12月24日
異教の神にこの身を捧げるということ、神様はお許しにならないでしょうか?
進んで命を投げ出すことは、神の教えに反しますか?
私が聞くと。
神父様は困った顔をして、私にも分かりません…とおっしゃいました。
でしたら私は、キリシタンをやめようと思います。
私がキリシタンのままでいて、神様がお怒りになったとしたら、神父様や私の家族に迷惑がかかってしまいますから。
神父様は、そんな私におっしゃったのです。
神のご加護がありますように、と。
キリシタンをやめる、と申し上げたばかりなのに。
おかしな神父様だなぁと思いました。
「…どこだろう?」
とりあえず、家を飛び出してはみたものの…
すず達がいそうな所なんて…見当も付かない。
暗い道には冷たい風が吹きすさび、人の気配は一切無い。
パジャマの上にダッフルコートという、あまりにやっつけな自分の格好に…大いに後悔。
「でも…しょうがない」
うちの前の分かれ道。
右か左か………
そもそも…走っていける距離なのかしら。
「しょうがないしょうがない。きっと…大丈夫」
自分に言い聞かせて、また走りだそうとするが…
ふらっと目眩がして………傍の壁に両手をつく。
ズキンズキンと頭に響いて…思わずうずくまってしまい。
ふるふると小さく首を振って、顔を上げた。
「あれ………?」
目の前は…湾岸の、高層ビル群だった。
「ここは………」
この前テレビ電話に写っていた、大きな橋と観覧車が遠くに見える。
私、どうやって…ここまで来たんだろう?
さっきまで…うちの近所にいたはずなのに。
冷たい風が吹き抜けて…ぶるっと身震いする。
「そうだった…すず」
すずと仁くんを探さなきゃ。
熱がまた上がってきたらしく、頭がぼーっとした。
ふらふらしながら…ビルの間を走り回る。
すずー、仁くーん、と叫びながら…
「もう…どこ行っちゃったんだろう?」
ここには…いないのかしら。
でも…まるで吸い寄せられるみたいに、ここまでたどり着いたのだ。
きっとここに…みんなはいる。
口の所に両手を当てて、メガホンみたいな形をつくり。
大きく息を吸い込んで…叫んだ。
「すずー!」
すると………
「お姉ちゃん!!!」
すずの声だ。
慌てて声の聞こえた方へ走って行き………
体が…凍りついた。
「睦月さん………」
その光景は………絶対に見たくないと思っていた…そのままの光景だった。
血まみれで倒れるシルフィード。
すすまみれになっている小人のような生き物は…土の精霊なのだろうか。
サラマンドラと、ひかり…に良く似たウンディーネと、仁くんは無事みたい。
今日はすず達が優勢だったらしいことが…その光景からはうかがえた。
おそらく………私が駆けつける、ほんのちょっと前までは。
睦月さんはすずを拘束し、首元に白く光る刀を突きつけている。
恐怖に青ざめたすずの顔。
睦月さんは………ものすごく驚いたような目で…私を見つめた。
睦月さん………
でも………
私は顔を上げて、真っ直ぐに彼の目を見た。
「すずを離してください。その子は…私の妹なんです!」
「………文ちゃん」
いたずらを咎められた小さな子供みたいな目で…彼は私の名を呼ぶ。
ぎゅっと、胸が締め付けられるような気がしたけど…
負けちゃ駄目。
「ゲームっていうのが、何なのか…私は全然わかりませんけど…もうやめてください!これ以上、私の大事な人達が傷つけあうの…見てられないんです!!!」
すずの味方だって、私はさっき…そう決めた筈だった。
「メール見ました。あれ…どういう意味ですか?」
『文ちゃんが好きです』なんて………
口では、何とでも言えるじゃない。
なのに私…何でこんなに動揺してるんだろう。
「この期に及んで…私のこと…からかってるんですか!?」
「…文ちゃん、それは………」
必死な彼の表情に、身を引き裂かれるような気がして…耐えられなくて。
私は地面に視線を落とした。
「睦月さんは…一体私をどうしようっていうんですか!?すずや仁くんと戦うのに、私を味方につけておけばゲームを有利に戦えるって…そういうことですか!?」
そうだよね。
普通に考えたら…それ以外ないじゃない。
悔しくて悲しくて…いつの間にか、私は涙を流していた。
「私のこと…利用したんですか!?」
「文ちゃん!?」
私の名前をそんな風に…優しい声で呼ばないで欲しい。
だって………
「本当は分かってるんです私!自分がどれだけ馬鹿か…あなたのこと、本当に良い人だって…思ってたんです。睦月さんはきっと、私のこと守ってくれる、優しい人だって………」
すずに怒鳴られても、仁くんに諭されても…信じてたの。
いいえ………多分…
私はまだ…睦月さんを信じたいんだと思う。
だから………
「違うんだ、文ちゃん!そうじゃなくて…」
私の言葉を否定しようとする、彼の気持ちは本物だと…私は信じたいんだと思う。
「でも…騙されてたってわかっても…やっぱり、嫌なんです!あなたが…すずや仁くん達と戦うの…見てられないんです!!!」
それが私の………本当の気持ちだった。
睦月さんはぐっと唇を噛んで、俯き…
すずを…解放してくれた。
「不知火!」
地面にへたり込むすずを、駆け寄ってきた仁くんが、しっかり支えてくれている。
睦月さんは、私の顔をじっと見つめて…小さくつぶやいた。
「ごめん………」
まるで…親にしかられた子供みたいな顔。
あの時と………同じだ。
いきなり彼に抱きしめられて…
びっくりして…息が止まるかと思った。
何するの?
掠れる声で尋ねる私の唇を自分の唇で塞いで…
彼は真剣な顔で私を見つめた。
人柱って、綺麗な体じゃなくちゃいけないんだろ。
だったら、そうじゃなくなればいいんだ。
そしたら、お前は…犠牲にならずに済むんだから。
はっとして…
慌てて彼の腕を振りほどこうともがいたけど、どうやっても逃げ出すことは出来なくて。
抵抗出来なくて、怖くて、怖くてたまらなくて。
私は気づいたらぼろぼろ泣いていた。
はっとした顔で、私の着物にかけた手を止め…
ごめん、と彼は小さくつぶやいた。
変なこと言って…怖い思いさせて…ごめんな。
私を胸に抱きしめて…彼も押し殺した声で泣いていた。
いいの…とつぶやいて。
私はその温かい胸に、顔をうずめた。
幸せだなって…思った。
その時が…生まれてから今日までで一番…幸せだった。
これは何だろう?
何でそんなこと…思い出すんだろう?
…思い出す?
これは私の記憶なの?
でも………そんなこと、今はどうでもいい。
私は睦月さんに出会えて…幸せだった。
それだけは彼に…伝えなくちゃ。
「睦月さん…私………」
その時だ。
「お姉ちゃん!!!」
すずの悲鳴が聞こえて…
街灯の明かりを遮る黒い影が…上空を覆った。
はっとして、見上げると。
巨大な岩が…私を押し潰そうと、直ぐ目の前まで迫っている。
文ちゃん!
睦月さんの声が…遠くに聞こえて。
真っ白な…真っ白な光の中に………
吸い込まれた。
とても暖かくて、遠くに讃美歌を歌う声が聞こえて。
ぼんやり周囲を見回すと………
さっきの大きな岩は、砕けて細かい砂になり…空中にさらさら舞い散った。
音も無く…それはわずか一瞬の出来事で。
安心して…眠くなって…
目を閉じる。
ぼんやりした頭の中で…
讃美歌が聞こえた。
神父様がよく話してくださった、異国の大きな教会の中で。
私は神様の十字架の前に跪いていた。
首が痛くなるくらい高い天井を見上げると。
そこには色とりどりのガラスがはめられていて、救世主様の誕生の光景が描かれていた。
重厚なパイプオルガンの調べと、天使の歌声。
こんなもの…今まで見たことも聞いたこともなかったのに。
こんなに美しいものがこの世にあるなんて、私…知らなかった。
きっと………
神様が、頑張った私にご褒美として…見せてくださったのね。
気がついたら夜が明けていて。
私は自分のベッドに横になっていた。
起き上がって…ズキンと痛む頭をかかえる。
「夢…見てたのかなぁ」
でも…
ふと見ると、ベッドの下のカーペットに布団を敷いて、毛布にくるまるすずの姿があった。
「すず………」
きっと心配して…傍にいてくれたのね。
「大丈夫?お姉ちゃん………」
眠そうに目をこすりながら…すずは尋ねる。
「まぁ…何とかね」
いや………
本当は、この数日で一番…悪い。
寒気がするし、頭はガンガンするし…
これ…本当に風邪なのかなぁ。
やっぱり…もう一回病院に行かないと。
でも………その前に。
すずに、聞いておかなきゃならないことがあった。
「ゲームって…何なの?」
すずは困ったように眉をしかめて………
ぽつり、ぽつりと…話してくれた。
大昔。
異国から来た精霊使いが『賢者の石』という不思議な石を使って、ホムンクルスと呼ばれる人工生命体を作ろうとしたのだそうだ。
しかし、実験は失敗してしまい…
代わりに起きたのは…不思議な出来事。
『四精霊』と呼ばれる…四体の精霊が、どこか別の世界から召喚されてしまったのだ。
精霊使いは四つに砕けた『賢者の石』を、四体の精霊にそれぞれ渡し。
『四つの欠片を一つにすれば、高位の精霊が召喚され…呼び出した人間の願いを聞き入れ、叶えてくれる』
『お前達の使命はそれぞれの石を守ること。眠っていた四体の精霊が目を覚ましたとき、この石をかけたゲームが始まる…相性のいい人間を『パートナー』として、2人一組で石を守るために戦え』
そんなことを話したのだという。
「つまり………あなた達は…ゲームの勝者になって、その…賢者の石を一つにする為に…あんな風に戦ってるってこと?」
んー…と、すずは首を捻ってみせる。
「別に………積極的に勝ちたいわけじゃないんだけどね…睦月が何か変なこと企んでるんじゃないかって………だから、あいつが勝者になって石を一つにするっていうのを…阻止しなきゃって思ってさ」
すずは一生懸命な目で、真っ直ぐ私を見つめた。
「サラマンドラも、ウンディーネもね…それに、水月も私も…別にゲームに勝って願いを叶えて欲しいなんて、そんなこと思ってるわけじゃなくて………」
その『賢者の石』を奪われると…精霊達は消えてしまうのだという。
…やっと、納得した。
だから………
精霊達を守りたくて、すずも仁くんも…一生懸命戦ってたんだ。
「ゲームって………引き分けには出来ないの?」
「…え?」
「勝者を一人に決めなきゃならないのかなって…だって、四体の精霊が石を守らなきゃならなくても、賢者の石を一つにしようって思わなければ…石は四つの欠片のままで…精霊も消えてしまうことはないんでしょ?」
どの精霊も他の精霊の石を欲しなければ、そもそもゲームという戦い自体…起こりえないんじゃないだろうか。
「で…でも………睦月は実際一つにしようと企んでるわけで…ゲームを引き分けに出来るのかどうかは…『ゲームマスター』にしかわかんないし」
『ゲームマスター』って…
「土橋って大学教授なんだけどね…あの…こないだ講演会に来てたじゃない?」
はっとした。
あの…『民俗学研究室 教授 土橋研二郎』って…名刺の人。
「あのおっさんがゲームの審判なんだって。勝ち負けを決めるのはあいつみたいで…」
『もし何か聞きたいことがあったら…』
彼は確か…そんなことを言っていた。
「聞いてみたら…いいじゃない」
私が言うと…
すずは不快そうに眉をしかめた。
「だって…私あのおっさん、何か好きになれないんだもん。胡散臭いっていうかさ…」
それに…と、すずは難しい顔で私を見る。
「睦月が………」
「睦月さんは………勝ちたいって言ったの?」
それなら…まずすべきは、睦月さんを説得することだけど。
「……………あれ?」
はっとした表情で、すずは私の顔をじっと見て…
「あれ???」
もう一度…首を捻る。
「どうしたの?すず………」
「いや………あのね」
『俺の目的は………ゲームの勝敗とか、祈願成就とか…そんな所にはない』
睦月さんは…そんなことを言っていたらしい。
『けど…他のペアを勝者にすることだけは…絶対に出来無い』
やっぱり睦月さんも………
『引き分けでも構わない』っていうことじゃない。
『誰も勝者にならなければいい』わけで…
だとすれば…
彼は何故、ゲームを仕掛けたりするのだろう。
ぼんやりしていたら…いつの間にか、終礼が終わってしまっていた。
「あれ………?」
「あれ?じゃないでしょー、文!?」
のりとまゆが…友達数人を引き連れてやって来た。
そういえば…今日は補習の最終日で、授業もお昼までなんだった。
「昨日…どうだったの!?」
「………昨日?」
まぁたとぼけちゃって…と、のりが楽しそうに笑う。
「お・さ・な・な・じ・み・さん!」
………あ。
思わず顔を赤らめた私を…彼女たちが見逃すはずも無く。
「ほーら何かあったんじゃない!報告するって言ったでしょ!?」
『幼馴染に会った』なんて…
何で私………そんなこと、言ったんだろう。
他に何とでも、言い訳出来たはずなのに。
私………どこかで睦月さんに会ったこと…あるのかしら。
でも………KEIくんの知る限りのプロフィールでは…そんなことありえない。
『出逢う運命だったんだから…』
彼は………何でそんなこと…言ったんだろう?
私に近づいたのはゲームに利用するためじゃないって…すごく一生懸命否定してた。
あんなに傷付いたような顔して。
大丈夫かな…睦月さん。
私………睦月さんのこと、傷つけちゃったかな。
どうしよう。
気づいたら私は、ぽろぽろ涙を流していて…
ぎょっとした様子で、まゆが私の顔を覗き込む。
「文!?ちょっと…どうしたのよ!?そいつに…何かされたの!?」
「………んーん」
心配そうに見守る友人達を安心させようと…精一杯微笑んでみる。
「ちょっとね…喧嘩しちゃって」
睦月さんに…謝ろう。
彼の本当の気持ちが、どこにあるのかは分からないけど…
とにかく………もう一度、彼とちゃんと話をしようと思った。
そうは思ったものの…
「睦月さん…どうやったら会えるんだろう?」
正門を出て、とぼとぼ歩きながら考えてみるけど…
テレビ局?それとも…ラジオ?
ドラマや雑誌の撮影だったら、きっと…どこかのスタジオなんだろうし。
見当もつかない。
しかも………熱は下がる気配が無いし。
「風邪うつしちゃうと困るよなぁ…」
KEIくん…年末年始もきっと忙しいもん。
とりあえず…いつもみたいにメールしてみて………
「あーやちゃんっ」
ぎょっとして…
私は振り返ると同時に………
彼の手を掴んで、全力で駆け出した。
「ちょっと…どこ行くの!?」
「わかりません!けど…ここはまずいと思うんです!!!」
とりあえず、人気の無い路地に駆け込んで………
ふう、とため息をつく。
と、くらっと目眩がして………
「………おっと」
睦月さんの腕に…抱きとめられた。
離れようともがくが…離してもらえる気配はなく。
細い路地には、人が通りかかる気配もない。
「お仕事………お休みなんですか?」
「いや…そうじゃないけど」
楽しそうに笑う睦月さんは…昨日みたいに黒いサングラスをして、キャップを被っている。
「空き時間出来たから、会いに来ちゃった。今日はクリスマスイブだし」
「………はぁ」
一見華奢な体つきだけど…意外と筋肉質っていうか………
あったかいダウンの中に抱きしめられて…心臓が破裂しそうだった。
「でも私………行かなくちゃいけない所があるんです」
逃げ出したい気持ちで…
咄嗟に口をついて出たのは…その言葉。
「今日はクリスマスイブなので…教会のミサに参加しないと」
ミサには…明日も行くから、今日は行かなくてもいいんだけど………
「早く行かないと遅刻しちゃうんです。だから…また今度」
ちゃんと話しようって思ってた筈でしょ!?文。
しかも………また今度とか言っちゃったし。
まだ睦月さんが敵か味方かもわかんないのに………
とにかく…私の言動は何もかもちぐはぐだ。
「………そっか。じゃ、仕方ないね」
寂しそうに笑って、小さくため息をつく睦月さんに…胸がぎゅっと苦しくなる。
「………お忙しいのに………来ていただいたのに………すみません」
昨夜はあんなにはっきり、自己主張出来たのに…
駄目だなぁ…私。
「じゃあさ、教会まで送らせてよ!近くに車停めてあるから」
「………え?」
教会は………ただの口実なんだけど。
「行こ!」
昨日みたいに私の手を握り。
嬉しそうに彼はそう言って…笑った。
この車………
前…テレビ電話に映ってたのと同じ車だ。
窓の外の風景をぼんやり眺めながら…ぼんやりそんな事を考えていた。
あの時助手席に座ってたのは…睦月さん。
運転してた………あの黒いコートの人は…一体誰?
「信心深いんだね…文ちゃんは」
睦月さんの言葉に動揺して…慌てて答える。
「えっ…いえ………そんな…ことは」
「変わらないな…昔と」
昔…って。
「私…どこかで………睦月さんとお会いしましたか?」
赤信号で車が停まり。
睦月さんは嬉しそうに微笑んで、私を見た。
かあっと顔が…熱くなる。
「文ちゃんの見る、怖い夢ってさ」
睦月さんは私の質問には答えず…また前を向いて、アクセルを踏んだ。
「どんな夢?」
「夢の…内容………ですか?」
「今までちゃんと、聞いたことなかったなって…思ってさ」
「えーと………実は…思い返すと実に…取り留めのない夢で………」
どんな夢だっけ………
えっと………
そんなに良い子でいなくたっていいんだよ。
父さんは泣きながら…そう言った。
死ぬのは嫌だ、人柱になんてなりたくないって…
お前が泣いて一生懸命すがれば、皆さん分かってくださるさ。
川の神様なんてもん、いるわけないんだ。
姿を見た人もいない。神主様だってそうさ。
父さんは、お前の命と引換えに土地なんてもらったってちっとも嬉しかないよ。
貧しくても何でも…お前がいて、家の手伝いしてくれて。
にこにこ笑ってうちにいてくれる方が、父さんは幸せなんだからね。
でも………
それじゃあ、家族みんなが食べてくことなんて出来ないわ。
お爺ちゃんやお婆ちゃん、それに父さん母さん、それに沢山の妹や弟達。
みんなにとって、本当に幸せなのはどっちか、一生懸命考えた。
私が大きなお家にお嫁に行けば、豊かになって幸せになれると思ってたのに。
それが出来なくなった今では…
親孝行する方法は、他には無いって思ったの。
私がいなくなったら………
最初はちょっとは寂しいかもね。
でも…きっと、病気で弟が死んだ時と一緒よ。
いい思い出だけが胸に残って…いい具合に辛い思い出は忘れていくの。
だから…父さん、母さん。
そんなに泣かないで。
「………文ちゃん?」
睦月さんに呼びかけられて…はっと我に返る。
心臓がドキドキしていた。
まただ………変な夢。
………そうそう。
こういうのをうまく、説明出来れば…
「私…何かわかんないんですけど、良い子でいなきゃいなきゃって………そんな意識が強いらしくて」
今思い出した夢の前置きとして…そんなことを口に出してみる。
「そうなんだ………」
「だから…多分深層心理の影響で、そういう夢を見るんだと思うんですが」
「で………どんな夢?」
「あっ…そうですよね!?えっと」
………あれ?
「………忘れちゃいました」
どうしたんだろう?
忘れっぽいなぁ…最近。
また笑われちゃうかな…と思ったけど。
睦月さんはどこか真剣な表情で…真っ直ぐ前を見つめている。
「その夢にさ………」
彼が口にした…その名前。
初めて聞く名前なのに…
何故かすごく…懐かしかった。
「その人が…何か?」
「いや………そいつも………夢に出てきたりするのかな…って」
「……………わかりません」
夢の中の登場人物は、殊更に相手の名前を呼んだりはしないから…
「でもね………睦月さんは時々出てきます」
はっとした顔をして…
睦月さんは前を向いたまま…聞き返す。
「俺?」
「はい。睦月さんはいつも優しくて…鈍くさい私のこと、いつも助けてくれるんです」
「…鈍くさいの?文ちゃん」
………そう…聞かれちゃうと。
「自分としては、そういうつもりはないんですけど…何故かそんな風に言われちゃって…友達にも『頼りない』って言われるし………睦月さんもよく言ってたでしょ?『鈍臭いなぁ』って」
「………『よく』?」
………あれ?
「そう…ですよね?私………睦月さんに会ったの…まだ二回目なのに」
変なの。
「きっと、夢で沢山会ってるから…そんな風に思うんだと思います」
でも………そうだっけ?
あれは…睦月さんだけど………睦月さんじゃない気がするのだ。
夢の中の私が…私じゃないように。
でも…うまく説明できないから、それは言わないことにする。
「実は私………ずっと…ファンだったんです、KEIくんの」
一生懸命話す私の声に、じっと耳を傾けながら…
「ドラマも毎回チェックして、雑誌も切り抜いたり、特にラジオが大好きで!あんまり一生懸命見てるから、夢にまで出て来ちゃうのかも…って………なんか気持ち悪いですね、私…」
時々目を細めて笑いながら相槌を打つ、睦月さんの姿は………
やっぱりどこか…懐かしくて。
嬉しくて、居心地がよくて、それにどこか………悲しかった。
教会の前に車が停まり。
「………泣かないで、文ちゃん」
いつの間にか頬を伝っていた一筋の涙を…睦月さんは優しく拭ってくれる。
「何も心配いらないよ…君のことは絶対………俺が守るから」
にっこり笑う睦月さんに…
言いたい事…沢山あったはずなのに。
「前にも…約束しただろ?」
私は胸がいっぱいになってしまい…黙ってこくりと頷いた。
「奇遇だね…こんな所でお会いするとは」
教会で声を掛けられて…
「君もクリスチャンだったとは…だからキリシタンにも、興味を持っていたのかな?」
驚き過ぎて声が出なくて…私はただ、頷くことしか出来なかった。
土橋先生は、せっかくだからそこでお茶でも…と私を誘う。
「それとも、次の機会にした方がいいかな?顔色が優れないようだし…」
「いえっ…大丈夫…です。是非」
『土橋がゲームマスターだ』って…
確かすずは、そんなことを言っていた。
すずは彼のこと、苦手だって言ってたし…だから私が聞かなくちゃ、と思ったのだ。
ゲームのことを聞きたい、と言ったら…
彼はとても驚いたようだ。
「君は何故…そのことを?」
「妹から聞きました。その最終決定権を持つのが…あなただということも」
やれやれ…というように、髪に手をやりため息をついて、彼はじっと私を見る。
「それで………君は一体、何を知りたい?」
「ゲームを引き分けにして…勝者を定めないまま終わらせることは、出来ないんですか?」
眉間に皺を寄せ、腕組みをする先生に、もう一度…大きな声で言ってみる。
「私…水月仁くんのお姉さんと親しかったんです。それに…睦月さんも」
だから…彼らが傷つけあうところを見たくない。
そんな私の言葉に…彼は何か考え込むように、腕組みをして目を閉じた。
「確かに…君の言う通りかもしれない」
「え………?」
「君の妹さんやその友達の弟さん…それに………もう一人の青年も皆………前途ある若者達だ。ゲームなんてもののために、彼らの未来が潰されてしまう様なことがあってはならない。私も………そう思うよ」
だが…と彼は、テーブルに肘を突き溜息をつく。
「その為には…彼らをゲームから遠ざける必要がある」
「ゲームから…遠ざける?」
「或いは………精霊達から引き離す必要がある…という言い方のほうが的確なのか」
奥歯に物が挟まったような言い方をする先生に…
思わず…大声を出してしまう。
「はっきりおっしゃってください!大事なことなんです」
いつになく強気な自分に…正直驚いた。
「私は部外者ですし…ゲームに口を挟む権利は無いのかもしれません。でもどうしてもすず達を…睦月さんを………止めたいんです。そのためなら私…何でもします!」
先生は私の顔をじっと見て………
厳しい表情で…頷いた。
「君になら、或いは………何とか出来るかもしれない」
研究室の奥へ通され、冷たい空気に思わず身震いした。
部屋の至る所に小さな蝋燭が置かれており、仄かな明かりを放っていて。
地面には…魔法円のようなものが描かれていた。
「先程、プレイヤー達を精霊達から引き離す…と言ったが」
先生は古文書のページをめくりながら、低い声で言う。
「程度の差はあれ…精霊達はゲームで勝利することに対して、一種の執着を持っている」
「サラマンドラとウンディーネは…『特に勝利には拘らない』って言ってたそうですけど」
「しかし…彼らは現に、戦っているだろう?」
「それは………自分達が消滅してしまうからで」
「消滅してしまう…という確たる記述は、この中にはないよ」
はっとして…彼の手元にある、一冊の本に視線を移す。
それは何か…異国の言葉で書かれているようだ。
英語でもないみたいだし…もしかしたら、魔術に用いられる特殊な言葉なのかもしれない。
でも………
何故だろう。
私はそこに書かれている事が…直感的に読み取れてしまった。
確かに、ゲームに敗北した結果として、魔力が全て失われれば消えてしまうことがある、という記述はあるものの、石を奪われること即ち消滅すること…とは書かれていない。
だとすれば…精霊達は何故、そんなことを言ったのかしら?
「君にはこれが…読めるのかね?」
目で文章を追っていた私を見て、先生は驚いた様子で尋ねる。
「読めてる…気がするだけなのかも知れませんけど」
自信がないので…そう答えるが。
彼は目を細め、満足そうに溜息を漏らす。
「君はやはり…見込み通りの人物らしい」
「どういう…意味ですか?」
「君には何か…秘められた力があるようだね」
…秘められた力?
一体、どういう意味だろう。
話を戻そう…と言うと、彼は蝋燭の火を一つ一つ丁寧に消し始めた。
「精霊達は…頭では『勝ちには拘らない』と思っていても、本能的には勝利を目指してしまうんだよ。そして精霊に共感したプレイヤーは…戦わざるを得ない状況に陥ってしまう」
「そんなことって………」
睦月さんも………同じだって言うの?
だとすれば…何であんな持って回ったような言い方をしたのか。
さっぱりわからないけど…
でも………
「精霊達を止めるには…どうしたらいいんですか?」
「精霊の持つ賢者の石を強制的に回収してしまえば…ゲームは目的を失い、精霊達も戦う必要性を失ってしまう。つまり、プレイヤー達も自由の身になる…ということだよ」
その言い方は…
「賢者の石があるせいで…精霊達もプレイヤーの人間達も、ゲームという名の戦いに縛り付けられてるって…いうことですか?」
「その通り。さすがに君は飲み込みが早いね」
「それで………私は何をしたら」
彼が最後の一本の蝋燭を消して、部屋が暗闇に包まれる。
と…思った瞬間。
魔法円が白い光を放ち…暗闇の中に浮き上がった。
思わず息を呑んで…その文様に目を奪われる。
幾筋かの直線で囲まれた見知らぬ模様と共に、現れたのは…
「正十字………」
「左様。君の信仰に関わるマークだよ」
彼は私の隣に立ち、静かに肩に手を置いた。
「君はどのプレイヤーからも近い距離にあり、しかも…熱心なキリスト教徒でもある。精霊達をこの世界へ導いたのは、実は敬虔なキリスト教徒の魂でね………」
今は一刻を争うので説明は省略するが…とつぶやいて、ひっそり笑う。
「それだけでなく、君には何か不思議な力があるらしい。君ならこの場に全ての石を集め、勝者を定めることなくゲームを終結させることが…出来るかもしれない」
私が………?
ゲームのこと、まだ…何にも分からないのに。
そんなこと…出来っこない。
何だか寒気がしてきて…声が小さくなってしまう。
「先生には…出来ないんですか?だって…あなたはゲームの審判なんですよね?」
「私は審判であるが故…ゲームの進行に直接関わることは出来ない。プレイヤー達も…自分が勝者となってゲームを終わらせるより他に方法を持たない。つまり、君の言う『引き分けで終わらせる』という選択肢は、第三者にしか…取りえないものなんだよ」
私にしか…出来ない?
………どうしよう。
本当に…そんなこと出来るんだろうか?
でも………
さっき…出来ることなら何でもやるって言ったじゃない?私………
これ以上、3人が傷つけあうところなんて…見たくない。
出来るかどうかなんて、全然わからないけど…
やってみるだけやってみたって…損はないんじゃないだろうか。
しばらく自問自答して…
決心した。
「どうすれば…いいんですか?」
魔法円の中心に立ち…目を閉じる。
「念じたまえ…」
土橋先生は…まるで魔法使いが呪文を唱えるように、淀みなく朗々と私に語りかける。
「まずは四精霊の名…そして、自らの持つ賢者の石と共にここへ集うこと…更に…土橋研二郎の管理下に入るべし………ということを」
この前と………同じだ。
真っ白な光の中に…私はいた。
その中に、四体の精霊が姿を現し。
賢者の石の欠片を………それぞれ私に手渡してくれた。
ノームという精霊とはほとんど接点がなかったので、よくわからないけど………
何故だか三人の瞳は………どこか悲しげで。
どうしたんだろう?
これで…互いが傷つけあうこともない、大事なプレイヤーを傷つけることもなくなる。
…全て丸く収まる筈なのに。
どうして?
『お人好しにも程があるよ』
すずの言葉が脳裏に浮かぶ。
『あのおっさん…何か胡散臭くて』
でも、すずだって…彼がゲームマスターなんだって言ってたじゃない?
ゲームの最終的な判断を下すのは…ゲームマスターである、彼だって。
証拠だって、ちゃんとあるって…言ってた。
でも………
脳裏に浮かんだのは…
一人の少女の姿。
古びた絣の着物を着た…私と同じくらいの年頃のその少女は。
何か訴えるように…じっと私を見つめていた。
はっとして、石を握り締めて…振り返る。
「土橋先生!?私………」
その時。
白い布が口元を覆うのと同時に…強い刺激臭を感じたような気がした。
少女の顔が…どんどん遠ざかっていく。
待って。
あなたは誰なの?
あなたは…私に何を伝えたかったの?
彼女は何も答えてはくれず。
ずっとずっと遠くで………
あの日に聞いた…声がした。
コノ薬ヲ オ飲ミナサイ
ソシタラ少シ 眠クナルカラ
ソシタラ大分 苦シイノモ軽クナルカラネ
「…む…つき………さん……………」