◆6 そうよ、それしかないわっ!
「エイラの彼の浮気疑惑に、精霊が絡んでるかもしれないのは分かったわ」
しゃがみ込んでフェアリーサークルの調査に取り組んでいるらしいアルの、何やら楽しげな背中を見下ろしながら私。
「うん」
顔を上げもせずに、ひたすらサークルを丹念に調べつつ生返事を返すアル。
一つ息をつきながら、私は腕を組んだ。
「分かったけど…、それが何だって言うのよ」
たった今、気付いた事実にげっそりと呟く。
「うん?」
「カップル破局の危機から、彼の生命の危機にグレードアップされただけで、事態は何にも改善されてないじゃない」
だってそうでしょ?
フェアリーサークルを見つけたのは、確かに興味深い事だし、彼がそれに関係してるかもしれないって事も分かって、そこは一歩前進かもしれないけど。
…分かったのは所詮それだけ、なのよ?
彼の『浮気』相手が『精霊』だったとして。
それってば、人間よりもタチが悪いんじゃない?
むしろ事態は悪化してるような気がするわ…。
「精霊さんに彼を連れ去られて尾行は不可能。どこに連れ去られたのかすら不明。彼に至っては『浮気』の事実すら記憶にないみたいだし。これって浮気調査も打ち切りの尻切れトンボ…って、ねえ、聞いてる?」
うんともすんとも言わなくなったアルにしびれを切らして、隣にしゃがみ込みながら顔を覗きこむ。
不機嫌を顔全体で表現した私の方を見もせずに、アルはサークルに掌を翳しながら眩しそうに目を狭めている。
「んー…。フェアリーサークルには精霊同士の連絡の為の固体識別情報やらメッセージやらが含まれてるって聞いてたけど…、やっぱり僕らには分からないんだね」
「…あんた、何調べてんのよ」
思わずアルの頭を叩きながら半眼になる。
今はそれどころじゃないでしょーが。
痛い、と不服そうに眉を顰めながら、ようやくアルがこちらを向いた。
「だってせっかくこんな所で珍しいものを見つけたのに…」
悪びれずにいうアルを、間髪いれずもう一発殴ってから立ち上がる。
「あのねえ。下手したら、人様のお命がかかっちゃってるかもしれないのよ?…まあ、私達の推測が正しければ、の話だけど」
「そうだけど…、じゃあどうするつもりさ、リィン。相手は精霊で、彼の消息はさっぱり不明。僕達にどうにかできるのかい?」
「…だから、困ってるんじゃない」
相手が人間で、彼が鼻の下伸ばしてデレデレしてるってんなら話は早い。
可愛い世話係のため、このリィンさん、一肌脱ぐわよ?
その曲がりくねったいい加減な浮気根性、気合一発叩きなおして差し上げてよ。
だけど、それが正体不明、所在地不明な精霊さんが相手となるとね…。
いや、はっきり言ってどうしようもないわよ、これは。
「…えい」
ひょい、とおもむろにフェアリーサークルの中に飛び込んでみる。
「…」
「…何してるのさ」
アルのツッコミが追い掛けてきた。
「…いや。もしかしたら、何か起こったりしないかなー…って」
当然のように、フェアリーサークルは沈黙している。
アルの特大溜息が耳まで届いた。
「例えば彼と精霊のいる場所に移転とかかい?…フェアリーサークルは、精霊が力を使った跡に残ってるエネルギーの残滓だよ。そんなこと、できるわけない」
…分かってるわよ、そんな事。
すごすご引き下がりながら、私はこめかみを掻いた。
「だけど、さすがにこのまま放っておくわけにはいかないじゃない?」
ようやく立ち上がったアルへと視線を向けながら言う。
「このままだと、エイラの彼、生気吸い尽くされてご臨終…なんて恐ろしい事態にも…」
想像して、ぞわわと肌を泡立たせた私に、いつの間にやらいつも通りの眠そうな眼差しに戻ったアルが、一つ欠伸を漏らした。
「そうなると確かに後味は悪いね」
「でしょ?」
だからと言って、精霊に太刀打ちできそうな手段もなく。
さらにもう一つ、大きな欠伸を零しながらアルが肩を竦めた。
「せいぜい彼がこれ以上精霊に会いに行かないよう、捕まえておくくらいなんじゃない?そうだね、いっそベッドに張り付けておくとか…」
「それだわ!!!」
言葉の終わらぬうちに、ポンと手を打つ私に、アルが自分で言ったにも関わらず目を丸くしてこちらを見る。
「…張り付けるのかい?」
「そうよ、それしかないわっ!ナイスアイディアよ、アル」
何度も頷いて、私はアルの提案に賛同する。
「これ以上、彼を危険な目に合わせない為にも!それで尊い命が一つ救えるならば、お安いご用よ!尾行作戦これにて変更、変更後作戦は『ねんねしな♪愛のベッドにぎゅっと張り付け大作戦』よっ」
「…それ、毎晩するつもりかい」
小さく聞こえたアルの言葉はすぱっと無視。
だって、これしかないじゃない?!
とにかく彼を精霊のところまで行かせなければいいのよ!
エイラだって、いつも同じ場所で見失うって言ってたし。
今日も見失ったのはココ。
てことは、いつも同じ場所で消えてるわけでしょ?
そこには意味ありげなフェアリーサークル。
ここで何らかの力が加わって彼を連れ去っちゃうんなら、その彼をここまで来ささなければいいだけの事。
その為に、これ以上に素晴らしい作戦があって?
2、3日もそうしてりゃ、精霊の方も彼を諦めてくれるかもしれないし。
結果として、どっかの誰かが私の預かり知らぬところで新たなターゲットに選ばれようと、それはそれ。私の知ったことじゃあない。
重要なのは、目の前にある危機ばかり。
「さ、行くわよ、アル!」
「…どこに」
ふん、と胸を張ってやる気充填。
くるりと踵を返して歩き始める私の背中に、アルの半分寝てそうな声が追っかけてきた。
「決まってるじゃない。明日の新作戦に備えて、今日はさっさと寝ておくの!いいわね?」
つかつかと夜中の道路を闊歩しながら、顔だけで振り返る。
「…僕には、騎士団の仕事もあるんだけどね」
欠伸と共に小さく聞こえてきたぼやきは、夜風に攫われて消えていった。