◆7 貴方はキツネに操られてるの
そう広くはない室内には、小さなサイドテーブルとランプ、腰掛け椅子と、部屋に似つかわしくないほど大きなベッドが一つ、真ん中に陣取っている。
明り採りの窓には、今はしっかりとカーテンが引かれ、ランプの橙色の明りだけがゆらゆらと室内を映し出していた。
カーテンの柄は、目に飛び込んでくるピンクのイチゴ。
ベッドのカバーもピンクのイチゴ。
寝室から続く扉の向こう、リビングのテーブルクロスもピンクのイチゴ。
玄関マットも、ピンクのイチゴだったかもしれない。
…激しく少女趣味なこのお宅。
集合住宅の2階の一室であり、そうしてここがエイラと彼の『愛の巣』でもある。
「あのう…ほんっとーに、これで大丈夫なんでしょうか…」
ふりふりのエプロンで手を拭き拭き、リビングから寝室のドアを押し開けてやってきたエイラが不安そうに私達を見比べる。
そのエプロンも、期待違わずピンクのイチゴ(おまけにふりふり)。
腰掛け椅子に座ったまま足を組んで、私はエイラを見返した。
もちろん今日の私のスタイルも、有事に備えて身軽な男装だ。
「これしか彼を守る方法はないのよ、エイラ」
ひたと彼女を見据えて低い声で私。
「こんな時間にお邪魔して悪いね」
一仕事終えたアルが、軽く額を拭いながら私の隣まで歩いて来る。
もう一度私達を困惑気味に見つめてから、エイラは視線をベッドへと向けた。
うる、とその目が潤む。
「でも、まさか、彼がキツネ憑きだったなんて…」
「エ、エイラ…?キツネ憑きって何の話だい…??この人たちは……???」
仕事から帰るないなや、待機していた私達に捕獲され、今しがたアルによってベッドに縄でぐるぐる巻きにくくり付けられた憐れな青年が、まだ事態を飲みこめぬまま目を白黒させている。
もちろんこれが、件の彼。
つまりはエイラの彼氏さんなわけで。
「ごめんね、ダーリン。だけど、これも全て、アナタの命を救うため…」
そんな彼の問い掛けから、ふ、と斜め下へと視線を逃してエイラが頬に手を当てる。
…いやあ、入っちゃってるねえ。
よ、悲劇のヒロイン。
と、いうわけで。
昨日から一夜明けて、今日は翌日の午後23時。
さすがに2連チャンの夜更かしってのは、きついもんがあるけれど。
これも世のため人のため、加えて私のティーセットのため。
私達は作戦通り、エイラに事情を説明して、彼を張り付けの刑に処した。
…もとい、彼の命を守るため、泣く泣く張り付けにさせていただいた。
エイラへの説明は、精霊がどうたらってのもあれだし、『キツネ憑き』で済ましちゃってるけど…、まあ似たようなものよね?
「あ、あのう…、俺、どうなるんですか?」
エイラからの返答は諦めたのか、世にも情けない風情の彼氏さんがおずおずと私に視線を向けてくる。すでに抵抗する気力はないらしい。
「心配しなくても大丈夫よ。これは、貴方がこれ以上キツネに誑かされたりしないよう、貴方の身を守るための防護策ですもの」
「防護策…」
仰向けに張り付けられたまま、首を起こすとますます不安そうに自分の身体を眺める。
彼の身体はそれこそぐるぐる巻き。
手も足も上がらぬ程にベッドにしっかり張り付けられている。
今火災なんかが起こったりしたら、間違いなく彼はここで御陀仏ね。
…と、不吉な例えはおいといて。
「だって貴方は…」
「ルクスです」
「ルクスさんは、自分でも気付かぬうちに、毎晩のように家を抜け出してしまうんでしょう?」
エイラとお揃いの茶色い目と髪の凡庸そうな…、いやいや、素朴そうな青年は困ったように眉を寄せた。
「…はあ。自分では覚えてないんですけど…」
「そこよ。貴方はキツネに操られてるの」
彼は、それこそキツネにつままれたような顔になった。
私は脅すように声を低くして、僅か頭を垂れながらそんな彼を見返した。
「このままだと貴方…、生気を吸い取られて殺されるわよ」
…なんか、悪徳な詐欺師をしてるような気になるわね。
一瞬顔を引き攣らせたルクスの様子を眺めながら、私は密かに遠い目になる。
「というわけなので、今日はこのまま寝てください。キツネに操られないよう、僕達が見張ってますので」
私の後を引き継いで棒読み全開アルが言う。
青年はがっくりと項垂れて、救いを求めるようにエイラを見た。
「…頑張ってね、ダーリン」
両手を胸の前で組みながらの彼女の優しい一言に、憐れ彼の希望はぷつりと絶たれたのだった。