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GAME -AYA-  作者: 転寝猫
3/9

12月20日

パイプオルガンの音が、高い天井に厳かに響き渡る。

隣のおばあちゃんがよく通る綺麗なソプラノで、賛美歌を歌っている。

私はあまり歌に自信がないので、それに合わせて口をパクパクさせていた。

こういう時は普通、神様に祈りを捧げるものなんだと思うけど…

私がお祈りの時にいつも思うのは、先に天国に行ってしまった大事な人達のこと。

さよならも言えずに、突然いなくなってしまった…優しかったパパ。

それに…

明るくて活発で、きらきらしていた…親友のひかり。

ひかりが入院していた頃は、毎週ここでお祈りしたものだった。

『ひかりが早く良くなって、ソフトボールの試合に出られますように』って。

私が良い子でいて、一生懸命お祈りすれば、神様は願いを聞き入れてくださるんだって、神父様はおっしゃったけど…どうやら、お願いは神様に届かなかったらしい。

ひかりはすごく良い子だったし、素晴らしい才能を持っていたから、きっと神様は早くお傍に置きたいとお思いになったんだろう…と、仕方がないので考えることにした。


もう…3年も経つのか。

小さかった弟の仁くんも、ひかりが亡くなったのと同じ年になってしまった。

彼はひかりの遺志を受け継いで野球を続けており、中等部の野球部を引退した今も、高等部野球部に混じって毎日練習に励んでいる。

彼がボールを投げている姿を、フェンス越しに見かけることがあるが…

『あれ、ひかり?』と、時々錯覚してしまう。

投球フォームの綺麗だったひかりに叩き込まれたのだろう。仁くんのフォームはひかりによく似ている。それに、ひかりは男の子みたいなショートヘアだったから。

ポジションを訊くと、ピッチャーです!と元気良く答えてくれていた…小学生の頃の彼。

昨日偶然話す機会があって、久しぶりにポジションを尋ねたら、何でもなさそうに『ライトです』と言われた。

『ピッチャーは才能ないんでやめました』…とか。

最近の子は、なんていうか…あっさりしてるんだな。

ひかり、すっごく楽しみにしてたのに。

『仁のコントロールは抜群なんだもん!きっとこれからもっともっといい球投げられるようになって、中学高校でスカウトに注目されて、ドラフトの目玉とか言われてプロ入りして、球界を背負うすっごいピッチャーになるんだから!』

目をきらきら輝かせながら、彼女はよくそんなことを言っていた。

『ひかりは?』

私がそう訊くと、にやりと笑って彼女は言うのだ。

『ソフトボールの代表に選ばれて…オリンピックで金メダルよ』

そんなことを、いつも真顔で言っていた。

仁くんがプロ野球選手になることも、自分が金メダリストになることも、彼女は信じて疑わなかったのだと思う。

まさか突然の病魔に襲われて、その夢が叶わないなんて…

彼女は微塵も考えていなかった。

毎日毎日、彼女はひたすらボールを投げ続けた。

夢に向かって一直線に突っ走る、ひかりはとても眩しかった。

彼女のことを思い出すたび、私は…

『医者になろう』という決心を新たにするのだ。


なんとなく熱っぽいな…と思いながら出かけた教会の帰り道。

だんだん頭が重くなってくるのがわかる。

…風邪かしら。

そういえば、昨夜から少し喉が痛かった。

どうしよう…明日テストなのに。

ただいまーという声は、自分で聞いててもかなりおかしかった。

たまのお休みで、コーヒーを飲みながらテレビを観ていたママが、目を丸くして私を見る。

「文、どうしたの!?顔赤いけど…熱でもあるんじゃないの?」

「…そうかも」

ソファに座らされて、体温計を挟まれる。

熱…38度。

「インフルエンザかしら…大丈夫?」

「んー………多分」

だるくてあまりしゃべりたくない。

背筋がぞぉっと寒くなる。

放っておくと、熱はまだまだ上がりそうな気配だ。

ちょっと待っててね、とママは階段を登り、すずに何か頼みに行った様子。

ぼおっとする頭に…ふとよぎったもの。

昨日の女の人…誰だったんだろう。

綺麗な人だったな………

あれ?ひょっとして私…あの時から熱あったのかもしれないな。

それで…幻覚を見たのかもしれない。

それはそれで、ちょっとがっかりだけど。

「ムツキ…か」

誰なんだろう。

男?それとも女?大人なのか、子供なのか…

その時。

コートのポケットに入っていた携帯がブルブル鳴る。

…メールみたいだ。

タイトルは『ちょっと質問』。

『こういうの、好き?』という文章と共に、添付されていた写真は…

シルバーの華奢なブレスレットだった。

ころんとした正十字のチャームには、小さなジルコニアが散りばめられていて、きらきら輝きを放っている。

そのチャームと一緒にくっついているのは、ハート型のトルコ石。

トルコ石は私の誕生石だが、すずの4月のダイヤモンドなんかと比べるとなんだか地味で、こんなに可愛い誕生石のアクセサリーって、今までに見たことがなかった。

「わぁ…かわいい」

思わずつぶやいて、『好き』と返信する。

熱に浮かされてうつらうつらしていると、ママが私の名前を呼んだ。

ママは薄くお化粧をしてコートを羽織り、車のキーをチャリチャリ言わせている。

「ごめんね、お待たせ。病院行きましょうか」

どうやらママはすずに、休日診療をしている病院を調べさせていたらしい。

すずがリビングの入り口から顔を覗かせて、大丈夫ー?と呼びかけている。

「うん………ありがと」

だるいし寒いし、動きたくないけど…

受験生なんだし、ひどくなる前に治さなくては。

それより何より…せっかくすずが調べてくれたのに、行かないのも申し訳ない。

ぼーっとしたままふらふら立ち上がり、靴を履いていると、向こうの部屋でママがまた何か、すずに頼み事をしているような気配。

えーめんどくさい…とかなんとか…文句を言う声が聞こえる。

思わず顔が緩んでしまう。

すずのそういう素直なところ…実はちょっとだけ、羨ましい。

そういえば。

さっきのメール…何だったんだろう?

携帯を見ようと、ポケットから取り出すが…

「文、行くわよー」

ママの声がして、またポケットにしまう。


変な棒を鼻の奥に突っ込まれて、痛い思いをして調べられてみたものの。

どうやらただのタチの悪い風邪で、大流行中のインフルエンザではなかった。

受験生なんです、早く治さなきゃいけないんです…と嘆願すると、お医者さんは変なにおいのする注射を打ってくれて、少し元気になったような気がした。

「ちょっとお買い物してくるから、待っててね」

暖房を効かせるためにエンジンをかけたままで、ママはそう言って車を降りた。

はぁ…と大きくため息。

冷たい車の窓におでこをくっつけて見上げるショッピングセンターは、サンタの飾りやクリスマスツリーで華やかだ。

行きかう人々も忙しそうで、ちょっとうきうきした様子。

もうすぐクリスマス…というのは、大人も子供もうきうきするものらしい。

私にとって、もうすぐクリスマス…というのは、もうすぐ誕生日…というのと同義だ。

イエス様と同じ日に私が生まれたこと、敬虔なクリスチャンだったパパはとても喜んだらしい。誕生日が来るたび、ママはそんなことを嬉しそうに話す。

私としては、せめてあともう一日遅かったらな…と思う。

すずは誕生日とクリスマス、二回お祝いできるのに、私は一回だけだもの。

プレゼント二つにしてあげようか!?と訊かれたこともあるけど、それも何だか自分が欲張りになったみたいで、一つでいい…と答えたものだった。

彼氏が出来たら…どうだろう。

やっぱり一度に二つお祝いすることになるのかな。

それはちょっと…寂しいかも。

と、ぼんやり考えていたところで…

さっきのメールのことを思い出した。

差出人も確認せずに返信してしまったけど…何だったっけ?

確か、ブレスレットがどうとか…

メールを見て………しまったと思った。

昨夜の…あの人だ。

ドキドキ鼓動が速くなる。

寒気とかではなくて…何だか少し、鳥肌が立つ。

どういうこと?『こういうの、好き?』って…何?

何だか…ものすごく気味が悪い。

「お待たせ…あら?どうしたの…また、具合悪くなった?」

ママが深刻な顔で尋ねるので、何とか笑顔を作って、大丈夫、と答える。

変に心配させてもいけないし…

きっと、昨日と同じ…ただのいたずらだろう。


家でソファに沈み込み、またしばらく、うとうとする。

と…

ただいま!という元気な声と共に、すずが外から帰ってきた。

休みの日に外出なんて、あの子にしては珍しい。

パタパタ走ってきたすずは、にやりと笑って、私の目の前に小さな紙袋を突き出した。

「…なぁに?」

「…なぁに?は、こっちの台詞ですぜ、お姉ちゃん」

………変な子。

見ると、それは若い女の子向けのアクセサリーブランドの袋だ。

袋の中にはリボンのかかった小さな箱と、カード。

カードには『不知火文さま』と書いてあった。

その字………何だかどこかで見覚えがある。

何何!?とママも目を輝かせて私を見つめている。

「彼からのプレゼント!?」

「…そんなんじゃないわよ」

すずがにこにこしていたのは、このことで私を追及するためだったらしい。

「ええー!?そんなんじゃない、じゃなくない!?前にネットで見たことあるけどさぁ、結構高いでしょ、そのブランドのアクセって」

「…そうなの?」

もう、お姉ちゃんとぼけちゃって…とすずは私の肩をぽん、と叩く。

「クリスマスも間近に迫ったこの時期にぃ、アクセサリープレゼントする奴なんてぇ、もうぜーったい彼氏でしょ!常識的に考えて」

「だから…違うってば」

私がドキドキしてるのは…二人が考えている理由とは多分、違う。

「ねえ、見たい見たい!早く開けてよお姉ちゃん!」

「もう、すず!そんなに急かしたら文ちゃん可哀想でしょー!?」

二人とも、この家で初めてのこういうイベントに、目をキラキラさせている。

どうしよう………

でも…開けなきゃ二人に怪しまれるし………

メールの話をしたらきっと…すずにすごい剣幕で怒られるだろうし………

意を決して、私は包みのリボンを引っ張った。

中から出てきたのは…

「わぁ!かわいい!!!」

「トルコ石の…ブレスレット!?」

眩暈を起こしそうになったが…なんとか平静を装うことが出来た。

そう。

それはさっきの携帯メールに写っていた…ブレスレットだったのだ。

差出人の名前はない。

でもカードの端っこには…イニシャルらしき、Mの文字。

Mってまさか……………睦月のM?

ねえねえ、とすずが私の服の袖を引っ張る。

「お姉ちゃん、相手誰なの!?うちの学校の人?同じ学年?同じクラス?ねぇー教えてよお、たった二人だけの姉妹でしょー?」

「………内緒」

寝る、と二人に言い残し、私は足早に階段を登った。


どうしよう。

そんなの決まってる。返さなきゃ。

でも…

どこの誰かもわからないのに、どうやって返したらいいんだろう。

『不知火文さま』というあの字は確かに…付箋紙に書いてあった文字と同じ筆跡だった。

そうだ、すずに相談………

いや、駄目だ。

『バカじゃないの!?何考えんの!?』と…熱でふらふらする頭ですずに怒鳴られたら、私…ショックで死んじゃうかもしれない。

いや、死ぬ…なんて、こんなに軽々しく使っちゃ駄目だわ。

でも………どうしよう。

小さなノックの音。

「お姉ちゃーん夕ごはんだよー…」

心配そうな、すずの声。

「…食べたくなーい」

「なんでぇー?早く治して学校行かないと彼氏も心配するでしょー?」

「だから…彼氏じゃないってばぁ」

「じゃあ…誰なのよMって」

………う。

さすがすず…カードちゃんと見てたのか。

「とりあえず、薬飲まなきゃなんだから、何か食べなさいってママも言ってるよぉ?」

「ごめん………後で食べるから今は寝かして」

少し沈黙するすず。

「わかった、ママにそう言う。なんか欲しかったらメールしてね」

その優しさに…じーんと胸が熱くなった。

大声で呼ぶのは辛いだろうから、同じ家の中だけどメールの方が楽だと思ったのだろう。

前にすずが熱を出して寝込んだ時、同じようなことをしてあげた記憶がある。

『ぽかりのみたい』

変換するのも億劫というのが痛いほど伝わってくるそのメールに、慌てて近くのコンビニに走ったことを思い出した。

メールって、本当に便利だ。

声に出して言えないことも、メールなら言えそうな気がする。

………そうだ。

これがもしいたずらだとしたら…多分、相手のペースに乗っちゃ駄目だ。

でも…一度返信してしまったし、これは絶対に受け取れない。

思い切って…もう一度メールする。

『受け取れません。お返ししたいので、送り先を教えてください』

こんなメールに、返信が来るとは思えない。

でも…いらないっていう意思表示は、はっきりしなくちゃ。

えい!と送信する。

メールは送信されました、の表示を見たら、何だか体の力が抜けて…

すずにも『寝る』って言ったことだし…少し眠ろうと思った。


お嫁に行くことになったの。

そう言うと、彼は驚いた様子で目を大きく見開いた。

領主様のご子息が、私を気に入ってくださったという話、父さんは昨夜、とても嬉しそうに話してくれた。母さんなんか涙ぐんで、よかったねぇと私を抱きしめた。

私が領主様のところへお嫁に行けば、父さんも母さんも楽になるのだ。

沢山いる妹や弟達も、おなかを空かせて泣くことはない。

そう思ったら…嫌だなんて、言える訳もなかった。

どんな人なの?と、彼は感情の無い目で私に尋ねる。

領主様のお屋敷は遠くにあって、私はその人に会ったことがない。

でも、とっても良い方なんですって…と、私も他人事みたいに答えた。

そうか…とつぶやいて、彼は空を見上げたまま黙り込んでしまう。

その沈黙に………圧しつぶされそうだった。

いつ?と…彼は沈黙をやぶって、もう一度尋ねる。

急な話なんだけど、年明けまで待てないっておっしゃるものだから…と、父さんは困ったように笑って言っていた。

5日後。なんだか、日が良いんですって。

そうか、という彼のつぶやきは…消え入りそうな声だった。

でも…その日なら私も光栄だわ。だって降誕祭の日ですもの。救世主様が祝福してくださるわ、きっと。

そんな風に…自分に言い聞かせるように、話した。

黙って私を見つめる彼の瞳は…本当に悲しそうだった。

そんな顔しないで、となんとか微笑んでみせたけど…

ごめんね。

『大きくなったらお嫁さんになる』って…約束したのに。

守れなくて…本当にごめんね。


着信音にしていた『We wish you a merry Christmas』が鳴り響き、びっくりして起き上がった時、私は何故か涙を流していた。

心臓の鼓動が速い。

変な夢………

携帯のディスプレイを見て…心臓が止まるかと思った。

………あの人だ。

電話………どうしよう。

すずに………

でも…あんなに強気でも、やっぱりすずは女の子だもん。

こういう時、やっぱりパパがいて欲しかったと強く思う。

携帯電話は暢気にクリスマスソングを奏で続けている。

出ないと…ママからもすずからも、怪しまれるかもしれない。

いや、出ないで切ればいいんだけど…でも………

覚悟を決めて…通話ボタンを押す。

「あの、私…郵便受け見ました、ありがとうございました!でも、知らない人からあんな高価なもの、貰うわけにはいかないので、お返ししたいんですけど、どうしたらよろしいでしょうか!?」

電話の向こうの人物は黙ったままで、早口でまくし立てる私の声を聴いているようだ。

「さっきのメール…私実は熱がありまして、ぼーっとしてて、誰か友達から来たメールかと思ってうっかり返信しちゃったんです!他意はないんです本当に…ですから…ごめんなさい、このブレスレットはお返しします!一回もつけてないし、箱からも出してないので、返品もきくと思います、ですから…」

『熱があるというのは…お風邪を召されているのですか?』

どきんと心臓が高鳴る。

忘れる筈もない。この前の…ブロンドの綺麗な女の人の声だ。

「えっと…でも…もう、大丈夫です!インフルエンザじゃなかったですし…」

知らない人に私…何言ってるんだろう。

インフルエンザって何です?と誰かに聞いているみたいな声がして、彼女はまた、私に向かって優しい声で話しだした。

『そのブレスレット、どうかお気になさらず受け取ってください。サンタクロースからのプレゼントだと思って…と、申しておりますので』

「申しておりますって………その…『睦月さん』ですか?」

まるで…旦那様か何かみたいな言い方。

おじさんなのかな?睦月さんて…

ええ、とその女性は、少し嬉しそうな声を出す。

『睦月がそう申しておりますので、どうかお納めください』

「でも………あの」

この人…こんなに口調が丁寧なのは、怒ってるからなのかな、と思ったけど…違うのかな。

「私、その…『睦月さん』とは会ったこともないですし、援交とかでは決して無いので…」

『えんこうって…何ですか?』

「いえっ…あのっ…」

外国の人だから、そんな事言ってもわかんないのか。

「とにかく、睦月さんとは全然関係ありませんから!もうこういうこと、しないでくださいって伝えてください!」

受け取ってくださいって…言うならちゃんと、自分で言えばいいのに…

この国のことよく分からない奥さんに言わせるなんて…一体どういうつもりなんだろう。

そんな風に思うと…だんだん腹が立ってきた。

『そういう訳には参りません』

彼女は穏やかな口調で、しかしきっぱりと言い放つ。

『睦月はあなたのこと、心から想っているのですから…今はお会いすることは叶いませんが、必ず近いうちに、あなたに会いに行くと申しておりますから』

「何言ってるんですか!?奥さんはそれでいいんですか!?」

『………は?』

「あなたがお分かりにならないなら、それでもいいです!とにかく睦月さんには、私はあなたと会う気はありませんし、あなたのこと好きでも何でもないので、こういうの迷惑なんですって伝えてくださればわかりますから!!!」

その時。

電話の向こうで…男の人の笑い声が聞こえた。

なんだか、すっごく聞き覚えがあるみたいな…その笑い声。

『何か…誤解があるようですね』

彼女も少し笑いながら言う。

かあっと顔が…余計に、熱くなる。

『私は…そういう者ではございませんから、どうかご安心ください』

「ご安心って…だから私はっ」

『お見舞いに伺っても、よろしいですか?』

…お見舞い???

そうか。あんな物届けられるくらいだもの、住所まで調べられちゃってるってことか。

『何か…召し上がりたい物、ありませんか?』

「………そんなことしてもらっても困ります」

何なんだ…この人。

「それに…うちに来ても、多分………母や妹に追い返されますよ?」

全面的に拒否する私にお構いなしで、彼女はまた『睦月さん』と何か話している気配。

『…チョコレートは、お好きですか?』

「………好きですけど」

相手のペースに乗せられて、思わず答えてしまう…自分がとても情けない。

『でしたら、持って参ります…本当に申し訳ないのですが、睦月はちょっと手が離せませんので…私が』

「あの…さっきも言いましたけど、うちに来ても母が」

『それでしたら…あなたのお部屋に直接、伺いますから』

………は?

『三十分以内には参ります…どうか、驚かないでくださいね』


ぼんやりした頭を…色々なことがぐるぐる回る。

何だろう………部屋に直接って。

また…これもいたずら?

あの人達…私をからかって喜んでるんじゃないだろうか?

…チョコレートか。

KEIくん、チョコレート好きって言ってたな。

『最近流行のスイーツ男子!』と、自分で言って笑ってた。

外国の、とあるメーカーのチョコレートが好きだって雑誌で読んで…わざわざお洒落なそのショップまで買いに走ったことがある。

高いチョコレートなんて、ママがお仕事の関係で貰ってくる以外は食べたことがないので、味がよく分からなくて………当然、すずにも馬鹿にされた。

………あ、そうだ。

すずに………躊躇ったけど、メールでお願いをする。

言いにくいこともさらっと送信出来るから、メールって本当に便利だ。

KEIくんが夕方のラジオにゲスト出演するの…忘れてたのだ。

『ラジオ録音してください。よろしくお願いしますm(__)m』と出来るだけ丁寧に。

返信はすぐに来た。

『ばかじゃないの?』

………ぐさっ。

でも…すずは優しいから、何だかんだ言ってやってくれると思う。

携帯の時計を見る。

さっきの電話が切れてから…三十分はとうに経過していた。

なんだ、やっぱりいたずらじゃない。

ほっとしたら体の力が抜けて…なんだか眠くなってきた。

また変な夢見たらやだけど…ちょっと寝よう。

そう思って布団に潜り込んだ…その時だった。

「文さん?」

どきっとして、布団を一気に跳ね除ける。

「…あ………」

目の前に立っていたのは…

昨日ムービーで見たのと同じ…ブロンドの女性だった。

「あ…あなた…一体どこから………?」

彼女はにっこり微笑んで、ガラス張りの窓を指差す。

鍵は…掛かったままなのに。

「どう…やって?」

「申し遅れましたが」

彼女は外国の貴婦人みたいに、長いスカートの裾をつまんで、微笑みながらお辞儀する。

「私…風の精霊の、シルフィードと申します」

「かっ………風の………精霊!?」

あまりにびっくりして、言葉が上手く出てこない。

「そんなもの…本当に…いるわけが」


『妖精を見たことがあるの』

その時ふっ…と、ひかりが言っていた言葉が頭をよぎった。

秘密を教えてあげる、と誰もいない教室で、もったいぶったひそひそ声で。

『銀色の肩くらいまでの髪の、青い瞳の女の子。私ね、近くの神社で小さい頃見たの』

乙女チックな趣味とは無縁だった彼女が、目を輝かせながら教えてくれた、その話。

からかっているにしては…ひかりは妙に真剣だった。


思わず…

「私の友達が………妖精なら見たことあるって言ってたけど………」

「妖精?」

優しく尋ねられ…つい、その容姿の話をしてしまう。

彼女は上等な鈴みたいな声で笑って、それは、と人差し指を唇に当てた。

「妖精ではなくて…それはおそらく、水の精霊でしょう」

「あなたの………仲間なの?」

「ええまぁ…そのようなものですね」

なんて非科学的な話をしてるんだろう。

きっと…また夢を見てるんだわ。

熱もまだ下がらないことだし………

そういえば…お腹すいたな。

彼女は急に黙り込んだ私を心配そうに見て、そうそう、とまた穏やかに微笑む。

「お渡しするのを忘れておりました」

「あっ…あのっ、お渡し…じゃなくて、本当にこのブレスレット、持って帰って欲しいんですけど………」

仮に彼女が本物の精霊だとして…だ。

こんな物買うお金…一体どこで手に入れたんだろう?

睦月って人は…精霊と一緒にいるとかって…一体何者なんだろう?

「いえ、受け取っていただきます」

きっぱり言い放つ彼女の笑顔には…こちらが拒否することを拒むような強さがあった。

駄目です、持って帰ってください!と………言いたかったけど言えなかった。

彼女は幅の広い袖から小さな包みを取り出し、私に差し出す。

赤の包み紙に緑のリボンが掛かった…その包みは、間違いなくチョコレートだった。

しかも…

「あの………」

「何でしょう?」

私が素直に受け取りそうなのがよほど嬉しいのか、彼女ははしゃいだ様子で聞き返す。

「何で…このメーカーのチョコ…私が好きだって分かったんですか?」

「あら…そうでしたか」

これ…KEIくんが好きって言ってたチョコレートじゃない。

「存知あげませんでしたけど、それは幸いです…受け取ってくださいますね?」

「……………」

これはもう…

頷くしかない。

その時、乱暴にドアをノックする音が響き渡った。

「お姉ちゃん!ごめん!トラブル発生!!!」

「え!?…ちょ…ちょっと待って!!!」

動揺する私を見て、彼女はまた、静かに微笑んだ。

「では…私はこれで」

「………待ってください!」

窓の前に立つ彼女は、振り返って私を見つめる。

勇気を振り絞って…尋ねる。

「睦月さんて…どんな人なんですか?何で私に…こんなことしてくださるんですか?」

「睦月は…ゲームにおける私のパートナーであり、ゲームのプレイヤーです」

「ゲーム………?」

何…それ?

彼女はくるりとまた、窓の方に向き直る。

「またいずれ…ちゃんとご説明にあがります」

「あの、待って…」

「それと、睦月のことですが………あなたは睦月のこと…よくご存知のはずです」

そう言って彼女は…

窓ガラスをすうっと通り抜けた。

思わず…息を呑む。

あっという間にシルフィードの体は…暗い夜空に溶けて消えた。

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