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1-14 新たな目的

美獣をいったん倒したナージャだが……

 ナージャが左腕を犠牲にしてまで美獣に魂抑えの棘を当てることができたのはいいが、その後上空から地上へと一直線に落下していった。

 もう美獣の方は大量の魂抑えの棘を撃ちこんだため、しばらく戦う事はできない。

 しかし、問題は現在落下し続けているナージャの方なのだが……


「それにしてもこの落下はどうしようかしら。いくらなんでも衝突は痛いわね……」

「ファアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

「!」


 すると、奇形魔獣が空中にいるナージャの下方へと割り込み、落ちていくナージャの全身を受け止めた。

 まさかここで奇形魔獣に助けられると思わなかったナージャは、意外なことに驚いていた。


「あんた……どうして…………」

「ファア! ファア!!」


 なぜ敵であるはずの自分が助けられたか分からないが、奇形魔獣のまるで心配するかのような切迫した様子にこれ以上言及はしなかった。


『ナージャ、無理をし過ぎだ。危うく再起不能になる所だぞ』

「……大丈夫ですよ。今はこうしてかろうじて無事ですし、第一強敵相手には、犠牲は付き物です」

『……そうか。ならばこのまま地上の方へ降りろ。さっきの奴に止めを刺せ』

「いいえ、まだです」

『え?』


 しかし、追撃を仕掛けるように指示をする所長だが、ナージャはその命令に従わず、なぜか奇形魔獣の上で下方の森を凝視し続けた。

 しかも美獣が先ほど落ちた場所とは違う、全く別の方向だ。

 奇形魔獣もよくわからないまましばらく上空で待機し続けていると……


「…………いた」

「ファ?」

「ちょっとあんた。最後に頼みがあるわ。訊いて頂戴」

「ファ!」

『ナージャ?』


 所長の訝しげな声も聞かず、ナージャは指で横の方向へと指を指しながら指示をする。


「あっちの方向、私が細かく指示をするから、とにかくあっちの方に行って頂戴」

「ファア?」

『おい待てナージャ。なぜ美獣を追撃しない。それどころかお前はいったいどこに……』

「所長、さっき落ちた奴をよく見ていなかったのですか?」

『?』

「とにかく進みなさい」

「ファ!」


 所長は全く意味が分からないが、なにか考えがあるナージャは、美獣が落ちて行った時とは全く違う方向へと指を指し、奇形魔獣への命令から別方向へと向かって行ったのだった。



          ◇



「もういいわ、ここで……さて、あとはあんたの好きにしなさい」

「ファア! ファア!!」

「いいからさっさと行きなさい。構っている暇はないわ」

「…………ファア!!」


 奇形魔獣に森の中へと降ろしてもらったナージャは、そのまま奇形魔獣と別れた後、ある人物へと目を向けた。

 そこには……


「なにっ……貴様…………!?」

「とうとう見つけたわ。本物の美獣(、、、、、)

『え? ……え!?』


 そこにいたのは、全身毛むくじゃらの人型のような獣がいた。

 まるで肉と血を搾りきったかのように身体は細く、今にも消えてしまう程に頼りなさそうな存在感を放ち、まったく意志が感じられない淀んだ瞳で、ただナージャを見つけながら、信じられないと言うように呟いていた。


『本物だと!? じゃあさっきの奴は……!』

「あれは魂分け腕輪と肉体を分裂して生み出した偽物で、本物を逃がすための囮ですよ」

「くそっ…………なぜバレた!?」


 ナージャは口で説明などはせず、金棒を持ったままの右手で美獣の右手首を指した。

 そこには、獣が身につけるには不自然な不思議な青色の腕輪が嵌められてはいる。


「っ…………!」


 美獣が己の失敗に気がつくもすでに手遅れであり、ナージャの辛辣な指摘が彼を追い詰める。


「あんたは欲張りすぎよ。あの時あの偽物には腕輪なんてまったくつけていなかったわ。巨大化したときは目立つほどあったのにそれがない。おかしいと思うでしょ」

『確かに…………』


 言われたことで所長も今ごろ思い出したかのように、あの偽物の囮の右手首に腕輪が無いことに気がついた。


「…………」


 本気で美獣のすり替えに気づいていないようであり、全く頼りにならない上司を無視して話を進めつつ、自身の身体を確認する。

 まだ美獣と戦えるのか、とどめを刺せるのか、と…………


「囮にかなり魂と肉を分けたようね。もう今のあんたには戦う力はないでしよ」

「……………」


 一歩一歩、ナージャは美獣に近づきながら、右手に握りしめた金棒を振り上げ、構えをとる。

 だが、自身の危機にもかかわらず、なぜか美獣からは危機感が感じられない。それがナージャには奇妙に見えた。


「……なに? もう全部諦めて大人しく殺される気になったの?」

「バカが。この俺が無防備にこんな姿で逃げ続けていると思っているのか?」

「なんですって?」


 それどころかなぜか笑いを噛みしめている様子にナージャは足を止めた途端、今度はイヤホン越しに上司の声が……


『……まずい! ナージャ、伏せろ!!』

「!?」


 何かに気づいた上司の指示に即座に従い、何も考えずただ膝を曲げて上体を下へと降ろした。

 その瞬間、自分の背後からかつて頭があった場所に鋭い何かが通り抜け、そのまま近くの草むらに入っていった。


「…………!?」


 身体を伏せて回避したナージャの目には、その通り抜けたものが何なのか見えた。


「矢…………ですって?」


 それも鏃が付いたものではなく、削りだしの木と石でできた即席の投げ矢だ。

 それが、いくら手負いとはいえ、ナージャが気づかないほどの距離から放たれていた。感覚を研ぎ澄ますにも近くにいる気配がしない。

 つまり……


『こいつはまずい……!』

「くくく、保険ぐらいきっちり用意しているってんだよ!」


 美獣の言葉が、今度はナージャの中から焦燥感をかき出す。

 対し美獣は余裕ありげに含み笑う。


「……獣のくせに意外と考えているじゃない。伏兵なんて余裕があるなんて」

「当たり前だ。これでも今まで溜め込んだ魂と肉のほとんどを分けている。これ以上は無駄にできねえ」

「そう……」


 よく感じれば、確かに自分からかなり離れた所にいくつか敵の気配が感じられる。しかし痛みなどにより、それらは霞んで鈍り、いったいどれほどの数がどれくらいの距離でどこにいるのかはっきりとわからない。

 おそらくは獣人もどきだろう、遠くからきた投げ矢が命中しかかるぐらいだから、身体能力は伊達ではない。

 次の瞬間には至る方向から大量の投げ矢がナージャを襲いかかるだろう。


「だったら先に殺すだけよ!」

『よせ、ナージャ!』


 ナージャは金棒を握りしめ、弾丸のごとく真っ直ぐと美獣の元へ突撃した。

 この状況はどう見ても所長にとっては絶望的に見えた。

 いくら百以上の獣人もどきを圧倒する彼女でも、手負いの状態でなおかつ周りからの遠距離攻撃には対応しきれない。相打ちだろうがなんであろうが、今ナージャに危機が迫っている。

 案の定、直後に美獣は大声で迎撃の合図を出す。


「今だ! 殺せ!」

『ナージャ!!』


 目前へと迫り来る敵に対し止めの一言を放つ獣には、もはや勝利の確信しかない。

 所長も電話越しとはいえ、迫りくるだろう攻撃の脅威に万事休したかと思われた。


 ……しかし、奇妙なことが起きた。

 今ナージャが突撃をしてきているのに、周りからはまったく攻撃がこない。


「…………は?」


 今度こそ美獣の表情から余裕が消えた。敵がこっちに向かって来る上に、自分は戦えない。なぜなら戦いにかなりの体を消耗したためもう戦える身体ではない。だから最後の保険に伏兵を用意した。十数匹もの手足を用意し、いざというときにナージャにとどめを刺すように配置した。

 それなのに何も来ないそれこそ美獣にとっては信じられないことだった。


 それがナージャにとって、美獣にとって、決定的な隙となる。


「残念なようね」

「しまっ…………!?」


 気がついた時にはもう遅い。

 ナージャの横に振り薙いだ金棒が美獣の側頭部へと直撃した。


「かっ…………!?」


 美獣の体は思った以上に呆気なく、すぐ近くの大木にぶつかり、制止してしまった。

 元が弱っていたため、あっさりと魂の活動は抑えられ、無気力に近い状態にされた。


「やった…………」

『…………?』


 美獣を倒したことに歓喜するどころか、逆に奇妙に感じられた。

 あれだけ言っていた周りからの攻撃が来ない。森は静寂さを保ったまま何も動こうとはしない。

 それが、美獣にとってはなおのこと目の前の事よりも奇妙に感じられた。


「なんだ……なぜ、こな……い…………」

「へっ、目論み通りに行かなくて残念だったな。美獣」

「!?」


 その時、突然横から割り込んできた声に驚き、何者かが割って入ってきた。

 見覚えのある黒い体に不思議な金色の首輪を見につけた、この世にいない犬の姿が現れた。

 そう……


「お前が周りに仕掛けた伏兵とやらは全部俺が喰っちまったぜ。ナージャを殺せなくて残念だったな」

「じ……地獄犬……!」

「オルト…………!」


 ……地獄の番犬候補オルトロスが、余裕綽々とここまでやって来た。

 おそらく匂いをたどったため、場所を割り当てることはさほど難しくはなかったのだろう。しかし……


「バカな……“basilisk(バシリスク)”はどうした……!?」


 工場の屋上でナージャと対面する前に、命令をしたはずのもう一人の幹部がオルトを殺しにかかってきたはずなのだが…………


「ああ、あの体中から剣みたいなもん生やした変な蜥蜴の事か? あいつなら命令されたことがよくわからなかったのか、俺の事魔獣か何かと勘違いしてたぜ」

「!? あの、バカが…………!」

「普段からお前、あいつのこと虐げてたのか、全く人徳が感じられなかったぜ」


 呆れたようにオルトは、そのまま美獣が動かないことを確認すると、ナージャの方に振り向いてはさらに憐みのまなざしで見てきた。


「おいおい、ずいぶんと無様な格好じゃねえか。腕なんか無くしやがって。俺がいなかったらハチの巣にされていたところだぜ」

「…………」

「……お、おい。返事をしろよ」


 オルトは、あえて奮い立たせるように挑発するが、等のナージャは負傷と疲労によりあまり怒りが起きない。

 今、どうでもいいことに構っている暇はない。ただ目の前の敵を殺すことに集中しているようだ。


「……オルト、よくやったわ。だからどきなさい。今からこいつに止めを刺す」


 そう言うとナージャはパンツのポケットからケースを取り出し、さらにそこから金棒とは別のもう一つの武器を取り出した。

 不思議な緑色を放つ、ナイフ程度の長さの短剣。

 地獄の技術の模造品、『魂封たまふうじの剣・二式』だ。


 残る右手でそれを掴み、ゆらゆらと一歩ずつ美獣に近づいて行く。


「待て、ナージャ。こいつに訊きたいことがある。殺すのはもう少し待ってくれ」

「え? 何を訊きたいって言うのよ」

「リュナの、家族についてだ。出てこい」


 オルトが後ろに向かって呼びかけると、今度は茂みの中からリュナが現れた。

 もう体の状態は良くなっているのか、若干足元がおぼつかないながらもしっかりと強い意志を宿した目で美獣を睨みつけている。

 こうして真正面で対峙をしたのは初めてだが、少なくともリュナにとっては浅からぬ因縁であった。


「美獣…………!」

「犬人族……!? このガキが……!」


 リュナを見て、すぐにオルトの連れであると理解した美獣は、いったい何を惜しいことをしたように、悔しく歯ぎしりをする。

 リュナは本の少し怯えつつも、負けじと睨み返し、そしてあることを訊きだす。


「お父さんと、お母さんと、ちぃちゃんにりゅうちゃん、他の皆をどこにやったの?」

「なに?」


 ここで疑問の声を上げたのはナージャだった。

 確かオルトは先ほど工場内で、リュナの家族を探しに回ったはずだが、何処にもいないという事だろうか。

 リュナには聞こえないよう、近くでこっそりとオルトが補足説明する。


「実は工場内を隈なく探したのだが、何処にもリュナの家族がいなかったんだ」

「喰われたんじゃないの?」

「違げぇよ!」


 こんな時でも遠慮も何もない彼女の物言いにオルトは咎めつつ、即座に否定した。

 感情的な意味ではなく何か根拠があるようだ。


「『飼育室』っつー所で喰った美獣の部下の記憶から、あの部屋にいたはずの多くの犬人族がどこかへ連れて行かれるところを見た。それも屠殺室じゃなく、まったく違う所だ」

「よくわからないけど、美獣に食われるようなところに連れて行かれたわけじゃないって? じゃあどこに言ったっていうのよ」

「それを今リュナが訊いているんだ」


 今はナージャの金棒を喰らっている為、無気力化により逆らう気は起きない。

 それ以前に、心身ともに弱体化している為、オルトは一時も目を放すことなく二人を見続けている。


「父に母だ? ああ、そう言えば少し前に犬人族を、大量に手に入れたことがあったな」

「……そうだよ。弟と妹、両親、仲間をみんなどこに…………!」

「だとするなら、もうここにはいないぜ」

「……食べたの? 皆を…………!」


 それだけは起きてほしくない事態だが、律儀にも美獣は違う答えを返した。

 言いようによってはさらに厳しいことに……


「違う。俺は確かに犬人族を喰らいたかったが、その前に例の取引で仕方がなく繁殖用も屠殺用も、みんな売っちまった」

「……売っちまった? どういうことだ!」

『…………』


 所長は、止めを刺すことを急かさずに静かに美獣の言葉を聴いているも、それに反しオルトは言葉を荒げてさらに問い詰める。

 肝心のリュナは、嫌な予感がするのか硬直してしまい、先ほどの強気よりも恐怖が先立っている。

 そしてナージャは、説明を全部聞くのは面倒であるため、先に推測したある事を鎌をかける意味もあり、美獣に投げかけた。


「もしかして、さっきの工場を維持するため?」

「なに!?」

「!」

「ほぅ……正解だ」

『…………』


 オルトもリュナも、ナージャの言っていることの意味が分からず、硬直している。

 それに反し、美獣は投げ槍気味に、そして得意げに自分の楽園への真実を語りだした。


「……好きなだけ食料を生ませ、増やし、喰らう、俺のみの楽園。しかしこいつを維持するには、家畜の為のエサが必要だったのさ。それに、素体も増え過ぎるのも考え物だから、俺は外の人間と手を組んでいた」

「は? 外の人間と組んでいたって、具体的に誰だ!?」


 次々と知られざることに理解が追い付かないものの、早口となる声でひたすら問い詰める。

 だが、次に来る言葉は本気でオルトの思考を停止させた。


「アルスス地方の領主だ」

「え、確か…………!?」


 アルスス地方の領主。

 この魔獣の森の周辺にある村の住人が行方不明である故に、調査員を派遣させるなどをしていた人だ。

 新聞で実際にナージャがそう言っていたため、おそらく間違いはない。


「人身売買に獣人がある程度売られる。その代り生贄として、人間の調査員がここに派遣されるのさ」

「…………!?」

『なるほど、さっきこいつの言っていた生贄とはこういう事か。人間の素体を手に入れるために…………』

「それで、その子の家族はどこかに売られたってこと?」


 先ほどからリュナは衝撃のあまり呆然としていてとても話せる雰囲気ではない。

 しかし、ナージャも他人事であれ、心の底から不快を感じている。


「さっきから言っている。そこの犬人族のガキの家族……かどうかは知らないが、確かに犬人族の大人数は、例の領主に売り飛ばした」

「……ざけんなよ! お前ぇ命を食い物にするだけじゃなく、売り物にしやがって!!」


 しかし糾弾の言葉など美獣には全く届かない。

 それもそうだろう、罪悪感などあれば地獄で最も悪い所に位置付けられなどはない。


「……下らん。地獄の使徒とは違って、お前はつまんないことを言う。ちなみに地獄犬。貴様が殺した天狐アマツネの素体は、俺が苦労を掛けて取引で手に入れた素体だったんだぜ。そう言うお前が、命がどうたらこうたらなど、滑稽すぎる」

「…………!」


 しかし、若干反論できないことと、自分の言葉が全く届かないことにどうしようもなくやりきれない気持ちになる傍で、ただ淡々と話は続く。


「……そうやって、あんたの言う楽園とやらを強化していったという訳ね。……胸糞悪いったらないわ」


 だがこれ以上あまり嫌な話ばかりもしてられない。

 要するにリュナの家族はどこか遠くへ売られてしまったかもしれないという事だ。

 飼育室はもちろん、どこにも姿が見当たらないのならばおそらく間違いはないだろう。


「オルト、そろそろいいでしょ。どきなさい」

「…………ああ」


 ナージャは今度こそ止めを刺そうと、オルトのわきを通り美獣の元へと向かっていく。

 美獣の方も、自分が弱いと認識したか、それともただ無気力化された影響か、命乞いなどのようなことはしない。

 ただ……


「……おい、地獄の使徒。これだけは言っておく。聴け」

「いやよ」

「けっ、即答かよ。だったら勝手にしゃべるぜ」


 敵の最後の言葉を聞くこともなく、目の前に迫ったナージャの前で、敵の最後の独り言を囁く。


「……お前はいったい何のために、こんなことをする気だ」


 ナージャは魂を封じる短剣を逆手に持ち、ゆっくりと振り上げる。


「ベルベーニュへの腹いせか? それともただ命令だからか? どっちにしろ俺にとっては酷い話だ」


 振り上がった短剣を構え、狙いをしっかりと定める。

 明確な殺意をもって、逃がしはしないと暗に言うように、


「もっと本能のままに生きててもいいんだぜ。命令に縛られて生きるなんて、生き物として最も愚かな選択だ」


 そして、いよいよ短剣を振り下ろそうとする瞬間、


「獣はただ強いだけで生きられる。そして弱いままに殺される。最高の生き方だと思わないか?」

「……くだらない。そんなのただの独りよがりよ」


 最後にナージャは美獣の言葉に応えた。心なしか、それはここにいない誰かへの憎しみとも取れる言葉だった。

そして……


「がっ!!」


 短剣が美獣の身体の中央に突き刺さった。

 肉体的損傷としては大したことなどない。しかしただでさえ分裂により弱化した魂が、短剣の中に封じられていく。

 最後にナージャは、なにに対してなのか呪詛の言葉を一つ、


「地獄へ落ちろ」

「……お前の事、わすれ……ない、ぜ…………」


 そして、魂を完全に抜かれた美獣の体に異変が起きた。

 端から中央へと色白に変わっていく。


「! ナージャ、美獣の身体が……」

『石化していく……』


 どういう原理なのか、魂の抜けた脱獄者の身体は石化してしまい、そしえ独りでに粉々に砕け、風化して言った。


「…………」

「…………」

『…………』

「……所長」


 リュナ、オルト、所長が沈黙する中で、ナージャは短剣をしまいながらも淡々と続ける。

 先ほどのような、殺気めいた様子は感じられない、至って静かな彼女に戻っていた。


 所長も、動揺を感じさせない毅然とした態度に戻り、冷静にナージャの対処をする。


『……なんだ』

「脱獄者、美獣の再処刑に成功しました。詳しい報告はまた後にするので、いったん通話を切ります」

『わかった。『魂分たまわけの腕輪』の回収だけは忘れるな』

「わかりました」


 ナージャはもう一つのポケットから携帯電話を取り出し、通話を切って、イヤホンをしまった。

 そして、風化したなくなった美獣の肉体の跡に落ちている、不思議な青色をした腕輪を拾い、それを短剣と同じくケースの中へとしまった。

 これで目的の一つは果たされた。脱獄者と地獄の技術をそれぞれ一つずつ達成した。

 あとは、この後に備えてこの森を出ることだが、しかしその前にナージャは一息つくために近くの気にもたれ掛ってしまった。

 一方で……


「おい、リュナ。大丈夫か」

「…………はい」


 オルトは、傍で呆然と立ち尽くすリュナの顔色を窺った。

 今のリュナの顔は全くすぐれない。先ほどの具合の悪さとは比較にならないくらい、辛く重い表情になっていた。


 リュナの家族がここにいない理由、美獣がこの工場の裏で企んでいたこと。そして、リュナの家族は美獣のせいでどこか遠くへ売られてしまったかもしれないという事だ。それらすべてを、リュナは聞いた。

 初めはただ虚しさから、そして徐々に怒りや悲しみがこみあげていく。


「……ショック……だよ……父さんも、母さんも、ちぃちゃんも、りゅうちゃんも、みんな……みんな…………!」

「…………」


 こんなことを聞けばすぐにでも動揺したり取り乱したりしてもおかしくない。

 それなのに、今の今まで今まで堪えていたはずの感情が、オルトの言葉で耐え切れなくなり、リュナは瞳の端に涙を滲ませて嘆く。


「この先わたしは、いったいどうしたらいいの……!」

「…………!」


 いくら悔やもうが、どの道オルトにもナージャにも止められなかったことかもしれない。

 だが、


「……リュナ、まだだ。まだ終わらない」

「……え?」

「まだ諦めるわけにはいかない。どこか遠くへ行ってしまったんなら、探せばいいだけだ」


 だが、ここで終わるわけにはいかない。

 ここから先はナージャにとっても地獄にとっても、何の関係もないことだ。

 それでもオルトは、この少女を泣いたまま置いて行ってしまう事はできない。


「どうして…………」


 リュナにとってはオルトの言っていることがわからなかった。

 なぜか自分が助けられていることもそうだが、今こうしてオルトが必死になっていることも、リュナにとっては不思議なことだ。

 リュナの哀しくも不思議そうに見つめる瞳に、オルトは真っ直ぐ答える。


「知るかそんなもん! たぶん俺は同じ犬の涙を見ておけねえんだよ!」

「!」


 しかしこれは地獄から課せられた特命とは全く関係のないことだ。

 脱獄者を捕らえることが主な目的であり、オルトの言っていることはいろいろと特命に反することだ。

 それなのにオルトの言葉に迷いはない。全く構わないと言うように、オルトは断言する。


「リュナ、まだ諦めるな! 美獣に食われていないならむしろ好都合だ! 俺が、お前と一緒にお前の家族を探すぞ!」 

「……勝手に決めないでほしいわね」

「!」


 あれだけの死闘を行いながらも、結局美獣を逃してしまったナージャのダメージは、案外そう大きくはなく、立ち上がりも早かった。

 まだ左腕は無いままだが、まったく揺れることのない意志の強い瞳で睨む。


 オルトは家族を失って悲しむリュナの為に、家族を探すべくリュナも付いて行かせる気だ。


 しかしナージャにとってはそんなことは知ったことではない。

 むしろ『現世の住人に深くかかわるな』という決まりを破ることになるかもしれない。

 その上、脱獄者を捕える事が主な目的のナージャにとっては、戦えないただの少女など足手まといにしかならないのだ。

 そうオルトは予感した。ナージャは決してこのことを了解してくれるはずがない。


「なに言ってるのよ。そんなこと許せるわけないでしょ。あんたは仲良しでも作るためにこの特命に参加したと言うの?」

「ぐっ……だよな……」


 ……案の上、手厳しくも正論を言う彼女に反論の余地はなかった。

 しかし、オルトにとってこれは決して引くことが出来ない事だ。

 リュナ本人は、無理してついて行かなくてもいいと言っていたが、本心では孤独への恐怖と家族がいない事の悲嘆から、正直ついて行きたい気持ちはあった。


「俺の言っている事が、地獄にとって間違っていることはわかる! だが、そこを曲げてお願いする。頼む!!」

「……ふーん」


 どれだけ拒否されようが、全く引き下がりはしない。

 不器用だろうがなんだろうが、オルトはただ懸命にナージャに頼んだ。

 たとえ自信家でも、頭を下げてでもオルトはナージャに頼み込んだ。

 するとナージャは不思議そうに問う。


「なぜ? なんであんたは、会ってからまだ数日も経っていない他人にここまでするの?」

「このままリュナを放っておけば、それは楽かもしれない。でも、必ず俺は後悔する!」

「なによそれ、自分だけの言葉じゃない。そんなくだらないことに私を巻き込まないで」


 しかし、それでも頑なに排他的な彼女は、オルトの悲願を拒む。

 取りつく島もない。無慈悲でも冷酷でもなく、ただ不必要だと当然のごとく切り捨てる。

 それでもオルトは、あえてナージャの言うことに反論せず、受け入れた。


「ああそうだ。決してリュナの為だなんて口が裂けても言わねえ! 責任も重荷も全部おれが背負う! だから頼む!!」

「……だったら、その子に訊いていい?」

「え、私?」


 ……ナージャは鬱陶しそうに感じたが、今度はリュナに対して問いかける。

 その時のナージャは真剣な表情だった。


「あんたは本当に家族を捜したいの? もしかしたら死んでいるかもしれないし、探そうとして自分が死ぬかもしれないのよ。案外この森で生きることがまだましなのかもしれない」

「ナージャ! いくらなんでも……」

「下手な希望を抱かせないで。私はあるかもしれない事を言ってるのよ」

「…………!」


 しかしナージャは意外にもリュナの心配をしていた。

 自分について行くことがどれほど危険なのか、そこまでして家族を捜したいのか、わざわざ危険を冒す必要があるのか。

 それらを総合して訊きたいのだが、いろいろと面倒に思ったのか。ナージャは質問の内容を簡潔にまとめた。


「面倒だから簡単に聞くけど、あなたは家族に会いたいの? 会いたくないの?」

「…………たい、です」


 俯くリュナの口からはかすかに声がする。

 しかし、ナージャはまだ足りないと厳しく突き放す。


「ハッキリ言いなさい」

「……会い、たい……です」

「それじゃあ死ぬわよ。その程度の意気じゃあ……」

「…………!!」


 その言葉が決定的だった。

 不安定な心を突くナージャの言葉は、衝動的にリュナの感情を爆発させるきっかけとなる。


「……会いたいです!」

「誰よ。誰に会いたいの?」

「お父さんに、お母さんに、ちぃちゃん、りゅうちゃん、みんなに…………」


 リュナは叫ぶ。

 悲嘆と、渇望と、そして自分の中に渦巻く感情を全て声に乗せて、リュナは叫ぶ。


「みんなに会いたいよ!!」

「リュナ…………」

「…………」


 他人事でも辛そうにオルトは見つめ、そして感情をはきつくしたリュナはただ残りを絞り出すように弱い声で嘆く。


「もう、一人は嫌…………! 暗い森の中を、ずっとずっと一人で暮らすのはもう……」

「……そう。だったら勝手にするといいわ」

「!?」


 しかし、やはり許す気はないのだろう、ナージャは踵を返して森の外へと出ようとした。

 今の行動はさすがのオルトも本気でキレそうになった。


「おい、ナージャ!! 今のはいくらなんでもひどすぎだろ!! お前は……」


 しかし、すぐにオルトのセリフに被せるようにナージャは返す。


「付いてくるなり、ここに残るなり、好きにしなさい。途中で死んでも知らないわよ」

「非道すぎ…………え?」


 こちらを振り返ってそういったナージャに、オルトもリュナも一瞬訳が分からず茫然とした。

 ナージャは動かないオルトに苛立ち、さっさと来るように呼ぶ。


「なにしてるのよオルト、余計な荷物でも何でもいいからさっさと持って来なさい」

「ナージャ、お前……許してくれるのか?」

「なにを許すと言うのよ」

「いやだってお前……さっき、ついてくるなとか言ったはずだが…………」


 しかし、最後に折れたようであり、もう何も言うつもりはないナージャに、オルトは少し疑問に思いだした。

 リュナがついて行くことを許してくれたのは嬉しいが、それでも腑に落ちない。


「……助ける理由はないわ。むしろ面倒くさいことになるからいやよ」

「じゃあなんで……」


 疑問に思うオルトに対し、ナージャの答えはシンプルだった。


「見捨てる理由もないわ。それだけよ」

「は?」

「自分の発言に責任を持ちなさい。できなければあんたはただの犬よ」

「…………わかった」


 ……脱獄者は捕まえたが、まったく関係ない目的を果たせなかった。

 だか、相変わらずナージャの言動に迷いはない。すぐに次の目標を決め、森から出るために進みだす。

 だが、その前に


「所長は微弱ながらも再生能力があるって言ったけど、完全に治るまで待てないわ。オルト、私の腕がどこかに落ちているはずだから探しなさい」

「はぁ!? それ俺がやるのか!?」

「早くしなさい。使えないならその子と一緒に置いて行くわよ」

「わかったわかった! ちょっと待ってろ!!」


 しかし、先ほどまで自分の我儘を通させてもらったので、断ることもできず、オルトは自分の嗅覚を頼りに、ナージャの左腕を探しに行った。

 なお、左腕を落とした地点と現在地はかなり離れており、往復でもかなり時間がかかる。

 その上、


「さ、バカ犬が私の腕を探してくれるから、その間に行きましょ」

「え? ナージャさん? どこへ……」

「まずはあんたの家族を買い取ったその領主へ挨拶をしに行くわよ。そうすれば少しは手掛かりがあるでしょ」

「いえ、あの……オルトロスさんは?」

「あの犬は何処までも地獄の臭いを嗅いでくるから、はぐれる危険はないわ。だったら何もしないで待つよりはよっぽどいいわ」

「だから、ちょっと待てって…………」

「私はわかったなんて一言も言ってないわ。勝手に突っ走らないでよ」

「…………」


 そう言ってナージャはオルトを待たずにさっさと森の出口を探すべく足を進めていく。

 リュナは止めるべきなのか、付いて行くべきなのか迷ったが……


「あ、あの……ナージャさん…………」

「グズグズしたら置いて行くわよ。ついて行くならしっかりと付いてきなさい」

「あ、はい!」


 結局、ナージャの気迫に負けて付いて行くことになった。

 少し不安そうではあるが、それでも先ほどとは違い、リュナの瞳にほんの少し前向きな光が宿ってきた。

 オルトの言葉に励まされ、ついて行くことを許してもらったリュナは、懸命について行くようにナージャの元へと駆けて行った。







「……あれ? おかしいな、あいつらいったい…………はぁ!? ナージャもリュナも勝手にどこへ行ってやがるんだ!! おい、勝手に置いていくんじゃねえよ!!」


 ……後になって、ナージャの左腕を咥えたオルトが、いつの間にか元の場所にいなくなっているナージャとリュナを追いかけて、必死に走っていくのだった。

ナージャ達が次に目指すのは……

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