2-1 日の暮れない街
さて、次の脱獄者を求めて受かった先は……
誰かに必要とされることも、
自分が誰かを求めることも、
その全てに応え、応えられることも、
すべて心地いい。
しがらみでも不自由でも束縛でも、
そんな心地よさを護るためなら、
僕は戦おう。
◇前回のあらすじ◇
地獄の再処刑人、ナージャは魔獣と獣人の住む森にて、本能のままに喰らい続ける咎人、美獣の再処刑に奮闘、寸前で美獣は『魂分けの腕輪』と自分自身の器に備わった特殊機能により、逃げられてしまいそうになるも、再処刑に成功した。
最期に余計なものがついてきたとナージャは多少の苛立ちはあれど、すぐに考えを切り替えて次の脱獄者のもとへと向かって行った。
なお、たった一人と一匹の放浪ではあったのだが、諸事情より犬獣人の少女まで連れて行くことは地獄にとって禁則ではあるものの、どうでもよさそうに黙秘するナージャと、どうしても譲ることが出来ないオルトにより、また新たなある目的を持ちながらも、二人と一匹で脱獄者を探しに行くのだった。
◇
そして、その地獄の再処刑人であるナージャは、相棒の地獄犬のオルトと、犬獣人の少女リュナと共に、次の脱獄者の住む街に寄っていった。
しかし…………街に入る前、オルトはあることに気が付いたために、ナージャにある頼みごとをすることになった。
「ナージャ、頼みがある。聴いてくれ」
「なに?」
「先に街に入って、服を買ってきてくれないか」
「はあ?」
突如深刻そうに頼みごとをするオルトに、ナージャは意味が分からず首をかしげた。
なぜわざわざ自分だけが先に街に入って、しかも服を買わなくてはいけないのか、よくわからない様子のナージャだが、オルトは詳しく説明する。
「今のリュナは人間にとって……えっと……珍しい存在だ。それなのに何も隠さずに歩くのはいろいろと心配だ」
「え? そ、そう?」
リュナにとってはよくわからないのだが、街の住人にとって獣人は珍しい存在であり、故に未知の生き物に対して悪い意味で興味を持たれている。
さらに、リュナは半分獣ではあるがもう半分は人間であり、そして森で過ごしていたため服は着ていない。
つまり、このままリュナを町中に入れるわけにはいかない。
「いちいち他人ごときの目を気にするなんてあんたはいつからそんなに繊細になったの?」
「お前は……」
しかし相も変わらずナージャは見ず知らずの他人には無関心であり、それが連れに対して向けられる視線にもまったく構いはしない様子だ。
たぶん、もしも問題が起きてしまったら容赦なくあしらうだろう。容赦なく、だ。
「オルトロスさん。あまりそんな気配りはしなくても……」
「いいやだめだ」
リュナが遠慮がちに言うが、それだけではナージャ相手には渡り合えないことを知っている為、毅然とした態度で物申す。
「そう言うお前こそ、魔獣の森の時から服取り替えてねえだろ。そのシャツ、あいつらの血でパリッパリになってるだろうが!」
オルトが指摘したのは、ナージャのあの白かったワイシャツも美獣やその手下たちの返り血によって赤黒く染まっている所だ。
一応どこかの川で洗いはしたのだが、全身を染める返り血はまったく取れることが無く、色あせない塗料へと変わっていった。
遠目で見ればその色が、返り血が時間を得て変えたものとは気づかれないが、近くでよく見れば気づかれてしまう。
変ないわくが付きそうなシャツである、と。
ちなみに二十年前は旅行ケースの中には、上司の趣味が疑われるくらい無駄な衣服が大量にあったのだが、今は身に着けている物一着のみである。
さすがにそれはまずいだろうと気づき始める。
「……確かにそうね。このシャツ、もう着るには慣れたけどやっぱり気持ち悪いことには変わりないわ」
「だろ? だったらお前の服取り替えるついでにリュナの服……できれば頭を覆うほど深いヤツを」
「結局私が買いに行くのね。まあいいわ」
最終的にナージャは買い物に行くことになった。あくまで合理的な判断からだ。
ポケットに財布があることを確認したナージャは仕方がないと言ったように街へと足を向ける。
すると恐る恐るリュナは小声で申し出る。
「あ、あの……ナージャさん。だったらわたしが……」
「ダメだ」
「ダメよ」
「ぁ…………」
しかし間もなく一人と一匹は断った。
犬に買い物をさせたりするのもそうだが、さすがに目立つ存在である獣人の少女に買い物をさせるのも心配だ。
「問題ごとが起きたら処理が面倒よ。ここは私が行くからあんたらはここで待ってて」
「わかった」
「気をつけて、ね」
「まったく…………」
わざわざ自分一人が先に買い物に行かなくてはいけないことに面倒くさく思いつつも、ナージャは仕方がなく街の中に入っていった。
◇
『陽光の街』
とある悪魔の呪いにより無から生み出された、夜が存在しない空間にできた街。しかし、その代わりにその土地の街で生まれ、暮らしていく人間は、他にはない特別な魔術の素質を得られるようになる。
街のシンボルである中央の塔には『太陽石』があり、石とその守護者の魔術により、人工的に作り出された日光が街を照らしている。これらにより、日が暮れることのない街で住人は日々明るく賑やかに暮らしている。
なお、対面には『月華の街』と呼ばれるところがあり、陽光街とは対照的な特性を持っている。そして、お互い対照する街の塔から『石』を奪い取ることで、完成された街となるため、月華街と陽光街は日々抗争を繰り出し続けていた。
そしてナージャはオルトの嗅覚をもとに、陽光の街で脱獄者を探していくはずだったが……
◇
『ナージャ、お前最近電話かけてこないじゃないか。報告はしょっちゅうしろと言ってるだろ』
「所長……」
日が強く照らし出される陽光街の中、ナージャは向こうから掛けられた携帯電話を手に取り、開口一番に報告が来ない事への非難をする上司に顔をしかめている。
今はあまりナージャの機嫌がよくない。別に機嫌がいい時などあまりないが今は特に良くないと言った様子だ。
「所長、問題は今のところありません。脱獄者が近くにいるそうですけど今は捜索中。それでは……」
『待て! いくら鬱陶しかろうといきなり報告を即座に済ませて切ろうとするな! お前は仕事を差し引いても俺にドライすぎないか!?』
「でしたら話が早いです。仕事に関係ないことはなるべく無駄に時間を使いたくありませんので」
『待てって言ってるだろ! 十王様から威圧感かけられっぱなしだから、過ごしでも俺の慰めに付き合ってくれ!』
「…………この上司は……」
向こうに聞こえないようわざわざ電話口から離してナージャは顔をしかめながら呟く。
喋れば喋るほど上司としての威厳が失われてきそうな気がするのだが、わかっていて話しているのだろうか。
とにもかくにも鬱陶しいことこの上ない。
『とまあ冗談はここからなしだ』
「ここまでは冗談ではないのですね」
『茶化すな。忠告の一つぐらいはさせろ』
突然切り替わったかのように所長の声の調子が変わり、人が変わったように真剣みを帯びだした。
やはりこの上司もちょっとした曲者である。ただ面倒くさいだけかもしれないが。
とにかく電話の向こうで上司が何かを言いだそうとした瞬間……
「ッ!?」
「おぅ!? すまねえ!」
「……気をつけなさいよ」
不意にナージャが横から走ってきた男にぶつかってしまった。
とはいえ大した速さではないため多少よろけつつも、倒れずにそのまま視線を投げただけで特に深くは追及しなかった。
『どうした、ナージャ』
「いえ、少々人にぶつかっただけです」
『そ、そうか…………無事か?』
心なしか、ナージャの心配をしている様子ではない。
多分、ぶつかった人の方だ。
「……所長。いったい私をなんだと思っているのですか」
『鬼泣かせで色気も可愛い気のない副所長』
「そうですか」
『ちなみに俺にだけ優しくしてくれるのなら俺はとてもうれしい』
「くたばれ」
いつものように暴言を言いながらナージャは電話を切った。
次に電話が来ても必ず無視をしようと決意する。
結局所長は何が言いたかったのかわからないが……
「大したことはないよね」
ナージャは特に気にも留めずにすぐに目的を切り替えた。
オルトから頼まれたことだ。
「それにしても広すぎでしょこの街。それに外よりも暑く感じるわ」
そもそも現世の街に入ったのも百余年振りであり、長い事“街”というものを見たことが無い。
見渡せど見渡せど、あるのは画一的な建築物に、平和そうに賑わう人々と、色とりどりの綺麗な花の花壇しかない。
なにがどういう看板があって服屋となっているのかさっぱりわからないのだ。
「…………どうしようかしら」
せめて案内板らしきものはないか、視線を巡らせていると……
「なにかお困りのようでしょうか?」
「ん?」
ふと突然、ナージャは後ろから優しげな声を掛けられ、すぐに振り向いた。
そこに、緩やかで長い茶色の髪に白い頭巾をかぶった、自分(の外見)よりもすこし若い質素な格好をした少女がいる。先ほど話しかけた人だ。
ただし、恰好は普通だが、顔の一部分に大きな火傷の跡があり、ぎょっとするほど強く目につきやすい。
そのせいか対照的に前髪がやや長めだ。
「なにか用?」
しかしそんなことはどうでもよく、初対面でも強い態度で何の要件なのか訊いた。
少女の優しげな表情は、なぜか少し驚きに変わるも、すぐになんなのかを切り出す。
「いえ、なにかお困りのようでしたからいったいなんのことでしょうかと思いまして……」
「そんなの……」
ただの好奇心かと鬱陶しそうにすぐさまナージャは火傷跡の少女をあしらおうかと思ったのだが、それよりもまず自分のすることを終わらせたいため、ここは素直に困りごとを言った。
「実は、この街の服屋がどこにあるのか探しているのよ」
「まあ、服屋ですか」
詳しくは言わないが、とにかく自分は服屋がどこにあるのか探しているとこなのだ。
そう少女に言うと、少女はほんの少しだけなにか考え事をして……
「でしたら私が知る限りですが、一番近い服屋に案内しますよ」
「なに?」
道がわからないと困っていた所に、案内してくれると聞いて、しかしナージャは怪訝な表情になった。
いきなり話しかけられて、それも親切に案内するなどいきなり人が良すぎるとつい素直に思えなくなる。
そう途中で思いながらも、ただの案内である上にいちいちそんな態度でいたらいつまでたっても終わらないと、考えを改める。
念のために一つ断りをいれるとする。
「いいの? 見ず知らずの他人にそんなことで時間を使って」
「いいですよ。近くですから、ついてきてください」
だが、あんまりにもなナージャの言葉にもまったく嫌な顔をせず、少女は笑顔でそのまま案内に入った。
その顔を見て、ナージャは疑う必要はないと判断した。
「ええ、わかったわ。礼を言うわ」
引き受けてくれた少女の案内にナージャは素直に付き従って、着いて行くことになるのだった。
◇
「……あれ? 財布がない…………」
「?」
少女の案内のおかげですぐに服屋が見つかり、ついでに同伴したまま服を買う事になった。
しかし、お会計の時に問題が起きた。
ポケットをいくら探ろうと……
「……落とした?」
「おサイフ、を?」
どこにも財布らしきものがなかった。
まさかこんな時に財布を落としてしまうとは、全く想定外のことだ。
なんで街に入る前までは確かにあったはずだが……
「嘘でしょ。よりにもよってなんでこんな時に……たぶん所長と話しかけたときに注意が逸れて……まったく、本当にろくでもないんだから……」
「お客さん…………」
と、自分の身に起きた不幸にぐちぐちと文句を言い始めたナージャだが、店員は早くしてほしいと催促する。
ナージャも、もう服を買わなくてもいいかとすぐに考えを切り替えようとしたら……
「あ、あの……私が立て替えても、よろしいでしょうか?」
「え?」
火傷の少女は、困ったナージャに代金を立て替えると申し出たのだ。
だが、ナージャはその厚意を受け取りはしない。
「……別にいいわ。服を買う事なんてとくに必要な事じゃないし、最悪あいつらにはそのままで……」
「よくわからないけどダメですよ。この服、なにか……ええと…………」
少女はナージャの服が何か普通ではないことに気づき始めていたがあえて言及はしない。
しかしこのままそんな服のままではいけないような気がしてきた。
「たかだか服よ。そんなもののためにあんた自身が負担する必要はないわ」
「あの、お客様。それは……」
服屋の店員の前で容赦ない物言いに、さすがの店員も苦笑いでしかない。
しかし、
(……あいつは違うわね)
自分はよくても、このまま手ぶらで……それどころか財布を無くして帰ったと気づかれればまたあの犬がうるさく言うかもしれない。腹立たしいことに。
さすがに面倒事は起きてほしくはない。
「……一着だけ、頼めるかしら」
「え?」
「悪いけど、一着だけお願いできるかしら。その代わり、近いうちにすぐに返すわ」
それでもやはり今後のことを思うと、このまま帰るわけにはいかないだろう。
ナージャはもう一度だけ、少女に頼みごとをした。
相変わらずそれが頼みごとをする態度ではないのだが、
「はい。それでは……」
人が良いのだろうか、少女はナージャが選んだ服を一つだけ選び、ナージャの代わりにお金を払うのだった。