彼女は月華街の敵が攻めてきたとき危機として店を飛び出したのか。
そしてなぜ、彼女はあんなにも光の見えない瞳をしていたのか。
「…………」
バレリアの複雑怪奇な思いは、言葉などなく沈黙でしか表せない。
しかしバレリアは、何かを思い、彼女が走り去った方角へと走って行った。
目撃された




