0-1 脱獄者と再処刑人
みなさん、お久しぶりです。私のまた新しい作品を投稿します。
楽しそうに読んでもらえたなら幸いです。
はてさてどんな話になるのやら……
地獄…………現世に悪業をなした者がその報いとして死後に苦果を受ける所……
その中でも、あまりの罪の大きさに現世で『処刑』されたものは深層にてある所へ投獄される。
名は……『地獄監』
咎人の中でもさらに重い罪を持つ者が送られるところである。
投獄されたものは気の遠くなるほど長い時間、苦行を受け続け時間をかけることで魂は浄化される。
獄卒……つまり地獄に住む鬼の監督のもとであるため脱獄は過去一度も成功したことはない。
また、仮に監獄から逃げたとしても地獄からは逃げられないものである。
はずだったのだが……
「ヒハハハハ! この時が来るのを待っていた! ヤァ!」
「まだ……愛し足りない。もっともっと……愛したい!」
「ハーッハッハッハッハ! あばよ地獄! 二度と戻ってやらねーぜ!」
「ヘイ! こんな窮屈、とても退屈! つまり鬱屈、だから脱出! ヘイ!」
「無・駄・よ♥ この私、何者にも縛られぬわ」
「これ以上……こんな不幸はこりごりだ!」
「儂にこんなところは似合わない。やはり儂はいるべきところに居なくては……」
地獄監が造られて数千年。初の脱獄者が、しかも七人も出てしまう事件が起きた。
逃げた先は生きた者たちの存在する……現世だった。
しかも脱獄したのは皆、S級に値する咎人……
現世では国家機密や存在の隠蔽にかかわることなど、それほどまでに大きな罪を犯した者たちである。
さらにそれだけではない。
「くそぅ! あいつ等! 返しやがれぇ!」
彼ら脱獄者は逃げるだけではなく、あるものを奪い、持ち去って行ってしまったのだ。
それは地獄の技術と呼ばれる、地獄を統べる十の王が作り出した魂に干渉する道具の事である。それを悪用することは、この世のどんな悪人にさえできない理から外れた現象が引き起こされるのである。
この地獄史上初の出来事に地獄の十王は頭を抱えた。
「閻魔、追いかける?」
「だめだ、泰山君! 我々はもちろん、鬼でさえ現世に姿を現してはいけない」
「ではどうする! このまま奴らを野放しにしては……!」
「ならばここは覚悟を決めて現世に……!」
「だめだ! 何のための地獄なのだ!」
と、鬼たちがそれぞれ討論をしていると……
「待ってください」
「「「!」」」
大声が飛び交う中、静かな声が響いた。
その声に王たちは静かになった。
「私に考えがあります」
そう言ったのは真っ黒なスーツを身に着けた、厳つい顔した中年だった。
彼のその厳かな声は十王全員の耳に届いた。
「考え? ……なんだ、言ってみろ」
十王は一応聞くような感じで訊いた。
中年は「はい、それでは」と変わらずに厳つい顔で言った。
「この件に私の部下を使います」
「なに?」
中年の答えに王たちは疑問した。
「お前の部下だと?」
「はい」
その言葉に周りからは「いったいどういうつもりだ」や「お前の部下だと? できることか?」など様々な声が飛ぶ。
その中でも中年は動じずに答えた。
「それは私の部下が地獄の中で唯一の例外であるからです」
「「「!?」」」
中年の一言に王たちははっとした。
「そうか……彼女ならばやってくれるかもしれん」
「たしかに、相応の実力もあるしの」
「いろいろと問題はあるが、対処は可能だ」
「こんなところで活用されるとは……」
と、活路を見出した様子だったがすぐさま一つの王が懸念するように言った。
「しかし、引き受けてくれるのか?」
「「「!?」」」
その言葉に王たちはまたもとの状態に戻った。
「確かに君の部下は酷く気難しい。特に今回の件だと……」
やはりだめか……そう誰もが思ったが……
「大丈夫です」
不安げに言う十王に中年は断定した。
「この私、何が何でも彼女を説得します。ですので、どうか……!」
と、今度は中年が十王に頼みこむように言った。
その中年の切実なお願いに王は……
「……よろしい。ならば今回の件は君の部下に任せよう」
「必ずや、説得をするのだ」
中年を信じ、了承したのだった。
「はい」
◇
ここは、現世にて罪を犯した者が行き着く場所、地獄。
その中の表層にて、地獄へ落ちた咎人の処遇を決める地獄公的機関、死役所でのこと。
「はあ? 今なんて言ったのですか?」
地獄にあるとは思えないような整ったオフィスのようなところで、一人の疑問する声が静かなオフィス中に響いた。
声を上げたのは黒のビジネススーツに身を包んだ、見た目二十代前半の女性だった。
吊り上った目と射抜くような灰色の瞳に濡れた光沢のある黒髪。
平均よりやや高めの身長とスッとした輪郭に毅然とした態度。
それは刃といった印象が似合う人であった。
そんな彼女の訝しげな様子を見て、彼女の部下たちからは恐れの声が飛ぶ。
「おい、今日の副所長は一段と不機嫌だぞ……!」
「ああ、鬼泣かせと呼ばれている副所長。……なんでこの人の下についたことやら」
「おい見ろよ。あの不機嫌な表情。正直怖い……」
「けど、そんな副所長に臆さない所長も素敵!」
「いったい今日はどんな雷が落ちることが……」
と、言いたい放題の部下たちに……
「あぁ? なんか言った?」
「「「!」」」
彼女は一斉に周りを睨みつけた。
そのあまりにも鋭い眼光に周りは怯んだ。
「文句があるなら聞いてあげるけど?」
「「「いえ、なんでもありません……」」」
「そう」
彼女の睨みに周りは静かになった。
さて、と彼女は気を取り直し、
「所長。今さっき言ったこと、もう一回言ってもらえないでしょうか」
彼女は上司の言葉をもう一度確認した。
その様子は、聴いた内容が信じられないといった感じである。
「だから、ここ地獄に堕ちてきた咎人を収容する監獄、《地獄監》。そこのS級の囚人が、七人脱獄したんだ」
険しい表情で返事をしたのは黒のスーツを着た口周りの髭とスキンヘッドにサングラスという厳つい容姿の中年だった。
しかし、女性とは違い中年は頭に角が一本生えている。
そう、この中年は見た目がほぼ人間だがれっきとした地獄の住人……鬼であった。
そんな厳つい容姿の中年に対して臆さず彼女は言う。
「所長。それはもう聞きました。問題はその続きですよ」
「あ、そこか? そこならそこって言え」
「…………」
所長と呼ばれた中年の鬼は軽い口調で言うと、彼女は苛立った。
そして所長はもう一度その内容を告げた。
「君に特命を授ける。それは……
……現世に行って来て、脱獄者を連れ戻してくれないか?」
所長のその言葉は……
「…………?」
……突拍子のない内容であり、それを聞いた彼女は胡散臭そうに怪訝な表情となって驚いた。
当然のように彼女はその意味を訊き返す。
「脱獄者捕まえてこいって……なんで私なのですか」
「それはお前が適任だからだ」
抗議の声を上げる彼女に所長は静かな表情で答えた。
適任……そう言われても納得しない彼女はさらに追及する。
「適任って……私はただの死役所の副所長ですよ? 所長の補佐と部下を纏めるのが主な仕事ですよ。特に何もないし、犯罪者を捕らえるほど強くは……」
と、彼女は言うが……
「強くはない、と? 本当にそう思うか?」
「え?」
すると所長は懐のポケットから小さなメモ帳を取り出した。
それは……
「死役所社員番号508029。階級、副所長。死神資格……取得」
「え……?」
所長の言葉に目を開く彼女。
所長の言葉は続く。
「ほか、悪霊狩り……六段。現世史検定……準一級。獄卒資格……取得。すごいな…………これだけあれば十王様の誰かの補佐くらいなら目指せるかもしれない……」
「……なんで所長がそれを知っているのですか?」
彼女は所長に内緒でひそかに資格を取り続けていたのだが、いつの間にかそのことが知らされていることに驚いていた。
「それは君が最近新しい仕事を探していることがわかるからだ」
「……バレてるし」
彼女は顔に手を当てて俯きながら呟いた。
彼女は最近、今の仕事にうんざりしていた。
主にこの上司が原因であるのは部下からも見て明らかである。
だから彼女はさらに上の仕事を目指すため、あらゆる資格を取得していたのだ。
まあ、何はともあれ彼女には脱獄者たちを連れ戻せる力量があることが上司に知らされていたのだ。
知られてしまった以上、否定はできない。
「君なら奴らを連れ戻せると信じている!」
「それだけの理由で……」
それでもまだ彼女は納得できなかった。
なぜなら自分の勤めているのは死役所であり、地獄監ではない。
なぜ畑違いの仕事を自分がやらなければならない、と彼女は文句がたくさんあるのだった。
「無理ですよ、そんなの。だいたい私よりも強い鬼なんて山ほどいるはずです。でしたらそいつに任せた方が……」
「それこそ無理だ」
とにかく、この仕事をしないために彼女は抗議するが、その途中で所長は言葉をかぶせてきた。
そして、突如穏やかな表情になり、ゆっくりとはっきりと話しだした。
「この仕事はお前にしかできない」
「……なんでですか」
さすがの彼女も上司の雰囲気におとなしく聞く気になった。
その様子に安心しつつ所長は続けた。
「さっきも言ったが、鬼たちは現世へ行くことはできない。かと言って咎人にも任せられない。つまり……お前以外には誰にもできない仕事だ」
「……私にしか……できない……」
「正直、この仕事は確かに危険だ。だがやらなければ現世の人たちが大変なことになる。逃げた奴らはどれもこれも凶悪な咎人。何も起こらないことはないのだ」
「それは……」
所長は彼女の瞳を見つめはっきりとその内容を口にした。
いつもこちらを見ずに一方的に話し出すことしか知らない彼女にとっては今の上司の表情は新鮮であり、若干戸惑っていた。
「お願いだ。どうか現世の人を守るために……引き受けてくれないか?」
「所長……」
そう、これはミスを挽回するというより、現世の人を守りたいという気持ちで所長は部下に特命を与えたのだ。
彼女は思う。
『なぜ鬼である所長がそうまでして現世の人間を守りたいのか』、と
護りたい……上司の口からその言葉を聞くのは初めてであり、それゆえに本気であることを彼女は悟った。
だから彼女は……決断した。
所長の切実なそのお願いに……
「…………はあ? ふざけないでください」
……はっきりと拒否をしたのだった。
「ええ――――――!? 引き受けないの!?」
「それはない! それはないよ副所長!!」
「さすがは3W(口が悪い、目つきが悪い、態度が悪い)のあいつと呼ばれた副所長!」
黙っていた外野もさすがに今の言葉に驚きの声を挙げた。
すると彼女は、
「……うるさい」
「「「ひっ!?」」」
彼女は苛ついた様子で部下を視線で威圧して黙らせた。
迷惑そうに周りを見ると、すぐに視線を上司に戻した。
「私がこの地獄唯一の人間? なによ、それは煉獄のバカな受付人が間違えて私を地獄へ送ったからでしょうが」
イライラしている彼女はもう敬語ではなく、タメ口で猛抗議した。
ちなみに煉獄とは天国と地獄の間にある所で、現世で死んだ魂の送る先を決めるところである。
タメ口で、しかも断られたにもかかわらず、所長は怒らず諦めずにつづけた。
真剣な顔はそのままである。
「それはたまたま同じ時間に同じ名前のほぼ同じ見た目で無罪なお前と違って有罪の人間が流れてきたから受付が間違えたんだろ?」
「そうですよ。しかも地獄に送られただけじゃなく、その上働かされるなんて……」
「間違いでも地獄に送られると簡単には出られないからな」
彼女もそのことはわかっているし、駄々をこねようと何も変わらないことはわかっている。彼女はそこまで馬鹿じゃない。
しかし、現世で命を落とし普通なら自分は天国へ送られ、転生の手続きを済ませ現世でもう一度生を受けるはずだった。
それなのに煉獄で間違われ、地獄に落とされ、約百年も強制的に働かされ、それなのに再び現世で生を受ける目途も付かないこのご時世。
彼女はこの状況にいい加減うんざりしていたのだ。
正直地獄でも、咎人たちは与えられた苦行をすべて受け終えることで輪廻転生は可能なのだが……
「脱獄者を捕まえて? 現世を護って? なによ。そもそもこんなの地獄監の連中が起こした失敗でしょう? そんな事実をなんで全く関係ない死役所の私が尻拭いをしないといけないわけですか?」
「いや、関係ないと言っても、もしこのことが大ごとになったら天界の方たちに制裁をされてしまう」
天界とは文字通り天の世界、またの名を天国とも言う。
地獄は現世で死した咎人の魂の管理をするが、天界は罪のない魂の管理をするところである。
先ほども言ったが、主に転生先の操作や魂と世界とのバランスの調整など様々な役割を持つ。
基本的に地獄と天界は力関係が均衡で、またお互い不干渉なのだが……
「具体的に言うとこのまま何もしなかった場合、天界からは「後始末もできないのか!」と、この件の責任を問われ、地獄監の関係者はたくさんの首を切られてしまう。それに十王様たちも天界の神様たちの監視下に置かれる。つまり地獄は天界の下につくことになってしまうということだ。これがどれほどの事態なのかわかってるのか」
と、所長はこののちに起こるであろう事態を深刻に話すが……
「ふん。間違って地獄へ落とされた私を縛る地獄なんて、一回叩かれるといいわ」
「…………!?」
彼女は全くと言っていいほど動じなかったのだった。
「そうですね。地獄が天界の管理下になるねぇ……。いっそそうなれば直接神様に頼んで転生させてもらえるかもしれませんしね」
「な、なんてことを……!」
それどころか、とんでもないことを発言する彼女にさすがの所長も驚愕の声を挙げた。
しかし彼女は構わない。彼女は地獄に対し何の思い入れもなかった。
むしろ恨み絶頂である。
「……とにかく。私はこんな仕事をするつもりはありませんからね」
「そうか……仕方ねぇな」
と、結局彼女ははっきりと断ったのだが……
「……じゃあ業務命令だ」
「は?」
所長はまだ諦めていなかった。
何せこれは自分一人の首でどうにかなる事態ではない。
下手をすれば地獄そのものが大変なことになってしまうのだ。
「命令を聞かないと、クビだ」
「…………!」
上司の突然の宣言に一瞬驚く彼女。
しかし、その言葉を聞いても彼女は屈しない。
「それくらいで私が引き受けるとでも思っているのですか!」
ここにきて彼女は声を荒げ、反対をした。
しかし……
「もしクビになったらお前は“地獄監”行きだ」
「…………はぁ!?」
さらなる宣言はさすがに応えた。
そんな彼女に上司は追い打ちを続ける。
「そのあとは死役所所長兼十王補佐官の権限で二度と君を出さないようにする」
「なんですって……!?」
さすがの彼女もその言葉は無視できないものだった。
確かに彼女は地獄での暮らしにはうんざりしていたが、それでも働いている。それはなぜか。
それは地獄にも待遇というものがあるからだ。
働いて功績を出せば上へ行けるしその分待遇もよくなる。
逆に働かなければ、そいつは役立たずとなり“地獄監”へと送られるからだ。
そこで待っているのは無限が必ず付く、退屈か呪いか罰かである。
そのため仕方がなく彼女も例外なく働いているのである。
ゆえに先ほどの発言は彼女に効果的であり……
「嫌か? 嫌なら引き受けろ」
そんな上司の横暴な仕打ちに……
「ふ、ふ、ふ…………!!」
彼女は相手が上であろうとかまわず……
「……ふ、ざ……けるな…………!!」
怒りをにじませた声で呻くのであった。
そのあまりにも強い彼女の気迫はオフィス内の鬼たちを震わせるほどの声であった。
◇
そんなこんなで地獄の果て。
現世へ続く門の前のこと。
結局彼女は引き受けてしまう事になってしまった。
その後旅の準備を(強制的に)済ませた彼女はいよいよ現世へと向かうのだが……
「はあ……」
「おい。ため息をすると幸せが逃げるぞ」
「もう黙っててください」
すでに開いた門の前、未だに彼女は乗り気ではなかった。
彼女の恰好は白いワイシャツに足首まである細くぴったりとした黒のパンツと、シンプルな格好に変わっていた。
また、彼女の右手には銀色の頑丈そうな大型のトランクケースを下げていた。
「あの、所長。このトランクケース所長が用意したものですけどこれはいったい……」
「これのことは現世に着いたら説明する」
「……そうですか」
いよいよなのに本当に未練がましいのだった。
「じゃあ改めて言うが、今回お前には二つの指名を授ける」
所長は右手を前に突出し、人差し指だけを上げた。
「一つは、地獄から現世へ逃げた脱獄者の捕縛」
次に中指を上げた。
「もう一つは奴らが持ち去った地獄の技術の回収」
と、所長は指を下し、顔を近づけてきた。
「この二つを果たせばいいだけだ。頑張ってこい」
「……ここにきて言うのはそんな事ですか」
もう一度ため息をつきつつ、彼女はこの件について疑問に思ったことを追求した。
「そもそも所長。なぜそいつらは現世へ逃げ切ることができたのですか?」
「そうだな。まずはそこから説明する」
では……、と所長は改めた様子で彼女に説明した。
「簡単に言えば理由は二つだ」
そう言うと所長は頭を重たそうに下げて事実を言った。
「……いいか、今から言う事は内密に誰にも言うな」
「…………? はい」
彼女は上司が何を言うつもりなのか分からないがとんでもない事であることは分かった。
「実は……脱獄者たちが地獄監を抜け出したのは、あるひとつの鬼が共犯に加担したからだ」
「!?」
上司の言葉に、彼女は驚愕した。
それは、特命を授かったこと以上に衝撃的だった。
「共犯者は地獄監獄卒長……ヤクシャと呼ばれた鬼だ」
「獄卒長が…………!?」
獄卒とは、地獄監で囚人を取り締まる役人である。
その中でも獄卒の長となると階級も相当なものであり、責任者の立場でもある鬼が裏切るとは思えないのだが……
「奴は……ヤクシャは俺の同期だった……。今でもあいつがそんな真似をするなど、到底信じられん……」
「それでも、現に脱獄者を逃がすのに手を貸したことは変わりないのですよね」
「ああ…………」
正直上司の身の上などどうでもいい彼女であったが、とにかく地獄の鬼が手を貸しているという事がわかった。
上司は哀しそうにかつての同期らしい鬼の事を話した後、すぐに元の話に戻った。
「そしてもう一つの理由だが、現世の方から誰かが引き寄せたのだ」
「引き寄せた?」
その言葉に彼女は引っかかるような感じがした。
ここ地獄は一度落ちれば、十王が許可しない限り転生することも、ましてや現世へ行くこともできない。
つまり引き寄せたということは……
「現世の数ある世界の内のひとつ。そこに死霊使いと呼ばれるものがいる。そいつは奴らを蘇生することで脱獄の手助けをしたのだ」
「死霊使い……」
……現世で蘇生させたという事であった。
そもそも、死霊使いは存在すること自体が禁忌であるが、特に何もしない限り現世に来てまであまり干渉することはできない。
しかし今回の件は深くかかわっているため放っておくことはできない。
「つまり、正確に言うと脱獄者だけでなく、脱獄の手助けをした鬼と死霊使いも捕らえてほしい」
「……たしかに、同じことが二度起きてはいけませんからね」
だが、鬼はとにかくそのものについての情報は全くと言っていいほどない。
可能性は低いということになる。
「ちなみに所長。現世へ逃げたと言っていましたが、現世の人たちに任せることは……」
「それはできない」
所長はきっぱりと言った。
もちろん理由はある。
「奴らは地獄の技術を持ち去って逃げている。そのせいか奴らは向こうで言う不老不死の状態になっている」
「不老不死……?」
そもそも脱獄者の肉体はどうやって用意したか、など疑問点があるが詳しくはわからない。
しかし、地獄からよみがえった以上普通には死なないことは確かであった。
「厳密に言うと奴らは現世の武器では傷一つつかない体だ。つまり同じ地獄の技術を使わないと不可能」
「同じ技術って……なにを使うのですか?」
「これだ」
部長は懐から不思議な緑色を放つナイフを取り出した。
刃渡り十五センチほどで刀身が奇妙な形をしていた。
そのナイフを見た彼女は訝しげに一言。
「なんですか、これ?」
「これは地獄から逃げたものの魂を封じる剣……」
所長はナイフを上へ掲げてその名前を言った。
「『魂封じの剣・二式』だ」
と、キメ顔で言う所長だったが……
「……二式って、なんで二番目ですか?」
「…………」
彼女の指摘に所長はすぐさま項垂れて……
「いや、オリジナルは脱獄者に持っていかれて……」
「……そう」
しょんぼりとした声でそう言ったのだった。
彼女もこれ以上は追及しなかった。
「いいか? こいつはあくまで二式だから、いきなりだと抵抗されてうまくいかない。だからある程度脱獄者を弱らせた後にこれを使うんだ」
「弱らせるって……一体どうやって?」
「それは……」
「!?」
所長は右手を前へ差し出し自分の指先を彼女の口元にあてた。
彼女はそれに驚き、所長は続ける。
「脱獄者に口づけをして魂を吸い上げる吸魂じゅぐあっ!?」
「……所長、ここにきてセクハラとはいい度胸ですね」
所長が言い終わる前に彼女は上司の頭をわしづかみにして締め上げていた。
心なしか所長の頭がミシミシと悲鳴を上げる。
「確かに悪霊の技術にありましたけど……あれっていいものではないですからね……」
「ま、待て。悪かった悪かったから手を放せ!」
「だったらもっとまじめにやってください」
彼女の手のひらから解放された所長は頭を押さえつつ立ち上がった。
痛そうに頭を押さえる上司に彼女は構わず続ける。
「で? 脱獄者を弱らせる方法ってそれしかないのですか?」
「……ふざけたことは謝る。本当の方法は現世に着いたら説明する」
「?」
先ほどの言葉に疑問を感じたがすぐに気にしなくなったのだった。
次に所長は懐に手を入れると……
「次に、脱獄者の詳細を教える」
そこから七枚の羊皮紙を取り出した。
羊皮紙には顔写真と名前と細かい文字がびっしりと書かれていた。
「これは……」
「見ての通り、手配書だ」
所長はそれを差し出し、彼女は七枚の羊皮紙を手に取った。
「生前の罪状はあとで教える。今は顔と名前に目を通しとけ」
「わかりました」
「ではまずは一枚目」
部長の言葉に彼女は羊皮紙の最初の一枚を見た。
一枚目は……
「……何ですかこれ」
一枚目の顔はとても奇妙で妖しげな子供だった。
長い桃色の髪に、目が見えないのかアイマスクをしている。
また、容姿は線が細いうえに顔の一部が隠れているため、男か女かわからない。
そいつは口を大きく開けて舌を出した状態で写っていた。
「こいつは“シスカー・ベルベーニュ”。今回の件の首謀者だ」
「首謀者? このヘンテコが?」
「こいつは咎人の中で最も手に負えなかった奴だ。気をつけろ」
「……確かに普通じゃなさそうですけど…………」
「次、行くぞ」
羊皮紙の二枚目を見た。
「……ふうん」
二枚目は爽やかで優しげな表情をした青年だった。
容姿からして目に入ったら必ず二度見するくらいの美貌である。
もっとも彼女は大してなんとも思っていないようだ。
「“パウル・ロキ・シェロス”。見てくれに惑わされるな。こいつも咎人だ」
「大丈夫です。人は見かけで判断しません」
「そうか。では次」
三枚目。
「……うわ。なにこいつ」
三枚目はまだ働き盛りという言葉が似合う壮年の男だった。
そいつは長い髪を振り回し、こちらを嘗めるような目で写っていた。
その写真の様子に彼女はイラッと来ていた。
「“美獣”。『麗しく聡明な獣』というのが名前の由来らしい」
「獣ねえ……たしかに今にも発情しそうですけど」
「そんなこと言うな。次」
四枚目。
「……すごい髪ね」
四枚目はサングラスをかけた、褐色の肌にアフロヘアーの青年だった。
キメ顔のつもりなのか、サングラスを指で持ち上げるような状態で写っている。
「“ギャラクティカ・ロマンシーザ”。見た目とは裏腹の危険さを孕んでいる」
「へぇ……それはどういう意味ですか?」
「まあ……会えば分る。次」
五枚目。
「……これは……いかにも男を誑かしそうなやつですね」
五枚目は漆黒の髪に高貴な感じの妖艶な女性が写っていた。
手配書なのになぜか流し目で写っていた。
「“シルディア・ロトシャード”。いくつもの男を虜にさせた絶世の美女だ」
「所長……鼻の下伸ばしてません?」
「気のせいだ。次」
「……………」
六枚目。
「…………」
六枚目はぼさぼさの髪が特徴的な青年の男だった。
あまり特徴はない顔だが、すごく陰鬱な表情で写っている。
「“ミクラダリオン”。どの脱獄者も罪を犯しているがこいつは最も悪質な奴だ」
「……それは、S級だから分かりますけど、どの道戦うのですね?」
「ああ。おそらくこいつはお前とは相性が悪い。一応気をつけろ」
「わかりました」
「よし、次」
七枚目。
「……強そうな顔ですね」
「現世でも実際に強かったそうだ」
七枚目は老人だった。
はげかかった頭に長くて立派なひげ。
そいつは年老いているのに関係なく精悍な表情で写っていた。
「“マサキミ・ウジョウ”。……こいつだけは処刑ではなく病で死んだのだが、それでS級なのは相当だ」
「油断しないでってことですか?」
「そうだ。まあ、他も他で危ないがな」
彼女は全ての手配書に目を通し、懐にしまった。
「以上、この七人が脱獄者だけど質問あるか?」
「そうですね。まともなのが一人もいませんが特にありません」
「そうか」
個性的な手配書の顔に彼女は少しげんなりしているのだった。
どう見ても一筋縄じゃあ行かなさそうだ、と
S級咎人だから当然ではあるが。
「それでは、彼らが逃げた先を教える」
「……はい」
次は逃亡先のことである。
逃げた先は現世と言ったが、一口に現世と言っても世界は数多くある。
それに対し地獄は一つしかなく、種類豊富な人が落ちてくるのである。
「逃げた数は七人だが、全員同じ世界へ逃げている。その逃げた先は……」
所長はどういう原理なのか空中にスクリーンを映し出した。
そこには一つの風景を映し出していた。
「ここだ」
「げっ…………」
所長の言葉に彼女は嫌そうな声を出した。
「所長。この世界って…………」
「現世の中でも最大の広さを誇る世界。その上、未踏の地あり、未確認生物あり、謎の種族あり、とまだまだ謎が多く世界地図は完成していないところだ」
「なんでよりにもよってこんな面倒な所に……」
彼女は嫌そうに言った。
実際この世界はまだまだ知られざる事実が多く、また不可思議な出来事も多い。それゆえに脱獄者がどのように振る舞おうと注目はされることはあまりない、といったようである。
「こんな所だからこそ、死霊使いが存在したからだろう」
「……はぁ。そうですか」
もうどうでもいい、といったような感じだった。
「あとこれだけは気を付けろ」
「……なんでしょうか」
それでも彼女は上司の話をきちんと聞くのだった。
意外と律儀である。
「なるべく現世の人とは関るな」
「…………」
彼女は人間ではあるが地獄に堕ちた身だ。
つまりどんなものであれ地獄との関係者は現世と直接関わってはいけないのである。
「情報収集とかもあるから絶対とは言わない。だが必要以上に関係を持つな」
「……わかりました」
「あと、自分の正体もそうだが地獄のことも絶対に秘密だ」
「わかりました」
あともう一つ、と所長は彼女の首を指した。
そこには黒いチョーカーが着けてあった。
「お前のこの首飾りだが……」
「……所長。いつの間に着けたのですか」
どうやら彼女はつけた覚えがないらしく、上司を問い詰めるが無視されてしまった。
所長は続ける。
「いいか。この首飾りにはお前が現世の人に危害を加えた場合、強制的に地獄へ連れ戻す仕掛けが施されている。これだけは忘るな」
「……首輪までつけるなんてずいぶんと用心深いことね」
「安心しろ。俺はお前がそんなことしないと信じている」
「……ちっ!」
所長はそう言ったが彼女はうっとうしそうに舌打ちした。
そんな彼女に対して気にしていない所長は続けた。
「最後に君のパートナーを紹介する」
「パートナー?」
「そうだ。来い!」
所長が大声で呼びかけると……
「待たせたな」
「!?」
と、こちらに向かって走ってきたのは……
「犬……!?」
そう、やってきたのは黒い体に獰猛な顔で、さらにはかなりの大型の犬であった。
そいつは犬でありながらも流暢な言語で喋る。
「所長。この犬って……」
「地獄犬だ」
地獄犬。
主に地獄監で、牢屋の番や獄卒の補佐などを役割とする地獄特有の犬である。
犬は所長に向かって吠えるように喋った。
「おい。俺のパートナーとはどいつだ?」
「こいつだ」
所長は彼女を指差し、犬もその先の彼女を見た。
すると犬は……
「はあ?」
と、不満そうに言った。
「……なに」
彼女も犬の態度に不満げになった。
「おいおい、ふざけるんじゃねえ! この女が俺の相棒だと!?」
「はあ?」
否、本当に不満であった。
「いいか、俺は地獄犬の中でも特に優れた個体なんだぜ! なにせ次期、地獄の番犬候補の一つだからなぁ!」
すると突然犬は自慢話をし始めた。
「だからさぁ! そんな優秀なこの俺がこんなガサツで品のない女の相棒を務めるだとぉ!? なめられたもんだぜ!」
「……ガサツで品のないですって?」
「しかもこいつどう見ても鬼には見えねえぜ! 大丈夫かよこいつ!」
「…………」
どうやらこの犬は彼女のことを知らないようであり、言いたい放題言ったのだった。
そんな犬に対して殺気を放つ彼女。
しかし原因の犬はそれに気づいていない。
所長は嫌な予感を感じ慌ててフォローをするのだった。
「おい、言いすぎだ。もう少し控えろ」
「あぁ? なにを控えるってぇ? だからこんなぎゃいん!?」
と、犬が喋っている途中いきなり腹を蹴り飛ばされた。
蹴り飛ばしたのは……
「初対面なのにずいぶんご挨拶ね」
彼女だった。
当然犬はこんなことをされて怒った。
「おい! 手前ぇこの俺になにをぐえぇ!?」
「うるさい」
犬は彼女に飛び掛かったがすぐさま回し蹴りで飛ばされたのだった。
「何をって? あんた私に向かってずいぶん言いたい放題ね。えぇ? 誰の品がないって?」
と、彼女は倒れている犬を掴み、拾い上げると……
「お、おい! なんだこの女は!? 女のくせに暴力的だぞ!」
「やかましい」
「ぎゃいん!?」
と、彼女は犬を思いっきり地面に叩きつけたのだった。
「ぐ……お……」
「ふん」
そして、静かになった犬を見て彼女は不愉快そうに所長に訊いた。
「所長。正直こいついりますか?」
「おい……手前……!」
あまりにも直球の一言にさすがの所長も動揺したのだった。
「……地獄犬は咎人のにおいを嗅ぎ分けることができる。現世での捜索に便利だ」
「そう……ですか……」
そう聞いていると彼女は無下にできないのだった。
正直こんな犬はお断りであったが仕事を楽に終わらせるためと割り切ったのだった。
「仕方がないですね。しっかりと私のために働きなさい、犬」
「手前! 俺をそう呼ぶんじゃねえ! 俺にはなあ……!」
「はいはい、後にして頂戴。後で聞いてやるから」
「手前……!」
と、ここで彼女は最後に一つ上司に質問した。
「所長。こちらからも最後に訊いていいですか?」
「おい、無視するなってぐえ!?」
「……なんだ?」
「本当に、やらないといけませんか?」
「手前……足をどけろ……!」
呻く犬を無視して彼女は問いかけるが……
「……今更それを言うのはなしだ。義体ももう用意した」
「……そうですね」
「俺の話を……聞け……!」
だが帰ってくる答えは変わらなかった。
そのことに気が滅入る彼女。
しかし……
「それに、この仕事を成功させたらボーナスが待っている」
「ボーナス?」
予想外の返しに疑問の声を上げた。
「……この仕事を成功させたら何でも言う事を聞こう」
「……へぇ、魅力的ですね。そこまで言うならやります」
「おい…………ぐっ」
と、最後には了承したのだった。
それじゃあ、と彼女は踏んづけた足をどけて犬に話しかけた。
「ちょっと、犬」
「……なんだ手前」
「あんたのこと、なんて呼べばいいの?」
「はあ……!? そりゃあ俺のことを犬と呼ぶんじゃねえ。俺にはオルトロスって名前があるんだからよ!」
「……そう、わかったわ。オルト」
「え……!? お、おう……」
と、本当に名前で呼ばれるのが意外だったのかしばらく呆然としていると……
「っておい! 名前略してんじゃねえ!」
「あんたみたいな反抗期は略称で十分よ」
反抗した犬に対しさらりと流すのだった。
彼女はそんな犬に構わずに……
「名前……ねえ」
と、呟いたのだった。
その声を聞いた所長はすぐにあることに気が付いた。
「ちなみにこの作戦においてお前は俺が決めた名前で作戦に参加してもらう」
「…………なんでですか?」
「コードネームという物だ。お前と言う人間は現世では死んだ。ならば現世の名前を名乗る必要はないだろ」
「…………」
現世……
彼女は人間だった頃の自分の最後を思い出し、複雑な思いを少しだけ抱いた。
「ではこの作戦の間だけ君のことをナージャと呼ぶ!」
「ちょ! 相談もなしに勝手に…………もういいや」
「ナージャ……いいじゃねえかその名前! 俺は気に入ったぜ!」
「そう……もう好きにして」
彼女は抗議しようとしたがすぐに諦めたのだった。
そのせいかもう敬語ですらなくなったのだった。
「それでは、成功を祈っている! ナージャ副所長! オルトロス!」
「……はぁ。わかりました。羅刹所長」
「おう! 行ってくるぜ!」
ため息一つついた彼女は相棒となった犬と共に、現世へ続く門をくぐったのだった。
最後に……
「夜叉を……あいつを止めてくれ……」
「…………」
後ろから所長の呟きを聞いた彼女は、何も返さなかった。
だが、珍しく辛そうに呟いた所長の言葉は彼女の心に強く残ったのだった。
……ちなみに彼女が地獄から出て行った後、彼女の部下たちは大いに喜んだのだった。
さて、始まってしまいました。
それではこれからもどうかよろしくおねがいします。